さくら野百貨店
さくら野百貨店(さくらのひゃっかてん、英: SAKURANO DEPARTMENTSTORE)は、東北地方に展開している日本の百貨店である。
Contents
概要
さくら野百貨店は1978年(昭和53年)に設立された百貨店連合[1](後にダックビブレ、ダックシティとなる)を前身とした百貨店である。同名法人としては現在の法人は3代目にあたる。
百貨店連合及びニチイ(後にマイカル)グループ時代のダックビブレ、ダックシティ、マイカルから独立した初代のさくら野百貨店についてはダックビブレを参照。
2005年(平成17年)4月に初代のさくら野百貨店を、仙台店を運営する2代目のさくら野百貨店(後のエマルシェ)、仙台店の資産管理をするさくら野DEPT仙台、仙台店以外の東北の店舗を運営するさくら野東北[2]に会社分割された[2]。このときに分割されたさくら野東北が後に改称して3代目のさくら野百貨店となる。
さくら野東北時代は、2代目のさくら野百貨店との経営統合を目指した時期もあったがこれは実現しなかった。(詳細はエマルシェを参照)
2009年(平成21年)には、2代目のさくら野百貨店が経営再建策の一環として、さくら野東北の株式を不動産会社の武田とその関係者へ譲渡したことで、株式の持ち合いを解消[3]。(後に資本整理が行われ、エマルシェが倒産した際には、3代目のさくら野百貨店は『(エマルシェは)資本関係が一切ない別企業である』と説明している[4]。)
2代目のさくら野百貨店が2010年8月に法人名をエマルシェに改称[5]したのと時を同じくして[6]、さくら野東北が3代目となるさくら野百貨店へ改称[2]している。
さくら野百貨店として
3代目のさくら野百貨店となってからは、2010年(平成22年)9月に北上店で1階から4階まで直営売場であったものを、3階の4割と4階を外部テナントを導入する実質的な規模縮小を伴う大改装を実施[7]。2012年(平成24年)2月期末に主要株主の不動産会社武田から約15億-20億円の債権放棄を受けて債務超過を解消し、2013年(平成25年)2月期中に食料品売り場を約2,600m2から約2,000m2に縮小して他の品目の売場に転換するなど弘前店の改装を行う[2]のを皮切りに、2014年(平成26年)2月期中には八戸店[2]、2015年(平成27年)2月期中には青森店[2]、2016年(平成28年)2月期中には北上店と順次各店の改装を進めて全店舗を改装して競争力を高め[2]、毎年20人前後の人材採用を行って人材育成も行うなど店舗と人材への前向きな投資を進め[8]、コスト削減と平行して進めることで売上高経常利益率3%を目指す事業成長の段階への移行を図っている[8]。
沿革
2005年4月1日以前についてはダックビブレを参照。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 初代のさくら野百貨店の会社分割により株式会社さくら野東北設立。青森店(青森本店)、弘前店、八戸店、北上店、石巻店の営業を引き継ぐ。屋号は「さくら野百貨店」を継続。仙台店は2代目のさくら野百貨店が営業を引き継ぐ。
- 2008年(平成20年)4月27日 - 石巻店を閉店[9]。
- 2009年(平成21年) - 2代目のさくら野百貨店との株式の持ち合いを解消。
- 2010年(平成22年)
- 8月1日 - 社名を株式会社さくら野百貨店に改称。(2代目のさくら野百貨店は株式会社エマルシェに同日改称)
- 9月 - 北上店で直営売場の縮小、テナント導入を伴う改装を実施。
- 2012年(平成24年)2月期末 - 主要株主の不動産会社武田から約15億-20億円の債権放棄を受けて債務超過を解消[2]
- 2013年(平成25年) - 弘前店で直営売場縮小を伴う改装を実施。
- 2014年(平成26年) - 八戸店で改装を実施。
- 2015年(平成27年) - 青森本店で改装を実施。
- 2016年(平成28年) - 北上店で改装を実施。
店舗
青森本店
さくら野百貨店青森本店 | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒030-0801 青森県青森市新町1丁目13-2[10] |
座標 | 北緯40度49分35.2秒東経140度44分20.9秒 |
開業日 | 1951年(昭和26年)6月[10] |
正式名称 | さくら野百貨店青森本店 |
施設所有者 | 武田株式会社 |
施設管理者 | 株式会社さくら野百貨店 |
駐車台数 | 347[10]台 |
前身 |
カネ長武田百貨店青森店[11] ダックシティカネ長武田青森店[11] 青森ビブレ[11] |
最寄駅 | 青森駅 |
最寄IC | 青森自動車道・青森中央IC |
Sakurano |
1951年6月にカネ長武田百貨店がカネ長武田百貨店青森店[11]として開店[10]。
経営母体の再編に伴って武田山田百貨店(カネ長武田百貨店と山田百貨店とイチムラの合併)、百貨店連合(武田山田百貨店と丸光小美屋を吸収合併した元経営統合事業体)、ダックシティ、ダックビブレ(以上の4法人についてはダックビブレを参照)と経営が引き継がれ、店名も'ダックシティカネ長武田青森店[11]、青森ビブレ[11]と変遷した。
マイカルグループの経営破綻により、ダックビブレがマイカルグループを離脱し(初代の)さくら野百貨店となった時点で、店名をさくら野百貨店青森店とした。経営再建計画の一環で、2005年4月に初代のさくら野百貨店からさくら野東北(3代目にあたる現在のさくら野百貨店)が分割[2]されると、さくら野東北へ経営が引き継がれ[2]た際に本社機能が置かれるようになり、さくら野百貨店青森本店を名乗るようになった。
1976年に開業したサンロード青森[11]をはじめとして、郊外型店の出店が相次いでモータリゼーションの進展と相俟って郊外への買い物客の流出が生じ[11]、2003年には青森県の地場百貨店である松木屋が閉店、2017年には青森市の第三セクターが運営する再開発ビルであるアウガが商業施設としての営業を終了したことから、中三青森本店と主に青森市の中心市街地の核となる店舗として営業している[11]。
青森本店の建物はさくら野百貨店のルーツの一つであるカネ長武田百貨店の関連会社である不動産会社の武田株式会社。看板にはカネ長武田のロゴタイプが掲げられている。
弘前店
さくら野百貨店弘前店 | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒036-8092 青森県弘前市城東北3丁目[13] |
座標 | 北緯40度36分24秒東経140度29分45.1秒 |
開業日 |
1993年(平成5年)10月1日[14] カネ長武田百貨店弘前店:1971年(昭和46年)[15] |
正式名称 | さくら野百貨店弘前店[13] |
施設管理者 | さくら野百貨店 |
駐車台数 | 2,200台 |
前身 |
カネ長武田百貨店弘前店[13] ダックシティカネ長武田弘前店[13] 弘前ビブレ |
最寄駅 | 弘前駅 |
最寄IC | 大鰐弘前IC |
Sakurano |
弘前市の城東地区(JR・弘南鉄道弘前駅からみて若干北東側の位置)に所在する郊外型店舗。地上4階建ての本館に加え、車道を挟んで斜め向かいに立体駐車場併設の別館「ラフォルテ」、また「ラフォルテ」に隣接する形でシネマコンプレックスのイオンシネマ弘前(旧ワーナー・マイカル・シネマズ)があり、これらを総称して「弘前さくら野シティ」と呼ばれる場合がある。
沿革
1971年(昭和46年)に中三弘前店と隣接して土手町に開店したカネ長武田百貨店弘前店[15]が経営母体の再編に伴って百貨店連合、ダックシティ、ダックビブレに引継がれて店名もダックシティカネ長武田弘前店[13]へ変遷し営業を続けてきた。(ダックビブレ#ダックシティカネ長武田弘前店を参照)
1993年(平成5年)10月1日[14]に土手町の旧店舗を閉店して弘前市郊外(城東北)の現在地に弘前ビブレとして移転[13]。
1994年(平成6年)9月に弘前ビブレと隣接する形でシネマコンプレックスのワーナー・マイカル・シネマズ弘前を開設[13]。
2002年(平成14年)10月に経営母体のダックビブレの破綻とその後の再建に伴ってさくら野百貨店弘前店となり、その後運営する企業は初代さくら野百貨店からさくら野東北そして3代目さくら野百貨店と変遷している[2]ものの店名はこの間同一で営業している。
2013年(平成25年)2月に食料品売場を約2,600m2から約2,000m2に縮小して他の品目の売場に転換するなど改装を行う計画が進み、[2]残った約600m2には現在、薬局(ドラッグストア)が入っている。
施設構成
- 本館
- 1階から3階がメインの売場であり、1階は食料品と銘店・服飾雑貨・化粧品・不二家ショップ・都市型ドラッグストアのスーパードラッグアサヒ、2階は紳士服・婦人服、3階は呉服・子供服・雑貨・生活用品とメガネ(富士メガネが運営)・文具・ヴィレッジヴァンガード・CD(バンダレコードが運営)・書籍(宮脇書店が運営)・サンキューマート・セリアなどをそれぞれ主体としたフロアで構成されている。
- 4階はゲームセンター(ソユーが運営)とレストラン・中華レストラン・ラーメン・そば・パキスタン料理のレストラン街のほか、天然温泉ホテル「RICORSO HIROSAKI」や展示・イベントで使用可能な文化ホールで構成されている。かつては弘前ねぷたの展示コーナーと津軽地方各地の特産品・名産品を販売するスペース「津軽遊学館」も存在していた。また1階にはマクドナルド・北の綿雪、2階にはカフェ、3階には和食レストランがあるほか、別館「ラフォルテ」内でも飲食店が営業している。
- RICORSO HIROSAKI(リコルソ弘前)
- 弘前ビブレ時代から本館4階にプール付きホテルの「RISONARE MELA」(リゾナーレ メラ)→「EXCCELENT MELA」(エクセラン メラ)が営業していたが、2004年2月ごろに閉鎖され、同年12月には「ホテルさくら野」 と「さくら野温泉」が開業した。開業当初「さくら野温泉」は24時間営業であったが、2005年秋より営業時間が10時から深夜1時、2006年(詳細時期不詳)には深夜0時までに短縮され、その後6時から9時までは早朝営業もしていた(早朝営業では岩盤浴の利用不可)。2006年ごろまでは利用料金1500円で岩盤浴も利用出来たが、1000円に値下げしてからは岩盤浴利用料金として700円が別途必要となっていた。その後、2009年3月をもって「ホテルさくら野」と「さくら野温泉」は閉店した。
- 2009年4月、前月に閉店した「ホテルさくら野」と「さくら野温泉」に代わり、天然温泉ホテル「RICORSO HIROSAKI」が開業した。「さくら野温泉」時代は入口で靴を脱ぐ方式であったが、温泉入口(休憩室入口)で靴を脱ぐ方式に変更された。岩盤浴は安全性のため中学生以上の利用となっている。
- 利用料金
- 大人入浴(12歳以上):450円/ 大人入浴+岩盤浴:1,080円
- 中人入浴(6歳以上):150円
- 小人入浴(3歳以上): 60円
- タオル・バスタオル貸出:250円
- 営業時間
- 温泉入浴 08:00 - 23:00(最終受付 22:00)[16]
- 男性岩盤浴・男性高温サウナ 10:00 - 22:00(最終受付 21:00)
- 女性岩盤浴 08:00 - 22:00(最終受付 21:00)
- 利用料金
- ラフォルテ
- イオンシネマ弘前
交通アクセス
- 国道7号弘前バイパスにも近接し、2,200台収容の平面・立体駐車場が併設されていることから、マイカーでのアクセスも比較的容易であり、地元の弘前市・黒石市・平川市など津軽地方一円の各市町村のみならず、秋田県北部の大館市・北秋田市などからの買い物客も少なくない。
- 弘前バスターミナルや弘前駅城東口から城東環状100円バスも乗り入れているため、列車を利用してくる買い物客も多い。
八戸店
さくら野百貨店八戸店 | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒031-0032 青森県八戸市三日町[18] |
座標 | 北緯40度30分36.8秒東経141度29分27.8秒 |
開業日 | 1968年(昭和43年)6月28日[19] |
正式名称 | さくら野百貨店八戸店 |
施設管理者 | さくら野百貨店 |
前身 |
丸光八戸店 ダックシティ丸光八戸店 八戸ビブレ |
最寄駅 | 本八戸駅 |
最寄IC | 八戸自動車道・八戸IC |
Sakurano |
1968年(昭和43年)6月28日に青森県八戸市三日町丸光八戸店として開店し[19]、開店2時間前から八戸駅[注釈 2]前まで続くほどの集客力で開業初日に約5万人の買い物客を集め[19]、同日開業の緑屋八戸店と合せて祭り並みの人出となって八戸警察署が警察官42人を出して交通整理や警備に当たるほどの賑わいでスタートした[20]。
経営母体の再編に伴って丸光小美屋、百貨店連合、ダックシティ、ダックビブレと経営が引き継がれ、店名も'ダックシティ丸光八戸店、八戸ビブレと変遷した。マイカルグループの経営破綻により、ダックビブレがマイカルグループを離脱し(初代の)さくら野百貨店となった時点で、店名をさくら野百貨店八戸店とした。その後、経営再建計画の一環で、2005年4月に初代のさくら野百貨店からさくら野東北(3代目にあたる現在のさくら野百貨店)が分割[2]されると、さくら野東北へ経営が引き継がれた[2]。
1969年(昭和44年)11月13日に以前から営業していた地場資本の百貨店丸美屋が閉店に追い込まれ[21]、清算中だった同店を隣接して衣料品店を経営していた三春屋が買収して[20]百貨店としての営業に乗り出すなど当店の進出は八戸の商業環境に大きな影響を与えた。
1970年(昭和45年)11月6日に開店した長崎屋八戸店[22]や1971年(昭和46年)10月7日にニチイ八戸ショッピングプラザ[23]などと競争しながら共に八戸市の中心市街地を代表する大型店として営業し、1978年(昭和53年)には地場資本の百貨店だった三春屋と共に大規模な増床をし[24]、1980年(昭和55年)4月19日に開店したイトーヨーカドー八戸店[25]を含む八戸市中心市街地の大型店同士で激しい競争を繰り広げた。
近年はモータリゼーションの進展の影響で1995年(平成7年)に約33.2万人だった八戸市の中心市街地の通行量が2005年(平成17年)に約18.1万人に減少して、1997年(平成9年)に合計約730億円あった八戸市の中心市街地の売上高が2002年(平成14年)に合計約508億円と急激に落ち込んでラピア、イオン下田、ピアドゥなどの郊外型ショッピングセンターの売上が2002年(平成14年)に合計約440億円と匹敵するレベルに達するなど急激に進んだ中心市街地の空洞化の影響を受け[26]、1985年(昭和60年)に開店したファッションビルヴィアノヴァ[27]と同じくファッションビルのチーノの債権が青森銀行から外資系ファンドに売却され[28]、2003年(平成15年)4月に[29]郊外に自社の店舗を開設したことを理由にイトーヨーカドー八戸店が撤退する[30]など店舗周辺の商業環境は厳しくなっているが、ライバルの百貨店三春屋と共に八戸市の中心市街地の中核店舗の1つとして営業を続けている[30]。
現在も百貨店として展覧会などの各種催事も行われている[31][32]。
1996年(平成8年)10月に地権者25人が設立した三日町番町地区市街地再開発準備組合の核店舗として当店が想定されていたが、ダックビブレの経営破綻で構想が宙に浮いて地権者全員の同意が得られなくなり、2004年(平成16年)4月に組合が解散して再開発構想自体が挫折した[29]。
その後2007年(平成19年)1月に中心市街地活性化策の一環として当店と近隣の金入や類家大学堂薬局を合せた敷地面積7,750m2を一体的に再開発する構想が浮上して再び店舗の再開発構想が進み始めている[33]。
施設およびビル内に同居する他施設
- 八戸店が建つ前の当地には三浦哲郎の生家があった。
- さくら野ビルの正式名称は「大学堂ビル」である。入居する大学堂薬局が名称の由来となっている。
- 丸光時代には地元八戸出身の菊地陽子が幼少期に描いた絵がシャッターに描かれていた(集英社発行のアイドル雑誌『明星』にも写真が掲載された)。
- 地上6階・地下1階の構造で、屋上部にはかつての展望台(現在は閉鎖)も設置されている。
- 4階 - 6階と地下1階部分については、1階 - 3階よりも天井が低くなっている。
- エスカレーターについても、1階 - 3階方向では2人分のスペースであるが、3階 - 6階方向および1階 - 地下1階方向については1人分のスペースである。
- また、ビル内の入口と独立したスペースに「街カフェみなと」が入居している[注釈 3]。
- 隣のさくら野駐車場はさくら野各階と連結している。
- 隣の「カネイリビル」はさくら野に直接連結しており、相互連絡が可能である。
- 隣の中心市街地地域観光交流施設「八戸ポータルミュージアム(はっち)」は老朽化が進んださくら野の新築時に連絡通路を新設できる設計になっている
北上店
さくら野百貨店北上店 | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒024-0094 岩手県北上市本通りツインモールプラザ東館[34] |
座標 | 北緯39度17分17.8秒東経141度6分56.5秒 |
開業日 | 2000年(平成12年)3月[35] |
正式名称 | さくら野百貨店北上店[34] |
施設所有者 | 北上都心開発[34] |
施設管理者 |
さくら野百貨店 北上都心開発[34] |
駐車台数 | 1,600台 |
前身 | 北上ビブレ |
最寄駅 | 北上駅[36] |
最寄IC | 東北自動車道・北上江釣子IC |
Sakurano |
2000年(平成12年)3月に岩手県北上市本通りにダックビブレが経営する北上ビブレとして開業し[35]、経営母体のダックビブレの破綻とその後の再建に伴って2002年(平成14年)10月にさくら野百貨店北上店となり、その後運営する企業は初代さくら野百貨店からさくら野東北そして3代目さくら野百貨店と変遷している[2]ものの店名はこの間同一で営業している。さくら野グループで現存する店舗では唯一、丸光・カネ長武田いずれの流れもくまない店舗である。
従来1 - 4階を賃借して売場としてきたうちの3階の40%と4階の売場での営業を終了させて2010年(平成22年)9月から衣料や雑貨、飲食などの外部テナントを導入するという北上店の大幅な規模縮小を伴う大改装を行い[7]経営効率の改善を目指した[34]。
この改装に伴ってビルを所有・管理している北上都心開発は賃貸が返上された約3,000m2の新たなテナントを募集を行う[34]など対応に追われると共に、国から借りている市街地再開発事業資金の返済を5年間先延ばしたため、その間北上市が肩代わりを余儀なくされるなどの影響が生じている[36]。
施設構成など
- 岩手県北上市の中心部に位置する都市型ショッピングモール「ツインモールプラザ」の東館として営業している(地図)。
- 売場は1階 - 4階で、1階が食料品(生鮮・一般食品部門及びインストアベーカリーコーナーはいわて生活協同組合のスーパーマーケット『ベルフ北上』が運営[注釈 4])とファッショングッズ・婦人靴・化粧品・フラワーショップ・薬局・催事場、2階が婦人服・紳士服・子供服・下着・呉服・時計・宝石と軽食喫茶、3階がインテリア・生活用品とカジュアルウェア(ライトオンがテナントとして入居の上運営)・靴(紳士靴・スポーツシューズ・カジュアルシューズ。シュープラザが運営)・メガネ・100円ショップ(セリアが運営)・手芸用品(クラフトハートトーカイが運営)・家具(岩泉純木家具が運営)、4階は書籍・文具・楽器・雑貨とゲームコーナー(ソユーの運営)・レストラン街の各フロアで構成されている。
- 1階のフラワーショップ・薬店、2階の呉服・時計・宝石売場、3階のメガネコーナー、4階の書籍売場はそれぞれ地元資本の専門店が入居し営業している。
- 1階食料品売場には休憩・イートインスペースを兼ねたフードコートも併設され、サブウェイ・ドトールコーヒー・一口茶屋・あずま家などの各種ファストフード店が入居している。
- 4階にはエステティックサロンのエルセーヌが、また5階には弘前店同様シネマコンプレックスのイオンシネマ北上が入居している。
- 東館2階と西館2階とは『りぼん橋』の愛称を持つ連絡通路で繋がっている。
- 東館に隣接する市営本通り駐車場(立体)が主な駐車場である。
- 道路を挟んだ西館には市民交流プラザや商業テナント・ツインモールプラザ西館(1階 - 2階)、フィットネスクラブのコナミスポーツクラブ(7階、8階)、旅行代理店、英会話教室などが入居している。3階 - 6階は立体駐車場となっている。
- 1,600台収容の駐車場(収容台数は上述の市営/西館両立体駐車場の合計)を備え、国道4号北上バイパスと国道107号との交差点や東北自動車道北上江釣子ICにも近い位置にあることから、中心市街地の都市型店舗ながらマイカーでも比較的スムーズにアクセスできる。このこともあって地元の岩手県内のみならず、隣接する宮城県北部・秋田県南部からの買い物客の利用も少なくない。百貨店としての機能だけでなく郊外型ショッピング・モールとしての要素もあり、休日になると家族連れなどで賑わい、周辺道路が混雑する。
- 2012年に2ヶ所のバス停が「まちなかターミナル」(本通り二、本石町一)として再整備され、基本的に道路の反対側へ渡らずに同じ路線の両方向のバスが同じ側のバス停に停まるようになった。
かつて存在した店舗
かつて同グループに所属したさくら野百貨店仙台店(仙台市)についてはエマルシェを参照。
石巻店
前身である丸光石巻店(1955年 - 1967年、初代)、丸光石巻店(2代目)及びダックシティ丸光石巻店(1967年 - 1996年)についてはダックビブレ#ダックシティ丸光石巻店を参照。
さくら野百貨店石巻店 | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒986-0825 宮城県石巻市穀町[37] |
座標 | 北緯38度26分3.3秒東経141度18分9.5秒 |
開業日 | 1996年(平成8年)3月[38] |
閉業日 | 2008年(平成20年)4月27日[9] |
前身 | 石巻ビブレ[38] |
後身 | エスタ[40]と石巻市役所[41] |
最寄駅 | 石巻駅[37] |
最寄IC | 三陸自動車道・石巻河南IC |
Sakurano |
1955年(昭和30年)に宮城県石巻市の橋通りに丸光が開店した丸光石巻店[39]を前身とする店舗。丸光石巻店(初代)から数えて石巻店としては3代目にあたり、1996年3月にJR石巻駅前に新店舗が完成すると、2代目店舗であるダックシティ丸光石巻店から移転し、ダックビブレ運営の石巻ビブレとして開店した[38]。
マイカル及びダックビブレの経営破綻とその再建により、ダックビブレがマイカルグループを離脱し、商号をさくら野百貨店(初代)と改称した2002年10月にさくら野百貨店石巻店と店名を変更した[39]。2005年4月にさくら野百貨店が民事再生計画に沿ってさくら野東北を分割した[3]際には、さくら野東北運営となった[39]。
開店当初、シネマコンプレックス(ワーナー・マイカル・シネマズ)が入居していた[37]が、2007年1月に郊外の蛇田地区に開業したイオン石巻ショッピングセンター(後のイオンモール石巻)へ移転する形で閉店[37][注釈 5]、前後して周辺に郊外型店の出店が相次ぐなどして顧客を奪われて[37]、売上高がピーク時の1998年の約89億円から2007年(平成19年)に約36億円に減少して2億円を超える赤字となった[37]。2004年から続く赤字が拡大する恐れがあるとして[37]2008年4月27日に閉店して、1955年の丸光以来、石巻での同店の歴史に終止符を打った[9]。
閉店後、さくら野百貨店は石巻店跡となる土地・建物及び現金2億円を石巻市に寄付し[42]、閉店から約2ヵ月後の2008年6月28日に1階部分がスーパーを含む複合商業施設エスタとして開業し[40]、2010年3月から石巻市役所が移転した。旧庁舎より市内各地からのバスが便が良く、高齢化時代にふさわしい立地と評価されている[41]。
プロ野球の優勝・応援セールの扱い
さくら野百貨店の前身の一つであるカネ長武田百貨店の創業者が、青森県内のヤクルトの営業拠点である青森ヤクルト販売を創業した経緯から、東京ヤクルトスワローズの優勝翌日や、クライマックスシリーズ・日本シリーズ終了の翌日から数日間青森県内3店舗と北上店でセールを実施している[43]
さくら野百貨店は東北楽天ゴールデンイーグルスのオフィシャルスポンサーであるため、2013年に球団が優勝・日本シリーズ制覇した際には優勝セールが実施された。
関連事業
- クレジットカード事業
脚注
注釈
- ↑ ワーナー・マイカル・シネマズの第4号館であったイオンシネマ宇多津(イオンタウン宇多津内)(香川県綾歌郡宇多津町)は2014年3月16日に閉館した後、2015年10月24日に同一の場所・建物で2代目店舗として再開業している。
- ↑ 当時の駅名、のちに「本八戸駅」に改称。
- ↑ かつては伊吉書院や文明堂(レコードショップ)が入居していたが、前者は撤退、後者は廃業となっている、また、伊吉書院の跡地は2003年から2010年にかけてまちの駅はちのへが入っていたが、十三日町に移転している。
- ↑ 2018年4月27日以降。それ以前は当該部門・コーナーについてもさくら野百貨店の自社直営であった。
- ↑ ワーナー・マイカル・シネマズを運営していたワーナー・マイカルはマイカルグループ時代は系列企業だったが、グループ離脱後にマイカルがイオン傘下となり、ワーナー・マイカルもイオン傘下になっていた。ワーナー・マイカルは2013年にイオンシネマズを合併してイオンエンターテイメントへ、屋号を「イオンシネマズ」としている。
出典
- ↑ ダックビブレ 第24期有価証券報告書 (Report). ダックビブレ. (2002).
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 “さくら野百貨店、全店を改装 今期末に債務超過解消”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2011年11月14日)
- ↑ 3.0 3.1 “さくら野経営再統合見送りへ”. デーリー東北 (デーリー東北). (2010年4月8日)
- ↑ 引用エラー: 無効な
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- ↑ “さくら野百貨店 企業概要”. さくら野百貨店. . 2012閲覧.
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関連項目
- 高島屋 - 提携先
外部リンク