日本郵船

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日本郵船株式会社(にっぽんゆうせん、Nippon Yusen Kabushiki Kaisha)は、1885年明治18年)9月29日に創立された船会社である。三菱財閥三菱グループ)の中核企業であり、三菱重工とともに三菱グループの源流企業である。1893年(明治26年)12月15日に株式会社となった。日本の3大海運会社の一つであり、戦後の株式特定銘柄12社(平和不動産東レ旭化成工業日本石油住友電気工業日本電気松下電器産業三菱重工業トヨタ自動車三井物産東京海上火災保険、日本郵船)の一つでもある。

英文表記「NIPPON YUSEN KAISHA」から「NYK LINE」とも記され、国際的には「NYK」として知られている。

概要

国内・海外を合わせて350以上の都市のへ838隻[1]の運航船舶が乗り入れており、運航船舶数規模及び連結売上高及び連結純利益で日本では1位、世界でも最大手の海運会社のひとつである。

2006年平成18年)2月に、マースクライン社が世界第3位の業界シェアを占めるオランダの海運会社P&ONedlloyd 社と合併し世界最大手になったため、NYKは連結売上高で世界2位になった。国内以上に海外での知名度が高く、日本海運の代表と呼ばれる所以である。

「郵便汽船三菱会社」(日本郵船の前身:国有会社であった日本国郵便蒸気船会社と三菱商会が合併して設立)と、三井系国策会社である「共同運輸会社」とがたび重なる値下げ競争を行ったことで、日本の海運業の衰退を危惧した政府の仲介で両社が合併し、日本郵船会社が設立された[2]。ファンネルマーク(船の煙突部分につける会社のマーク)は、白地に2本の赤の線で「二引」と呼ばれ、二社の対等合併を表す。(三菱商会の淵源にあたる海援隊の隊旗に倣ったもの)

また、2002年(平成14年)10月からイメージキャラクターにアニメ「サザエさん」のフネを起用し、その広告が第46回日本雑誌広告賞金賞と、JR東日本ポスターグランプリ2003銅賞を受賞した。フネ起用の契約は2006年(平成18年)3月31日をもって終了し、同年4月17日からは琴欧洲を起用している[3]

三菱金曜会及び三菱広報委員会の会員企業である[4][5]

欧米と協調して航路を拓いてきた歴史をもつ一方、石原産業海運の盟外配船がもとで、最盛期の1935年にオランダと貿易摩擦を経験している。

沿革

  • 1870年(明治3年) - 九十九商会(後の三川商会、三菱商会へ)が大阪市西区で設立。
  • 1875年(明治8年) - 国有会社である日本国郵便蒸気船会社の経営が岩崎弥太郎に任される(三菱商会が郵便汽船三菱会社へ改称)。同年、郵便汽船三菱会社はen:Pacific Mail Steamship Company と契約。政府の援助や吉岡銅山利益を元に、洋銀78万ドルを支払って部分的な事業譲渡を受けた。
  • 1885年(明治18年) - 政府の仲介で郵便汽船三菱会社と三井系国策会社である共同運輸会社が合併し日本郵船会社を設立、競争を避けた[6]
  • 1893年(明治26年) - 株式会社として日本郵船株式会社が誕生。
  • 1893年(明治26年) - 日本初の遠洋定期航路としてボンベイ(現、ムンバイ、インド)航路開設。
  • 1896年(明治29年) - アントワープ横浜間に定期航路を開設。下関条約の賠償金等で損失補填
  • 1899年(明治32年) - ロンドン寄航・積荷権獲得。欧州・極東往航同盟に加盟。アントワープでの取引減。
  • 1901年(明治34年) - アントワープに独自の繋留場を得る。
  • 1902年(明治35年) - 復航同盟に加盟。往航で上海寄航を認められる[7]。同盟の合同勘定に参加。
  • 1904年(明治37年) - 豪州航路休止。二年後に再開。米国航路も3月に休止。早くも6月から徐々に復旧。4月にボンベイ航路休止。二年後の再開まで、P&Oオーストリア・ロイド・イタリア郵船の三社に綿花輸送を委嘱。
  • 1905年(明治38年) - 信濃丸バルチック艦隊を発見し第一通報者となる。9月、函館-南樺太間に命令航路を開く。
  • 1906年(明治39年) - 3月、欧州航路の保有船が全て軍用を解かれる。7月、シアトル航路におけるグレート・ノーザン鉄道との貨客接続契約が満期を迎えるも、戦中に無理をした甲斐あって、10年間の契約延長に成功。タコマ (ワシントン州)シアトルを終点とするノーザン・パシフィック鉄道とも新たに接続契約を結ぶ。
  • 1907年(明治40年) - 昨年から開拓していたバンコク航路を、井上勝之助の調停により競争相手の北ドイツ・ロイドに譲渡する。契約は非公表であった。4月、日清汽船を設立。8月、日印通商条約調印。
  • 1909年(明治42年) - 遠洋航路補助法成立。日本郵船は終始反対。奨励金を得るため空船航海をする者がいた。この法律で補助を受けた東洋汽船とは大正15年に関係ができる。
  • 1911年(明治44年) - 9月、仁川丸が神戸を発しカルカッタ航路に就く。日本-カルカッタ間には、インドシナ汽船アプカー社が配船し、カルカッタ-東南アジア間には英領インド汽船会社が進出していた。この三社は長年にわたり同盟し、他社の新規参入を阻んできた。これについては大正7年に進展があった。
  • 1912年大正元年) - 朝鮮郵船を設立。
  • 1914年(大正3年) - 軍需により繁忙を極め、資本金2200万円を倍額増資して4400万円とする。大正7年には1億円に達する。
  • 1915年(大正4年) - ポートサイド付近で日本郵船の八坂丸が金塊10万ポンドを積載したままドイツ潜水艇に撃沈される。この金塊は1925年8月7日に片岡弓八の日本深海工業が引き上げに成功した。回収分の8割が日本深海の所有となった。UPI通信社が同日付で報じた。
  • 1916年(大正5年) - 昨年9月に閉鎖されたパナマ運河再開。従来の香港-シアトル線に加えて、神戸-シアトル線を新設。
  • 1917年(大正6年) - 南米東岸線開設。昨年11月からブラジル移民組合との契約により、移民輸送を目的としていた。4月に神戸を若狭丸が出航。イギリス西岸-東洋間の海運を独占していた青筒社が、船腹不足を理由に縄張りへの寄航を打診してくる。5月、これを機に香取丸を神戸から直行させる。大正9年に独占権を回復したいと青筒社が申し入れてくるが、日本郵船は命がけのピンチヒッターであったことを主張し、配船継続を承諾させる。
  • 1918年(大正7年) - 3月、P&O の仲介で英領インド汽船会社に認められ、カルカッタ同盟に参加。神戸郵船ビル竣工。
  • 1919年(大正8年) - 2月、上海航路を増強。10月、ハンブルク線開始。
  • 1921年(大正10年) - 欧州航路の終点をロンドンに変更。アントワープ依然として重要寄港地。
  • 1922年(大正11年) - 大阪商船と協定。次第に守られなくなったが、昭和6年に近海郵船をも加えて三社で協定。競争を避けた。
  • 1923年(大正12年) - 近海・内航部門を分離し、(旧)近海郵船株式会社を設立。郵船ビルディング竣工。
  • 1925年(大正14年) - ディーゼル船が世界の進水量の65%を占める。政府主導のディーゼル化進む。新船建造で昭和2年と3年に社債を発行。大正8年から昭和3年で自己資本率を半減させる。
  • 1926年昭和元年) - 第二東洋汽船株式会社を合併。かねてより社内には慎重論が多数を占めた。合併により北米サンフランシスコ線および南米西岸線の営業権を譲り受ける。
  • 1927年(昭和2年) - ロンドン線・シアトル線を改善。大阪商船・原田汽船を引き連れ、青島の生牛生肉輸出組合と一手積契約し寡占。
  • 1929年(昭和4年) - 近東への寄航開始。逓信省の補助命令。寄港地は往路でイズミルコンスタンチノープルピレウス。復路はピレウス・アレクサンドリア
  • 1931年(昭和6年) - 金輸出再禁止。以降、日本の海運が急速に回復。植民地への輸出にたまりかねたオランダが態度を硬化、貿易制限。
  • 1933年(昭和8年) - 日印通商条約廃棄
  • 1934年(昭和9年) - ニューヨーク航路の改善を機に、中南米ガルフ線を開設。
  • 1935年(昭和10年) - 7月、政府の斡旋で大阪商船・石原産業海運・南洋郵船と南洋海運株式会社を設立、オランダへ対抗する。10月、明朗会発足。
  • 1936年(昭和11年) - 国際汽船から船舶の提供を受けて北欧線を開設。昭和13年に休航し、12年に開設した東航世界一周線に組み込まれる。東航世界一周線の往路は、横浜-大連-天津-青島-上海-門司-神戸-大阪-名古屋-清水と回航、再び横浜から小樽-函館-釧路-サンフランシスコまたはロサンゼルス、パナマ経由でロンドン-アントワープ-ロッテルダム-ハンブルクまで。復路は往路をアントワープまで戻り、スエズ運河経由でシンガポール-香港-上海-日本。当時の地中海は危険区域に指定されていた。翌年の遠洋航路網は最盛であった。
  • 1939年(昭和14年) - (旧)近海郵船株式会社を合併。第二次世界大戦勃発。航路網は急激に縮小してゆく。
  • 1940年代 - 船舶運営会設立に際し引き続き船舶の運航実務を行うと共に実務者第一班の班長会社に指定
  • 1940年(昭和15年) - 1月に浅間丸事件
  • 1942年(昭和17年) - 交換船運航。
  • 1945年(昭和20年) - 安導権を持つ日本郵船所属の船舶阿波丸が、アメリカ海軍潜水艦の不当な雷撃を受け撃沈された(阿波丸事件)。
  • 1949年(昭和24年) - 東京、大阪、名古屋の証券取引所へ上場。
  • 1950年(昭和25年) - 札幌証券取引所へ上場。航路が徐々に復旧してゆく。当年、カルカッタ同盟から日本のチッタゴンの寄航を年六回に制限される。国内で枠を協議し、日本郵船は四回、大阪商船は二回となった。
  • 1953年(昭和28年) - 三井船舶が欧州同盟に対して盟外配船(いわゆる三井ファイティング問題)。同盟の対抗措置により日本郵船その他、売上げ運賃が大幅低下。昭和30年にイギリス政府が日本政府の盟外船援助政策を批判。国際紛争は昭和31年まで続き、三井船舶が欧州同盟に加盟するのは昭和36年となった。
  • 1960年(昭和35年) - 氷川丸の解役を機に客船事業から一旦撤退する。
  • 1964年(昭和39年) - 三菱海運株式会社(前三菱汽船、極東海運:三菱商事船舶部より分離独立)と合併。
  • 1964年(昭和39年) - 世界初のチップ専用船「呉丸」竣工。政府主導により東亜海運を設立、筆頭株主となる。
  • 1966年(昭和41年) - コンテナサービス開始。マトソン社と提携。プロジェクトのきっかけは青筒社の資料。
  • 1968年(昭和43年) - IBM導入。定款変更、事業目的に陸上運送業及び代理業追加。昨年からスエズ閉鎖。
  • 1969年(昭和44年) - 近海・内航部門を近海郵船株式会社(1949年企業再建整備法に基づき郵船近海機船から継承され設立)へ委譲。
  • 1970年(昭和45年) - 通信衛星経由の本店-ロンドン支店間直通電話専用回線開通。
  • 1971年(昭和46年) - 欧州コンテナ航路がスタート。翌年には西地中海にもコンテナで進出。
  • 1973年(昭和48年) - 日本郵船所属の船舶山城丸が、第四次中東戦争に巻き込まれ被災、廃船となる。ガルフ混雑。アムステルダム証券取引所に上場。
  • 1974年(昭和49年) - 自家保険会社 Haiphoon Insurance Comp-any Limited を東京海上火災保険と折半出資で香港に設立。
  • 1975年(昭和50年) - 海運業界で初めての外債発行。1月と9月にそれぞれ5000万ドイツマルクと5000万スイスフラン。以降、スイスフランを中心に1億台の発行が続く。5月に定款改正、事業目的に航空その他の事業を追加。スエズ再開。
  • 1982年(昭和57年) - 上五島国家石油備蓄基地に資本参加。
  • 1984年(昭和59年) - 欧州でコンピュータによるコンテナ管理システム始動。
  • 1985年(昭和60年) - 6月、日本-北米貨物情報オンラインシステム稼動開始。定款変更、事業目的に不動産の売買及び賃貸を追加。8月、サザン・パシフィック鉄道と提携。ロサンゼルス-シカゴ間にコンテナ二段積み専用列車の運行開始。
  • 1989年(平成元年) - フィリピンにマンニング(船員配乗)会社NYK-FIL Ship Management社を設立。
  • 1989年(平成元年) - クリスタルクルーズジャパン株式会社(後の郵船クルーズ株式会社、大型旅客船飛鳥」所有)設立。事実上の客船事業再参入である。
  • 1991年(平成3年) - ナビックスラインの定航海運会社、日本ライナーシステム株式会社と合併。
  • 1993年(平成5年) - 「日本郵船歴史資料館」開館。
  • 1998年(平成10年) - 旧六大海運会社の一角、昭和海運株式会社と合併。5月、自家再保険会社 Compass Insurance Company Limited をマン島に設立。船社の完全子会社としては日本初。
  • 2002年(平成14年) - 地球深部探査船「ちきゅう」の運用管理者に決定。マン島に子会社 Saga Shipholding Limited を設立、保有していた八隻のオープンハッチ・バルカーを同社に売却。
  • 2003年(平成15年) - 「日本郵船歴史資料館」を「日本郵船歴史博物館」に改称し、横浜郵船ビル内に移転。
  • 2005年(平成17年) - 全日本空輸との合弁会社であった日本貨物航空(NCA)を全日本空輸保有株式の譲渡を受け連結子会社化。6月、子会社 Saga Shipholding AS をノルウェーに設立。マン島の前身子会社が保有する船を承継し、オープンハッチ・バルカー事業に関わる全業務を一元管理。
  • 2006年(平成18年) - 陸運大手のヤマトホールディングスとの資本提携を発表。
  • 2007年(平成19年) - NYK-TDG MARITIME ACADEMYをフィリピンに開校。6月に脱税が発覚、東京国税局の摘発を受ける。平成18年3月期までの7年間で約6億円の所得隠しを指摘された。このほか、申告漏れ総額は約45億円で、重加算税などを含めた追徴税額(更正処分)は約15億円に上る。
  • 2008年(平成20年) - 太陽光発電システム搭載の自動車専用船「アウリガ・リーダー」竣工。
  • 2008年(平成20年) - ノルウェーの特殊石油タンカー大手のクヌッツェン・オフショア・タンカーズ(KOT)の株式50%を取得。深海油田輸送事業に参入。
  • 2011年(平成23年) - 洋上原油生産事業で合弁会社を設立。ペトロブラスに浮体式海洋石油・ガス生産貯蔵積出設備を供給。
  • 2012年(平成24年) - 豪ウィートストーンLNGプロジェクトへ三菱商事東京電力と共同参画。
  • 2014年(平成26年) - 自動車輸送船の運賃で価格カルテルを結んでいたとして131億円を課徴された。川崎汽船56億、ワレニウス・ウィルヘルムセン34億。商船三井は内部告発により独占禁止法の排除措置命令を免れている。[8]
  • 2015年(平成27年) - 北米にてクルーズ事業を運営するクリスタル・クルーズの株式を、ゲンティン・グループに売却。
  • 2017年(平成29年) - 商船三井川崎汽船と共にコンテナ船事業を統合、新会社『オーシャン・ネットワーク・エクスプレス(ONE)』が発足[9]
  • 2018年(平成30年) - 子会社である郵船ロジスティクスを完全子会社化。

事業所

ファイル:NYK maritime museum01s3200.jpg
日本郵船横浜支店が入る横浜郵船ビル(日本郵船歴史博物館を併設)

2004年(平成16年)3月現在の主な事業所は以下の通り。

付記

ファイル:Speybank by Luc Deleu.jpg

ルック・デルー作「Speybank」
(横浜トリエンナーレ2005年展、山下公園にて)
  • 東京都千代田区にある同社本社ビルの屋上には、長年TBSテレビお天気カメラ情報カメラとも呼ぶ。リモコンによる遠隔操作式)が設置されている。皇居前広場越しに皇居や霞が関、国会議事堂など都心を一望できることから、TBSでの使用頻度は高い。
  • 2005年横浜港内の山下公園にて開催された横浜トリエンナーレ2005年展では、日本郵船が所有していた、もっともシンプルな構造である20ftドライコンテナ( 国籍/タイプコード JP 2000 )を四個連結して作られた、非常に珍しい作品が登場した。

歴代社長

歴代の社長(日本郵船会社発足後。郵便汽船三菱会社社長・岩崎弥太郎共同運輸会社社長・伊藤雋吉以後[10]
代数 氏名 在任期間 出身校 その他
初代 森岡昌純 1885年 - 1894年 薩摩藩 共同運輸会社出身。貴族院勅選議員男爵
第2代 吉川泰二郎 1894年 - 1895年 慶應義塾(現・慶應義塾大学 郵便汽船三菱会社神戸支配人・東京支配人
第3代 近藤廉平 1895年 - 1921年 慶應義塾(現・慶應義塾大学)、大学南校(現・東京大学 貴族院男爵議員
第4代 伊東米治郎 1921年 - 1924年[11] ミシガン大学 日本郵船上海ロンドン支店長
第5代 白仁武 1924年 - 1929年 帝国大学法科大学政治学科 栃木県知事、関東都督府民政長官内閣拓殖局長官
第6代 各務鎌吉 1929年 - 1935年 東京高等商業学校(現・一橋大学 貴族院勅選議員東京海上火災保険社長
第7代 大谷登 1935年 - 1942年 東京高等商業学校(現・一橋大学) 船舶運営会総裁、大日本航空初代取締役会長
第8代 寺井久信 1942年 - 1946年 東京帝国大学 日本郵船ロンドン支店長
第9代 市原章則 1946年 - 1946年 東京帝国大学 日本郵船常務、副社長
第10代 浅尾新甫 1946年 - 1961年 東京帝国大学、オックスフォード大学 日本郵船インド・神戸支店勤務、経済同友会代表幹事日本工業倶楽部理事、日経連常任理事、経団連常任理事
第11代 児玉忠康 1961年 - 1965年 京都帝国大学(現・京都大学) 日本海難防止協会会長
第11代 有吉義弥 1965年 - 1971年 東京帝国大学 商船管理委員会理事長
第12代 菊地庄次郎 1971年 - 1978年 東京帝国大学経済学部 日本船主協会会長、経済同友会副代表幹事、日本経営者団体連盟常任理事
第13代 小野晋 1978年 - 1984年 旧制府立高等学校 日本船主協会会長
第14代 宮岡公夫 1984年 - 1989年 海軍兵科第四期予備学生 日本船主協会会長
第15代 根本二郎 1989年 - 1995年 東京大学法学部 日本経営者団体連盟(日経連)会長
第16代 河村健太郎 1995年 - 1999年 東京大学 OECD諮問委員会委員長
第17代 草刈隆郎 1999年 - 2004年 慶應義塾大学経済学部 日本経団連副会長、日本・ベルギー協会会長
第18代 宮原耕治 2004年 - 2009年 東京大学法学部 日本経団連副会長
第19代 工藤泰三 2009年 - 2015年 慶應義塾大学経済学部 -
第20代 内藤忠顕 2015年 - 一橋大学経済学部 -

国内主要関連会社

  • 郵船ロジスティクス株式会社(旧・郵船航空サービス / NYKロジスティックスジャパン株式会社
  • 郵船クルーズ株式会社
  • 郵船トラベル株式会社
  • 郵船商事株式会社
  • 名郵不動産株式会社
  • 株式会社ユニエツクス
  • 郵船港運株式会社
  • 郵船不動産株式会社
  • ノーススタートランスポート株式会社
  • 郵船海陸運輸株式会社
  • 郵船情報開発株式会社
  • 郵船ナブテック
  • 郵船コーディアルサービス株式会社
  • 株式会社郵船アカウンティング
  • NYKバルク・プロジェクト貨物輸送株式会社(旧大倉財閥系で当時NKKの傘下だった旧日之出汽船が前身。その後に同社が買収して日之出郵船となり、NYKグローバルバルク株式会社を合併して現社名となる)
  • 近海郵船物流株式会社
  • 日本貨物航空株式会社ANAグループであったが、2005年(平成17年)8月5日付を以て日本郵船の連結子会社となった)
  • 東京船舶株式会社
  • NSユナイテッド海運株式会社
  • 三菱鉱石輸送株式会社
  • 共栄タンカー株式会社
  • 太平洋汽船株式会社
  • 八馬汽船株式会社
  • 旭海運株式会社
  • 旭運輸株式会社
  • 日本コンテナ・ターミナル株式会社
  • 日本コンテナ輸送株式会社
  • 日本油化工業株式会社
  • 株式会社日本海洋科学(旧郵船海洋科学より社名変更)
  • 株式会社ウィングマリタイムサービス(旧株式会社日本海洋社より社名変更)
  • 海洋興業株式会社
  • 株式会社MTI(Monohakobi Technology Institute)
  • カメリアライン株式会社
  • 小笠原海運株式会社
  • 苫小牧海運株式会社
  • 株式会社ヒカワマリン
  • 株式会社ジェネック
  • 名古屋汽船株式会社
  • 株式会社クルーズクラブ東京(旧クリスタルヨットクラブ)

など

現在所有する船

他多数

かつて所有していた船

客船、貨客船

貨物船


脚注・出典

関連項目

著名な出身者

外部リンク

  • テンプレート:三菱グループ

テンプレート:日本のクルーズ客船