笠置町
笠置町(かさぎちょう)は、京都府相楽郡にある町である。郵便番号は619-1303。2017年5月1日現在の人口は1,298人。
「わかさぎのはばたくまち 美しい自然と史跡に恵まれた心ふれあう町」を町の標語に掲げている。町の特産品は、キジ肉、シイタケ。
Contents
地理
東は南山城村、西は木津川市、北は和束町、南は奈良市に接する。全面積の8割が山林が占められる。町の中央を木津川が流れ、南側から布目川、打滝川が注ぎ、北からは横川、沿岸に耕地が開ける[1]。また、木津川市加茂地区東部に飛び地が点在する。
自然
- 河川
- 白砂川
- 木津川
- 布目川
- 打滝川
- 横川
- 山
隣接する市町村
人口
平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、13.33%減の1,626人であり、増減率は府下26市町村、36行政区域中ともに最下位。
また、日本の町の中では、福島第一原子力発電所事故の影響を受けている町を除くと、山梨県南巨摩郡早川町に次いで、2番目に人口が少ない。
笠置町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
歴史
笠置町一帯は奈良の東大寺の造営に際し、木材を切り出して木津川の水運を使って運んだ[2]事など古くから水運の要衝として発達していた。笠置寺は東大寺の造営に当たった良弁とその弟子実忠が来山したと伝えられる古刹で、南北朝の動乱時の元弘の乱(1331年)には後醍醐天皇の行在所となり、兵火にあって大半の建物が焼失した[3]。 現在の笠置町の領域には、江戸時代は木津川の北岸に津藩領の北笠置村、切山村、上有市村と下有市村、南岸に南笠置村(津藩領)と柳生藩領の飛鳥路村が存在した。明治9年1876年に上有市村と下有市村が合併し有市村に、北笠置村と南笠置村が合併し笠置村になった[4]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 相楽郡笠置村・切山村・有市村・飛鳥路村が合併し、笠置村が誕生。
- 1934年(昭和9年)1月1日 - 町制施行。
- 1959年(昭和34年)12月1日 - 準用財政再建団体になる。
- 2009年(平成21年)8月12日 - 全町民の定額給付金のデータの入力されたパソコンの紛失が判明。盗難の可能性もある[5]。
- 2014年(平成26年) - この年、町内の出生数がゼロとなった[6]。
行政
教育
小・中学校
- 小学校
- 中学校
- 笠置中学校(所在地は南山城村)
交通
鉄道路線
バス
- 相楽東部広域バス
- 笠置町営循環バス
- 町中心部から切山・有市・飛鳥路などの集落を結んでいるが、利用は住民に限られる[7]。
道路
- 一般国道
- 主要地方道
文化
観光地
1932年(昭和7年)笠置山とその山麓の木津川一帯が史跡名勝地として国から指定され、史跡探勝の観光地となる[8]。 週末には、笠置橋下西の木津川河川敷で、水遊びのレジャーや自然石でのボルダリングに訪れる観光客で、人・車がいっぱいになる。木津川沿いの国道163号でアクセスできる。
- 府立笠置山自然公園
- 後醍醐天皇行宮遺跡
- 笠置寺解脱の鐘
- 虚空蔵石 線刻虚空蔵菩薩坐像の磨崖仏
- 弥勒磨崖仏 元弘の変で焼失し、現在は舟形光背の輪郭が残る。この磨崖仏を写したものが、大野寺(奈良県室生村)と加茂町当尾の線刻弥勒磨崖仏である。
- 笠置温泉(天然わかさぎ温泉笠置いこいの館)
- 笠置河原キャンプ場
- 布目川の甌穴群
- 栗栖天満宮 10月16日の秋祭には流鏑馬が行われる。同社の左右二座から稚児が出て、馬で神社に渡御した後、馬場で各座交互に流鏑馬が行われる[9]。
- 十三重石塔 相輪頂部の宝珠形を欠失する花崗岩製、高さ479cmの十三重石塔。薬師、釈迦、弥陀、弥勒の顕教四仏を半肉彫りする。笠置寺中興解脱房貞慶の母の供養塔を伝えられる[10]。寺伝によれば、もと木造であったが、元弘の乱で焼失し、乱による戦死者の霊を供養するために石造となる[11]
- 勧請縄
- 天照御門神社 旧飛鳥路村の産土神で、日本三代実録に国史見在社としての記載がある[12]。
祭・イベント
- 桜まつり(4月)木津川河川敷の夜桜のライト・アップ
- 夏まつり(花火大会)(8月第1土曜日)
- 木津川灯籠流し(8月16日)
- 秋まつり御神輿巡行(10月)笠置町南部青年団が中心となって巡行を行っている。町外からも応援に駆け付ける。[13]。
- 笠置もみじまつり(11月)笠置寺敷地内のもみじ公園のライト・アップ
- 全国ご当地鍋フェスタ (12月)
その他
電話番号
市外局番は、0743(市内局番は20~99)となっている。奈良市の大部分を占める市外局番0742のエリアへの通話は市外局番からダイヤルが必要だが、市内料金である。また、生駒市、天理市、大和郡山市など、南山城村を除く市外局番0743エリアへの通話は、隣接していないが市外局番を省略かつ市内料金にて通話可能である。
脚注
- ↑ 「京都歴史地名体系 26京都府の地名」,平凡社、1981年、p55
- ↑ 「日本歴史地名体系26 京都府の地名」平凡社 1981年 p58
- ↑ 「日本歴史地名体系26 京都府の地名」平凡社 1981年 p58
- ↑ 「日本歴史地名体系26 京都府の地名」平凡社 1981年 p55-57
- ↑ 全町民1800人分の個人情報入力パソコン紛失 京都・笠置町 産経新聞 2009年8月12日
- ↑ “出生ゼロ、「消滅可能性都市」波紋 京都・笠置町”. 京都新聞 (2015年1月14日). . 2015閲覧.
- ↑ “笠置町営循環バス”. 笠置町 (2009年1月14日). . 2015閲覧.
- ↑ 竹村俊則「昭和京都名所圖會 7南山城」,駸々堂出版、1989年、p403
- ↑ 「京都大辞典 府域編」,淡交社、1994年、p203
- ↑ 「笠置町と笠置山」,笠置町教育委員会、1990年、p71
- ↑ 竹村俊則「昭和京都名所圖會 7南山城」,駸々堂出版、1989年、p408
- ↑ 竹村俊則「昭和京都名所圖會 7南山城」,駸々堂出版、1989年、p411
- ↑ 京都新聞2016年10月17日朝刊山城A版
外部リンク