木
木(き)とは、
Contents
概説
「き」「木」や「樹」というのは古代から用いられてきた呼称・概念である。
現代では、「木」は高木と低木の総称である[2]とも、木は大きさによって高木(喬木 きょうぼく)と低木(灌木 かんぼく)に区別する[1]、とも。 「木・樹」と言って、たちき(立木)を指していることもある[2]。また「木・樹」と言って、特に高木を指す場合もある。
現代の植物学では(素朴な言葉として用いられている「木」という語を避け、学術的な用語を用いる場合)「木本植物」という用語で呼んでおり[1]、これは「草(草本植物)」と対比する語である[1]。
高さは、高いものではたとえばオーストラリアのユーカリの一種や北米のセコイアオスギのように130mほどに達するものがあり、小さいものではフッキソウやヤブコウジのような例がある[1]。
高木が集まってできた植物社会が森林であり、地球の陸地のほぼ半分は森林で占められているものの、近年は伐採(森林破壊)が進行中である[1]。樹木が高い密度で集まっているものを密林、まばらに生育しているものを疎林と呼ぶが、基本的に樹木の生育できる気候において自然状態でまったく樹木が生育しないということは珍しく、何らかの形で樹木は生育している。ただし気候が限界を超えて寒冷であったり乾燥している場合、樹木は生育しない。
ケッペンの気候区分においては乾燥しすぎて樹木が生育しない地帯を乾燥帯、寒冷すぎて樹木が生育しない地帯を寒帯と呼び、樹木の生育する3気候(熱帯、温帯、冷帯)と区別する。ただし、これはあくまでも降雨量と気温による区分であり、乾燥帯においては外来河川やオアシスなど、降雨によらず水分を得ることのできる地点においては樹木は生育している。また、まれに樹木が発芽し十分に発育して地下の水脈に根を到達させたのちに周囲の気候が乾燥した場合、本来全く樹木が生育できる条件がないのもかかわらず樹木が存在することとなる。こうした例で最も著名なものの一つに、アフリカのテネレ砂漠に存在したテネレの木がある。この木は地球上でもっとも孤立したところに立っていた木として知られ、もっとも近い別の木から少なくとも200㎞は離れたところに立っていた。
木は古来、人間の生活・文化と密接な関係があり、洋の東西を問わず祭祀に何らかのかかわりを持っている[1]。
学術的な定義を巡って
大多数の専門家が同意するような明瞭な植物学的な定義は提唱されていない。
たとえば岩波生物学事典の【木本】の項では「茎および根において肥大成長により多量の木部を形成し、その細胞壁の多くが木化して強固になっている植物。草本と対する」としている[3]。ただし、この定義に厳密に従えば木かどうか迷うパパイヤなどはもちろん、ナス、キクなど一般には「草」として扱われる多くの植物が木になってしまう。しかも、これらも種に固有の性質ではない。ナス科、キク科、マメ科、アブラナ科などには、通常は草として生育しているが、条件がそろえば枯れることなく連続的に生長し、軸を肥大・木化させる種もたくさんある。例えば、ナスやトウガラシは温帯では草であるが、熱帯・亜熱帯では明瞭に灌木に分類される性質を示す。
一般的には顕花植物の双子葉植物で木本化するものは樹皮の裏側にある形成層のみが生きており、それの成長に基づき二次成長し肥大するのが木本とされる[4]が、単子葉植物の場合は、成長組織が幹内に拡散しているので、二次成長があっても、樹皮の裏側だけが成長している訳ではない。例えば、ドラセナの一種のリュウケツジュなどは推定3000年の古木があるが、単子葉植物なので、四季の有る場所で育てても年輪は出来ない。また、双子葉植物のバオバブは気温が常に暖かい場所に自生するが、雨季と乾季の成長差で年輪が出来る報告がある。
一方で明瞭な茎の肥大が認められないモウソウチク、ココヤシなどは、その地上部は強固かつ10mを超える「高木」になるが、木には分類されない。葉が合わさってできた偽茎が幹の代りになり、丈が高くなるバナナや、根が茎を補強することにより高くなるヘゴなども10メートル近くの「大木」になり、成長に従って「幹」が太くなるが、これらは木には分類されない。造園界樹木学上では「特種樹」として扱われている。
他によくされる議論としては以下のようなものがある。年輪ができる植物を木(木本類)、できない植物を草(草本(そうほん)類)と定義する。ところが、「パパイアの木」には年輪ができないので、「草」に分類される。ただし、年輪は、季節による寒暖の変化や、乾燥・湿潤の変化により組織の生長スピードが変化した結果生じるから、明らかに木であっても、連続的に生長する条件(熱帯雨林のように、1年を通じて寒暖等が変化しない環境で生長した場合など)では、年輪はできないか、非常に不明瞭なものとなる[5]。
さらに別の見解として、木とは非常に厚くなった細胞質を持つ死んだ細胞により生体が支持されている植物である、とするものがある。細胞が非常に厚い細胞壁を発達させ、死んで生体の支持に使われるようになることを木化、あるいは木質化という。具体的にいうと、いわゆる木材は、主として道管から成り立っているが、この道管は細胞壁が厚くなって、最後には細胞そのものは死んで、残った細胞壁がパイプの形で水をくみ上げる仕事を続けるものである。そのような部分をもつ植物が樹木だ、という判断である。上述の竹やココヤシなどは、これによれば木と見なされる。
しかし、現実にはほとんどの維管束植物で道管や仮導管の細胞壁は二次壁により肥大するため(つまり程度もの)、なにをもって「非常に厚い細胞壁」とするかは完全に恣意となり、厳密に適用すればほぼ全てが木に分類されてしまう。
上田弘一郎京大名誉教授(世界の竹博士)は『竹は木のようで木でなく、草のようで草でなく、竹は竹だ!』と力説していた[6]。 つまり、この発言も示すように専門家でも維管束植物を木か草に2分類するような定義は策定・同意しかねるものである。
進化的意味
木は陸上植物のみに見られる植物の形である。水中の植物にもコンブのように大きくなるものはあるが、それらは柔軟で細長い構造をしており、幹のような構造を持たない。これは、水中では体を支える必要がないこと、逆に陸上ではそれを支える仕組みなしには生存できないことによる。陸上生活を行うために、植物は空気中で広げられる葉や、それを支える茎、それに体を固定し保持し、水を吸い上げる根を発達させた。そのことで体を空中に突き出すことができるようになったことが、今度は他者より高い位置に出てその上に葉を広げる競争を生み出したのであろう。そしてこれを大規模に行うための適応が、木質化や肥大成長であり、それを支える根もさらに発達し、そのような構造を獲得することで植物は地上でもっとも背の高い生物となり得た。また、胞子による繁殖から種子の形成に至る生殖方法の進化は、自由な水に依存しない生殖を確保する方向の進化といわれるが、同時にそのような構造が地表をはるかに離れた枝先に形成されるようになったことの影響も考えられる。
生態学的意味
樹木は、それが可能な条件下では、ほとんどの陸上環境において、その地で最も大きくなる植物である。樹木が生育すれば、それによって地面は覆われ、その下はそれがない場合とははるかに異なった環境となる。これによって形成される相観、あるいはそこに見られる生物群集を森林という。したがって、樹木の生育は、ある面でその地域の生物環境の重要な特徴を形成する。気候や生態系をそこに成立する森林の型で分けるのはそのためである。
また、樹木は、その体を支持するために太くて固い幹を持つ。この部分はその群集、あるいは生態系における生物量の大きな部分を占める。つまり、木は生産物を多量に蓄え、保持するという点で、極めて特異な生産者である。その資源の大部分はセルロースとリグニンという、いずれも分解の困難な物質であり、しかも頑丈で緻密な構造を作るため、これをこなせる生物は少ない。菌糸をのばし、その表面で消化吸収を行なうという生活の型をもつ菌類は、この資源を利用して進化してきたという面がある。それを含めて、この資源を巡っては、分解者と呼ばれるような、独特の生物の関わりが見られる。そこに生息する動物にも、シロアリやキクイムシなど、菌類や原生生物との共生関係を持つものがある。
他方、太くて高く伸びる茎や、細かく分かれた枝葉は、他の生物にとっては複雑で多様な構造を提供するものであり、生物多様性の維持に大きな意味をもつ。また、森林において、生産層は樹木の上部に集中する。しかし、それら地上に離れ離れに存在する幹から伸びたものである。したがって、ここを生息の場とする場合、場所を変えようとすれば、飛ばない限りは、一旦地上におりなければならない。これは大変なエネルギーロスである。動物の飛行や滑空の能力の発達は、ここにかかわる場合も多いと考えられる。
分類学的意味
樹木になる植物は、シダ植物と種子植物のみである。コケ植物には樹木はない。
シダ植物には、古生代にはリンボクなど多数の樹木が存在したが、それらの子孫はごく小型の草本として生活している。現在のシダ類で大型になるのは、ヘゴなど、いわゆる木生シダである。ただし、その茎は肥大成長を行うことがなく[7]、下部は表面を覆う根に支えられている。
裸子植物の祖先とされるシダ種子植物も大型で、裸子植物のほとんどが木本である。中生代の地上を覆ったのは、裸子植物の森林であった。それ以降は、その後に出現した被子植物に、多くの場所で取って代わられ、裸子植物は、寒冷地などにその勢力の多くを保持している。
被子植物は木本のものも草本のものもあるが、どうやら草本の性質は木本から二次的に出現したと考えられている。特に双子葉植物に木本のものが多い。非常に多くの群があるが、森林の形成から見ると、ブナ科植物が重要である。
単子葉植物は大部分が草本である。樹木的外見を持つものはあるが、多くは普通の意味での木本はなく、いずれも特殊な構造をしている。バナナは茎ではなく偽茎で、葉鞘が重なり合ったものである。イネ科のタケは草本のままであるが、木質化が強く、木本・草どちらとも取れる[8]。ヤシ科、タコノキ科などはより木本であるが、二次成長のための構造がないため、茎は太っていかない。センネンボクなどは特殊な維管束形成層を発達させ、肥大成長をするため、木本といっていい。
種類
樹木はその性質によって様々に分類される。葉の形状によっても、樹木は葉の細い針葉樹と葉の広い大きく広葉樹とに大きく二分される。広葉樹は温暖な熱帯から温帯にかけて広がり、夏緑樹林、硬葉樹林、照葉樹林などの樹林を形成する。針葉樹は寒冷な地域に適応した樹種であり、温帯北部から冷帯にかけて広大な針葉樹林を形成する。
落葉の有無については、一年中葉をつけている常緑樹と、季節により葉をすべて落とす落葉樹とに大別される。落葉樹は一年ごとにすべて葉を落とすが、常緑樹の葉も生えかわらないわけではなく、おおよそ3年から5年で古い葉を落とす[9]。常緑樹はさらに、広い葉をもつ常緑広葉樹(ツバキ、タブノキ、クスノキなど。常緑広葉樹林を造る)と、細い葉を持つ常緑針葉樹(耐寒性があり温帯北部から冷帯に分布する。モミ、トウヒなど)に分かれる。落葉樹も同様に、温帯に分布する落葉広葉樹(ブナ、ミズナラなど)と冷帯北部に分布する落葉針葉樹(カラマツ、メタセコイアなど)に大別される。
樹木の常緑と落葉は、その地域の気候条件によって左右される。植物の生育に特に不利な期間がない場合、葉を落とす必要がないため常緑となる。熱帯雨林が常緑樹によって構成されるのはこのためである[10]。温帯のうちでもそれほど強い乾燥や寒気にさらされない場合は、乾燥に適応した硬葉樹や寒気に適応した照葉樹などのように、ある程度抵抗力を備えた常緑の葉を茂らせている場合が多い[11]。しかし温帯のうちでも強い乾季や寒冷な冬など、葉をつけたままでは不利になる期間の多い地域においては落葉樹が優勢となる。しかし冷帯に入ると、1年で葉を落として再び茂らせるだけの余裕がなく光合成ができるようになった場合にはすぐにそれを開始しなければならないため、樹木は再び常緑となる。しかし冷帯でも寒帯にほど近い地域になると、冬の寒気があまりにも厳しすぎるため葉を落とさざるを得なくなり、落葉針葉樹が生育するようになる[12]。
構造
木の基本的な構造は、草とそれほど変わるものではない(上述)。すなわち光合成を行い糖を生産する葉と、地中深くに伸びて養分と水を吸収する根、そしてその二つをつなぎ養分や水を送る構造を持つ硬い幹をもち、そこから幾本もの枝を伸ばす。幹は木質化し、次第に太く成長する。幹のもっとも外側には外樹皮があり、これが木の表面を覆っている。そのすぐ内側にある内樹皮は師部とも呼ばれ、葉で生産された養分を根や木全体へと運んでいる。その内側には形成層が存在し、ここで行われる細胞分裂によって木は年々太くなっていく。形成層の内側は木部となり、基本的には死んだ細胞によって構成されるが一部生きた細胞も存在する[13]。木部は外側の辺材と内側の心材とに大別され、辺材部分において根から吸収された水分を木全体へと輸送している。ただしこの輸送は辺材全体で行われるのではなく、そのほとんどがもっとも外側の辺材(最新の年輪)の部分によって行われる[14]。また、年輪において色の薄く幅広い部分は早材と呼ばれ夏季に成長した部分、色が濃く狭い部分は晩材と呼ばれ冬季に成長した部分である。早材の部分は主に水を通し、晩材の部分は通水よりも木全体の強度の増進に役だっている[15]。辺材はやがて内側から徐々に心材へと変化していく。心材部分において通水は行われず、木全体を支える役割を果たすことになる。
木と文化
木は古代から豊穣なイメージを提供している主題であり、現代でもそうありつづけている。特に大きな樹木を神聖視して、神木として祭り崇めることを巨木信仰という。世界樹のように天に届く木や、世界を支える木に関する神話伝説[16]があちこちに見られる。単独の樹木ではなく、森林、あるいはそれを置く山を信仰の対象とする場合もある。
木は、自然の事物のうちでもっとも豊富でもっとも広範囲にわたる象徴をもつ主題のひとつだ、と飯島・濱谷らは指摘している[17]。人類のあらゆる時代、あらゆる地方の文化で木は主題として現れるが、それを大まかに要約すると、中心軸、生命と豊穣、元祖のイメージ、に大別することも可能であると飯島らは指摘した[17]。分類のしかたは他にもいくつもあろうが、ここでは便宜的にそれを採用して説明を進めてみる。
- 中心軸
- 樹木は、多くの民族の文化において、地と天空をつなぐ axis mundi(宇宙軸、世界軸)と考えられた[17]。ミルチア・エリアーデはこれを《中心のシンボリズム》と定義した[17]。こうした宇宙軸の観念は、紀元前4000-3000年ころにはすでにあり、樹木にかぎらず柱、棒、塔、山などは、みな同様のシンボリズムを共有していたのである[17]。樹木というのも根が地下に張り枝は天空に伸びるためにそのシンボリズムを共有していたのである[17]。
- ガリアのケルト人(フランス語ではゴール人)はオーク、ゲルマン人は菩提樹、イスラム教徒はオリーブ、インド人は「バニヤン」と呼ばれるイチジク、シベリアの原住民族はカラマツを、それぞれ聖なる木として崇拝していた[17]。これらの木は、世界の軸、つまり天と地が結ばれる場で神性の通り道としてされたのである[17]。
- 生命力と豊穣のシンボル
- インドでは、樹液は地母神の乳とされ、すべての木を流れ果実をみのらせるソーマあるいはアムリタである[17]。古代西アジアでは大地の女神イシュタルの恋人は植物神の木であり、イシュタルと木がヒエロス・ガモス(聖婚)を行うことによって大地は春の再生と冬の種子ごもりを繰り返す[17]。
- 聖書(キリスト教)では、エデンの中心に生命の樹と知恵の樹が並んでいたが、これらはしばしば一本の木や並び立つ木として表現され、人間の生と死を象徴する[17]。またキリスト教では、十字架はしばしば永遠の生命を表す一本の木として表現されている[17]。
- 元祖のイメージ
- 『イザヤ書』の11章に描かれる《エッサイの木》はユダヤ人の歴史を象徴している[17]。そしてこのエッサイの木は中世のキリスト教で数多く表現されたイメージであり、エッサイの腰から生えた木には、マリアとキリストが実っている[17]。ここから、ひとりの男の体から育つ木のイメージによって元祖や祖型およびそこから分岐・発展してゆくさまを図示する伝統が生じた[17]。
- 現代の想像力への寄与
- 木は近・現代でも人間の想像力をつねにかきたててきた[17]。
- シュルレアリストのマックス・エルンストは森の連作を描いたが、これはロマン派と中世神秘主義を継承したもので、文明に侵されない人間精神の根源を象徴するという[17]。ピエト・モンドリアンも、木の連作により宇宙的シンボリズムを抽象化した[17]。パウル・クレーとワシリー・カンディンスキーは木を芸術的創造のプロセスにたとえた[17]。
- 日本語の植物名は、サカキ、エノキ、ヒノキ、ケヤキ、ツバキ、イブキ、ミズキ、サツキ、アオキ、エゴノキ、マサキ、カキ、ウツギ、ヤナギ、ヤドリギ、スギ、クヌギなど、「キ」または「ギ」で終わるものが少なくない。
木の利用
素材
人類にとって木は最も身近にある存在のひとつであり、木をそのまま、あるいは素材として、有史以前からさまざまな用途に使用してきた。
木の利用として最も一般的なものは、木を切り倒して木材とすることである。木材は建築材や家具、楽器やスポーツ用品、各種日用品などさまざまな道具の材料として利用される。材木の供給を求めての人工林も作られる。内装に無垢材を使用した家はシックハウス症候群対策に再び見直されはじめた。また、フィトンチッドと総称される木の発する香りはリラックス効果が認められている[19]。沈香や白檀などの芳香を持つ木は香木として古来より珍重され、これらの香を楽しむ香道と呼ばれる芸道も日本には存在する。中世に入り蒸留法が一般化すると、こうした香り成分を蒸留して精油(エッセンシャルオイル)と呼ばれる芳香成分を抽出することが広く行われるようになり、食品や化粧品、薬、そしてアロマテラピーなどで盛んに使用されるようになった[20]。
また、人類の歴史のはじめから、燃料としても利用されてきた。木をそのまま切ったのち乾燥させたものは薪と呼ばれ、人類のもっとも基本的な燃料の一つとなった。さらにこの木を蒸し焼きにして炭化することで、燃料としての有用性を高めたのが炭(木炭)である[21]。木炭は石炭が燃料の主役となるまで世界で広く使用され、現代においても一部で使用されることがある。先進国においては電気やガスが完全に燃料の主体となり、木を燃料とすることは特殊な状況を除きそれほど行われなくなっているが、こうしたインフラの整っていない発展途上国においては木はいまだに燃料の主役となっている。しかしこうした薪炭用の木材使用は途上国における森林破壊の主因の一つとなっている[22]。また、先進国においても2000年代以降、地球温暖化や原油価格の高騰などによって再生可能エネルギーが注目されるようになり、木もその一部として木質ペレットのように固形化したり、セルロースを分解してバイオマスエタノールの原料にするなどの方法で再び燃料としての注目度が高まっている[23]。なお、木を直接燃やすほかに、ハゼノキやシロダモ、ウルシの実から蝋を取って木蝋とし、ろうそくの原料とすることもかつては広く行われ、現代においても使用されることがある[24]。
樹皮もまた、古来より様々な用途に用いられた。樹皮からは長い繊維が取れるため、オヒョウの樹皮から作られるアイヌ人のアットゥシや、カジノキから作られる南太平洋のタパのように、樹皮から布や服を作ることも行われた。カジノキの樹皮は紙の原料として中国で使用され、日本においてもカジノキの近縁であるコウゾが和紙の主原料として使用された[25]。樹皮ではなく木全体の繊維を使用するようになったものの、木はいまだに紙の主原料であることには変わりなく、木材の消費において大きな部分を占めている。木を基盤とした製材業・木材工業・製紙業はいずれも現代工業の中である程度の割合を占めている。また、木を焼くと初期の化学工業に重要であった灰を生産することができ、これが近代化以前のヨーロッパにおいてガラス工業が森林に立地する理由となった。木はこのほかにも、加熱処理を行うことで様々な化学物質を生産することができる。この処理は木炭生産に付随して行うことができ、19世紀にいたるまでは、木炭生産の副産物として酢酸やメタノール、アセトン、テレピン油、クレオソート、ピッチなどが生産されていた。こうして木材の利用から初期の化学工業が成立したが、やがてコークス生産時に出るコールタールや石油に原料の座をとってかわられることとなった[26]。
このほか、木を傷つけてそこから流れだす樹脂を使用することも広く行われている。こうした利用のうち最も重要なものはゴムの採取であり、電気機械や輸送機械の発展に非常に重要な役割を果たした。合成ゴムが開発されると天然ゴムの重要性は低下したが、現代においても採取は行われている。樹液の利用としては、ウルシの木から採取される漆は塗料として漆器などに使用され、松脂およびそれからできるテレピン油とロジンも各種用途に使用される。コルクガシは樹皮をコルクとして使用する。
食用・薬用
上記のような素材としての利用のほか、木をそのまま食料源とすることも広く行われる。木質化している部分は人間の食糧として使用することはできないが、若葉や果実、塊茎などさまざまな部分が人類の食糧として使用されてきた。なかでも木の食糧利用として最も重要なものは、果実を果物として使用することである。果物が収穫できる木(果樹)はしばしば田や畑のように一定の区画にひとつの種を集めて栽培され、その区画は果樹園と呼ばれる。果物を収穫するためにブドウやリンゴ、柑橘類などさまざまな果実が栽培されている。このほか、アーモンドやピスタチオなどのように種子をナッツとして食用とすることも行われる。ナッツにはアーモンドやクルミのように油脂を主成分とするものと、クリやトチのようにデンプンを主成分とするものがあり、とくに後者は非農耕社会や山村においては主食として大きな役割を果たしてきた[27]。
直接食用のほか、アカシアなどの木はミツバチが集める蜂蜜の蜜源としても使用される。サトウカエデやサトウヤシのように、樹液から砂糖やメープルシロップといった甘味料を採取できる木もある[28]。セイロンニッケイ(シナモン)の樹皮やコショウの種子のように、香辛料として使用される木もある。アブラヤシの木からパーム油、ココヤシからココナッツオイルといった油脂を採取できる木もあれば、カカオやコーヒーノキといった嗜好品生産になくてはならない木もある。
2018年には木に酵素と酵母を加えて発酵させ、木の香りのある酒を作る技術が森林総合研究所で開発された[29]。
特殊な利用法として、サゴヤシの木からは木質化した樹幹に蓄えられているデンプンを採取し主食とする[30]。
他
生きた木は木陰を作り、日除け、風除けとして利用できる他、果実や葉、樹液や幹が食糧となる種もあり、人家周辺に木を植える事は世界に広くおこなわれている。地域によってその有り様は様々である。
潤いと木陰を求めて樹木を栽培することもよく行なわれる。市街地の道路に沿って植栽されたものを街路樹、道路の他、河川や単に並んで生えているものは並木、庭の仕切りとするものを生垣、家を覆うように作られるのが屋敷林といったふうに、様々な呼び名がある。また、屋敷林とは別に、住居に付属する庭園に庭木を植栽し、美観を整えることは広く行われている。こうした用途に使用するための樹木の栽培は、園芸農業の重要な一部分を占めている。世界の各地には開発や災害などから逃れ長い時間生き延びた巨木や老木が多く存在しており、一部は保護対象や観光名所となっている。
また、近年地球温暖化の危険性が叫ばれる中で、樹木の効用が注目されるようになってきている。樹木は光合成によって大気中の二酸化炭素を吸収し自身を成長させているため、樹木を増やすことは温暖化対策として非常に有効なもののひとつである[31]。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 平凡社『世界大百科事典』vol.6, p.528【き 木】岩槻邦男 執筆箇所。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 『広辞苑』 第五版 p.620, 「き 【木・樹】」
- ↑ 『岩波 生物学事典』第四版、p.1403【木本】
- ↑ 「基礎から学ぶ 森と木と人の暮らし」p52 NPO法人共存の森ネットワーク企画 鈴木京子・赤堀楠雄・浜田久美子著 農山漁村文化協会 2010年3月10日第1刷
- ↑ 「基礎から学ぶ 森と木と人の暮らし」p57 NPO法人共存の森ネットワーク企画 鈴木京子・赤堀楠雄・浜田久美子著 農山漁村文化協会 2010年3月10日第1刷
- ↑ 尾池和夫 (2007年4月6日). “京都大学-大学の紹介/総長室 2007年4月6日 大学院入学式 式辞”. . 2008年4月9日閲覧.
- ↑ 「樹木学」p38 ピーター・トーマス 築地書館 2001年7月30日初版発行
- ↑ 「基礎から学ぶ 森と木と人の暮らし」p53 NPO法人共存の森ネットワーク企画 鈴木京子・赤堀楠雄・浜田久美子著 農山漁村文化協会 2010年3月10日第1刷
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- ↑ 「絵でわかる樹木の知識」p55 堀大才 講談社 2012年6月20日第1刷発行
- ↑ 「樹木学」p28-29 ピーター・トーマス 築地書館 2001年7月30日初版発行
- ↑ 「樹木学」p34-35 ピーター・トーマス 築地書館 2001年7月30日初版発行
- ↑ 「絵でわかる樹木の知識」p6 堀大才 講談社 2012年6月20日第1刷発行
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- ↑ 17.00 17.01 17.02 17.03 17.04 17.05 17.06 17.07 17.08 17.09 17.10 17.11 17.12 17.13 17.14 17.15 17.16 17.17 17.18 17.19 17.20 17.21 17.22 平凡社『世界大百科事典』vol.6, p.528-529 【き 木】 飯島吉晴および濱谷稔夫 執筆箇所
- ↑ 森と樹木と人間の物語: ヨーロッパなどに伝わる民話・神話を集めて p42
- ↑ 「基礎から学ぶ 森と木と人の暮らし」p77 NPO法人共存の森ネットワーク企画 鈴木京子・赤堀楠雄・浜田久美子著 農山漁村文化協会 2010年3月10日第1刷
- ↑ 「基礎から学ぶ 森と木と人の暮らし」p77 NPO法人共存の森ネットワーク企画 鈴木京子・赤堀楠雄・浜田久美子著 農山漁村文化協会 2010年3月10日第1刷
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- ↑ 「基礎から学ぶ 森と木と人の暮らし」p29-30 NPO法人共存の森ネットワーク企画 鈴木京子・赤堀楠雄・浜田久美子著 農山漁村文化協会 2010年3月10日第1刷
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