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(日本の獅子舞)
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獅子頭などは「[http://www.shiraoka-kanko.info/shishihakubutsukan.html 獅子博物館]」(埼玉県[[白岡市]])や「[http://www.shiraoka-kanko.info/shishihakubutsukan.html ひみ獅子舞ミュージアム]」(富山県[[氷見市]])、「[http://hinohara-kankou.jp/kaiinpage/sisihakubutukan/sisihakubutukan.html 東京獅子博物館]」(東京都[[檜原村]])といった専門施設のほか、各地の博物館などで所蔵されている。
 
獅子頭などは「[http://www.shiraoka-kanko.info/shishihakubutsukan.html 獅子博物館]」(埼玉県[[白岡市]])や「[http://www.shiraoka-kanko.info/shishihakubutsukan.html ひみ獅子舞ミュージアム]」(富山県[[氷見市]])、「[http://hinohara-kankou.jp/kaiinpage/sisihakubutukan/sisihakubutukan.html 東京獅子博物館]」(東京都[[檜原村]])といった専門施設のほか、各地の博物館などで所蔵されている。
  
日本の獅子舞は、2人以上の演者で1匹の獅子を演じる「二人立の獅子舞」と、1人で1匹の獅子を演じる「一人立の獅子舞」、数人から10人ほどで1匹の獅子を演じる「[[ムカデ|むかで]]獅子」に分類される<ref name=sasahara/>。「二人立」は古代に成立した外来の[[舞楽]]・[[伎楽]](ぎがく)系統や[[散楽]]から派生し曲芸や軽業と融合し御師と結びついた、[[伊勢大神楽]]に代表される[[大神楽]]系統が存在する。「一人立」は中世末から近世初期にかけて成立した[[風流踊|風流]](ふりゅう)系統といった芸能史的に異なる系統に分かれる<ref name=sasahara/>。
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獅子舞で踊る獅子は、1人で1匹の獅子を演じる「一人立の獅子舞」、2人以上の演者で1匹の獅子を演じる「二人立の獅子舞」と、数人から10人ほどで1匹の獅子を演じる「[[ムカデ|むかで]]獅子」に分類される<ref name=sasahara/>
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「二人立」は古代に成立した外来の[[舞楽]]・[[伎楽]](ぎがく)系統や[[散楽]]から派生し曲芸や軽業と融合し御師と結びついた、[[伊勢大神楽]]に代表される[[大神楽]]系統が存在する。「一人立」は土着の芸能をもとに中世末から近世初期にかけて成立した[[風流踊|風流]](ふりゅう)系統といった芸能史的に異なる系統に分かれる<ref name=sasahara/>。
  
 
[[富山県]]は全国でも獅子舞伝承数が屈指であり、[[2005年]]([[平成]]17年)では約1,170ケ所で受け継がれ現在も行われており、日本一多いとされ<ref>『ロカルちゃ!富山 Vol.12 祭編〜其の1〜』(富山県観光・地域振興局観光課)[[2014年]]3月発行 7P</ref>、富山県[[教育委員会]]は、数多くの獅子舞から2005年(平成17年)に100選(実数 111ケ所)を発表している<ref>『とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞』(富山県教育委員会 生涯学習・文化財室)[[2006年]](平成18年)3月発行</ref>。
 
[[富山県]]は全国でも獅子舞伝承数が屈指であり、[[2005年]]([[平成]]17年)では約1,170ケ所で受け継がれ現在も行われており、日本一多いとされ<ref>『ロカルちゃ!富山 Vol.12 祭編〜其の1〜』(富山県観光・地域振興局観光課)[[2014年]]3月発行 7P</ref>、富山県[[教育委員会]]は、数多くの獅子舞から2005年(平成17年)に100選(実数 111ケ所)を発表している<ref>『とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞』(富山県教育委員会 生涯学習・文化財室)[[2006年]](平成18年)3月発行</ref>。
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舞方は諸流派があり風流系(ふりゅうけい)、[[神楽]]系(かぐらけい)などが知られるが、他にも多くの舞があり同じ物は二つとないとも言える。
 
舞方は諸流派があり風流系(ふりゅうけい)、[[神楽]]系(かぐらけい)などが知られるが、他にも多くの舞があり同じ物は二つとないとも言える。
  
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[[ファイル:伊勢大神楽獅子舞.jpg|サムネイル|右|伊勢大神楽の獅子舞]]
 
=== 伎楽系の獅子舞 ===
 
=== 伎楽系の獅子舞 ===
 
伎楽系(神楽系)の獅子舞は[[西日本]]を中心として全国的に分布し、[[胴体]]部分に入る人数で大獅子、中獅子、小獅子と区分される。大獅子では獅子を操作する人以外に囃子方も胴体に入って演奏する。小獅子では、獅子頭を操作する1人だけが胴体も兼ねる。[[正月]]に見る獅子舞や神楽での獅子舞をはじめ、一般に獅子舞というとこの系統の獅子舞を指すことが多い。
 
伎楽系(神楽系)の獅子舞は[[西日本]]を中心として全国的に分布し、[[胴体]]部分に入る人数で大獅子、中獅子、小獅子と区分される。大獅子では獅子を操作する人以外に囃子方も胴体に入って演奏する。小獅子では、獅子頭を操作する1人だけが胴体も兼ねる。[[正月]]に見る獅子舞や神楽での獅子舞をはじめ、一般に獅子舞というとこの系統の獅子舞を指すことが多い。
  
=== 太神楽系の獅子舞 ===
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==== ・太神楽系の獅子舞 ====
三重県[[桑名市]]の[[伊勢大神楽]]講社に代表される[[太神楽]]の系統である。民俗芸能として各地に伝播した他の系統と異なり、専従の芸能者並びに宗教者の系統である。ルーツに[[散楽]]の流れを汲んでおり、演目には獅子舞の他にも放下芸(曲芸)や萬歳(漫才)、軽業が取り入れられている。発祥地である[[桑名市]]の[[伊勢大神楽]]講社は、江戸期に伊勢御師と結び付き御祓大麻(内宮)を配っていた事が分かっている。その他に熱田派の系統も存在し、それぞれが社中を組み全国各地を回ったが、現在は多くの社中が江戸太神楽・水戸大神楽へと発展し寄席の舞台芸として現在に至っている。[[ファイル:伊勢大神楽獅子舞.jpg|サムネイル|右|伊勢大神楽の獅子舞]]
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三重県[[桑名市]]の[[伊勢大神楽]]講社に代表される[[太神楽]]の系統である。民俗芸能として各地に伝播した他の系統と異なり、専従の芸能者並びに宗教者の系統である。ルーツに[[散楽]]の流れを汲んでおり、演目には獅子舞の他にも放下芸(曲芸)や萬歳(漫才)、軽業が取り入れられている。発祥地である[[桑名市]]の[[伊勢大神楽]]講社は、江戸期に伊勢御師と結び付き御祓大麻(内宮)を配っていた事が分かっている。その他に熱田派の系統も存在し、それぞれが社中を組み全国各地を回ったが、現在は多くの社中が江戸太神楽・水戸大神楽へと発展し寄席の舞台芸として現在に至っている。
  
==== 沖縄の獅子舞====  
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==== ・沖縄の獅子舞====  
 
[[沖縄]]の獅子舞は沖縄県に主に分布している。中国風であり、2人が1匹を担当する伎楽系である。
 
[[沖縄]]の獅子舞は沖縄県に主に分布している。中国風であり、2人が1匹を担当する伎楽系である。
  
 
=== 風流系の獅子舞 ===
 
=== 風流系の獅子舞 ===
風流系の獅子舞は[[関東地方|関東]]・[[東北地方]]に主に分布している。1人が1匹を担当し、それぞれが[[腹]]にくくりつけられた[[太鼓]]を打ちながら舞う。東北の一部には7~8頭で1組の[[鹿踊]]もあるが、もっとも多いのは3匹1組の[[三匹獅子舞]]であり、[[東京都|東京]]・[[埼玉県|埼玉]]などのかつて[[武蔵国]]と呼ばれた地域の農山村では一般的な[[郷土芸能]]・[[民俗芸能]]となっている。3匹のうちの1匹は女獅子(雌獅子)と呼ばれ、雄獅子が雌獅子を奪い合う女獅子隠しという演目を持つところが多い。伴奏は、[[篠笛]]と竹でできた[[ささら]]という楽器である。「ささら」をする人は舞庭の四方に配置され、この楽器を奏する。「ささら」を欠く三匹獅子舞もある。起源は西日本の太鼓踊りあるいは陣役踊りといわれ、中心にいる数人が頭上のかぶり物を獅子頭に変えたものが始まりだろうという説が優勢であるが、東国の風流系の獅子舞はもっと古くからある日本古来の獅子舞であり、獅子頭(ししがしら)も本来は[[シカ|鹿]][[イノシシ|猪]]を模したものであったという説も根強い。獅子頭は通常木製([[桐]]製)であり、獅子以外に[[竜]]頭のものや鹿頭のものもある。
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風流系の獅子舞は[[関東地方|関東]]・[[東北地方]]に主に分布している。1人が1匹を担当し、それぞれが[[腹]]にくくりつけられた[[太鼓]]を打ちながら舞ったり、刀を持って舞う。
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獅子頭は通常木製([[桐]]製)で角があり、獅子以外に[[竜]]頭のものや鹿頭のものもある。
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起源は古くからある[[鹿踊]]であり、獅子頭(ししがしら)も本来は[[シカ|鹿]]や[[イノシシ|猪]]を模したものであったという説や、太鼓踊りあるいは陣役踊りの中心にいる数人が頭上のかぶり物を獅子頭に変えたものだという説などがある。
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==== ・三匹獅子舞 ====
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[[東京都|東京]]・[[埼玉県|埼玉]]などのかつて[[武蔵国]]と呼ばれた地域で最も多いのは3匹1組の[[三匹獅子舞]]であり、農山村では一般的な[[郷土芸能]]・[[民俗芸能]]となっている。3匹のうちの1匹は女獅子(雌獅子)と呼ばれ、雄獅子が雌獅子を奪い合う女獅子隠しという演目を持つところが多い。伴奏は、[[篠笛]]と竹でできた[[ささら]]という楽器である。「ささら」をする人は舞庭の四方に配置され、この楽器を奏する。
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「ささら」を欠く三匹獅子舞もある。
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詳細は[[三匹獅子舞]]を参照。
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==== ・鹿踊、鹿舞 ====
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東北の一部には7~8頭以上で踊る鹿踊(ししおどり、しかおどり)、鹿舞(ししまい)という伝統芸能がある。
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三匹獅子舞と類似点が多い。
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詳細は[[鹿踊]]を参照。
  
 
==== 言い伝え ====
 
==== 言い伝え ====
風流系獅子舞の源流とされる[[秋畑村|甘楽町秋畑]]の伝承では、「獅子はインドで人を食べて生きていたが、インドに人間が少なくなってきたので大和の国に行こうとしたところ、それを察知した日本の神が[[狐]]を[[天竺]]の権田河原に遣わし、獅子に『大和では人を食べる代わりに悪魔を退治すれば食べ物を与えられ、悪魔祓いの神としてあがめられるだろう』と諭し、狐が先導役になって日本にやってきた」とされる<ref>{{Cite web |url=http://www.town.kanra.gunma.jp/archives50/n_27.html |title=那須の獅子舞のいい伝え |work=甘楽町デジタルアーカイブ |publisher=甘楽町 |accessdate=2014-12-16 }}</ref>。演じられる際に、狐役が獅子舞を先導することから、この系統の獅子舞は稲荷流と呼ばれるようになった<ref>{{Cite journal |和書 |url=http://www.town.shimonita.lg.jp/gikai/m01/m03/m01/20101101-gikai-00.pdf |title=町の話題「鎌田の獅子舞」 |work=しもにた議会だより |publisher=[[下仁田町]] |page=8 |date=2010年秋号 |format=PDF |accessdate=2014-12-16 }}</ref>。
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風流系獅子舞の[[秋畑村|甘楽町秋畑]]の伝承では、「獅子はインドで人を食べて生きていたが、インドに人間が少なくなってきたので大和の国に行こうとしたところ、それを察知した日本の神が[[狐]]を[[天竺]]の権田河原に遣わし、獅子に『大和では人を食べる代わりに悪魔を退治すれば食べ物を与えられ、悪魔祓いの神としてあがめられるだろう』と諭し、狐が先導役になって日本にやってきた」とされる<ref>{{Cite web |url=http://www.town.kanra.gunma.jp/archives50/n_27.html |title=那須の獅子舞のいい伝え |work=甘楽町デジタルアーカイブ |publisher=甘楽町 |accessdate=2014-12-16 }}</ref>。演じられる際に、狐役が獅子舞を先導することから、この系統の獅子舞は稲荷流と呼ばれるようになった<ref>{{Cite journal |和書 |url=http://www.town.shimonita.lg.jp/gikai/m01/m03/m01/20101101-gikai-00.pdf |title=町の話題「鎌田の獅子舞」 |work=しもにた議会だより |publisher=[[下仁田町]] |page=8 |date=2010年秋号 |format=PDF |accessdate=2014-12-16 }}</ref>。
  
 
== 中国の獅子舞 ==
 
== 中国の獅子舞 ==

2018/8/24/ (金) 15:32時点における版

獅子舞(ししまい)とは、伝統芸能の一つで、祭囃子にあわせて獅子が舞い踊るものである。 16世紀初頭、伊勢国(三重県)で飢饉や疫病除けに獅子頭を作り、正月に獅子舞を舞ったのが発祥と言われている。その後、17世紀に伊勢より江戸へ上り、悪魔を祓い、世を祝う縁起ものとして江戸に定着。祝い事や礼で獅子舞が行われるようになった。 獅子舞が日本の各地に急速に広まったのは、室町時代から江戸時代初期に伊勢大神楽伊勢派(現代の伊勢大神楽講社)や熱田派(現代の江戸大神楽、水戸大神楽)が獅子舞を舞いながら全国を業脚し、悪魔祓いをしたのがきっかけであると言われている。

また本項では、中国の獅子舞(舞獅)、いわゆるライオンダンスについてもあわせて解説する。

起源

「シシ」とは古語では食用の肉のほかイノシシカノシシなど獣一般を指し、地域ごとに神や信仰と結びつけて考えられていた[1]。『日本書紀』には弘計王が鹿の角を奉じて舞った記述があり、日本には後述する「一人立の獅子舞」が「二人立の獅子舞」の到来以前から存在した[1]推古天皇20年(612年)に中国から日本に伎楽が伝えられたが、その演目の中に唐獅子の舞があり、当時は帥子と表記していた。帥子舞は舞場の邪気を祓う舞として伎楽の最初に演じられ、天平19年(747年)に提出された『法隆寺伽藍縁起并流記資材帳』では伎楽の道具の中には、五色の毛を植えた帥子頭と胴幕を持つ二人立の獅子が記されている[1]

日本の獅子舞

日本の獅子舞は、全土で行われておりバリエーションは多岐にわたる。日本で最も数が多い民俗芸能といわれている[2]。2000年代の調査では全国に約8000確認されているが、地方の過疎化東日本大震災などで減少していると考えられる[3]

獅子頭などは「獅子博物館」(埼玉県白岡市)や「ひみ獅子舞ミュージアム」(富山県氷見市)、「東京獅子博物館」(東京都檜原村)といった専門施設のほか、各地の博物館などで所蔵されている。

獅子舞で踊る獅子は、1人で1匹の獅子を演じる「一人立の獅子舞」、2人以上の演者で1匹の獅子を演じる「二人立の獅子舞」と、数人から10人ほどで1匹の獅子を演じる「むかで獅子」に分類される[2]。 「二人立」は古代に成立した外来の舞楽伎楽(ぎがく)系統や散楽から派生し曲芸や軽業と融合し御師と結びついた、伊勢大神楽に代表される大神楽系統が存在する。「一人立」は土着の芸能をもとに中世末から近世初期にかけて成立した風流(ふりゅう)系統といった芸能史的に異なる系統に分かれる[2]

富山県は全国でも獅子舞伝承数が屈指であり、2005年平成17年)では約1,170ケ所で受け継がれ現在も行われており、日本一多いとされ[4]、富山県教育委員会は、数多くの獅子舞から2005年(平成17年)に100選(実数 111ケ所)を発表している[5]

獅子の頭部(獅子頭=ししがしら)は製が多いが、和紙による張子のものや最近では発泡スチロールによるものもある。獅子頭職人の早川高師によると、江戸時代中期までの獅子頭は武家の災い除けの置物で、幕末以降、庶民の祭に獅子舞が広まったという。幅一程度の標準的な獅子頭を丸彫りでつくると重い(約10kg)ため、薄い部材を組み合わせる寄せ木づくりが編み出された。1.5kg程度に軽量化でき、修理もしやすい[6]井波彫刻で知られる富山県南砺市井波町では、上記のように富山県内で獅子舞が盛んに行われていることもあり、獅子頭の生産が古くから盛んで全国有数の産地である[7]

胴幕には獣毛の表現を保ったものと、様式化して獣毛を失ったものの二系統があり、前者は「毛獅子」などと通称される[1]

舞方は諸流派があり風流系(ふりゅうけい)、神楽系(かぐらけい)などが知られるが、他にも多くの舞があり同じ物は二つとないとも言える。

ファイル:伊勢大神楽獅子舞.jpg
伊勢大神楽の獅子舞

伎楽系の獅子舞

伎楽系(神楽系)の獅子舞は西日本を中心として全国的に分布し、胴体部分に入る人数で大獅子、中獅子、小獅子と区分される。大獅子では獅子を操作する人以外に囃子方も胴体に入って演奏する。小獅子では、獅子頭を操作する1人だけが胴体も兼ねる。正月に見る獅子舞や神楽での獅子舞をはじめ、一般に獅子舞というとこの系統の獅子舞を指すことが多い。

・太神楽系の獅子舞

三重県桑名市伊勢大神楽講社に代表される太神楽の系統である。民俗芸能として各地に伝播した他の系統と異なり、専従の芸能者並びに宗教者の系統である。ルーツに散楽の流れを汲んでおり、演目には獅子舞の他にも放下芸(曲芸)や萬歳(漫才)、軽業が取り入れられている。発祥地である桑名市伊勢大神楽講社は、江戸期に伊勢御師と結び付き御祓大麻(内宮)を配っていた事が分かっている。その他に熱田派の系統も存在し、それぞれが社中を組み全国各地を回ったが、現在は多くの社中が江戸太神楽・水戸大神楽へと発展し寄席の舞台芸として現在に至っている。

・沖縄の獅子舞

沖縄の獅子舞は沖縄県に主に分布している。中国風であり、2人が1匹を担当する伎楽系である。

風流系の獅子舞

風流系の獅子舞は関東東北地方に主に分布している。1人が1匹を担当し、それぞれがにくくりつけられた太鼓を打ちながら舞ったり、刀を持って舞う。 獅子頭は通常木製(製)で角があり、獅子以外に頭のものや鹿頭のものもある。 起源は古くからある鹿踊であり、獅子頭(ししがしら)も本来は鹿を模したものであったという説や、太鼓踊りあるいは陣役踊りの中心にいる数人が頭上のかぶり物を獅子頭に変えたものだという説などがある。

・三匹獅子舞

東京埼玉などのかつて武蔵国と呼ばれた地域で最も多いのは3匹1組の三匹獅子舞であり、農山村では一般的な郷土芸能民俗芸能となっている。3匹のうちの1匹は女獅子(雌獅子)と呼ばれ、雄獅子が雌獅子を奪い合う女獅子隠しという演目を持つところが多い。伴奏は、篠笛と竹でできたささらという楽器である。「ささら」をする人は舞庭の四方に配置され、この楽器を奏する。 「ささら」を欠く三匹獅子舞もある。 詳細は三匹獅子舞を参照。

・鹿踊、鹿舞

東北の一部には7~8頭以上で踊る鹿踊(ししおどり、しかおどり)、鹿舞(ししまい)という伝統芸能がある。 三匹獅子舞と類似点が多い。 詳細は鹿踊を参照。

言い伝え

風流系獅子舞の甘楽町秋畑の伝承では、「獅子はインドで人を食べて生きていたが、インドに人間が少なくなってきたので大和の国に行こうとしたところ、それを察知した日本の神が天竺の権田河原に遣わし、獅子に『大和では人を食べる代わりに悪魔を退治すれば食べ物を与えられ、悪魔祓いの神としてあがめられるだろう』と諭し、狐が先導役になって日本にやってきた」とされる[8]。演じられる際に、狐役が獅子舞を先導することから、この系統の獅子舞は稲荷流と呼ばれるようになった[9]

中国の獅子舞

ファイル:ChineseNewYearBoston07.jpg
春節フェスティバル出演風景(ボストン市の中華街にて)

中国において獅子舞のことを「舞獅テンプレート:繁体字簡体字: 舞狮拼音: wǔshī)」と呼ぶ。また、英語圏にチャイナタウンが多いこともあり、「ライオン・ダンスlion dance)」と呼ぶ際は、多くの場合こうした中国式のものを指している。

漢書』に

象人 若今戲魚蝦師子者也(象人は、今の魚蝦・獅子を戯するがごとき者也) — 礼楽志 巻22

とあり、これが最古の記録ではないかともいう[10]

現在演じられる形はの時代に確立された形で、北方の北獅と南方の南獅の系統(洪家拳の武術家で伝承され、五形拳から成り立つ)があり、競技もある。獅子頭と前足に1人、後ろ足と背中に1人の2人と楽団で構成されている。旧正月商店の開店祝いなどの祝いで「招福駆邪」として演じられる。

中国式の獅子舞は日本においては中華街や中国・台湾と関係の深い自治体・施設に獅子舞団が設置され(例 横浜[10])ありイベントごとに演じられる。ジャッキー・チェンの映画『ヤングマスター 師弟出馬』では南方のものが描写されている。 南方獅には、東南アジアでも華僑らによって行われていた勇猛で力強い仏山スタイル(仏山獅または瑞獅、劉備獅)と軽快で聡明な鶴山スタイル(鶴山獅または醒獅、関羽獅)がある。他に猛獅(張飛獅)がある。

日本の中国獅子舞団

  • 大阪龍師団(大阪府)-中国文化春暁クラブOB会

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 森田玲『日本の祭と神賑』創元社 2015年、ISBN 9784422230351 pp.130-133.
  2. 2.0 2.1 2.2 笹原亮二「三匹獅子舞の分布」、『国立民族学博物館研究報告』第26巻第2号、国立民族学博物館(みんぱくリポジトリ)、 NAID 110004413196、. 2014閲覧.
  3. 高橋裕一「獅子舞を未来へ、世界へ◇埼玉の自宅に博物館、存続に悩む各地のつなぎ役に◇」『日本経済新聞』朝刊2017年12月29日(文化面)
  4. 『ロカルちゃ!富山 Vol.12 祭編〜其の1〜』(富山県観光・地域振興局観光課)2014年3月発行 7P
  5. 『とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞』(富山県教育委員会 生涯学習・文化財室)2006年(平成18年)3月発行
  6. 早川高師「舞い踊れ 軽量なる獅子頭◇祖父から3代目 寄せ木づくりの手法を後世に◇」『日本経済新聞』朝刊2016年12月31日(文化面)
  7. 『ロカルちゃ!富山 Vol.12 祭編〜其の1〜』(富山県観光・地域振興局観光課)2014年3月発行 8P
  8. 那須の獅子舞のいい伝え”. 甘楽町デジタルアーカイブ. 甘楽町. . 2014閲覧.
  9. 町の話題「鎌田の獅子舞」 (PDF) 」 、『しもにた議会だより』、下仁田町、2010年秋号、 8頁、. 2014閲覧.
  10. 10.0 10.1 張玉玲「在日華僑の「中国文化」観と華僑文化の創出:横浜華僑による獅子舞の伝承形態から The Creation of Overseas Chinese Culture in Yokohama:The Changing View of Chinese Culture Through the Succession of Lion Dance (PDF) 」 、『国際開発研究フォーラム』第23巻、名古屋大学2003年3月、 223-242頁、 NAID 110000555494、. 2009閲覧.

参考文献

  • 『ロカルちゃ!富山 Vol.12 祭編〜其の1〜』(富山県観光・地域振興局観光課)2014年3月発行
  • 『とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞』(富山県教育委員会 生涯学習・文化財室)2006年(平成18年)3月発行

関連項目

外部リンク