中島義道
中島 義道(なかじま よしみち、1946年7月9日 - )は、日本の哲学者、作家。元電気通信大学教授。マスコミ曰く「闘う哲学者[1]」。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。イマヌエル・カントが専門。
経歴
祖父は東京外国語学校のフランス語科を卒業後、結婚してまもなく札幌の北星学園を出たばかりのカトリック教徒の祖母を連れてカリフォルニア州サクラメントに渡る。時はゴールドラッシュの頃で、一攫千金を夢見た祖父は、皿洗いからスタートして農園を経営するまでになり、日本人成功リストに載る。一人息子であった父(当時7歳)を連れて、故郷の大分県宇佐市に里帰りした。そして、父は第一高等学校に合格し、東北帝国大学工学部に進む。卒業後、有り金すべてをはたいて、戦後日本を復興させるような企業を目指す。一方の母は山口県下関市の出身で、18歳の時に関門海峡を渡って江戸時代からの庄屋であった父の実家に嫁いだが、姑にひどくいじめられる。しかし、母の実家は絶対に戻ってくることを許さなかった。父はやがて福岡県門司市に仕事場を設るが、肺結核にかかる。二十歳を超えたばかりの母が、質屋通いをするほどの極貧を強いられていた。
そんな中、工場兼自宅である馬小屋のような所で生まれ、生後間もなく若松市に転居。数年後、父が大企業の管理職に収まり、東京都世田谷区尾山台に転居。品川区大井町や大田区馬込を経て、1953年夏から川崎市中原区の市営住宅に育つ。
公立中学から東京教育大学附属駒場高等学校の入試に失敗して神奈川県立川崎高等学校に進学。東京大学入学時点では法学部進学課程の文科一類に在籍。一度は法学部進学の手続きをとったものの、「自分が明日死ぬとしたら、いま何を学びたいか」を考えるとそれはどうしても法律ではなく哲学であるという結論に到達。1年留年した後、かねてその著書から衝撃を受けていた大森荘蔵の招きで教養学部科学史科学哲学分科に進んだものの、物理学の理解に困難を感じ、再び留年。カントに関する論文を大森に提出した翌年、本郷の哲学科の大学院に進んだが陰鬱な雰囲気に耐えられなくなり、遊びほうけて修士論文を書けずに退学。司法試験か公務員試験の受験を目指して法学部に学士入学したが、哲学への心残りを捨てられず、法学部卒業後は哲学の修士課程に入学。1年でカントについての修士論文を仕上げる。こうして、学士号2つと修士号1つを得て東大から離れたときには、大学入学から12年が経っていた。
その後、予備校の英語講師として就職するが、2年半にして講師としての人気の無さや自己の現状に絶望し、33歳でウィーン大学に私費留学する。当初は両親の仕送りに頼って生活したが、やがて現地の日本人学校で現地採用の英語教師となる。ウィーン滞在2年に近づく頃、日本人学校の教師である女性と結婚。1983年にウィーン大学で、やはりカントについての論文(『カントの時間構成の理論』)で哲学博士号を取得。翌年、東大教養学部助手に採用されるが、そこで上司である教授(谷嶋喬四郎)から執拗ないじめを受ける[2]。のち、帝京技術科学大学助教授を経て、1995年4月より2009年まで電気通信大学教授。
『カントの人間学』『哲学の教科書』『ウィーン愛憎』などで著述界に登場する。これらの著作ではカント哲学の読み解き、また留学体験を通じての優れたヨーロッパ文明批判を平明な文体で展開した。後述のように中島の才能を早くから認め、大手出版社などに対し物書きとして推薦したのは西尾幹二である。
カント哲学やヨーロッパ文明批判以外に、日本社会における騒音・景観の無頓着さへの批判でも知られる。1996年、様々なありがた迷惑な騒音を是とする現代日本に異議を申し立てた、エッセイ『うるさい日本の私』により、「闘う哲学者」として広く認知される(タイトルは、川端康成の『美しい日本の私―その序説』と、大江健三郎の『あいまいな日本の私』の、2人のノーベル文学賞受賞記念講演のパロディである。この「うるさい」ということばは、「日本」だけでなく「私」をも形容しているのだ、と本人自身が述べている)。
現在は哲学を志す人のための『哲学塾カント』を開設している。
学歴
- 1965年 - 神奈川県立川崎高等学校卒業。東京大学文科I類入学。
- 1971年 - 東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。
- 1973年 - 東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程退学。
- 1976年 - 東京大学法学部卒業。
- 1977年 - 東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了。文学修士。
- 1983年 - ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了。哲学博士。
職歴
- 1977年 - 東海大学海洋学部非常勤講師(-78)。
- 1984年 - 東大教養学部助手。
- 1987年 - 帝京技術科学大学助教授。
- 1995年 - 電気通信大学電気通信学部人間コミュニケーション学科教授。
- 2008年 - 哲学塾カントを開講。
- 2009年 - 電気通信大学退任。
エピソード
時間論
。[4]
著書
単著
- 『カントの時間構成の理論』理想社 1987年 (のち「カントの時間論」岩波現代文庫、講談社学術文庫)
- 『ウィーン愛憎 ヨーロッパ精神との格闘』中公新書 1990年 (のち「戦う哲学者のウィーン愛憎」角川文庫)
- 『モラリストとしてのカント1』北樹出版 1992年(のち「カントの人間学」講談社現代新書)
- 『時間と自由 カント解釈の冒険』晃洋書房 1994年(のち講談社学術文庫)
- 『哲学の教科書 思索のダンディズムを磨く』講談社 1995年(のち講談社学術文庫)
- 『「時間」を哲学する―過去はどこへ行ったのか』講談社現代新書 1996年
- 『うるさい日本の私―「音漬け社会」との果てしなき戦い』洋泉社 1996年(のち新潮文庫、日経ビジネス人文庫)
- 『人生を<半分>降りる―哲学的生き方のすすめ』ナカニシヤ出版 1997年(のち新潮OH!文庫、ちくま文庫)
- 『哲学者のいない国』洋泉社 1997年 (新版・ちくま文庫「哲学者とは何か」)
- 『<対話>のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの』PHP新書 1997年
- 『哲学の道場』ちくま新書 1998年
- 『孤独について―生きるのが困難な人々へ』文春新書 1998年、文春文庫、2008年
- 『うるさい日本の私 それから』洋泉社 1998年、のち角川文庫
- のち各改題(「騒音文化論 なぜ日本の街はこんなにうるさいのか」講談社+α文庫、「日本人を〈半分〉降りる」ちくま文庫)
- 『空間と身体 続カント解釈の冒険』晃洋書房 2000年
- 『ひとを<嫌う>ということ』角川書店 2000年 (のち角川文庫)
- 『私の嫌いな10の言葉』新潮社 2000年 (のち新潮文庫)
- 『「哲学実技」のすすめ そして誰もいなくなった……』角川oneテーマ21 2000年
- 『働くことがイヤな人のための本 仕事とは何だろうか』日本経済新聞社 2001年 (のち新潮文庫、日経ビジネス人文庫)
- 『生きにくい…… 私は哲学病。』角川書店 2001年 (のち角川文庫)
- 『ぼくは偏食人間』新潮社・ラッコブックス 2001年(「偏食的生き方のすすめ」新潮文庫)
- 『時間論』ちくま学芸文庫 2002年
- 『たまたま地上にぼくは生まれた』講談社 2002年(のちちくま文庫)
- 『カイン 「自分」の弱さに悩むきみへ』講談社 2002年(のち新潮文庫)
- 『不幸論』PHP新書 2002年 のち文庫
- 『「私」の秘密 哲学的自我論への誘い』講談社選書メチエ 2002年 (のち講談社学術文庫)
- 『怒る技術』PHP研究所 2002年(のち角川文庫)
- 『ぐれる!』新潮新書 2003年
- 『愛という試練 マイナスのナルシスの告白』紀伊國屋書店 2003年 (のち「ひとを愛することができない」角川文庫)
- 『カントの自我論』日本評論社 2004年 (のち岩波現代文庫)
- 『どうせ死んでしまう…… 私は哲学病。』角川書店 2004年(のち「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」角川文庫)
- 『英語コンプレックス脱出』NTT出版 2004年
- 『続・ウィーン愛憎 ヨーロッパ 家族 そして私』中公新書 2004年
- 『悪について』岩波新書 2005年
- 『生きることも死ぬこともイヤな人のための本』日本経済新聞社 2005年(のち「生きるのも死ぬのもイヤなきみへ」角川文庫)
- 『私の嫌いな10の人びと』新潮社 2006年(のち新潮文庫)
- 『後悔と自責の哲学』河出書房新社 2006年(のち河出文庫)
- 『狂人三歩手前』新潮社 2006年(のち新潮文庫)
- 『カントの法論』ちくま学芸文庫 2006年
- 『醜い日本の私』新潮選書 2006年(のち新潮文庫、角川文庫)
- 『哲学者というならず者がいる』新潮社 2007年(のち「エゴイスト入門」新潮文庫)
- 『「人間嫌い」のルール』PHP新書 2007年
- 『「死」を哲学する』(双書哲学塾)岩波書店 2007年
- 『観念的生活』文藝春秋 2007年、文春文庫、2011年
- 『孤独な少年の部屋』角川書店 2008年
- 『カントの読み方』ちくま新書 2008年
- 『人生に生きる価値はない』新潮社 2009年、のち新潮文庫
- 『人生、しょせん気晴らし』文藝春秋 2009年
- 『差別感情の哲学』講談社 2009年、のち講談社学術文庫
- 『ウィーン家族』角川書店 2009年、のち角川文庫「異文化夫婦」(小説)
- 『女の好きな10の言葉』新潮社 2010年
- 『きみはなぜ生きているのか?』偕成社 2010年
- 『「純粋理性批判」を噛み砕く』講談社 2010年
- 『善人ほど悪い奴はいない ニーチェの人間学』角川oneテーマ21新書 2010年
- 『明るいニヒリズム』PHP 2011年 のちPHP文庫
- 『さようなら、ドラえもん 子どものためのテツガク教室』講談社 2011年
- 『悪への自由 カント倫理学の深層文法』勁草書房 2011年
- 『ヒトラーのウィーン』新潮社、2012年 のちちくま文庫
- 『真理のための闘争 哲学課外授業』河出書房新社、2012年
- 『哲学塾授業 難解書物の読み解き方』講談社、2012年 のち講談社学術文庫
- 『ニーチェ ニヒリズムを生きる』河出ブックス、2013年(のち「過酷なるニーチェ」河出文庫)
- 『非社交的社交性 大人になるということ』講談社現代新書、2013年
- 『生き生きした過去: 大森荘蔵の時間論、その批判的解読』河出書房新社、2014年
- 『東大助手物語』新潮社、2014年 のち新潮文庫
- 『反〈絆〉論』ちくま新書、2014年
- 『不在の哲学』ちくま学芸文庫、2016年
- 『時間と死 不在と無のあいだで』ぷねうま舎、2016年
- 『英語コンプレックスの正体』講談社+α文庫、2016年
- 『明るく死ぬための哲学』文藝春秋、2017年
共著
- 静かさとはなにか 文化騒音から日本を読む 福田喜一郎 加賀野井秀一 共編著 第三書館 1996年
- 「うるさい日本」を哲学する 加賀野井秀一 講談社 2007年(のち「音漬け社会」と日本文化 講談社学術文庫 2009年)
- 生きてるだけでなぜ悪い? 香山リカ ビジネス社 2008年(のち講談社+α文庫)
- やっぱり、人はわかりあえない 小浜逸郎 PHP新書 2009年
翻訳
- カント認識論の再構築 ゲロルト・プラウス 円谷裕二・渋谷治美共訳 晃洋書房
脚注
関連項目
外部リンク
- 哲学塾カント(本人が主宰する哲学塾)
- 電気通信大学電気通信学部人間コミュニケーション学科 Who's Who 中島義道
- 電気通信大学電気通信学部人間コミュニケーション学科 平成15年度学科長インタビュー
- 語らない美学は人を損なう(インタビュー)
- 2005年12月11日 - GROWING REED
- 哲学塾からこんにちは - 東洋経済オンラインにおける連載