1974年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 中日ドラゴンズ | 70 | 49 | 11 | .588 | - |
2位 | 読売ジャイアンツ | 71 | 50 | 9 | .587 | 0.0 |
3位 | ヤクルトスワローズ | 60 | 63 | 7 | .488 | 12.0 |
4位 | 阪神タイガース | 57 | 64 | 9 | .471 | 14.0 |
5位 | 大洋ホエールズ | 55 | 69 | 6 | .444 | 17.5 |
6位 | 広島東洋カープ | 54 | 72 | 4 | .429 | 19.5 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 前・後 |
優勝 | ロッテオリオンズ | 69 | 50 | 11 | .580 | 2・1 |
2位 | 阪急ブレーブス | 69 | 51 | 10 | .575 | 1・3 |
3位 | 南海ホークス | 59 | 55 | 16 | .518 | 4・2 |
4位 | 太平洋クラブライオンズ | 59 | 64 | 7 | .480 | 3・4 |
5位 | 近鉄バファローズ | 56 | 66 | 8 | .459 | 5・4 |
6位 | 日本ハムファイターズ | 49 | 75 | 6 | .395 | 6・6 |
- 1・2位はプレーオフにより決定。後期における太平洋クラブライオンズと近鉄バファローズは同率の4位であり、総合順位では太平洋クラブライオンズが4位・近鉄バファローズが5位となる。
パシフィック・リーグプレーオフ
日本シリーズ
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 王貞治 | 巨人 | 金田留広 | ロッテ | ||
最優秀新人 | 藤波行雄 | 中日 | 三井雅晴 | ロッテ | ||
首位打者 | 王貞治 | 巨人 | .332 | 張本勲 | 日本ハム | .340 |
本塁打王 | 王貞治 | 巨人 | 49本 | C.ジョーンズ | 近鉄 | 38本 |
打点王 | 王貞治 | 巨人 | 107点 | 長池徳二 | 阪急 | 96点 |
最多安打 | 松原誠 | 大洋 | 157本 | 福本豊 | 阪急 | 156本 |
盗塁王 | 中塚政幸 | 大洋 | 28個 | 福本豊 | 阪急 | 94個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) |
王貞治 | 巨人 | 294個 | 張本勲 | 日本ハム | .452 |
最優秀防御率 | 関本四十四 | 巨人 | 2.28 | 佐藤道郎 | 南海 | 1.91 |
最多勝利 | 松本幸行 金城基泰 |
中日 広島 |
20勝 | 金田留広 | ロッテ | 16勝 |
最多奪三振 | 金城基泰 | 広島 | 207個 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 141個 |
最高勝率 | 松本幸行 | 中日 | .690 | 竹村一義 | 阪急 | .750 |
最多セーブ投手 | 星野仙一 | 中日 | 10S | 佐藤道郎 | 南海 | 13S |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 堀内恒夫 | 巨人 | 金田留広 | ロッテ |
捕手 | 田淵幸一 | 阪神 | 村上公康 | ロッテ |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | C.ジョーンズ | 近鉄 |
二塁手 | 高木守道 | 中日 | 山崎裕之 | ロッテ |
三塁手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 有藤通世 | ロッテ |
遊撃手 | 藤田平 | 阪神 | 大橋穣 | 阪急 |
外野手 | G.マーチン | 中日 | D.ビュフォード | 太平洋 |
末次利光 | 巨人 | 張本勲 | 日本ハム | |
若松勉 | ヤクルト | 福本豊 | 阪急 |
オールスターゲーム
"「1974年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」"
高校野球
- 第46回選抜高等学校野球大会優勝:報徳学園(兵庫県)
- 第56回全国高等学校野球選手権大会優勝:銚子商(千葉県)
大学野球
- 第23回全日本大学野球選手権大会優勝:早稲田大
- 第5回明治神宮野球大会優勝:中央大
社会人野球
メジャーリーグ
"「1974年のメジャーリーグベースボール」"
- ワールドシリーズ
- オークランド・アスレチックス (4勝1敗) ロサンゼルス・ドジャース
できごと
1月
- 1月21日 - パ・リーグの理事会でロッテオリオンズが正式に宮城県を暫定的な本拠地と認められ、宮城球場が専用球場に指定される。(ジプシー・ロッテ参照)
- 1月29日 - 太平洋クラブライオンズの阿部良男と阪神タイガースの藤井栄治の交換トレードの成立が公示[1]。
2月
- 2月8日 - 株式会社東京スタヂアムが午前10時より東京球場にて株主総会を開き、精算、決算の報告を承認し、解散となる[2]。
- 2月12日 - 日本野球規則委員会が東京・銀座のプロ野球コミッショナー事務局にて、救援投手に対するセーブ記録の採用などルールの一部改正を発表[3]。
- 2月18日 - セ・リーグは東京・銀座の連盟事務所にて理事会を開き、今年度から救援投手に「セーブ」が採用されるため最多セーブ投手を表彰することを決定[4]。
- 2月19日 - パ・リーグは東京・銀座の連盟事務所にて理事会を開き、今年度より最多セーブ投手を表彰する、ダブルヘッダーの第一試合で暴力行為を働いた選手・監督は第二試合に出場させないことなどを決定[5]。
3月
- 3月28日 - 日本高等学校野球連盟はこの年より全国高等学校野球選手権大会における東京都代表を東東京と西東京に分けることを決定。
4月
- 4月6日 - 第46回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場にて行われ、報徳高校が池田高校を3対1で破り、初優勝[6]。
- 4月8日 - 【MLB】アトランタ・ブレーブスのハンク・アーロンがアトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムでの対ロサンゼルス・ドジャース戦の4回裏に3号本塁打を放ち、ベーブ・ルースの通算714本塁打を抜いて、メジャー通算715本塁打の新記録を達成[7]。
- 4月10日 - 阪急の長池徳士が熊本県営球場での対日本ハム2回戦の5回に安打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[8]。
- 4月13日 - 南海ホークスの広瀬叔功が西宮球場での対阪急1回戦の9回表に代打で出場し、プロ通算2000試合出場達成[9]。
- 4月16日 - 太平洋の待井昇が平和台球場での対南海2回戦の9回裏に代打で出場して、サヨナラ適時打を放つ。プロ初安打がサヨナラ打となる[10]。
- 4月17日 - 南海の小池兼司が平和台球場での対太平洋3回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[11]。
- 4月23日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対ヤクルト4回戦の8回裏に三振に倒れ、プロ通算1000三振を記録[12]。
- 4月24日 - 日本ハムの張本勲が後楽園球場での対近鉄2回戦の1回裏に二塁打を放ち、プロ通算300二塁打を達成[13]。
- 4月27日 - 川崎球場でのロッテ対太平洋3回戦の4回裏に、1死三塁で成田文男の犠飛で三塁走者の弘田澄男がホームインするが、太平洋の捕手の宮寺勝利がブロックし弘田は宮寺の足に引っ掛かり転倒、これにロッテの監督の金田正一が激昂して宮寺に飛び蹴りして、両軍から選手が飛び出して乱闘に発展[14]。
- 4月28日 - 太平洋の基満男が川崎球場での対ロッテ4回戦1回表に2号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[15]。
5月
- 5月8日 - 後楽園球場での日本ハム対太平洋3回戦の試合で、7回表に太平洋のファンが日本ハムの三塁手の阪本敏三めがけてビール瓶を投げつけ坂本は頭を裂傷し、日本ハムナインとファンが小競り合いする騒ぎが起きる[16]。
- 5月16日 - 福岡市は太平洋に対し、同球団が作成した4月27日の試合でのドン・ビュフォードと金田正一が乱闘している写真がデザインされた17日からの対南海4連戦、21日からの対ロッテ3連戦の宣伝用のポスターの回収を要請、オーナーの中村長芳も球団代表の坂井保之に対して撤去を命じる[17]。
- 5月19日
- 5月21日 - ロッテの山崎裕之が平和台球場での対太平洋7回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[20]。
- 5月23日 - ロッテの木樽正明が平和台球場での対太平洋前期8回戦に先発登板し、3失点の完投で6勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[21]。
- 5月31日 - 南海の広瀬叔功が大阪球場での対太平洋6回戦の一回裏に安打を放ち、プロ通算3000塁打を達成[22]。
6月
- 6月8日 - 阪急の長池徳士が西宮球場での対南海9回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[23]。
- 6月9日 - 南海の野村克也が西宮球場での対南海ダブルヘッダー第2試合の11回戦の7回表に二塁打を放ち、プロ通算350二塁打を達成[24]。
- 6月13日 - 阪神の江夏豊が甲子園球場での対広島11回戦の7回表に深沢修一から三振を奪い、プロ通算2000奪三振を達成[25]。
- 6月15日 - 阪神の田淵幸一が神宮球場での対ヤクルト9回戦の9回表に18号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[26]。
- 6月20日 - 阪急が西京極球場での対近鉄13回戦に5-3と勝利し、パ・リーグ前期優勝を決める[27]。
- 6月22日
- 6月28日 - 阪急の高井保弘が平和台球場での対太平洋クラブライオンズ13回戦の1回表に長池徳士の代打で出場し、プロ野球新記録を更新する14本目の代打本塁打を放つ[30]。
- 6月29日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対ヤクルト13回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成[31]。
7月
- 7月4日 - パ・リーグの前期の公式戦が終了[32]。
- 7月5日
- パ・リーグの後期が開幕[33]。
- 近鉄のクラレンス・ジョーンズが日生球場での対阪急後期1回戦の五回裏に18号3点本塁打を打ち、プロ野球通算150号本塁打を達成[34]。
- 太平洋はフランク・ハワードを任意引退とした[35]。
- 7月9日 - 川崎球場での対大洋ホエールズ11回戦の二回表に、巨人の先頭打者の河埜和正への初球を主審の平光清はファウルと判定、巨人の監督の川上哲治が死球だと平光に抗議し、平光は暴力行為があったとして川上に退場を命じる。巨人の監督が退場処分を受けたのは、1956年7月31日の甲子園球場で行われた対阪神16回戦で水原円裕監督が審判に暴力行為で退場処分を受けて以来[36] [37]。
- 7月15日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対阪神14回戦の八回裏に23号満塁本塁打を放ち、プロ野球新記録の通算13本目の満塁本塁打を記録[38]。
- 7月13日 - 太平洋は前サンディエゴ・パドレスのマティ・アルーの入団を正式発表[39]。
- 7月17日 - 日本ハムのテリー・レイが対近鉄後期一回戦の一回表に3つボークを取られ、1イニング3ボークのパ・リーグ新記録[40]。
- 7月21日 - NPBオールスターゲーム第1戦が後楽園球場において行われ、9回裏パ・リーグの攻撃中、一死一塁の場面で山崎裕之の代打に高井保弘(阪急)が起用され、オールスターゲーム史上初となる代打逆転サヨナラ本塁打を記録。パ・リーグが3対2で勝利し、高井はこの試合のMVPを獲得[41][42]。
- 7月23日 - 松山市営球場で行われた高校野球愛媛県大会において、新田高の大川浩が3回戦の対今治南高戦で県史上5人目となるノーヒットノーランを達成。(内訳は投球数86、ストライク63、ボール23、内野ゴロ17、内野フライ2、外野フライ2、三振6、内野エラー1)
- 7月30日 - 巨人の王貞治が神宮球場での対ヤクルト17回戦の五回表に27号3点本塁打を放ち、プロ通算1500打点を記録[43]。
8月
- 8月4日 - 巨人の王貞治が甲子園球場での対阪神17回戦の六回表に安打を放ち、プロ通算2000本安打を達成[44]。
- 8月6日 - 巨人の長島茂雄が中日球場での対中日14回戦の五回表に2点適時打を放ち、プロ通算1500打点を達成[45]。
- 8月13日 - 広島の山本一義が広島市民球場での対阪神戦19回戦に先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[46]。
- 8月17日 - 近鉄の土井正博が日生球場での対日本ハム後期6回戦の六回裏に24号本塁打を放ち、プロ通算300号本塁打を達成[47]。
- 8月18日 - 日本ハムの高橋直樹が日生対近鉄の後期7回戦で史上唯一の「一人で1試合の勝利投手とセーブ投手の両方を記録」を達成した[48]。この後、ルール改定が行われ、「勝ち投手になった場合、その人物にはセーブをあたえない」という規定が追加されたため、現在では達成不可能。
- 8月29日 - 日本ハムの張本勲が神宮球場での対太平洋後期8回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成[49]。
9月
- 9月3日 - 中日の飯田幸夫が中日球場での対広島20回戦の九回裏無死満塁の場面で代打で起用され、3号サヨナラ満塁本塁打を放つ。代打サヨナラ満塁本塁打は史上6人目[50]。
- 9月4日- 南海の野村克也が大阪球場での対近鉄後期10回戦の一回裏に11号本塁打を放ち、プロ通算500号本塁打を達成[51]。
- 9月22日 - ロッテの金田留広が静岡での対日本ハムダブルヘッダー第二試合の後期13回戦に先発して16勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[52]。
- 9月26日 - 南海対日本ハムの後期9回戦が後楽園球場で行われ延長11回4対4の引き分けに終わり、ロッテの後期優勝が決まる[53]。南海の佐野嘉幸が六回表に代打として出場し、プロ通算1000試合出場を達成[54]。
- 9月29日 - 日本ハムの高橋博士が後楽園球場での南海ダブルヘッダー第二試合の後期13回戦で史上初の1試合全ポジションに付く[55][56]
10月
- 10月2日 - 日本ハムの大杉勝男が1968年9月21日からこの日の試合まで、球団記録の798試合連続出場[57]。
- 10月4日 - 巨人の王貞治がセ・リーグタイ記録の1試合5敬遠四球。
- 10月9日 - パ・リーグのプレーオフの第3戦が仙台宮城球場で行われ、ロッテが阪急を4対0で勝利し、3連勝で4年ぶり4度目のリーグ優勝[58]。
- 10月11日 - NPB初のカムバック賞にヤクルトの石岡康三を選出[59]。
- 10月12日
- 10月14日
- 10月15日 - セ・リーグの全日程が終了し、巨人の王貞治が2年連続で三冠王決める[65]。
- 10月21日
- 10月23日 - 日本シリーズの第6戦(中日)が行われ、延長10回、3対2でロッテが勝利し、ロッテが4勝2敗で24年ぶり2度目の日本シリーズ優勝達成。日本シリーズMVPはロッテの弘田澄男[68]。
- 10月24日
- 10月25日 - 阪神は吉田義男の新監督就任と、オーナーの野田誠三の辞任を発表[70]。
- 10月30日 - 日本ハムとヤクルトは、大杉勝男と小田義人・内田順三のトレードが成立したと発表[71]。
11月
12月
- 12月2日 - 巨人の森昌彦が東京・大手町の球団事務所を訪れオーナーの正力亨に対しに退団を申し入れ了承される[79][80]。
- 12月16日 - 広島はゲイル・ホプキンス、リッチー・シェーンの入団が決定したと発表[81]。
- 12月18日 - 巨人の菅原勝矢が球団に対し現役引退を申し入れる[82]。
- 12月20日 - プロ野球実行委員会が東京・日航ホテルにて午後1時半より行われ、パ・リーグが指名打者制度の採用を提案、セ・リーグは日本シリーズ、オールスター戦、オープン戦でのセ・パ両リーグのチームが対戦する場合指名打者制は認めないことを条件に、パの指名打者制の導入を認める[83]。
誕生
1月
2月
3月
4月
5月
- 5月8日 - 陳甲龍
- 5月11日 - 山口和男
- 5月13日 - 野口茂樹
- 5月17日 - 副島孔太
- 5月22日 - ジョン・ベイル
- 5月23日 - 柴原洋
- 5月24日 - 小林雅英
- 5月25日 - ミゲル・テハダ
6月
- 6月4日 - ダリン・アースタッド
- 6月8日 - 三澤興一
- 6月12日 - 松井秀喜
- 6月13日 - ブライアン・スウィーニー
- 6月18日 - 大友進
- 6月26日 - デレク・ジーター
- 6月26日 - ジェイソン・ケンドール
7月
- 7月15日 - 佐久本昌広
- 7月27日 - ブライアン・シコースキー
8月
9月
10月
11月
- 11月2日 - ホセ・フェルナンデス
- 11月2日 - オーランド・カブレラ
- 11月10日 - 岩瀬仁紀
- 11月22日 - ジョー・ネイサン
12月
死去
脚注
- ↑ 『ライオンズ60年史―獅子の記憶―「西鉄」から「埼玉西武」まで』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2010年。ISBN 9784583616858。
- ↑ 読売新聞1974年2月9日15面「『東京スタヂアム』消滅」読売新聞縮刷版1974年2月p251
- ↑ 読売新聞1974年2月13日15面「効果的投球をした救援投手『セーブ記録』採用 プロも牛革ボールに 野球ルール一部改正」読売新聞縮刷版1974年2月p355
- ↑ 読売新聞1974年2月19日15面「最多セーブ投手 セが表彰決める」読売新聞縮刷版1974年2月p537
- ↑ 読売新聞1974年2月20日15面「パも最多セーブ表彰」読売新聞縮刷版1974年2月p565
- ↑ 読売新聞1974年4月7日14面「地元報徳が初優勝 8回、スキつき決勝点」読売新聞縮刷版1974年4月p208
- ↑ 読売新聞1974年4月9日夕刊7面「アーロン、新記録のアーチ 地元で715号 ルースの記録破る 5万の大観衆熱狂」読売新聞縮刷版1974年4月p279
- ↑ 読売新聞1974年4月11日15面「阪急・長池が通算1000本安打」読売新聞縮刷版1974年4月p323
- ↑ 読売新聞1974年4月14日15面「南海・広瀬が通算2千試合出場」読売新聞縮刷版1974年4月p415
- ↑ 読売新聞1974年4月17日15面「代打待井、初安打がサヨナラ」読売新聞縮刷版1974年4月p503
- ↑ 読売新聞1974年4月14日15面「南海・小池が通算1500試合出場」読売新聞縮刷版1974年4月p533
- ↑ 読売新聞1974年4月24日15面「王が通算1000三振」読売新聞縮刷版1974年4月p717
- ↑ 読売新聞1974年4月25日14面「張本300二塁打」読売新聞縮刷版1974年4月p752
- ↑ 読売新聞1974年4月14日15面「ロッテ 太平洋 本塁守備めぐって 金田監督ら大乱闘」読売新聞縮刷版1974年4月p855
- ↑ 読売新聞1974年4月29日15面「太平洋・基が通算100号ホーマー」読売新聞縮刷版1974年4月p879
- ↑ 読売新聞1974年5月9日14面「後楽園でファン騒ぐ ビン当たり阪本(日本ハム)負傷」読売新聞縮刷版1974年5月p218
- ↑ 読売新聞1974年5月17日15面「客寄せもこれではー太平洋 乱闘ポスター回収」読売新聞縮刷版1974年5月p463
- ↑ 読売新聞1974年5月20日15面「阪急・高井が代打通算13本目のプロ野球タイ記録」読売新聞縮刷版1974年5月p549
- ↑ 読売新聞1974年5月20日15面「阪急・森本が100号ホーマー」読売新聞縮刷版1974年5月p549
- ↑ 読売新聞1974年5月22日14面「ロッテ山崎が1000試合出場」読売新聞縮刷版1974年5月p614
- ↑ 読売新聞1974年5月24日15面「木樽が100勝目 宿敵太平洋に完投」
- ↑ 読売新聞1974年6月1日15面「南海・広瀬が通算3000塁打」読売新聞縮刷版1974年5月p15
- ↑ 読売新聞1974年6月9日15面「阪急・長池が1000試合出場」読売新聞縮刷版1974年6月p267
- ↑ 読売新聞1974年6月10日14面「南海・野村が通算350二塁打」読売新聞縮刷版1974年6月p290
- ↑ 読売新聞1974年6月14日15面「阪神・江夏が2000三振奪取」読売新聞縮刷版1974年6月p423
- ↑ 読売新聞1974年6月16日15面「阪神・田淵が通算150ホーマー」読売新聞縮刷版1974年6月p487
- ↑ 読売新聞1974年6月21日15面「阪急、前期優勝を決める 森本8号3ラン 火消し山田 近鉄の猛追断つ」読売新聞縮刷版1974年6月p643
- ↑ 読売新聞1974年6月23日15面「大洋・坂井がプロ入り1500奪三振」読売新聞縮刷版1974年6月p713
- ↑ 読売新聞1974年6月23日15面「阪神・一枝が1000試合出場」読売新聞縮刷版1974年6月p713
- ↑ 読売新聞1974年6月29日15面「代打本塁打14本目 阪急高井が新記録」読売新聞縮刷版1974年6月p909
- ↑ 読売新聞1974年6月30日15面「巨人・王がプロ入り2000試合出場」読売新聞縮刷版1974年6月p941
- ↑ 読売新聞1974年7月5日14面「パあすから後期開幕 前期全日程終わる」読売新聞縮刷版1974年7月p114
- ↑ 読売新聞1974年7月6日15面「パ・リーグ後期戦開幕 近鉄、快調な"始発" ジョーンズ3ラン ”試運転”山田(阪急)エンスト」読売新聞縮刷版1974年7月p179
- ↑ 読売新聞1974年7月6日15面「近鉄・ジョーンズが外人4人目の150号」読売新聞縮刷版1974年7月p179
- ↑ 読売新聞1974年7月6日15面「ハワード、任意引退に」読売新聞縮刷版1974年7月p179
- ↑ 読売新聞1974年7月10日15面「川上監督が初の退場 『ファウル』『死球』で主審ともめる」読売新聞縮刷版1974年7月p303
- ↑ “【7月9日】1974年(昭49) 川上哲治が激怒した日 プロ37年、初の退場”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2011年7月3日). . 2015閲覧.
- ↑ 読売新聞1974年7月6日16面「王、満塁ホーマー新記録 13本目 一気に22,23号飛ばす 長島負けじと、高田も3ラン 阪神に連勝」読売新聞縮刷版1974年7月p497
- ↑ 読売新聞1974年7月15日15面「太平洋に猛打の大リーガー アルーが入団」読売新聞縮刷版1974年7月p437
- ↑ 読売新聞1974年7月18日15面「日本ハム・レイ投手が1イニング、ボーク3のパ・リーグ新記録」読売新聞縮刷版1974年7月p559
- ↑ 読売新聞1974年7月22日夕刊7面「代打高井サヨナラ2ラン パが先勝 王の2打点むなし 不覚の松岡弘”信じられん”」読売新聞縮刷版1974年7月p673
- ↑ “【7月21日】1974年(昭49) ブーちゃんひと振りでMVP ヒマがもたらした“世界記録””. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年7月18日). . 2015閲覧.
- ↑ 読売新聞1974年7月31日15面「王、一気に27・28号1503打点記録」読売新聞縮刷版1974年7月p945
- ↑ 読売新聞1974年8月5日15面「巨人・王貞治が通算2000本安打」読売新聞縮刷版1974年8月p125
- ↑ 読売新聞1974年8月5日15面「巨人・長島が1500打点」読売新聞縮刷版1974年8月p181
- ↑ 読売新聞1974年8月14日14面「広島・山本一が1500試合出場」読売新聞縮刷版1974年8月p376
- ↑ 読売新聞1974年8月17日14面「近鉄・土井が300号本塁打」読売新聞縮刷版1974年8月p464
- ↑ 読売新聞1974年8月19日14面「高橋直、勝利とセーブ」読売新聞縮刷版1974年8月p516
- ↑ 読売新聞1974年8月30日15面「日本ハム・張本が2000試合出場」読売新聞縮刷版1974年8月p839
- ↑ 読売新聞1974年9月4日14面「飯田、代打サヨナラ満塁ホーマー 中日、執念で首位に並ぶ」読売新聞縮刷版1974年9月p102
- ↑ 読売新聞1974年9月5日14面「南海・野村が通算500本塁打」読売新聞縮刷版1974年9月p132
- ↑ 読売新聞1974年9月23日15面「金田100勝飾る」読売新聞縮刷版1974年9月p725
- ↑ 読売新聞1974年9月27日19面「パ後期 ロッテの初優勝決まる 南海、引き分け自動的に」読売新聞縮刷版1974年9月p841
- ↑ 読売新聞1974年9月27日19面「南海・佐野が1000試合出場」読売新聞縮刷版1974年9月p841
- ↑ 読売新聞1974年9月30日15面「高橋博全ポジション」読売新聞縮刷版1974年9月p937
- ↑ “【9月29日】1974年(昭49) 日ハム・高橋博士、日本初!1試合で全ポジション守る”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社. . 2015閲覧.
- ↑ “個人打撃連続記録(1)”. パシフィック野球連盟公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ 読売新聞1974年10月10日19面「ロッテ、無傷で優勝 村田、阪急を完封 ロッテを3タテ」読売新聞縮刷版1974年10月p321
- ↑ 読売新聞1974年10月12日17面「石岡にカムバック選手賞」読売新聞縮刷版1974年10月p379
- ↑ 中日新聞1974年10月12日1面「中日、20年ぶり優勝 大洋を連破 巨人の"v10"阻む せ・リーグ」中日新聞縮刷版1974年10月p361
- ↑ 読売新聞1974年10月13日15面「中日ついに20年ぶり優勝 猛打で大洋連破」読売新聞縮刷版1974年10月p411
- ↑ 読売新聞1974年10月13日19面「背番号3さようなら 長島選手、現役を引退 "V10"決めた夜、記者会見」読売新聞縮刷版1974年10月p415
- ↑ 読売新聞1974年10月15日17面「長島、男のロマン残して」読売新聞縮刷版1974年10月p471
- ↑ 読売新聞1974年10月15日19面「阪神監督に吉田氏か 金田監督辞任」読売新聞縮刷版1974年10月p471
- ↑ 読売新聞1974年10月16日14面「王、史上初の"連続三冠"」読売新聞縮刷版1974年10月p506
- ↑ 毎日新聞1974年10月22日15面「江藤、現役も兼任 太平洋 新監督誕生を発表」毎日新聞縮刷版1974年10月p629
- ↑ 毎日新聞1974年10月22日「広島の新監督にー ルーツ氏正式決定」読売新聞縮刷版1974年10月p629
- ↑ 毎日新聞1974年10月24日15面「ロッテ『日本一』歓喜”金田ファミリー”」毎日新聞縮刷版1974年10月p687
- ↑ 毎日新聞1974年10月25日17面「大洋監督に秋山 コーチからの昇格発表」毎日新聞縮刷版1974年10月p719
- ↑ 毎日新聞1974年10月26日15面「阪神、オーナーも交代 」毎日新聞縮刷版1974年10月p751
- ↑ 毎日新聞1974年10月31日15面「大杉がヤクルト入り」毎日新聞縮刷版1974年10月p889
- ↑ 『プロ野球ドラフト全史 2012最新版』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2012年。ISBN 9784583618241。
- ↑ 毎日新聞1974年15面「サヨナラ川上哲治 きょう長島にタッチ」毎日新聞縮刷版1974年10月p559
- ↑ 毎日新聞1974年11月21日夕刊10面「『長島巨人』スタート 『伝統守りたい』」毎日新聞縮刷版1974年10月p574
- ↑ 毎日新聞1974年11月22日17面「池辺、阪神へ移籍」毎日新聞縮刷版1974年11月p593
- ↑ 読売新聞1974年11月26日15面「土井(近鉄)太平洋へ移籍 柳田、芝池両投手と交換」
- ↑ 読売新聞1974年11月26日15面「藤田が大洋コーチに」
- ↑ 読売新聞1974年11月26日15面「藤村、藤本氏殿堂入り」
- ↑ 読売新聞1974年12月3日15面「球界ルポ 森、後輩へ『誇り』の2字」読売新聞縮刷版1974年12月p69
- ↑ “【12月2日】1974年(昭49) 巨人V9の頭脳、森昌彦退団 長嶋新監督から声かからず”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2007年11月28日). . 2015閲覧.
- ↑ 読売新聞1974年12月17日15面「広島に2外人 ルーツ監督自ら獲得」読売新聞縮刷版1974年12月p503
- ↑ 読売新聞1974年12月19日15面「球界ルポ 森、菅原、現役を断念」読売新聞縮刷版1974年12月p559
- ↑ 読売新聞1974年12月21日11面「パの『指名打者制』決まる プロ野球実行委 試合数増は見送り」読売新聞縮刷版1974年12月p611