第一銀行
株式会社第一銀行(だいいちぎんこう)は、かつて存在した日本の都市銀行である。統一金融機関コードは、0001(第一勧業銀行を経て、現在はみずほ銀行が承継)。前身の第一国立銀行(だいいちこくりつぎんこう)は、国立銀行条例による国立銀行(民間経営)で、1873年8月1日に営業を開始した日本初の商業銀行。1971年に日本勧業銀行と合併し第一勧業銀行となる。現在のみずほ銀行である。現在のみずほ銀行に至るまで、現在の東京証券取引所に上場していた。
概説
三井組と小野組を中核にして設立した「三井小野組合銀行」の後身。従来、三井も小野も互いに同様の営業を為していたがこれら富豪を含めなければ新しい事業に邁進できないとして、かねてより井上馨、渋沢栄一紙幣頭、芳川顕正紙幣権頭の尽力により2社を纏めたものであった。払込資本金244万円。初代頭取には、大蔵省の内紛から下野していた渋沢栄一が就任した。日本銀行創設以前には紙幣の発券が認められており、発行する銀行券は金貨との交換を義務付けられていた。また、日本初の株式会社でもある。行章は「二重星(ダブルスター)」。
兜町の通称三井組ハウス(旧楓川に架かっていた海運橋東詰に位置した。)に当初、本店が設けられていた。これは三井組が独自に商業銀行を立ち上げるべく建設したものであった。後に三井組が独自に銀行業務を行なう一方、小野組は金融政策の急変で破産し、「三井小野組合銀行」は両社の手を離れて独自路線を歩んだ。 千代田区丸の内(現・みずほ銀行丸之内支店)へ移転後は、跡地に兜町支店が建ち、現在はみずほ銀行兜町支店(中央区日本橋兜町)となっている。
1884年には李氏朝鮮(後の大韓帝国)と契約して、関税取扱業務を代行し、後に民間銀行でありながら、同国の中央銀行の業務を代行した。1896年に普通銀行の第一銀行に改組。1943年に三井銀行と合併して帝国銀行(通称・帝銀)となる。
1948年に帝銀が分割され、新たに第一銀行が発足したが、金融当局による出店規制に阻まれ中位行のまま推移し、1971年に日本勧業銀行と合併し第一勧業銀行(存続行は日本勧業銀行)となる。2002年(平成14年)、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の分割・合併により、みずほ銀行(存続行は第一勧業銀行)とみずほコーポレート銀行(存続行は富士銀行)となり、2013年(平成25年)7月1日、みずほコーポレート銀行がみずほ銀行を合併して逆に行名をみずほ銀行に改称した。
沿革
- 1873年(明治6年)7月20日 - 株式会社第一国立銀行開業。資本金250万円。
- 1874年(明治7年) - 三井財閥が同行100万円分の株式を担保にオリエンタル・バンクから借り入れ。
- 1875年(明治8年)8月 - 小野組の倒産により150万円に減資。総監役渋沢栄一が頭取に就任。
- 1884年(明治17年) - 李氏朝鮮国政府と契約。釜山、仁川、元山での海関税を取り扱う。
- 1896年(明治29年)9月 - 国立銀行条例による営業満了。株式会社第一銀行と改称。
- 1902年(明治35年) - 韓国で第一銀行券を発行。韓国政府公認紙幣として流通する。
- 1909年(明治42年)11月 - 株式会社韓国銀行(のちの株式会社朝鮮銀行)へ韓国中央銀行業務を譲渡。
- 1912年(大正元年)9月 - 株式会社二十銀行を合併。
- 1927年(昭和2年)4月 - 株式会社東海銀行を合併[注釈 1]。
- 1931年(昭和6年)10月 - 株式会社古河銀行を合併(古河銀行は、小野組の流れを汲む)[注釈 2]。
- 1940年(昭和15年)4月 - 前年傘下におさめた国際信託株式会社を第一信託株式会社と改称。
- 1943年(昭和18年)4月 - 株式会社三井銀行と合併。株式会社帝国銀行設立。
- 1948年(昭和23年)10月 - 株式会社第一銀行設立。帝国銀行より営業譲渡を受け、開業。
- 1954年(昭和29年)7月 - 株式会社東京銀行より6店舗を譲受[注釈 3]。
- 1962年(昭和37年)12月 - 第一信託銀行株式会社、中央信託銀行株式会社(中央三井信託銀行株式会社を経て、現・三井住友信託銀行株式会社)に信託業務を譲渡し、株式会社朝日銀行と改称。普通銀行(地方銀行)に転換[注釈 4]。
- 1964年(昭和39年)8月 -第一銀行、朝日銀行を合併。
- 1969年(昭和44年)1月 - 株式会社三菱銀行と合併を発表するも、内外に反対が多く白紙撤回。
- 1971年(昭和46年)10月 - 株式会社日本勧業銀行と合併。第一勧業銀行発足(存続会社は日本勧業銀行)。
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「銀行発祥の地」銘板。現在この銘板が埋め込まれているビルには、みずほ銀行兜町支店がある。
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日本統治時代の第一銀行釜山支店