日本山妙法寺大僧伽

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日本山妙法寺大僧伽(にっぽんざんみょうほうじだいさんが)は、藤井日達創設の法華宗系の宗教団体。東京の日本山妙法寺多摩道場に事務局が置かれている。世界各地で平和運動を展開していることで知られる。新しい寺が建立されても日本山妙法寺という名称で統一している。

歴史

  • 1917年(大正6年)藤井日達により、満州遼陽に日本山妙法寺を建立する。
  • 1953年(昭和28年)宗教法人法により、日本山妙法寺大僧伽と公称する。
  • 1985年(昭和60年)藤井日達死去。

世界平和塔の建立

日本国内外に世界平和塔(仏舎利塔)を建立。

三里塚平和塔

ファイル:成田平和仏舎利塔20131013.jpg
移転後の三里塚平和塔(成田平和塔)
日本山妙法寺大僧伽の位置
三里塚平和塔(成田平和塔)の位置

妙法寺は「平和・非暴力」による新東京国際空港(現・成田国際空港建設反対運動に加わっていた。

1967年の夏ごろから妙法寺の佐藤行通が反対運動のシンボルとして平和の塔を建設することを発案した[1]三里塚芝山連合空港反対同盟の小川明治が奉賛会を作るなどして支援して[2]1968年4月29日に着工、建設の申請を受けていない千葉県成田土木事務所が手をこまねいているうちに工事を進め、翌年7月7日に4000メートル滑走路の建設予定地に完成した[1]

塔に据え付けられたスピーカーからは僧侶の読経団扇太鼓の音が大音量で流されただけでなく、塔が障害となって計器着陸装置が使えないようになった。当時ベトナムで行われていた焼身自殺を念頭に、「平和の塔を代執行で壊すなら、自分の体に電線を巻き付け、抗議の電気自殺をする」と公言する僧侶もおり、空港建設の障害となったまま手が付けられない状態が続いた[1]

今井栄文新東京国際空港公団総裁からの親書を受けた藤井日達が1972年に現地を初めて視察、空港施設のほとんどが出来上がっているのを目の当たりにした藤井は塔の移転に同意。結果、平和塔は同年11月15日に現在の航空科学博物館の隣接地(千葉県成田市東三里塚)にサイズを小さくして移転した[1]。移転地には日本山妙法寺の道場もある。平和塔の移転に際しては、日本山妙法寺と丹羽喬四郎運輸大臣川上紀一千葉県知事、今井栄文新東京国際空港公団との間で「空港の軍事利用を行わない」旨が記された「取極書」が交わされた。

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 東京新聞千葉支局/大坪景章 編『ドキュメント成田空港』東京新聞出版局、1978年、100-102頁。
  2. 北原鉱治『大地の乱 成田闘争―三里塚反対同盟事務局長の30年』 お茶の水書房、1996年、40頁。

外部リンク

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