デリー
デリー連邦直轄地 Delhi | |
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位置 | |
デリーの位置 | |
座標 : 東経77度13分48秒北緯28.61度 東経77.23度 | |
行政 | |
国 | インド |
市 | デリー連邦直轄地 |
地理 | |
面積 | |
市域 | 1,483 km2 (573 mi2) |
標高 | 239 m (784 ft) |
人口 | |
人口 | (2011年[1]現在) |
市域 | 16,787,941人 |
人口密度 | 12,591.71人/km2(32,612.39人/mi2) |
都市圏 | 21,753,486[2]人 |
公式ウェブサイト : delhigovt.nic.in |
デリー連邦直轄地(デリーれんぽうちょっかつち、ヒンディー語: दिल्ली [d̪ɪlliː]、英語: Delhi [ˈdɛli])
インド北部にある中央政府の直轄地。ガンジス川平原西奥部,ジャムナ川西岸に位置。デリー区,ニューデリー区,デリーカントンメントの3行政区に分かれており,デリー区は旧市街が中心であるため通称オールドデリーと呼ばれる。ニューデリー区には連邦政府の役所が集中し,インドの首都となっている。デリー (オールドデリー) は,前 15世紀から名を知られ,アーリア人のインド侵入期,ヒンドゥー王朝時代を通じて重視された。 13~16世紀にはデリー・サルタナットの首都となり,1648年ムガル帝国のシャー・ジャハーン帝が現存の市街中心部を建設してから最盛期を迎え,1911~31年イギリス領インドの首都。狭い市街地に稠密な人口を有し,商業が盛んで,細工物 (貴金属,宝石,象牙) を特産。イスラム美術の宝庫といわれ,レッド・フォート (デリー城) をはじめ,市内,郊外に多くの歴史的建造物,遺跡がある。ニューデリーは,1911年イギリス領インドがカルカッタからデリーに遷都したのに伴い,新都市の建設が計画され,1920年に着手,1931年に完成した新市街で,完成と同時にデリー(オールドデリー) から行政機関が移された。整然とした街路網,ゆったりした緑地帯,公園の中に立法,行政,司法機関などのビルが立ち並び,外国大使館,国際会議場,ホテルなども集中。政治中心地のみならず,国際外交の一中心となっている。デリー大学 (1922) ,ジャワハルラル・ネルー大学,各種研究機関がある。郊外には工業地区が建設され,綿紡績,綿織物,製粉,ゴム,皮革などの生産が盛ん。著名なイスラム建築,遺跡が多く残る。マハトマ・ガンジーの火葬場ラージガートがある。
脚注
- ↑ “Delhi Population Census data 2011”. . 2017閲覧.
- ↑ “Press Information Bureau: Government of India news site, PIB Mumbai website, PIB Mumbai, Press Information Bureau, PIB, India's Official media agency, Government of India press releases, PIB photographs, PIB photos, Press Conferences in Mumbai, Union Minister Press Conference, Marathi press releases, PIB features, Bharat Nirman Public Information Campaign, Public Information Campaign, Bharat Nirman Campaign, Public Information Campaign, Indian Government press releases, PIB Western Region”. pibmumbai.gov.in. . 3 February 2017閲覧.
外部リンク
- 在インド日本国大使館 (日本語)
- インド政府観光局 - デリー (日本語)
座標: 東経77度13分48秒北緯28.61度 東経77.23度