ザ・ベンチャーズ
ベンチャーズ (The Ventures) | |
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出身地 | アメリカ合衆国ワシントン州タコマ |
ジャンル |
インストゥルメンタル サーフ・ミュージック |
活動期間 | 1959年 - |
公式サイト | theventures.com |
ベンチャーズ (The Ventures)はアメリカのインストゥルメンタルのバンド。1959年結成。アメリカではサーフ・ギター・サウンドの元祖とされ、また日本に於いてはビートルズと並び、後の日本のポップス、ロック界に多大なる影響を与えたバンドとされている。2008年にはロックの殿堂入りを果たした。代表曲に「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」「ダイアモンド・ヘッド」「10番街の殺人」「パイプライン」「キャラバン」「ハワイ・ファイブ・オー」など多数。
メンバー
1999年以降、1月と夏の2回来日するようになったが(1月はノーキー、夏はジェリーがリードギターを担当)、近年は夏期全国横断ツアーのみである。
2005年1月公演より、ボブ・ボーグルに代わり、ボブ・スポルディングがベースを務めている。
2016年には、来日ツアーから引退したドン・ウィルソンに代わり、ボブ・スポルディングがリズムギター、息子のイアン・スポルディングがベースを務め、2018年にジェリー・マギーのツアー引退発表により、元々ツアーメンバーとして活動していたベーシストのルーカス・グリフィンが加入し、ボブがリードギター、イアンがリズムギターへと転向する。
デビュー時は、リードギターとリズムギターのデュオであったが、スカウトによりベース、ドラムが正式に加わり、このバンドの基本である4人編成となった。 レコード製作では無名のスタジオミュージシャンが多数加わり、例えば「テルスター」ではキーボードが主要メロディーを取り、「ダイヤモンド・ヘッド」、「十番街の殺人」ではアルト・サックスにエフェクト・ペダルやレスリー・スピーカーを介して後のシンセサイザーのような音色に似たサウンドを加えたり、曲によっては女声コーラスを導入したり、ブラスセクションやオーケストラを起用するなど、これらをサウンド面の主要アクセントにした。さらにはギターよりキーボード(当時ファルフィッサ製電子オルガンなどが使われていた)をリードパートに多用した曲が多く、その後正式にキーボーディストをメンバーとして加え5人編成となった時期もある(5人体制時期は1968年から1972年前半および1974年から1976年である)。ステージ上ではリードギターとベースが途中で交代する場面もある(最初期の演奏ではボブ・ボーグルだけでなくドン・ウィルソンがリードギターを担当するなど、現在と比べて演奏面やサウンド面も大きく異なっている)。
- ドン・ウィルソン(Don Wilson 1933年2月10日 - ):ワシントン州タコマ出身。リズムギター(結成メンバー)。ベンチャーズのリーダーである。2015年来日を最後にツアー参加を引退(後述)。
- ジェリー・マギー(Gerry McGee 1937年11月17日 - ):ルイジアナ州ユーニス出身。3代目リードギター、3代目ベース。ノーキーの後任として1968年に加入するが、1972年に一度脱退。その後、1980年代前半に復帰し、1984年の日本公演ではノーキーと一緒にアコースティックギターを弾いたり、ノーキーと交代でリードギターとベースを演奏していたこともある。夏の日本公演でリードギターを担当しており、ベンチャーズのメンバーとしての来日回数はノーキーよりも多い。2013年からはノーキーに代わり冬のツアーにも参加[1]。しかし2018年、高齢による体力の衰えを理由に、今後のツアーに参加しないことが発表された。
- リオン・テイラー(Leon Taylor 1955年9月23日 - ):テネシー州ジョンソンシティ出身。5代目ドラム。父親であるメル(後述)が急逝した1996年、中野サンプラザにおける9月16日のメル・テイラー追悼公演で後任として紹介され、数曲披露。以降、正式にメンバーとなる。ちなみに、メルが他界した後、96年のツアーでのメインドラムはもと、ナック(「マイ・シャローナ」)のメンバー、ブルース・ゲイリーが急遽務めた。後に二人ともメル・テイラー追悼アルバム「ワイルド・アゲインII」に参加している。2018年にジェリー・マギーのツアー引退以降は、ベンチャーズの現役メンバーでは在籍歴が最年長となった。
- ボブ・スポルディング(Bob Spalding 1947年2月10日 - ):カリフォルニア州サンバーナーディーノ出身。4代目ベース、2代目リズムギター、4代目リードギター。1981年よりスタジオ録音に参加していたことから、加入年も1981年として扱われている。2005年1月の日本公演以降、腰痛が悪化し来日が困難となったボブ・ボーグルの代役としてツアーに参加し、ボーグルの死後は正式メンバーとなる。スタジオ録音ではリードギターの他リズムギターを担当するケースもあり、メル・テイラーがベンチャーズを一時離れていたころ結成したメル・テイラー&ザ・ダイナミックスではリズムギターを担当、1973年には来日もしている。作曲のほかアレンジなどでも現在のベンチャーズに多大な貢献をしており、"5人目のベンチャーズ"と呼ばれている。2016年には引退したドン・ウィルソンに代わりリズムギターを担当するが、2018年にジェリー・マギーがツアー参加引退を発表し、後任のリードギターとして新たに就いた。
- イアン・スポルディング(Ian Spalding 1973年8月15日 - ):カリフォルニア州出身。5代目ベース、3代目リズムギター。ボブ・スポルディングの息子であり、父の影響で9歳からギターを始め、高校時代にはバンド活動を行い、2枚のアルバムをリリースしている。2007年からベンチャーズと活動を共にし、レコーディングではリズムギター、ベース、キーボードを担当している。2015年にドン・ウィルソンが来日ツアーから引退後、2016年にベース、そして2018年にはリズムギターとして正式メンバーとなる。
- ルーカス・グリフィン(Lucas Griffin 1977年3月25日 - ):6代目ベース。2014年ころよりベンチャーズのツアーメンバーとしてアメリカ国内のライヴに参加していた。それ以前にはテキサス州のバンドで音楽活動を行っていたが、ボブ・スポルディング、リオン・テイラーらと結成したバンド「V2」のメンバーとして関わって以降ベンチャーズと知りあう仲になった。2018年にジェリー・マギーのツアー引退発表後、ボブ・スポルディングがリードギター、息子のイアン・スポルディングがリズムギターの座に就くことになり、ベーシストとして新たに正式加入することが決定した。
旧メンバー
- ボブ・ボーグル(Bob Bogle 1934年1月16日 - 2009年6月14日):オクラホマ州ワグナー出身。初代リードギター(結成メンバー)、2代目ベース。2005年以降、腰痛療養のため日本ツアーには不参加(ただしレコーディングだけは参加していた)。発病から12年に渡る闘病生活の末、2009年に非ホジキンリンパ腫のため75歳で死去。
- ノーキー・エドワーズ(Nokie Edwards 1935年5月9日 - 2018年3月12日 ):オクラホマ州ラホマ出身。初代ベース、2代目リードギター。張力の弱い細い「ライト・ゲージ弦」を考案し、チョーキングが一般的なテクニックとして世界中で使用されるようになった功労者。「ウォーク・ドント・ラン」などのレコーディングにベースで参加していたが、後にギタリストに転向。1967年に一度脱退するが1973年に復帰し、その後、1984年まで活躍する。その後再度脱退しソロ活動のみを行っていた時期もあったが、1999年以降、レコーディングや毎年1月の日本公演などに、リード・ギター(ベンチャーズ・オリジナルメンバー)として参加し続けている。夏の日本公演ではベンチャーズと行動を別にしており、冬の公演に参加してもスペシャルゲストとして紹介されているが、公式ホームページではメンバーとして掲載されている。その後、ドン・ウィルソンに続き、2016年の来日を最後にツアーを引退。 2018年3月12日、死去。享年82歳。
- メル・テイラー(Mel Taylor 1933年9月24日 - 1996年8月11日):ニューヨーク州ブルックリン出身。3代目ドラマーで、リオン・テイラーの父である。1972年にソロ活動(メル・テイラー&ザ・ダイナミックス結成)のため脱退したが、1978年後半頃再加入した。1996年日本公演中に体調が悪化、検査の結果肺癌が発覚し緊急帰国、しかし帰国から僅か10日後に死去する。享年62歳。
- ジョージ・バビット(George T. Babbitt, Jr. 1942年6月22日 - ):ワシントン州ブレマートン出身。初代ドラマー。未成年であったため、クラブなどでの活動が出来ずに退団。その後、米空軍の将軍になる。1998年3月1日には米空軍バンドとともに、結成以来約40年ぶりにベンチャーズと再び共演した。
- ホーウィー・ジョンソン(Howie Johnson 1935年 - 1989年):2代目ドラマー。在籍中、交通事故に遭い後遺症が残ったことからツアーへの参加が難しくなったため1962年に脱退。その後は音楽ビジネスから身を退いていたが、1989年に死去。
- ジョー・バリル(Joe Barile 本名バリル・ギオパン・デュセッペ。1947年7月 - ):イタリア出身、幼少期にアメリカへ移住。シャンゴ(Shango)というバンドで活動した後、4代目ドラマーとして1973年から1978年来日ツアー終了まで在籍。その1978年来日ツアー中にコカイン使用が発覚、逮捕される(ただし不起訴処分となる)。このためイメージ悪化を避けたかったメンバーは彼を解雇。その後は表立った音楽活動からは遠ざかっていたが、1991年にリリースしたベンチャーズのCDアルバム『ふたりの海岸物語(play SEASIDE STORY)』収録曲「ウェイクアップ・ドリーム」などにパーカッションで参加しており、以後も時々レコーディングに参加している。
- ジョン・ダリル(John Durrill 1941年8月2日 - ):テキサス州ヒューストン出身。もとファイヴ・アメリカンズのメンバー。初代キーボディストであるサンディ・リーの後任として1969年から1972年まで在籍し、1973年にメル・テイラー&ザ・ダイナミックスへの参加を経て、その後作曲家へ転向。2008年の「ロックの殿堂」授賞式に、不参加だったジェリー・マギーの代理として久々にベンチャーズと合流した。
- ビフ・ビンセント(Bif Vincent):4代目キーボード奏者として1975年から1976年まで在籍。離脱後はスタジオミュージシャン、編曲家、レコーディングエンジニアなどで活躍。その後もベンチャーズと交流があり、ビフが経営するレコーディング・スタジオでベンチャーズはレコーディングなどを行っている。
- デイヴ・カー(Dave Carr 1943年8月4日 - 2011年7月14日):イギリス、ロンドン出身、もとザ・フォーチュンズのキーボーディスト。3代目キーボード奏者として1972年から1974年まで参加し、1974年にはメンバーとして来日。その後も作曲家、編曲家、プロデューサーとして活躍する一方ベンチャーズとの交流は続き、レコーディングにも度々参加していたが、2011年に心臓発作によって死去。
- サンディ・リー(Sandy Lee 生没年不詳):ジェリー・マギーと共に1968年から参加した初の女性メンバーで初代キーボーディスト。1968年度の来日ツアーにも同行していたが、健康上の理由によりベンチャーズを脱退後、1980年代に死去。後に、在籍中ドラッグ不法所持が発覚したため解雇されていたことが明らかになった。
この他、1970年代半ばころには、スーザン・シュレイバー、リーシャ・キャリー、ジョネル・カレンダーといった女性シンガーがツアーに参加したこともある。また、1984年のライヴではレア・アースやナイト・シティのギタリストだったポール・ウォーレンがボブ・ボーグルの代理で一時的にベースを弾いている。
メンバー変遷
来歴
1959年ドンとボブにより結成。結成時は「インパクツ」を経て「ヴァーサトーンズ」と名乗っていたが、すでに使われていたため、ドンの母親であるジョシーからの提案によって「ザ・ベンチャーズ」と名乗るようになる。当初の演奏スタイルは、リードギターとリズムギターを曲によって交代し、正式なベースとドラムは不在だった様である。またこの頃から既にフェンダー社製のストラトキャスター、ジャズマスターを主に使用していた模様。2人は昼間に建築業をしていたが、夜にはクラブに出演してキャリアを積み、音楽関係の人脈を築き上げていくで、のちにノーキー・エドワーズ、ジョージ・バビットをメンバーとしてスカウトする。
デビュー曲は「ブルー・ホライズン」からリリースした「ザ・リアル・マッコイ/クッキーズ&コーク」であるが、続く全米メジャーデビューは1960年発売の「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」で、地元シアトルのラジオ局がニュース番組のテーマ曲として起用したことから火が付き、瞬く間にビルボード誌のヒットチャート第2位を記録した。「ちなみにドラマーは、スキップ・ムーアというクラブミュージシャンが担当し、ノーキーがベースを弾いている」1962年、ジョージ・バビットの後任だったホーウィー・ジョンソンが交通事故に遭い後遺症が残ったことからツアー同行が難しくなったため(脊椎を傷し原因と言われている)脱退、メル・テイラーを迎えて黄金時代の四人が揃うことになる。メルの加入以前に、リードギター担当がボブからノーキーに交代している。もとバック・オウエンスのバンドメンバーとして、既にギタリストとしてのスタイルを完成させていたノーキーに任せた方がバンドの将来にもいいだろうとのボブの判断による交代で(ボブ自身もベースの楽しさ、自由度に開眼したことも理由に挙げていたそうである)、ノーキーも後のインタビューで、「ボブがリードギターを担当しているのはせいぜい数曲だろう」という由の発言をしている。また、レスタジオ・ミュージシャン時代のン・ラッセルもレコーディングに参加している。「十番街の殺人」のサックスソロ(アルトサックスの音をレズリースピーカーから出す手法)や、「朝日のあたる家」でのオルガンソロは、彼が演奏したとのこと。後にリーキー・エドワーズがソロアルバム「Nokie!」をリリースした際にはライナーノーツを執筆し、ノーキーやベンチャーズの音楽性の豊かさに言及ついてしている。
初来日は1962年のことで、ドンとボブの2人が東芝音楽工業(のちに東芝EMI)のイベントに参加し、ベースとドラムは日本人が担当した。ボブの回想によると、ベースはなんとウッドベースで、「とにかく何もかも滅茶苦茶だった」とのことである(ほとんど演奏できなかったために結局ドンとボブ二人だけの演奏にすぐ切り替えたという)。ちなみに同時に来日したのはボビー・ヴィー(後に共作のアルバムをリリースする)、ジョー・アン・キャンベルであったが、観客のほとんどは日本側の出演者であったスリーファンキーズのファンだったという。また、当時四人ではなくドンとボブ二人だけの来日となった原因は、日本側が用意したギャラが二人分しか用意できなかったためである。この頃はパッケージツアーとして、オーストラリアやニュージーランドなどをツアーし、米軍基地への慰問なども行った記録が残っている。
ベンチャーズが日本で人気が出たのは2回目の来日(1965年1月、アストロノウツなどとのパッケージツアー)で、ドン、ボブ、ノーキー、メルの4人で行った日本公演からであった。彼らは専用ギターである、モズライトのギターを真空管アンプにプラグ・インする事によって生み出されるラウドかつ強烈なサウンドで、たちまち日本の若者たちをとりこにし、日本に於いて一大エレキ・ブームを巻き起こした。
アンプのリヴァーブをフルにし低音弦をスライドさせて、トレモロ・ピッキングを行う「トレモロ・グリスダウン」奏法(日本では一般的に「テケテケ」と呼ばれる。しかし開祖はキング・オブ・サーフ・ギターと謳われるディック・デイルであり、ベンチャーズが編み出したわけではない)と共に、「ダイアモンド・ヘッド」、「パイプライン」(これを題材にしたのが映画化もされた芦原すなお原作の『青春デンデケデケデケ』)、「10番街の殺人」、「急がば廻れ '64(ウォーク・ドント・ラン '64)」、「キャラバン」など、数々の名演を生み出した。彼らがアメリカ本国で一番人気があったのは60年代までだが、日本では長く人気を保ち来日回数は50回を超え、いわゆる ビッグ・イン・ジャパン の代表例とされている。
1966年に加山雄三の「君といつまでも」のカバーを日本で発表してヒットしたことをきっかけに、1960年代中盤から1970年代前半にかけて日本を意識した曲を作るようになり、日本の作詞家が歌詞を付けて発表されたのがきっかけで、歌謡曲の作曲家としても注目されるようになる。越路吹雪のために書いた銀座の夜景をイメージした「GINZA LIGHTS」[2]が「二人の銀座」(和泉雅子&山内賢)としてリリースされたのを皮切りに、「北国の青い空」(奥村チヨ)、ジェリー・マギーが関った「京都の恋」「京都慕情」(渚ゆう子)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)などの歌謡曲を送り出し、それらはベンチャーズ歌謡と呼ばれた。「アメリカ人にこんな日本的な曲を書けるのか」と当時の日本の音楽評論家たちを唸らせたが、これには当時バンドを離れたノーキーに代わって参加したジェリー・マギーの幅広い音楽性が作用しているとも言われている。特に「京都の恋」は、(1970年)第12回日本レコード大賞企画賞を受賞している。
現在でも日本に於いて定期的にコンサートツアーを行っている。米国のバンドではあるものの、インストゥルメンタルであり、言語の壁を乗り越えてその明快な楽曲が受け入れられ、米国以上に日本のポップスシーンに影響を及ぼした。日本で発表されたレコードなどの総売上は4000万枚を超える[3]。そのため、アメリカ本国より日本で得た収入の方が圧倒的に多い。
1960年代当時、2ヶ月に1枚のハイペースでアルバムを出しながらツアーを回るというスケジュール事情から、1960年代前半は基本的にステージメンバーが表向きのベンチャーズのメンバーであり、レコーディングでは過半数の音源がスタジオ・ミュージシャンによるものではないかと主張する者もいる。これは前述通りシングル盤リリースと同じペースでアルバム盤を制作、発売していたためで各メンバーの多忙なスケジュール制約等によって、曲によってはメンバーが全面的に参加していない物も多く存在しているのではと指摘されている。
また、[悲しき闘牛/the lonely bull]のベンチャーズ盤が、実はハーブ・アルパートとティファナ・ブラスが先に録音した音源を拝借し、リズム・ギターとベース・パートのみドンとボブの演奏に差し替えたものである。 (ハーブ・アルパート盤のレコーディングに参加していたメル・テイラーが同曲を気に入り、これを基にベンチャーズ盤が作られたらしい)
2004年日米交流150周年記念外務大臣賞を受賞し、ドン、ボブ・ボーグル、ノーキーが授賞式に参加した。
2006年、彼らの最初の大ヒット曲である"Walk Don't Run"がグラミー賞の殿堂入りを果たす。
2008年ロックの殿堂(The Rock and Roll Hall of Fame and Museum)入りを果たす。ドン、ノーキー、リオン、ボブ・スポルディング、ジョン・ダリル(ジェリー・マギーの代理として出席)がニューヨーク・ウォルドルフ・アストリアホテルで開催された授賞式に出演し、ベンチャーズの影響を受けていたことを公言したジョン・フォガティがプレゼンターとして登場。フォガティの紹介に続いてベンチャーズが登場し、「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」を基本編成の4人で、「ハワイ・ファイブ・オー」をブラスセクション付きで演奏した。
現在も世界各国にファンがおり(ただし、シャドウズやビートルズを生んだイギリスやメリカではあまり多多くい。しかしエアロスミスがベンチャーズをリスペクトしていることは有名)、コピーバンドも多数存在する。特に日本では老若男女問わず存在し、さらには子供のコピーバンドまでいるほどである。これは、日本との特別な関係や、与えた影響という観点から、日本の音楽史になくてはならない存在ともなっているのは間違いない事実である。1996年にメル・テイラーが、2009年に結成時のメンバーであるボブ・ボーグルが他界したが、今もなお現役でステージに立ち続けている。2009年に結成50周年、2014年に結成55周年を迎えた。
2015年度のジャパンツアーをもって、結成メンバーであるドン・ウィルソンがツアーからの引退を正式に表明、同年ジャパンツアー最終日において、ボブ・スポルディングが以後リズムギターを担当し、ベーシストとしてボブ・スポルディングの息子であるイアン・スポルディングを迎えることが正式に発表された。 また同年より、リオンにボブとイアンのスポルディング親子を中心とするニューバンド「V-2」が活動を開始した。
2016年、前年のドン・ウィルソンのツアー引退に続き、ノーキー・エドワーズも自身の高齢と体力低下により、同年の来日ツアーが最後の来日となることを表明した。「ノーキーはその後2018年に他界
2018年、前述の通りジェリー・マギーが高齢のためツアーメンバー引退を表明した。またベンチャーズの2018年来日公演は、「V-2」のメンバーで行われるとのこと。
サウンド
最初のヒットシングルとなった「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン」は、ドン・ウィルソンのインタビューによると、チェット・アトキンスが自身で編み出した「ギャロッピング奏法」をベース、メロディ、コードバッキングに分解し、それにドラムパートを加え、ロックンロールのリズムに乗せた物であり、この単調かつ明快なスタイルが以後のベンチャーズの基本的な演奏パターンとなって現在に至っている。
ベンチャーズが登場した翌年、西海岸を中心にサーフ・ミュージックギター・バンドが出現、そのほとんどのバンドがベンチャーズから直接的、間接的な影響を受けていたのは明白である。
二代目のリード・ギタリスト(初期はベーシスト)であるノーキー・エドワーズは2回目の来日公演(1965年1月)で「電気ギターの王様」と紹介され、天才的で卓越したテクニックは多くの日本人ギタリスト達に影響を与えた。彼はカントリー・ピッキング(親指にピックを固定し、人差し指や中指を同時に利用する多指奏法)を基本としたテクニックで、トレモロアームをアクセントとして使用し、モズライトギターの高出力ピックアップを活かしたラウドで金属的なサウンドを作り出していた。特に1965年7月来日時の録音を収めた赤盤ライヴの収録の「クルーエル・シー」、「ペネトレーション」、「ドライヴィング・ギター」、「キャラバン」はその特徴が顕著である。その後、彼は1980年代にベンチャーズを脱退(2度目の脱退)し、ソロ活動が中心となっているが、公式ホームページでは脱退扱いにはなっておらず、実際本国では何度か、ノーキーがベンチャーズに参加して活動している。近年は、オリジナルモデルのギターを用い、よりカントリースタイルを意識した演奏となっており音色もソフトなものとなっている。
1968年にノーキーが1度目の脱退をし、三代目リード・ギタリストとして加入したのがジェリー・マギーである。ジェリーのサムピックを使用した奏法(ノーキーも1972年に復帰したときからレコーディングやステージでサムピックを使用するようになった)や彼の出身地ルイジアナをルーツとした南部色の強いソウルフルなサウンドが特徴的である。「朝日のあたる家」は、ベンチャーズが1960年代からもともとレパートリーとしているが、1980年代にジェリーが再加入した後のステージでは彼独特のアドリブによるブルージーなサウンドが、新たな聞かせどころとなっている。また元来スタジオミュージシャンとしてエミルー・ハリス、エルビス・プレスリー、モンキーズなど多数のレコーディングやセッションなどの経験を積んで来たため、幅広いスタイルの音楽に柔軟に対応できる懐の深さを持ち合わせている。近年は、中音域をブーストさせる回路付きのフェンダー・ストラトキャスターを用いており、曲によってブーストのかかり具合を微調整して、音色にバリエーションを持たせる工夫をしている。
ステージでは2部構成のプログラム進行を採り、アンコールで必ず「キャラバン」が演奏され、これがお約束となっている。しかも長尺のドラムソロと、ドラムスティックでベースの弦を叩くパフォーマンスが行われる。
アルバム ※未掲載が多いので注意。
- Walk Don't Run(1960年12月)
- The Ventures(1960年6月)
- Another Smash(1961年9月)
- The Colorful Ventures(1961年10月)
- Twist With The Ventures(1962年)
- Twist Party Vol.2(1962年)
- Mashed Potatoes And Gravy(1962年)
- Going To The Ventures Dance Party(1962年)
- THE Ventures Play Telstar/The Lonely Bull AND Others(1963年)
- Surfing(1963年)
- Play The Country Classics(1963年)
- Let's Go(1963年)
- The Ventures in Space(1964年)
- The Fabulous Ventures(1964年)
- Walk Don't Run Vol. 2(1964年)
- Knock Me Out !(1964年)
- The Ventures On Stage(1965年)
- Ventures in Japan(1965年)
- All About The Ventures(1965年) ※邦題:Ventures in Japan 第二集
- A Go Go(1965年)
- The Ventures Christmas Album(1965年)
- Where The Action Is(1966年)
- Batman Theme(1966年)
- Go With The Ventures(1966年)
- Wild Things(1966年)
- The Ventures On Stage Encore!(1966年)
- Guitar Freakout(1967年)
- SuPER Psychedelics(1967年)
- Golden Greats BY THE VENTURES(1967年)
- $1,000,000 Weekend(1967年)
- The Ventures Live Again!(1967年)
- Flights Of Fantasy(1968年)
- The Horse(1968年)
- The Ventures in TOKYO'68(1968年)
- Underground Fire(1969年)
- Hawaii Five-0(1969年)
- Swamp Rock(1969年)
- More Golden Greats & Others(1970年)
- The Ventures 10th Anniversary Album(1970年)
- Live! The Ventures(1971年)
- New Testament(1971年)
- The Ventures on Stage '71(1971年)
- Theme From Shaft(1972年)
- Joy-Ventures Play The Classics(1972年)
- Rock And Roll Forever(1972年)
- The Ventures on Stage '72(1972年)
- The Ventures Only Hits!(1973年) ※邦題:グループ結成15周年アルバム!「西暦2001年という邦題が付けられた」
- The Ventures on Stage '73(1973年) ※来日公演中にリリースし話題となる。
- The Ventures Play Carpenters(1974年)
- The Ventures on Stage '74(1974年)
- Rocky Road (1975年) ※ラリー・カールトン、トム・スコット、キム・カーンズ、ウィルトン・フェルダー、デニス・ウィリアムス等が参加
- 裕也 Meets The Venures(1975年) ※内田裕也が参加したヴォーカル・アルバム。インストルメンタル版が「Hollywood Metalic Dinamic Sound 3000」という題名で海外で発売される。
- Hollywood Metalic Dinamic Sound 3000(1975年) ※「朝日のあたる家」のアコースティック版など貴重な音源満載。「裕也 Meets The Venures」のインストルメンタル版も収録。国内未発売。
- The Ventures on Stage '75(1975年) ※大阪フェスティバルホール、札幌厚生年金会館(現:ニトリ文化ホール)で収録。音質にこだわった最高のライヴアルバムと評されている。
- The Ventures on Stage '76(1976年) ※渋谷公会堂
- T.V. THEMES(1977年)
- The Ventures on Stage '77(1977年)
- Surfing U.S.A. '78(1978年)
- The Ventures on Stage '78(1978年)
- Latin Album(1979年)
- Chameleon(1980年)※坂本龍一、細野晴臣、高橋ユキヒロ、竹田和夫等が曲を提供し、糸井重里がアルバム名や曲名を担当する。
- 60's Pop(1981年)
- The Ventures on Stage '80(1980年)
- The Ventures Greatest Hits(1980年)
- Live in L.A. (1981年)
- ORIGINAL MEMBER LIVE ´1984(1984年) ※ノーキー・エドワーズとジェリーマギーの共演
- PLAY SEASIDE STORY(1991年)
- 2000 Pound Bee - Parts 1 & 2
- NASA 25th Anniversary Album
- Wild Again II
- Live in Seattle
- 60'S ROCKIN' CHRISTMAS(2001年)※ノーキー&ジェリーの共演。ドンのヴォーカルも収録(京都慕情のクリスマス版)
- Surfin To Baja(2003年)
- ROCKY! THE VENTURES!(2007年)
- The Ventures The Jim Croce Song Book(1970年代)
- ORANGE SISTERS with The Ventures
シングル
- 急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)(1960年) - 全米2位
- パフィーディア(1960年) - 全米15位
- 木の葉の子守唄(1961年) - 全米69位
- クルーエル・シー(1964年) - 日本のみA面で、アメリカでは「急がば廻れ '64」のB面。
- 急がば廻れ '64(ウォーク・ドント・ラン '64)(1964年) - 全米8位
- 10番街の殺人(1964年) - 全米35位
- ダイアモンド・ヘッド(1965年) - 全米70位という結果だったが、日本ではベンチャーズ曲の中で最も人気の高い曲。
- パイプライン(1965年) - 日本のみのシングルカットで、アメリカではシングル未発売。
- キャラバン(1965年) - 日本のみのシングルカットで、アメリカではシングル未発売。
- 秘密謀報員(1966年) - 全米54位
- ブルー・スター(1966年) - 全米120位
- 二人の銀座(1966年) - アメリカでは「Ginza Lights」というタイトルで、「Arabesque」のB面として発表された曲。山内賢、和泉雅子の歌唱でヒット。
- 青い渚をぶっとばせ(1967年) - 日本のみA面で、アメリカでは「Theme From 'The Wild Angels'」のB面。
- ハワイ・ファイブ・オー(1968年) - 全米4位
- 夏の日の恋(1968年) - 全米83位
- 京都の恋(1970年) - アメリカでは「Expo '70 (Kyoto Doll)」というタイトルで発表された。渚ゆう子の歌唱でヒット。
- さすらいのギター(1971年) - 日本のみのシングルカットで、アメリカではシングル未発売。
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
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1991年(平成3年)/第42回 | 初 | 10番街の殺人-ダイアモンド・ヘッド-パイプライン | 05/28 | 欧陽菲菲 |
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
脚注
- ↑ ベンチャーズ ♪THE VENTURES FOREVER 「ベンチャーズ Winter Japan Tour 2013 」
- ↑ 和泉雅子インタビュー銀座地下街ラジオくんー第四配信・レトロ銀座特集
- ↑ “ベンチャーズ:マドンナらとロックの殿堂入り 日本でも「テケテケ」で大ヒット”. 毎日jp (毎日新聞社). (2008年3月13日). オリジナルの2008年3月15日時点によるアーカイブ。
外部リンク