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- コンゴ共和国
- République du Congo
- 国の標語:Unite, Travail, Progres
(フランス語: 統一、労働、進歩)
公用語 | フランス語 |
---|---|
首都 | ブラザヴィル |
最大の都市 | ブラザヴィル |
独立 - 日付 | フランスより 1960年8月15日 |
通貨 | CFAフラン (XAF) |
時間帯 | UTC (+1)(DST:なし) |
ISO 3166-1 | CG / COG |
ccTLD | .cg |
国際電話番号 | 242 |
コンゴ共和国(コンゴきょうわこく)は、中部アフリカに位置する共和制国家。東にコンゴ民主共和国、北にカメルーンと中央アフリカ、西にガボン、南にアンゴラの飛地カビンダと国境を接している。首都はブラザヴィル。
二つのコンゴとアンゴラ北部は15世紀頃まではコンゴ王国の一体的な領域だったが、16世紀にポルトガルによる征服を経た後に、19世紀のベルリン会議でベルギー領(現在のコンゴ民主共和国)とフランス領(現在のコンゴ共和国)とポルトガル領に分けられた。1970年から1991年までの期間は左翼クーデターによりコンゴ人民共和国だった。
Contents
国名
正式名称はフランス語で République du Congo (レピュブリク・デュ・コンゴ)。
公式の英語表記は Republic of the Congo (リパブリク・ァヴ・ザ・コンゴ)。
日本語の表記はコンゴ共和国。
1960年から1964年の間、現在のコンゴ民主共和国も「コンゴ共和国」を正式国名としており[2][3][4]、区別のために首都名を付してコンゴ・ブラザヴィル等と呼ばれた。一方、コンゴ民主共和国がザイール共和国と改称していた1971年-1997年の期間はコンゴ(人民)共和国を指す通称として単にコンゴとも呼ばれていた。
歴史
フランス植民地時代
- 1882年 フランス領コンゴ(1882年 - 1903年)
- 1903年 中央コンゴ(1903年 - 1910年)と呼ばれるようになる
- 1910年 フランス領赤道アフリカ(1910年 - 1959年)の一部となる
- 1946年 フランス議会に議席を獲得
- 1958年 フランス共同体内の自治共和国になる
独立
- 1960年 コンゴ共和国として正式独立
- 1963年8月13日 - 首都ブラザヴィルで人民が蜂起。「8月革命」が起こり、わずか3日間で大統領フルベール・ユールー政権を打倒した。これは「栄光の3日間」としてコンゴの歴史に刻まれている。
- 1963年8月16日、マサンバ=デバ政権(1963年 - 1968年)が誕生し、外国系企業の国有化、フランス軍基地の撤去、「経済開発計画」(1964~1969年)に基く工業化、古い国家機構の改革など、民族民主革命を実行する政策を追求する社会主義路線を歩んだ[5]。
- 1968年 憲法を改正
- 1969年12月 - 国名を「コンゴ人民共和国」と改め、マルクス=レーニン主義に基づく国造りを進める。
- 1977年3月 - ングアビ暗殺事件。首謀者とみなされたマサンバ=デバも軍部に処刑された。
- 1977年 - ヨンビ=オパンゴ政権(1977年 - 1979年)が誕生
サスヌゲソ政権
第一次サスヌゲソ政権
体制崩壊とコンゴ共和国内戦
- 1991年 - 共産主義を放棄して国名を「コンゴ人民共和国」から独立時の「コンゴ共和国」に戻し、国旗も変更された。
- 1992年 - リスバ政権(1992年 - 1997年)が誕生
- 1993年 - コンゴ共和国内戦(1993年 - 1995年12月、1997年6月 - 1999年12月)
第二次サスヌゲソ政権
政治
コンゴ共和国の政党(コンゴきょうわこくのせいとう)には、次のものがある。
- コンゴ労働党 (Parti Congolais du Travail、Congolese Labour Party)
- 社会民主主義パン・アフリカン連合 (Union Panafricaine pour la Démocratie Sociale、Pan-African Union for Social-Democracy)
- コンゴ民主統合発展運動 (Mouvement congolais pour la démocratie et le développement intégral、Congolese Movement for Democracy and Integral Development)
- 民主救済会議 (Convention pour la Démocratie et le Salut、Convention for Democracy and Salvation)
- 統一民主勢力 (Forces Démocratiques Unies、United Democratic Forces)
- 民主共和連合 (Union pour la Démocratie et la République-Mwinda、Union for Democracy and Republic)
- 民主改革連合 (Union pour la Renouveau Démocratique、Union for Democratic Renewal)
- 民主開発連合 (民主発展連合、Rassemblement pour la démocratie et le développement、Rally for Democracy and Development)
地方行政区分
コンゴ共和国は、首都のブラザヴィル (Brazzaville) と10の地方(フランス語:région)に分かれている。括弧内の地名は当該地方の中心都市である。
- ブエンザ地方 Bouenza (マディング、Madingou)
- キュヴェト地方 Cuvette (オワンド、Owando)
- 西キュヴェト地方 Cuvette-Ouest (エウォ、Ewo)
- クイルー地方 Kouilou (ポワントノワール, Pointe-Noire)
- レクム地方 Lékoumou (シビティ、Sibiti)
- リクアラ地方 Likouala (アンフォンド, Impfondo)
- ニアリ地方 Niari (ルボモ, Loubomo)
- プラトー地方 Plateaux (ジャンバラ, Djambala)
- プール地方 Pool (キンカラ, Kinkala)
- サンガ地方 Sangha (ウェッソ, Ouésso)
主要都市
地理
国土の約半分は熱帯雨林の生い茂るコンゴ盆地であり、南西部にクイルー川流域平野、中南部およびガボンとの国境地帯は山地と高原サバナになっている。気候は全般的に高温多湿で、首都ブラザヴィルの年平均気温は25℃、年降水量は1,367mmである。
経済
鉱業
天然ガス、カリ鉱石、鉛、亜鉛などの資源も存在するが、開発はあまり進んでおらず、GDPの5割以上、輸出額のほとんどを石油、木材に頼っている状況である。石油の生産は、ギニア湾に面したクイルー地方に集中しており、他の地域との経済格差も大きい。
また1990年代後半は出所不詳のダイヤモンド原石の輸出もみられるようになり、紛争ダイヤモンドの横流し輸出が行われているのではないかとの指摘もなされるようになった。2004年に、紛争ダイヤモンドの流通防止を行うワールド・ダイヤモンド・カウンシルは、現地視察の結果を踏まえ、コンゴ共和国からのダイヤモンドの輸入を控えるよう呼びかけている。
農業
自給自足的で、国民の基礎食糧となるキャッサバの生産が盛んに行われている。商品作物はサトウキビ、ナンキンマメ、タバコ、アブラヤシ、コーヒー、カカオなどがある。
国民
民族
コンゴ共和国の住民の内、コンゴ人が48%、サンガ人が20%、ンボシ人が12%、テケ人が17%となり、ヨーロッパ人やその他(ピグミーは2%[6])が3%となる[7]。
言語
公用語はフランス語であり、コンゴ語やリンガラ語、ムヌクツバ語などが話され、その他にも地方諸語が存在する[7]。
宗教
国民の宗教動態は、カトリック教会を中心としたキリスト教が50%、アニミズムが48%、イスラム教が2%である[7]。
教育
2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は83.8%(男性:89.6%、女性:78.4%)である[7]。2005年にはGDPの1.9%が教育に支出された[7]。
主な高等教育機関としてマリアン・ングアビ大学(1971)の名が挙げられる。
保健
コンゴ共和国における2007年のHIV感染者は推計で79,000人であり[7]、感染率は3.5%である[7]。2010年のコンゴ共和国人の平均寿命は54.54歳(男性:53.27歳、女性:55.84歳)である[7]。
文学
ソニー・ラブ=タンシの『一つ半の生命』(1979)は、発表以降のアフリカ文学全体に多大な影響を及ぼした[8]。
音楽
祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Jour de l'an | |
イースターの日曜日の次の月曜日 | イースターの月曜日 | Lundi de Pâques | |
5月1日 | メーデー | Fête du Travail | |
イースターから40日後の木曜日 | キリストの昇天 | Ascension | 復活したイエズスの昇天 |
イースターの後の第7日曜日 | ペンテコステ | Pentecôte (et Lundi de Pentecôte) | 聖霊が使徒の間に降臨 |
6月10日 | 国民最高会議記念日 | Fête de la commémoration de la conférence nationale souveraine | |
8月15日 | 国民記念日と聖母の被昇天 | Fête Nationale & Assomption | |
11月1日 | 諸聖人の日 | Toussaint | |
12月25日 | クリスマス | Noël | イエズス・クリストゥスの生誕 |
著名な出身者
- ジャン・セルジュ・エッスー - 音楽家
- ソニー・ラブ=タンシ - 作家
- エマニュエル・ドンガラ - 作家
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
- ↑ “Constitution de la République Démocratique du Congo du 1er août 1964 (1964年8月1日のコンゴ民主共和国憲法)” (フランス語). Global Legal Information Network (1964年). . 2012年6月12日閲覧.
- ↑ Thomas Turner (1993年). “Chapter 4 - Government and Politics: Postindependence Political Development” (英語). A Country Study: Zaire (Former). アメリカ議会図書館. p. 3. . 2012年6月12日閲覧. “Zaire was formally called the Republic of the Congo from independence to August 1, 1964, when it became the Democratic Republic of the Congo.”
- ↑ “Burundi–Democratic Republic of the Congo (Zaire) Boundary (PDF)” (英語). International Boundary Study. アメリカ合衆国国務省情報調査局 (1965年4月30日). . 2012年6月12日閲覧. “The name of the Republic of the Congo was officially changed to the Democratic Republic of the Congo on August 1, 1964.”
- ↑ 岡倉登志『アフリカの歴史-侵略と抵抗の軌跡』明石書店 2001年
- ↑ Les pygmées du Congo en "danger d'extinction" (フランス語)
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 7.6 7.7 CIA World Factbook "Congo, Republic of the" 2010年11月8日閲覧。
- ↑ 元木淳子「1980年代のコンゴの状況と文学──ソニー・ラブ・タンシを中心に」『フランス語フランス文学研究』67号、日本フランス語フランス文学会 、1995年10月。p.82。
参考文献
関連項目
外部リンク
- 政府
- コンゴ共和国政府 (フランス語)
- 日本政府
- 日本外務省 - コンゴ共和国 (日本語)
- 研究
- コンゴのピグミー (英語)(イタリア語)
- その他
- ウィキボヤージュには、コンゴ共和国(フランス語)に関する旅行情報があります。
- オープンストリートマップには、コンゴ共和国に関連する地理データがあります。
- テンプレート:OIF