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ビル・マクナルティ こと ウィリアム・フランシス・マクナルティ(William Francis McNulty , 1946年8月29日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメント出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)。
来歴・人物
アメリカンリバー短期大学卒業後、1965年にカンザスシティ・アスレチックスと契約。1969年7月9日のホワイトソックス戦(ホワイトソックス・パーク)に7番・レフトで先発出場してメジャーデビューを果たすが、3打数無安打2三振に終わった。メジャーでは同年と1972年に計9試合に出場したのみで定着はならず、9つの球団を転々とするマイナーリーグ生活であった。1Aから3Aまで各リーグを経験し、1974年に55本塁打で3Aの本塁打王になるが、実は当時所属していたチームの本拠地球場は左翼が84メートル程度しかない変形球場で、日本でならレフトフライの打球も本塁打になっていたためであった[1]。1975年シーズン途中、成績不振のため解雇されたジミー・ロザリオに代わってラファエル・バチスタと共にロッテオリオンズへ入団。ジョージ・アルトマンの代役として期待され、6月3日の南海戦(大阪)に4番・レフトで初出場。6月10日の日本ハム戦(宮城)で三浦政基から初本塁打を放つが、2割を切る打率と52三振と言う粗い打撃がネックとなり、同年限りで退団して帰国。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1969 | OAK | 5 | 17 | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1972 | 4 | 12 | 10 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | .100 | .250 | .100 | .350 | |
1975 | ロッテ | 64 | 216 | 195 | 24 | 37 | 2 | 0 | 13 | 78 | 27 | 1 | 2 | 2 | 1 | 17 | 0 | 1 | 52 | 2 | .190 | .257 | .400 | .657 |
MLB:2年 | 9 | 29 | 27 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 11 | 0 | .037 | .103 | .037 | .140 | |
NPB:1年 | 64 | 216 | 195 | 24 | 37 | 2 | 0 | 13 | 78 | 27 | 1 | 2 | 2 | 1 | 17 | 0 | 1 | 52 | 2 | .190 | .257 | .400 | .657 |
背番号
- 37 (1969年)
- 18 (1972年)
- 7 (1975年)
脚注
- ↑ “【【6月3日】1975年(昭50) ロッテ来日6日目の新助っ人が3、4番 上々デビューも…”. スポーツニッポン (2010年6月3日). . 2011閲覧.