日本橋兜町
日本橋兜町 | |
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— 町丁 — | |
座標: 東経139度46分40.03秒北緯35.6814833度 東経139.7777861度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 中央区 |
地域 | 日本橋地域 |
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1] | |
- 計 | 673人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 103-0026[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 品川 |
日本橋兜町(にほんばしかぶとちょう)は、東京都中央区の地名で、旧日本橋区にあたる日本橋地域内である。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は103-0026[2]。
概要
経済・ビジネスとしての色が強い街で、東京証券取引所を中心とした日本を代表する金融街である。ロンドンのシティ、ニューヨークのウォール街、香港の中環などと並ぶ世界屈指の金融センターの一つとなっており[4]、金融業界(特に証券業界)や、日本と世界の株式相場の代名詞ともなっている。
明治時代初頭に第一国立銀行や現在の東京証券取引所が開設された。やがて「シマ」と呼ばれる特殊な証券業者の密集地帯を形成していった。数多くの銀行や証券会社の本店や東京支店等が密集する。
地理
日本橋地域の南部に位置する。
歴史
「兜町」は平将門の兜を埋めて塚にした所を兜山と云ったところから由来しているという。その地に祀られたのが兜神社である。兜神社の縁起は平將門の兜が一番古い(伝承の中での起源)縁起であるが、他に兜神社の由来は源義家が奥州往きの途中に暴風に出会い鎧を沈めて竜神に祈って無事を祈った場所に、都への帰途兜を埋めて塚を築き埋めて神を祭ったという故事を縁起とするものもある。
かつては沼地だった兜町付近だが、江戸時代に入ると江戸城築城のために埋め立てが行われ、周辺は大名屋敷が立ち並んだ。兜橋、兜の渡しなどの地名ができた。
明治に入ると、明治維新の恩賞として、兜町周辺の土地を三井家等が受け取り、「兜町」と名づけられた。渋沢栄一を中心に、1871年に第一国立銀行本店が、1878年には東京証券取引所の前身である東京株式取引所が設立され、商業(金融)の街へと急速に発展していった。1923年の関東大震災により、辺りは焼け野原となるが、震災後は近代的な街並みに一変した。1982年1月1日に住居表示を実施した[5]。
旧町名
- 現:日本橋兜町
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世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
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日本橋兜町 | 518世帯 | 673人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 中央区立阪本小学校 | 中央区立日本橋中学校 |
地域
- 中央区立阪本小学校 - 阪本幼稚園も同敷地内にある。
- 中央区立阪本幼稚園 - 現在休園中
- 楓川新場橋公園
- 坂本町公園
観光
- 銀行発祥の地 - 記念碑が設置されている。
- 兜神社
交通
- 東京都道・千葉県道10号東京浦安線(永代通り)
- 平成通り
- 首都高速道路・出入口
脚注
関連項目
外部リンク
- 中央区ホームページ
- 日本橋茅場町・日本橋兜町地区 町名の由来 - 中央区ホームページ内
- 兜町[兜町・新川・八丁堀エリア] - 中央区観光協会
- 日本橋兜町 - 古今・お江戸日本橋 日本橋“町”物語