教育
教育(きょういく、羅: educatio、英: education、仏: éducation, enseignement、独: Bildung, Erziehung、西: educación、葡: educação、露: Образование、亜: تعليم)は、教え育てることであり[1][2]、ある人間を望ましい状態にさせるために、心と体の両面に、意図的に働きかけることである[3]。教育を受ける人の知識を増やしたり、技能を身につけさせたり、人間性を養ったりしつつ、その人が持つ能力を引き出そうとすること[3]である。
教育の機能や効果については、さまざまなことが言われている。政治面、経済面など様々なことが挙げられている。教育は、民主化を推進することになる、と指摘されている。また経済学的に見ると、生産性が向上する、とも指摘されている。なお、教育がむしろ否定的な効果・機能を果している場合には「教育の逆機能」と呼ばれることがある。
教育を研究する学問を教育学と言う。教育学は、哲学・心理学・社会学・歴史学などの方法を用いて教育を研究する。様々な目的で細分化されており、基礎的・基本的なものとして、教育哲学・教育社会学・教育心理学・教育史学などがあり、実践的なものとして領域教育方法論・臨床教育学・教科教育学なものがある。(中学や高校の)教師になろうとする人は、必修科目として教育学を学ぶ。(ただし大学教授は教育学を学んでいない人がなっていることは多い。)
年齢による分類もあり、乳児の場合には、その教育は乳児教育(保育)と呼ばれ、幼児の場合は幼児教育、児童の場合には児童教育、成人である場合は成人教育と呼ばれる。また、場所に着目して、家庭教育、学校教育、社会教育、世界教育(World Studies、日本では、国際理解教育と呼ぶ)という言い方もある。
Contents
定義の諸説
- 語源・語義からの定義
語源・語義からの定義の例を挙げると、「英語: education」や「フランス語: éducation」は、ラテン語: ducere(連れ出す・外に導き出す)という語に由来することから、「教育とは、人の持つ諸能力を引き出すこと」とする。
- リチャード・ピーターズの定義
リチャード・ピーターズ(en:Richard Stanley Peters)は、「教育を受けた者」という概念の内在的な意味を探求し、自由教育(教養教育)の立場から「教育」を次の3つの基準を満たす活動として限定的に定義した[4]。
- 教育内容 - 価値あるものの伝達
- 教育効果 - ものの見方が広がる
- 教育方法 - 学習者の理解を伴う
歴史
教育に関する歴史を教育史と呼ぶ。家庭教育や社会教育も念頭に置けば、教育は人類の有史以来存在してきたものと考えることができる[5]。
制度化された教育について、西洋では古代ギリシアまで遡ることが一般的である。高等教育機関は古代より世界各地に存在してきたが、現代の大学につながる高等教育機関が成立したのはヨーロッパの中世においてであって、11世紀末にはイタリアのボローニャでボローニャ大学が成立していたという。近代教育につながる教育学の祖形は、17世紀にコメニウスによって作られた。18世紀に入るとジャン=ジャック・ルソーが「エミール」を著し、この影響を受けたヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチによって学校教育の方法論が確立された。またペスタロッチは主に初等教育分野に貢献したのに対し、彼の影響を受けたフリードリヒ・フレーベルは幼児教育に、ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトは高等教育に大きな足跡を残した。19世紀に入ると産業革命以降の労働者の必要性から、民衆に対する教育の必要性が強く叫ばれるようになり、多くの国で公教育が導入され、初等教育については義務化される国が現れ始めた。この義務教育化の流れは産業化された国々を中心に広がっていったものの、多くの国で国民に対する一般教育が公教育として施行されるようになったのは、20世紀に入ってからである。また、特にヨーロッパや南アメリカのカトリック圏諸国においては、初等教育を国家ではなく教会が担うべきとの意見が根強く、19世紀における主要な政治の争点のひとつとなった。この論争は20世紀に入るころにはほとんど国家側の勝利となり、ほとんどの国で初等教育は基本的に国家が担うものとなっていった。第二次世界大戦後に独立したアジアやアフリカの新独立国においても教育は重視され、各国政府は積極的に学校を建設し、教育を行っていった。これにより、世界の識字率は20世紀を通じて上昇を続け、より多くの人々に公教育が与えられるようになっていった。
文献上で確認できる日本で初めて作られた教育制度は、701年の大宝律令である。その後も貴族や武士を教育する場が存在し、江戸時代に入ると一般庶民が学ぶ寺子屋が設けられるようになった。初等教育から高等教育までの近代的な学校制度が確立するのは明治時代である。第二次世界大戦後の教育は、日本国憲法と教育基本法に基づいている。
教育を受ける権利
国際人権規約は、人間には教育を受ける権利がある、と定めている[註 1]。
フランスでは、そうした理念にもとづいた制度が徹底しており、国・公立の教育施設においては、幼児教育から大学教育まで授業料が一切無料である。よって、国際人権章典の理念どおり、教育を受けたい人は、(親の経済状態などにかかわらず)教育を受けることができる。
- 公教育・義務教育
しかし多くの国においてはこうした理念がフランスほどには具現化されていない。そこで国民が基礎的教育を受ける権利を保証するために、公教育としての義務教育が制度化している。多くの場合は初等教育と中等教育の一部が、児童や生徒の権利となっており、かつ義務ともなっている。これらの点について詳しくは、下記の教育制度を参照。
教育の理論、教育哲学
教育の目的(教育目的又は教育目標)をどうとらえるかで2つの立場が存在してきた。
- 道徳主義 - 政治や社会、道徳や倫理と言った教育の外にあるものから教育目的を定めるもの(例 アリストテレスの徳[6])
- 機能主義 - 教育それ自体が上手くいくように教育目的を定めるもの(例 ジョン・デューイのプラグマティズム[7])
道徳主義の教育目的では、伝統的に、個人の発達・幸福のためとするか、社会の維持・発展のためとするかで論争がある。前者は教養教育・自由教育の立場で、人が一人の人間として豊かで幅広い教養を身につけることで、人が人間らしく生きることができるという考えである。こうした考え方は、一部の中等教育・高等教育でリベラルアート教育として実現している。他方、教育の目的を社会的な必要という観点から捉え、実学を重視する立場もある。専門学校・専門職大学院などはこの現れである。
教育を行う理由のことを、教育の正当性と呼ぶことがある。これには、教育の必要性と教育の可能性の二面から論じられることが多い。
なぜ教育が欠けてはならないのかという問題について、イマヌエル・カントは「人は教育によって人間になる」と述べ、人間らしく生きるために教育が必要であると論じた[8]。学びの意欲を喪失した若者が多いといわれる現代において、なぜ教育が必要かが改めて問われる状況にある。
しかし教育が必要であるとしても、それが人間にとって可能なものでなければ、教育はやはり正当性を失うことになる。例えば、プラトンは「徳は教えうるか」と問い、哲人統治者としての自然的素養を重視した[9]。現在において教育可能性が問題となるのは、「教育がいかに可能か」という教育方法の問題や、「教育がどこまで可能か」という教育の限界の問題としてである場合が多い。
教育の分類
フォーマル教育
フォーマル教育(formal education)とは、いわゆる「学校教育」の別名であり、特定の集団に対して、一定の様式の学習内容をあらかじめ用意しておいて、組織化され体系化された教育活動を指す。一般的には、フォーマル教育は、生徒(学生)の集団に対して、その分野の教員資格を保持する者によって、授業を施すことを明確に目的とした環境(学校の施設。教室、体育館など)において、行われる。多くの学校制度はすべての教育選択肢、たとえばカリキュラム、物理的な教室設計、教師と生徒の相互作用、評価方法、クラスのサイズ、教育活動、その他多くの点について、理想の値・アイディアを中心に支配的に設定されている[10][11]。こうした教員資格は、大学の教育学部や師範学校などで教師となるための専門教育を受けたものに与えられるが、教員資格を持たないものを教員として雇用することも、公教育の立ち上げ時や急拡大時など、有資格者の不足する場合においては行われることがある。こうした教員は代用教員と呼ばれ、戦前の日本や独立直後のアフリカ諸国などにおいて、初等教育においては広く行われた。なお、大学の教員になるには、教員資格は必要ない。
フォーマル教育において、その実践上の目的・内容・方法等をまとめたものを教育課程又はカリキュラムと呼ぶ。教育課程は、通例では初等教育・中等教育・高等教育の3段階に分け、この前に保育や幼児教育を位置づけることもある。
職業教育
職業教育とは、直接的に特定の商業・工業に結び付く訓練志向の教育である。職業教育は職業高等学校や職業大学、専門学校といった学校教育に加え、徒弟制度やインターンシップの体系も取り、大工、農業、工学者、医師、建築家、芸術家などの分野がある。
特別支援教育
特別支援教育(Special education)は、障害のために公教育を受ける能力がない者に対しての教育である。
オルタナティブ教育
オルタナティブ教育とは、「オルタナティブ」つまり「代わりに用いられる」教育のことで、フォーマルな教育以外の教育のことを指し、フリースクール、サポート校、ホームスクーリング(自宅ベース教育)、シュタイナー教育、などがこれに含まれる。
ノン・フォーマル教育
社会教育とは、家庭教育と学校教育以外の[12]、広く社会において行われる教育のことである。学校や家庭以外の社会のさまざまな場において行われている多様な教育活動が該当する。例えば、公民館(=文部科学省所管の国民のための生涯教育のための施設)、図書館、博物館、「文化センター」などの場である。
イン・フォーマル教育
家庭教育とは、家庭において行われる教育のこと。家庭というのは家族という社会集団が生活をする場であるが、多機能であるので、教育も行われ得る[12]。学校という制度ができてからは、その教育機能の一部が学校へと分離することになったが、家庭は学校と連携を持ちつつその教育機能を持ちつづけている[12]。「家庭教育」と言っても、家庭という場とともに、ひとりひとりの家族との人間関係が重要な意味をもっていると言える[12]。基礎的な価値観・徳をこどもに示すことはしつけと呼ばれている[註 2][12]。
自己教育
教育の対象は他者であるとは限らず、自分自身であることもあり、その場合には自己教育(英: self-education, autodidacticism)と言うことがある。
オープン教育
離れた場所に居る者に対して行われる教育は、遠隔教育(遠隔地教育)・通信教育という。最近では、世界の一流大学の一流の教授の講義がインターネット経由で公開され、国境を越え各地で受けることができるようになってきている。(MOOK)
教育制度
教育に関する制度を教育制度といい、主に学校教育が中心となるが、社会教育など学校外の制度もある。教育制度は、学校制度や義務教育の年限など、国によって異なっている。日本においては初等教育(小学校)ならびに前期中等教育(中学校)が義務教育となっているが、この年限は国によってまちまちで、後期中等教育(日本における高等学校にあたる)までを義務教育としている国家もあれば、初等教育のみを義務教育としている国家もある。しかし総じていえば、義務教育の規定のない国家は非常に少なく、ほとんどの国家においてはなんらかの形で義務教育期間が存在している。
教育行政・教育政策
教育に関する行政を教育行政、教育に関する政策を教育政策と呼ぶ。日本の教育政策については、日本の教育政策と教育制度を参照。教育政策の課題は国によって大きく異なっているが、先進国においてはおおむね社会的格差の解消や国際的な経済競争・知識社会化への対応などが、発展途上国の多くでは識字率・就学率の向上が、求められている。
教育に関する法律を教育法と言う。条例等も含める場合には、教育法令と呼ぶ。
教育施設
教育の行われる施設を教育施設又は教育機関と呼ぶ。学校のみならず、図書館・博物館・美術館、公園、劇場、映画館のような娯楽施設も、広く社会において教育的な機能を果す施設を含めて考えられる。基本的な生活態度の養成という観点からは、家庭や地域社会での教育も含まれる。
教育施設の中でももっぱら教育のために設立される施設を学校と呼ぶ。学校において行われる教育を学校教育と呼び、その就業年数や義務の有無など学校に関する制度を学校制度と言う。
教育の課程・内容・方法
教育のために用いられる素材は、教材と呼ばれる。伝統的な教科書や黒板や従来から語学学習などで用いられてきた音声教材に加えて、近年では科学技術の発達に伴い、コンピュータ、マルチメディア、インターネットなどを積極的に活用する動きが高まっている。また、電子黒板やインターラクティブ・ホワイトボードなどの最新機器も用いられ始めている。
教育内容
知育・徳育・体育の分野がある。正確な知識という共通基盤がなければ正しいコミュニケーションや共同生活すら図れないし、またそうした知識をいかに活用していくかという、思考力・コミュニケーション能力・創造力等の技能も不可欠である。さらに、知識や技能のみならず、社会生活を営む上での基本的な道徳を教育することに価値を置く見解や、社会で生き抜く体力を重視する見解もある。教育の内容について詳しくは、「教科」を参照。また、新しい教育内容として、人権教育、環境教育、国際理解教育、性教育がある。
教育方法
教育方法に関しては大きく二つの立場が対立している。
一つは、学問の体系的な構造に従って系統的に教育を行うべきだという、系統学習の立場である。これは特に教育段階が上がるにつれて教育内容が学問の体系に近づく。
その一方で、特に幼児・児童への教育を中心として、こどもの自発的な学びを尊重すべきだとする問題解決学習(進歩主義・児童中心主義・経験主義)の考えも強い。日本の小学校における生活科や小中学校の総合的な学習の時間は、この考えに影響を受けたものであると言われている。
教育効果
教育を受けた個人に起こる変化を「教育効果」と呼ぶ。一般的には学力の向上が思い浮かべられることがある。現在の日本では、学校教育に関わる学力を紙面の試験で測定できるもの、とりわけ偏差値で計る傾向が強く、このことに対して強い批判が長年存在しつつも、受験現場では不可欠となっている実態がある。
教育効果に関する議論は、教育内容や教育方法などを改善する上で欠かせない一方、教育目的を測定可能なもののみに置き換えがちな点には注意が必要である。
教育社会学
教育社会学では、教育が社会に及ぼす効果として、経済・政治・社会などに与えるものが議論されている。
教育を行った結果としてどのようなことが起こるかについては、個人に与える影響と社会に与える影響の両面がある。エミール・デュルケームは、近代における教育の機能を「方法的社会化」であると捉え、政治社会と個々人の双方が必要とする能力・態度の形成であるとした[13]。なお、教育が適切な効果・機能を果していない場合には、「教育の機能不全」、教育がむしろ否定的な効果・機能を果している場合には「教育の逆機能」と呼ばれることがある。
学校を軍隊・病院・監獄などと同様の近代特有の権力装置であるとしたミシェル・フーコー [14]、学校教育が近代社会に支配的な国家のイデオロギー装置であると論じたルイ・アルチュセール[15]、教育が文化的・階級的・社会的な不平等や格差を再生産または固定化する機能を果しているピエール・ブルデュー、バジル・バーンスタイン、サミュエル・ボールズとハーバート・ギンタス、教育は家父長制を再生産しているとのフェミニズムからの議論、教育は社会の多数派の文化を押し付けているという多文化主義からの議論、などが有名である。
また、政治面では、開発学においては識字率の上昇が民主化に寄与すると考えられることが多いが、識字率と民主化との間の相関は一般に考えられている程には高くなくむしろその反例も見つかることから、この考えは「西欧市民社会の誤謬である可能性」を指摘する見解がある[16]。そのほか社会的な面においては、教育の普及が男女や階級の平等に寄与するといった主張や、教育水準の上昇が幼児死亡率や衛生状態の改善に寄与するといった主張などがある。
そのほか、政治面では、各国において教育年数が長いほどおおむね個人主義的・革新的価値観を持つ者が増えることが明らかになっている[17]。この傾向は日本においても基本的に同様で、学歴が高いほど投票率が高まる半面、政治への満足度は逆に下がり、また、学歴が高まるほど自民党支持が減って、立憲民主党支持や支持政党無しの者が増えることが知られている[18]。
人間の幸福なれる、幸福になれないというのは、IQ(知能指数)ではなく、他の人々の気持ちが分かる、などといった能力(EQ)のほうが、影響が大きいということが、ここ数十年の研究で明らかになってきている[19]。それどころか、卒業後の人生を追跡調査してみると、IQ(知能)ばかりが高い人は、EQが高い人と比べてその後の人生では、職業や家族などの点で恵まれず、当人も幸福を感じる割合が低かった。端的に言えば、知能ばかりを上げることを目標とした教育を受けても、教育は幸福の役に立つどころか、かえって人を不幸にしてしまうのである[19]。よって「教育」といっても、(もしも、本当に学習者・学生の幸福を望むのならば)、やみくもにIQ(知能)を上げようなどとするような愚かなことをするのではなく、むしろそんなことは後回しにしてでも、他の人に共感する能力、他の人の心の痛みを理解できる能力、他の人と協力的で建設的な人間関係を築く能力 等々等々 を伸ばすことのほうが大切なのである。
教育経済学
経済面においては、進学率の上昇による労働者の質的向上が経済成長を押し上げる効果があることが指摘されている(教育の経済効果)[20]。
教育がもたらすこれらの肯定的な機能に対しは疑問の声も一部で上がっている。例えば、発展途上国においては、基礎的な教育の実施で期待される所得・生産性の向上や市場経済への移行などといった経済効果や、政治における民主化の前進、社会における人口の抑制などといった効果が、必ずしも顕著には現れていないことが指摘されている[21]。
教育費
誰が教育の費用を捻出するか、ということが、教育を受ける権利と大いに関係してくる。
教育の費用を子供が自分で負担する、などとすると、収入が無い子供はそれを捻出することができない。また、親が全て出す、などとすると、結局、裕福な親を持つ子ばかりが教育を受け、貧しい親のもとに生まれた子は教育が受けられない、ということになってしまい、国際人権章典にある理念「人間には教育を受ける権利がある」、この権利が守られないことになる。子供は親を選んで生まれてくることができない。親の状態によって教育が受けられる/受けられない などという差が生まれてしまうようでは、本人の素質や努力によってどうにもならない「生まれ」によって人間が根本的に差別されてしまう、ということで、基本的に人道に反した状態であるということになる。
つまり、《教育を受ける権利》を守るためには、本当は、教育費は、公共的に捻出されなければならない。すなわち、国家(中央政府)や地方政府が出すということにしなければ、結局、ひとりひとりの子供に着目した場合《教育を受ける権利》が守られないことになってしまい、非人道的な状態になってしまうわけである。
教育の費用を誰が出すか、ということについての考え方は国ごとに異なっている。フランスは、国民がフランス革命を起こし、横暴な王族・貴族を倒し、自力で国民のための政府を樹立した国であり、「国家は国民のためのものである」という理念が徹底されており、国民の人権がしっかりと尊重されている。フランスでは、公共機関が行う教育(国立や公立の 幼稚園から大学まで)の授業料が全て無料である[22][23]。フランスでは、教育というのは国が国民に無料で提供すべきものだ、との考え方が徹底されており、実際にそうした制度になっており、それがしっかりと実施されている。その結果、親に過度に負荷がかからないようになっており、その結果 フランスでは親は安心して子供を多人数つくることができる。その結果フランスは出生率を高めることに成功し、出生率がヨーロッパ諸国で最高で、2.0を越え、順調に人口が増え、国力が増してきている[註 3]。実際に、教育を受ける権利が守られており、経済的に裕福な親だけでなく、経済的に困窮している親であっても、子供を教育することもできているのである。
日本では、教育費のうちで国や自治体が費用を出している比率が(世界の先進諸国の中で比較しても)最も低い部類で、教育負担のほとんど全部が親にばかりしわ寄せがくるような状態が放置されている。結果として実質的・物理的に教育することが困難・不可能なので、日本では子供を産んで教育することをあきらめざるを得ないので、そもそも教育する対象である子供をつくることを諦めざるを得ず、出生率が2以下に低下し、そもそも教育する子供が減ってしまうような、日本の社会から次第に子供が減って消えていってしまうような、結果となっている[23]。日本の親の教育費の負担は、OECD諸国の中で最悪の状態である。日本の政府が、あまりにも、子供を持つ親にばかりにさまざまな負担がかかる状態を放置しているものだから、日本では、成人や結婚したカップルが、子供を作ることを躊躇してしまうのである。結果として、日本の出生率は下がり、人口が減り、国力が下がり、超高齢化が進行しつつある、という危機的な状況になっている。
教育と収入
収入面での効果が、比較的多くの人々の関心を集めている。各国においては、学歴が上がるほど生涯賃金も上がる傾向にある[24]。
しかし日本においては、実際のデータを見てみると学歴による生涯賃金の差は比較的小さいという見解もある[註 4]。単年度の見かけの給与はともかくとして、学校に通うことで働いて収入を得る年数が減る分、生涯賃金があまり増えないのである。特に大学院などは、(全日制で)大学院まで進むと、統計的に見て大卒よりもかえって生涯賃金は下がる場合が多い、とのデータもある。一般論として言えば日本の企業は大学院修了者をあまり歓迎していないのである。日本においては、教育を投資と考える傾向は低い。また、2005年現在の日本の社会では、「勉強して良い大学に入れば、良い企業に入れる」という仕組みはすでに崩れてきたことが幾人かの論者によって指摘されている[25]。例えば関東圏で例を挙げると、東京大学や他の六大学などを卒業していてもフリーターになってしまう可能性もあるのである。
教育問題
教育に関わる問題、とりわけ教育が社会に関わる問題のことを教育問題という。特にその深刻さを強調する場合には、教育病理または教育危機とも呼ぶことがある。詳しくは教育社会学の項目も参照。
教育活動は複数の人間が集まって行われる以上、そこに必然的に社会が生まれる。学校や学級などはその例である。そこにおいて何らかの問題が生じることがあり、いじめ・不登校・学級崩壊、教員と児童・生徒・学生との権力関係などがここに含まれる。
政治・経済・地域社会・文化などは教育活動に大きな影響を与えているが、こうした影響が問題を生じさせることがある。例えば、国の諸政策やマスコミによる報道などは、学校教育はもちろん家庭教育や社会教育にも大きな影響を与えている。
学校教育を含む教育活動は、社会一般に対しても大きな影響を与える。狭義で教育問題とは、この局面で生じる問題を指すことがある。学歴・管理教育・偏差値・非行・少年犯罪・学力低下など学習者、特にこどもを通じて結果として社会に与える影響の他にも、教師のあり方や学校・大学のあり方、学閥などの問題として、教育問題は広く社会病理の一領域をなしている。
教育学
教育を研究の対象とする学問を教育学と言う。教育学は、哲学・心理学・社会学・歴史学などの研究方法を利用して、教育とそれに関連する種々の事物・理念を研究する。教育哲学・教育社会学・教育心理学・教育史学などの基礎的な分野のほか、教育方法論・臨床教育学・教科教育学などの実践的分野がある。各国における教育学のあり方は、その国の教員養成のあり方とも密接に関わっている場合が多い。
動物における教育
高等動物では、教育またはしつけに近い行動が見られる例がある。猫などの肉食獣では子供に狩りの練習をさせるために弱らせた獲物をあてがうなどはその代表的なものである。
脚注
- ↑ 経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約第十三条 1 この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。
- ↑ 家庭教育のうち人間社会において基礎的な価値観・態度・徳をこどもに示すことは特にしつけと呼ばれる。
- ↑ ひと組のカップルから生まれる子供が2人以上になっている。
- ↑ 例えば、男性標準労働者の生涯賃金(2004年)は、中卒2億2千万円、高卒2億6千万円、大卒・大学院卒2億9千万円。(独立行政法人労働政策研究・研修機構 『ユースフル労働統計―労働統計加工資料集―2007年版』 2007年 ISBN 978-4-538-49031-1 p. 254)
出典
- ↑ 『広辞苑』第五版
- ↑ 『広辞林』第五版
- ↑ 3.0 3.1 デジタル大辞泉
- ↑ 、分析哲学の影響を受けたリチャード・ピーターズによる。Peters, R. S. Ethics and Education London, Allen and Unwin, 1966.
- ↑ 聖書では子を教えるのは親の責任とされている(申命記(口語訳)#6:4-7)
- ↑ アリストテレス 『ニコマコス倫理学』・『政治学』
- ↑ J・デューイ 『民主主義と教育』など
- ↑ I・カント 『教育学講義』
- ↑ プラトン 『国家』
- ↑ “Enhancing Education”. . 2016閲覧.
- ↑ “Perspectives Competence Centre, Lifeling Learning Programme”. 2014年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2016閲覧.
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 川本亨二 『教育原理』 日本文化科学社、1995年。
- ↑ E・デュルケーム 『教育と社会学』 佐々木交賢訳 誠信書房 1922=1976年 (新装版 1982年 ISBN 978-4-414-51703-3)
- ↑ M・フーコー 『監獄の誕生――監視と処罰』 田村俶訳 1975=1977年
- ↑ L・アルチュセール 『国家とイデオロギー』
- ↑ 藤原郁郎 「民主化指標の考察と検証―識字率との相関分析を通じて―」『国際関係論集』(立命館大学) 第4号(2003年度) 2004年4月 pp.67-95.
- ↑ Wiekliem, D. L. 'The effects of education on political opinions: An internationalstudy' International Journal of Public Opinion Research Vol.14 2002 pp.141-157.
- ↑ 財団法人明るい選挙推進協会「第19回参議院議員通常選挙の実態」(2002年3月発行)、「第20回参議院議員通常選挙の実態」(2005年3月発行)などhttp://www.akaruisenkyo.or.jp/seach/index.html
- ↑ 19.0 19.1 ダニエル・ゴールマン『EQ こころの知能指数』講談社 1996年
- ↑ 例えば、昭和50年代の日本の製造業において、教育水準の高まりが1%ポイントほど経済成長の高まりに寄与した。参照、労働省 『昭和59年 労働経済の分析(労働白書)』第II部1(1)1)
- ↑ 国際協力開発事業団 国際協力総合研修所 『開発課題に対する効果的アプローチ』2002年5月 p.23.
- ↑ フランス政府の公式ページ
- ↑ 23.0 23.1 中島さおり『なぜフランスでは子どもが増えるのか -フランス女性のライフスタイル』講談社 2010
- ↑ OECD 2014, p. 103.
- ↑ 例えば、山田昌弘 『希望格差社会』 筑摩書房 2004年 ISBN 978-4-480-42308-5、中野雅至 『高学歴ノーリターン』 光文社 2005年 ISBN 978-4-334-93370-8
参考文献
- OECD (2014). Education at a Glance 2014 (Report). doi:10.1787/eag-2014-en.
関連項目
外部リンク
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