己斐
己斐 | |
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— 町丁 — | |
己斐上・己斐大迫・己斐中・ 己斐西町・己斐東・己斐本町 |
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座標: 東経132度25分44.17秒北緯34.3972333度 東経132.4289361度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 広島県 |
市町村 | 広島市 |
区 | 西区 |
人口 平成25年7月末現在 | |
- 計 | 26,773人 |
等時帯 | JST (UTC+9) |
郵便番号 | 733-0815・733-0816・733-0813・733-0814・733-0811・733-0812 |
市外局番 | 082 |
ナンバープレート | 広島 |
※座標は西広島駅前交差点付近 |
己斐(こい)は、広島県広島市西区の地域である。古の己斐町を前身とする歴史ある地域であり、さまざまな史跡が存在するが、地域西部には戦後になって造成されたニュータウンもある。
なお、ここでは町丁名に己斐を冠する地域について扱う。己斐上は一丁目から六丁目まであり、己斐大迫は一丁目から三丁目まであり、己斐中は一丁目から三丁目まであり、己斐西町の郵便番号は、己斐東は一丁目から二丁目まであり、己斐本町は一丁目から三丁目まである。当地域の人口は26,773人、世帯数は12,698世帯[1]。
Contents
地理
己斐の位置
己斐は広島市中心部(紙屋町)から西へ約3から5km、同市西区に位置する地域。主に己斐上・己斐大迫・己斐中・己斐西町・己斐東・己斐本町からなる。東側の福島町とは太田川放水路で隔てられている。西で高須台、南で庚午と接する。庚午との境界には西広島バイパスが走っている[2]。
己斐地域内の地理
地域内をJR西日本山陽本線および広島電鉄本線・宮島線が走り、己斐本町に西広島駅および広電西広島駅がある。また、己斐本町に宮島街道が走っており、西広島駅前交差点付近には前述の2駅のほかひろでん会館がある。己斐バスストップが広島電鉄本線および宮島線の広電西広島駅のすぐそばにあり、西広島駅バスストップがJR西日本山陽本線西広島駅のすぐそばにある。地域東部には茶臼山(通称「小茶臼」地図)があり、昔己斐城(平原城)があったことで知られる。また、地域南部には旭山(地図)もあり、己斐古城(岩原城)があったという[3][4]。
河川と橋梁
太田川放水路が地域の東端を流れており、北から己斐橋(地図)、新己斐橋(地図)、旭橋(地図)がかかっている。地域内には八幡川が西から東に流れ、太田川放水路に流れ込んでいる。八幡川には東から順に観光橋(地図)、源左衛門橋(地図)がかかっている[3]。
源左衛門橋は、歴史のある橋である。昔、時の広島藩主は広島入府の後に親友である源左衛門を呼び寄せて、現在の己斐西町のあたりに領地を与えた。大雨で八幡川が氾濫した時、源左衛門が仮設の橋を渡して大名行列を助けた。このことからその後この場所にできた橋を源左衛門橋と呼ぶようになったのだという[4]。
歴史
地名の由来
「己斐」は鎌倉時代以来の歴史ある地名で、その由来についてはいくつかの説がある。一つは神功皇后が長門の熊襲族征討に際してこの地に立ち寄ったとき、県主が大きな鯉を献上したので「鯉村」と称したというもの(国郡志下調書出帳)、「山間の村」を意味する「峡村」(かひむら)が変化したというもの(秋長夜話)、古くは「許斐」とも書いたことから筑前宗像の「許斐神社」と何らかの関係を有するというもの(芸藩通志)、などである。
沿革
- 広島市への編入合併前の詳細については「己斐町」を参照
以下の通り[4]。
- 1889年 町村制発足により佐伯郡己斐村が発足
- 1911年 町制施行により佐伯郡己斐町と改称
- 1929年4月1日 広島市への編入合併
- 1950年 ノートルダム清心中学校が開校
- 1961年 ノートルダム清心女子大学短期大学部(1964年ノートルダム清心女子短期大学に改称)が開学
- 1964年 広電ストア己斐店(ひろでん会館)が開業
- 1969年 国鉄己斐駅を西広島駅に改称
- 1972年 広島市立己斐中学校が開校
- 1973年 広島音楽高等学校が小町より移転
- 1975年 広島市立己斐東小学校が開校
- 1978年 花満花市場跡地にスーパーいづみ己斐店(現・ゆめマート己斐)が開業
- 1982年 広島市立己斐上小学校が開校
- 1984年 キリシタン殉教の碑の建立
- 1987年 広島市立己斐上中学校が開校
- 2001年 広島高速4号線が開通
- 2003年 ノートルダム清心女子短期大学が廃止
- 2012年9月4日 学習塾に通っていた小学校6年の女児が己斐でカバンに詰め込まれ誘拐される事件が起きる。容疑者が西広島駅から乗車したタクシーの運転手の機転により無事救出された[5]。
人口の変遷
1980年(昭和55年)12月末[6] | ファイル:R50.png 9,325世帯 ファイル:G100.png 26,118人 |
1990年(平成2年)12月末[6] | ファイル:R100.png 11,296世帯 ファイル:G100.png 30,364人 |
2000年(平成12年)12月末[6] | ファイル:R100.png 11,743世帯 ファイル:G100.png 28,215人 |
2010年(平成22年)12月末[6] | ファイル:R100.png 12,573世帯 ファイル:G100.png 27,119人 |
2013年(平成25年)10月末[1] | ファイル:R100.png 12,698世帯 ファイル:G100.png 26,773人 |
住宅地
大迫団地は己斐地域の北東部のニュータウンであり、己斐大迫という町丁に対応している。広電己斐団地は己斐地域の北西部のニュータウンであり、己斐上の一部である。フジハイツやイトーピアは茶臼山の南、己斐地域の東側のニュータウンであり、それぞれ己斐中、己斐東という町丁の一部である。もみじが丘は己斐地域の西側のニュータウンであり、己斐上という町丁の一部である。
交通
バス
地域内を運行するのは広電バス、広島バス、エイチ・ディー西広島の三社である。前2者は己斐本町を通過する便が主だが、己斐を拠点とするエイチ・ディー西広島は西広島駅バスストップや八丁堀バスストップと地域東部の住宅地を結んでおり、己斐上・己斐大迫・己斐中・己斐東にも停車する[3][7][8][9]。
鉄道
己斐本町にJR西日本山陽本線西広島駅(地図)および広島電鉄本線宮島線広電西広島駅(地図)がある。地域北東部、己斐大迫のあたりはJR西日本山陽本線および広島電鉄横川線の横川駅(地図)が最寄りである。
- 西広島駅 2008-2.JPG
西広島駅
- Hiroden-nishihiroshima-station.jpg
広電西広島駅
道路
地域内に宮島街道が走っており、南の他地区との間には西広島バイパスが走っている。広島県道265号伴広島線が地域内を通っており、己斐峠を経由して五月が丘へ行くことができる。
ズッコケ三人組との関係
ズッコケ三人組に登場する花山町のモデルが己斐であることは作者の那須正幹自身が明かしており、広島市の広報紙でも紹介されている[10]。那須によると、ミドリ市のモデルは「もう完全に1960年代の後半の広島、人口もちょうど60万人ぐらいになるかな、あのころの広島」であるという[11]。
- 参照: ズッコケ三人組#舞台のモデル
施設・企業
歴史ある宗教施設が多数ある[4]。また、以下に示すように、小中学校の名前と存在地域は必ずしも一致していない。
宗教施設
- 「鯉の神社」と親しまれている。
- "「旭山神社」"
- 曹洞宗。大茶臼山西麓にある。
- "「国泰寺 (広島市)」"
- 教順寺・滝之観音堂(己斐上地図)
- 長栄山清照寺と西福院淡島大明神(己斐西町 地図)
- 真言宗。隆誉上人が藩主毛利輝元から土地を拝領して1593年に木挽町で開山。1619年に淡島大明神を併せて祭るようになった。1945年に原爆に遭い仏像が消失。国の重要文化財「紺紙金泥宝篋印陀羅尼経(こんしきんでいほうきょういんだらにきょう)[13]」に被害はなく寺宝として大切に保管されている。1968年に現在地に移転した。[14]
- 新山千手観音堂(己斐東 地図)
- 毛利輝元彫刻の千手観音が祀られているが、開帳日以外は見ることができない。大元稲荷社がすぐ近くにあり、観音堂を守護している。
- 瑞雲山善法寺(己斐本町 地図)
- 通玄観音堂
- 己斐上と己斐中の境界付近に位置。後述の通玄山の近くにある。
- 法輝山光西寺(己斐中 地図)
- 浄修院(己斐西町 地図)
小学校
- 広島市立己斐小学校(己斐上 地図)
- 広島市立己斐上小学校(己斐上 地図)
- 広島市立己斐東小学校(己斐中 地図)
中学校
- 広島市立己斐中学校(己斐上 地図)
- 広島市立己斐上中学校(己斐上 地図)
- ノートルダム清心中学校・高等学校(己斐東 地図)
高等学校
企業
- エイチ・ディー西広島本社(己斐上 地図)
- メガネ21本社(己斐本町 地図)
金融機関
- 広島銀行己斐支店(己斐本町)- 1920年開設の芸備銀行己斐支店を前身とする。
- もみじ銀行己斐支店(己斐本町)- 1973年に広島相互銀行己斐支店として現在地に開設。
- 広島信用金庫己斐支店(己斐本町)- 1951年に同金庫土橋支店己斐出張所として開設。1967年に現在地へ移転。
- 広島市信用組合己斐支店(己斐本町)- 1964年にひろでん会館内に開設。1973年に現在地へ移転。
- JA広島市己斐駅前支店(己斐本町)- 1907年設立の己斐信用販売利用組合を前身とする。
商業施設・その他
- 広島銀行研修所と付属する各種スポーツ施設。同体育館はかつて広島銀行ブルーフレイムズが本拠地としていた他、広島メイプルレッズも練習場としている。また、広島銀行の関連法人である学校法人信愛学園のぞみ幼稚園も隣接して立地する。
- 己斐ガーデンスクエア(己斐本町 地図)
史跡
- 己斐城(己斐上、茶臼山)
- 己斐古城(己斐西町、旭山)
- キリシタン殉教の碑(己斐東地図)
- 広島では1599年に伝道されたキリスト教であるが、豊臣秀吉が1587年に出したバテレン追放令や1596年に出した禁教令、および江戸幕府が1612年および1613年に出した禁教令により迫害された。1616年山手川(現在の太田川放水路)の河原にて処刑が行われた。時は流れ、付近にカトリックの学校(ノートルダム清心中学校・高等学校)ができるなど、迫害は過去のものとなった。そして1984年2月、己斐の歴史研究会の有志によってキリシタン殉教の碑が設置された[4]。
- 通玄山(己斐中 地図)
- 通玄山という文字が彫られた岩。通玄という語には禅の極地という意味がある。浅野長晟の家臣の子として広島に移り住み、晩年を己斐の地で過ごした広島藩士、寺西織部信之が、黄檗宗の開祖である隠元禅師の通玄山という書を禅門の師を通じて得て、岩に彫刻したものであると言われている[4]。
- 原爆被爆給水塔(己斐本町、前述の己斐ガーデンスクエア内)
脚注
- ↑ 1.0 1.1 2013年10月末現在、住民基本台帳調査による。広島市調べ。
- ↑ 国土地理院発行2万5千分の一地形図
- ↑ 3.0 3.1 3.2 Google map
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 4.7 west21.gr.jp2013年9月7日閲覧。
- ↑ 間一髪で救出!塾帰りの女児「旅行カバンに押し込め監禁」成城大3年生(J-castニュース) 2013年9月7日閲覧。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 1980,1990,2000,2010年12月末、住民基本台帳調査による。“広島市調べ。”. . 2013閲覧.
- ↑ 広島電鉄ホームページ 広電バス路線図2013年9月7日閲覧。
- ↑ 広島バスホームページ 広島バス25号線路線図2013年9月7日閲覧。
- ↑ エイチ・ディー西広島ホームページ ボン・バス路線図2013年9月7日閲覧。
- ↑ それいけ!ズッコケ三人組ホームページ2013年9月7日閲覧。
- ↑ 石井直人・宮川健郎編『ズッコケ三人組の大研究II』p.139(ポプラ社、2000年)
- ↑ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p73
- ↑ 広島県教育委員会ホームページ 広島県の文化財 - 紺紙金泥宝篋印陀羅尼経2013年9月8日閲覧。
- ↑ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p76
- ↑ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p74
- ↑ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p75
- ↑ NHKホームページ 己斐調整場送水ポンプ室2013年9月10日閲覧。
参考文献
- 『軍津浦輪物語(改定版)』広島郷土史研究会、1980年
- 『広島県の地名』(日本歴史地名大系 第35巻) 平凡社、1982年
- 『角川日本地名大辞典 第34巻:広島県』 角川書店、1987年 ISBN 4040013409
- 長船友則 『広電が走る街 今昔』 JTBパブリッシング、2005年 ISBN 4533059864
関連項目
- 広島市町名・地区一覧 - 西区
- 己斐町
五月が丘 | 山手町 | |||
高須台 | 北 | 福島町 | ||
西 己斐 東 | ||||
南 | ||||
高須 | 庚午 | 観音 |