古江 (広島市)
古江 | |
---|---|
— 町丁 — | |
古江上・古江新町・古江西町・古江東町 | |
座標: 東経132度24分40.53秒北緯34.386222度 東経132.4112583度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 広島県 |
市町村 | 広島市 |
区 | 西区 |
人口 平成25年10月末現在 | |
- 計 | 10,697人 |
等時帯 | JST (UTC+9) |
郵便番号 | 733-0872・733-0873・733-0874・ 733-0875 |
市外局番 | 082 |
ナンバープレート | 広島 |
※座標は古江駅付近 |
古江(ふるえ)は、広島県広島市西区にある、旧佐伯郡古田村の一部分をなす歴史ある地域である。古い時代に天皇がこの地に船を着けたという「古キ入江」の故事にちなみ名づけられた地名であるが、現在は海に接していない。さまざまな史跡が存在し[1]、武家茶道で知られる上田宗箇流の家元も所在する[2]。なお、ここでは町丁名に古江を冠する地域について扱う。古江上は一丁目から二丁目まであり、人口2,420人、世帯数939世帯、郵便番号733-0875。古江新町は1,802人、777世帯、郵便番号733-0873。古江西町は3,803人、1,519世帯、郵便番号733-0874、。古江東町は2,672人、1,071世帯、郵便番号733-0872。よって当地域の総人口は10,697人、世帯総数は4,306世帯[3]。
Contents
地理
古江は広島市中心部(紙屋町)から西へ約3から5km、同市西区に位置する地域。地域は南向きの斜面であり、地域内をJR西日本山陽本線および広島電鉄宮島線が東西に走っている。西広島バイパスより北が古江上、広島電鉄宮島線より南が古江新町、そしてこの二地域に挟まれた中央部のうち西側が古江西町、東側が古江東町である。古江東町と古江新町の境界付近に古江駅がある。西で田方、東で高須、南で庚午、北西で古田台と接する[4][5]。
歴史
沿革
- 1889年4月1日 - 町村制発足により佐伯郡古江村・山田村が合併し佐伯郡古田村となる
- 1873年6月6日 - 古田尋常高等小学校(現在の古田小学校)創立
- 1922年8月22日 - 広島電鉄宮島線古江駅開業
- 1929年4月1日 - 古田村が広島市に編入され消滅。旧村域は同市「古田町」となり、後に古江などとなった。
- 1945年8月6日 - 広島市への原子爆弾投下。なお、古江地区の全域が被爆火災による消失から免れた。
- 1947年 - 古田尋常高等小学校が改称し、広島市立古田小学校となる
- 1956年2月8日 - 広島学院中学校の設置認可。同月、中学校校舎完成。
- 1956年4月 - 広島学院中学校開校
- 1971年8月11日 - 国道2号西広島バイパス、広島市西区観音本町 - 佐伯郡五日市町(現在の広島市佐伯区五日市)の暫定2車線供用
人口の変遷
1980年(昭和55年)12月末[7] | 2,341世帯 6,629人 |
1990年(平成2年)12月末[7] | ファイル:R50.png 2,788世帯 7,754人 |
2000年(平成12年)12月末[7] | ファイル:R50.png 3,747世帯 9,808人 |
2010年(平成22年)12月末[7] | ファイル:R50.png 4,128世帯 ファイル:G100.png 10,346人 |
2013年(平成25年)10月末[3] | ファイル:R50.png 4,306世帯 ファイル:G100.png 10,697人 |
交通
バス
古江バスストップ[8](古江東町 地図)が西広島バイパスの本線上にある。
鉄道
広島電鉄宮島線古江駅(上り:古江東町 地図 / 下り:古江新町 地図)が地域南部にある。己斐本町にJR西日本山陽本線西広島駅(地図)、井口に同線新井口駅(地図)があり、JRの最寄り駅となっている(どちらが近いかは場所によって異なる)。
道路
西広島バイパスが地域を東西に貫いている。また、広島県道71号広島湯来線が南北に貫いている。
施設
宗教施設
- 新宮神社(古江東町 地図)
- 誓立寺(せいりゅうじ、古江東町 地図)
- 発祥は甲斐國圓明院(かいのくにえんめいいん)。武田信光の三男が出家し開山、永正年中に真宗に改宗し清立坊と号す。慶長年中に立町に移転。1623年から誓立寺を名乗る。被爆後の1948年、現在の場所に移転。江戸時代に開いた塾、幻華庵(げんげあん)で浄土真宗の高僧、雲幢(うんどう)が教鞭をとった。1873年に幻華庵を校舎として元興館(げんこうかん)が開校。古田小学校のもとになった[1]。
- 福蔵寺(古江上一丁目 地図)
- 子宝を願って多くの人が参詣した寺であり、「子宝地蔵」「おびし地蔵」と呼ばれる。浅野直道が建立した、「蒲冠者源範頼廟」(かばのかんじゃみなもとののりよりびょう)と書かれた五重塔が、本堂裏にある。鐘つき堂は被爆建造物であり、1905年竣工、1985年改修[1]。
幼稚園
- ちどり幼稚園(古江西町 地図)
- 幼稚園[9]。
- 古田幼稚園(古江東町 地図)
- ルドルフ・シュタイナーの教育論を取り入れた幼児教育を行っている幼稚園。1988年に建設された増築部はドイツでシュタイナー研究に取り組んだ建築家である村山雄一による設計であり、シュタイナーの教育思想が色濃く表れている[10][11]。
学校
- 市立中学校。古田小学校と同様に、学校名は古田村に由来する。古田村の村域を学区とし、校区内に、広島市立古田小学校・広島市立古田台小学校・広島市立山田小学校・広島市立高須小学校の4つの小学校を持つ[13]。
- 広島学院中学校・高等学校(古江上一丁目630番地 地図)
その他
- ふれあい花壇(古江東町 地図)
史跡
- 漕ぎ出(こぎいで・こぎで)
- 古江小学校の裏あたりが昔の海岸線であり、港として使われ、漕ぎ出と呼ばれていた[1]。
- 古江西第一号貝塚遺跡(古江西町 地図)
- 街道松跡(古江西町 古江郵便局地図)
- 古江郵便局付近には、1986年8月まで、西国街道の存在を示す街道松が残っていた[1]。この道路は1945年にアメリカ軍が作成した広島市地図においてSANYŌDŌ HIGHWAYと記されており、当時としては比較的大きな道路であったことをうかがい知ることができる。
- 道路改修碑(古江西町 地図)
- 四軒茶屋跡(古江西町 地図)
- 広島藩主浅野家の別邸跡。庭の景色がすばらしく、翠江園と呼ばれていた[1]。現在は広島学院中学校・高等学校となっており、このことから広島学院では、PTAに相当する組織を「翠江会」、OB会に相当する組織を「翠友会」と称する。
- 一楽山荘跡(古江東町 地図)
- 新宮の鼻(古江東町 地図)
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 “こぎいで古田の歴史めぐり”. 広島市 西区役所 市民部 地域起こし推進課. . 2013閲覧.
- ↑ “上田流和風堂交通アクセス”. 上田流和風堂. . 2013閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 2013年10月末現在、住民基本台帳調査による。“広島市調べ。”. . 2013閲覧.
- ↑ 国土地理院発行2万5千分の一地形図
- ↑ “Google map”. . 2013閲覧.
- ↑ “テンプレート:Soundlink”. . 2013閲覧.
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 1980,1990,2000,2010年12月末、住民基本台帳調査による。“広島市調べ。”. . 2013閲覧.
- ↑ “広島電鉄古江バス停時刻表”. 広島電鉄. . 2013閲覧.
- ↑ “テンプレート:Soundlink”. 学校法人田口学園. . 2013閲覧.
- ↑ “古田幼稚園HP”. 学校法人古田学園. . 2013閲覧.
- ↑ “arch-hiroshima 広島の建築 古田幼稚園”. . 2013閲覧.
- ↑ “広島市立古田小学校HP”. . 2013閲覧.
- ↑ “広島市立古田中学校HP”. . 2013閲覧.
- ↑ “広島学院中学校・高等学校HP”. 学校法人広島学院. . 2013閲覧.
- ↑ “上田流和風堂HP”. 上田流和風堂. . 2013閲覧.
関連項目
- 広島市町名・地区一覧 - 西区
- 佐伯郡 - 古田村
古田台 | 高須台 | |||
田方 | 北 | 高須 | ||
西 古江 東 | ||||
南 | ||||
草津 | 庚午 |