学校法人同志社
学校法人同志社 | |
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同志社の学章 | |
創立者 | 新島襄 |
理事長 |
八田英二 総長=八田英二 |
創立 | 1875年 |
所属学校 |
同志社大学 同志社女子大学 同志社中学校・高等学校 同志社女子中学校・高等学校 同志社香里中学校・高等学校 同志社国際中学校・高等学校 同志社小学校 同志社国際学院初等部 同志社国際学院国際部 同志社幼稚園 |
所在地 | 京都市上京区今出川通烏丸東入 |
ウェブサイト | 公式ウェブサイト |
学校法人同志社(がっこうほうじんどうししゃ、英語: The Doshisha)は、同志社幼稚園、同志社小学校から同志社大学・同志社女子大学までの9学校園を擁する学校法人。
株式会社格付投資情報センター (R&I) から、 <AA+> を取得している。日本の学校法人の中で、この格付けを維持しているのは2法人のみである。[1]
Contents
概観
建学の精神
同志社の建学精神はキリスト教精神に基づく「良心」である。創立者である新島襄は建学の目的として、「良心を手腕に運用する人物」の育成を掲げた。知識教育に偏ることのないよう、キリスト教に基づく「徳育」を並行して進めることで、「良心の全身に充満」した人々を輩出したいと願ったのである。その思いを彼の筆跡のまま刻んだ碑が、同志社大学などの諸学校に存在する。この良心碑には、「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」という言葉が刻まれている。
また、この「良心」教育を具体的に実現するための教育理念として、「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」が掲げられ、これらを通じて「一国の良心」たる人物を輩出することを目指している。国際主義についてはコリア研究センターが名門である。またキャンパスにある韓国の詩人、尹東柱詩碑も有名である。
学風および特色
キリスト教プロテスタント系の学校法人で、会衆派教会(組合教会)の流れをくむ。しかし、いわゆるミッションスクールとは性質が異なり、キリスト教伝道を主たる目的としない(教育そのものを伝道の手段としない)。
沿革
略歴
1875年、明治六大教育家の一人である新島襄により設立された同志社英学校を前身とする学校法人。
年表
- 1875年 新島襄が京都寺町通丸太町(現在の新島旧邸敷地)に同志社英学校を開校する。教員2人、生徒8人
- 1876年 寺町から今出川に移る
- 1877年 4月に同志社分校女紅場を開設し、9月に同志社女学校へ改称
- 1883年 同志社社則を制定
- 1887年 同志社病院・京都看病婦学校の開院
- 1888年 「同志社大学設立の旨意」を全国の主要な新聞・雑誌にて発表
- 1890年 同志社ハリス理化学校開校
- 1891年 同志社政法学校開校
- 1896年 普通学校を同志社高等普通学校と改称。同志社尋常中学校を開設
- 1897年 M.F.デントンが出町幼稚園を開園
- 1900年 出町幼稚園を今出川幼稚園へ改称
- 1904年 専門学校令による神学校と専門学校を開校。同志社政法学校廃校
- 1906年 同志社病院・京都看病婦学校閉館。同志社ハリス理科学校廃校
- 1912年 専門学校令による同志社大学(予科、神学部、政治経済学部、英文科)と女学校専門学部(英文科、家政科)を開校
- 1920年 大学令による同志社大学を開校。文学部(神学科、英文学科)、法学部(政治学科、経済学科)、大学院、予科を設置
- 1922年 専門学校令による大学を専門学校として再編し、神学部、英語師範部、高等商業部、政治経済部を設置
- 1930年 同志社専門学校高等商業部を廃止し、同志社高等商業学校を設置
- 1943年 中学校令による中学校開校
- 1944年 工業専門学校開校。同志社専門学校高等英語部と法律経済部を統合し同志社外事専門学校設立。同志社高等商業学校を同志社経済専門学校と改称
- 1947年 今出川幼稚園を同志社幼稚園と改称
- 1948年 新制大学、新制高等学校、新制定時制商業高等学校、新制女子高等学校を設置
- 1949年 同志社女子大学を設置
- 1951年 香里学園を合併し、同志社香里中学校・高等学校を開校
- 1952年 同志社各専門学校(外専・経専・工専)を廃止
- 1976年 同志社商業高等学校廃校
- 1980年 同志社国際高等学校開校
- 1986年 田辺校地(現在の京田辺校地)開校
- 1988年 同志社国際中学校開校
- 2006年 同志社小学校開校
- 2010年 同志社中学校が同志社高等学校と統合して同志社中学校・高等学校となり、岩倉校地へ移転
- 2011年 同志社国際学院初等部・国際部開校
- 2013年 同志社大学文学部・法学部・経済学部・商学部の学修校地を今出川校地に統合。今出川校地に「烏丸キャンパス」(京都市産業技術研究所繊維技術センター跡地)を開設
学校法人同志社内の諸学校 及び その関係校
大学
中高一貫校
小学校
- 同志社小学校(大学付属)
- 同志社国際学院初等部・国際部(大学付属)
幼稚園
関係校
過去にあった学校
歴代総長
1918年以前は社長
代 | 総長 | 在任時期 | 備考 | |
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1 | 50px | 新島襄 | 1875年 - 1890年 | 同志社大学の前身、同志社英学校の創立者、校祖 |
臨 | 50px | 山本覚馬 | 1890年 - 1892年 | 会津藩士、軍事取調役兼大砲頭取、公用人、京都府会初代議長 京都商工会議所会頭、新島の義兄 |
2 | 50px | 小崎弘道 | 1892年 - 1897年 | 日本組合基督教会会長、日本基督教連盟会長 |
代 | 50px | 市原盛宏 | 1894年 | 朝鮮銀行初代総裁、横浜市長 |
臨 | 50px | 中村栄助 | 1898年 | 衆議院、京都市会議長、京都鉄道会社理事、京都電燈会社取締役 伏見紡績会社社長、平安紡績会社社長 |
3 | 50px | 横井時雄 | 1897年 - 1899年 | 逓信省官房長、衆議院議員、横井小楠子息 |
4 | 50px | 西原清東 | 1899年 - 1902年 | 衆議院議員、米テキサス州開拓日本人移民のパイオニア |
5 | 50px | 片岡健吉 | 1902年 - 1903年 | 自由民権運動推進者、衆議院議長 |
6 | 50px | 下村孝太郎 | 1904年 - 1907年 | 化学工学先駆者、大阪舎密工業(現大阪ガス)代表取締役社長、住友化学設立 |
7 | 50px | 原田助 | 1907年 - 1920年 | ハワイ大学東洋学部長、ハワイ大学LLD、エディンバラ大学LLD、アマースト大学LLD |
8 | 50px | 海老名弾正 | 1920年 - 1928年 | キリスト教思想家、言論界における重鎮 |
9 | 50px | 大工原銀太郎 | 1929年 - 1935年 | 農学者、九州帝国大学第三代総長 |
10 | 50px | 湯浅八郎 | 1935年 - 1941年 | 昆虫学者、国際基督教大学初代総長 |
11 | 牧野虎次 | 1941年 - 1947年 | 東京家庭学校校長兼理事長、京都府社会福祉協議会会長、京都府教育委員会委員長 南満州鉄道社会課長、内務省嘱託、大阪府社会課嘱託 | |
12 | 50px | 湯浅八郎 | 1947年 - 1950年 | |
13 | 大塚節治 | 1950年 - 1963年 | 神学者 | |
14 | 住谷悦治 | 1963年 - 1975年 | 現代新聞批判、夕刊京都新聞社長、周恩来首相と会談 | |
15 | 上野直蔵 | 1975年 - 1985年 | 大学基準協会会長 | |
16 | 松山義則 | 1985年 - 2001年 | 心理学者 | |
17 | 大谷實 | 2001年 - 2017年 | 刑法学者、司法試験考査委員、法務省人権擁護推進審議会委員、元学長 なお、当代より総長職と理事長職を分離。 理事長は、2013年4月から2017年4月22日まで同志社大学神学部教授である水谷誠が務めていた[2]。 | |
18 | 八田英二 | 2017年 - 現職 | 経済学者。1998年4月から2013年3月まで同志社大学長を務めていた。また、2011年10月から2013年3月まで学校法人同志社の理事長を兼任していた。その後、2016年に発生した廃棄物処理法違反事件により同法人が罰金の略式命令を受けたことに伴い、2017年4月22日に前理事長である水谷誠が引責辞任。同日実施の定例理事会で八田が理事長に選出され、総長と理事長を兼任する体制となる。 |
施設
- 同志社びわこリトリートセンター
- 同志社創立125周年を記念して「キリスト教主義教育・国際交流」を目的に作られた施設。宿泊施設や各種運動設備があり、学校法人同志社の関係者や、学生が、ゼミやサークル活動において利用できる。
- 新島会館
- 新島襄が住んだ家の庭内にある会館。本館と別館があり、同窓会などに利用されている。
社会との関わり
文化財
同志社には以下の文化財が存在している。
重要文化財
同志社に存在する日本国政府に指定された重要文化財には以下のものがある。
- 建築物
- 同志社礼拝堂 (同志社大学今出川校地)
- 彰栄館 (元同志社中学校)
- 有終館 (同志社大学今出川校地)
- 1887年に書籍館として竣工。竣工した当時は日本最大の学校図書館建築物であった。設計はD・C・グリーン。施工は三上吉兵衛。初代大学図書館。1928年、昭和天皇が即位式で在京の折、この有終館が出火した。即位式典の場所である御所は同志社今出川校地の隣りなので、大学当局は即位式の間、全学あげて構内の警備をしていた。ところがその詰所にしていた部屋の木製の大火鉢が加熱して出火してしまったのである。これにより当時の海老名弾正総長および理事、監事は引責辞職。同志社は国賊であるかのように罵られたという。燃え残った有終館の駆体は撤去の予定であったが、当時隣の同志社女学校の建築を手がけていた京都帝国大学建築学教授武田五一が修理・保存を勧告、結局外壁の内部に15cmの鉄筋コンクリートの壁を作る方法で保存した。
- ハリス理化学館 (同志社大学今出川校地)
- 番号:1575
- 種別1:学校建築
- 指定年月日:1979年5月21日
- 年代:1890年(明治23年)
- 構造形式:煉瓦造、建築面積587.0m2、東北隅実験室付、桟瓦葺(階段以外の内装を除く)
- クラーク記念館(同志社大学今出川校地)
- 番号:1575
- 種別1:学校建築
- 指定年月日:1979年5月21日
- 年代:1894年(明治27年)
- 構造形式:煉瓦造、建築面積389.4m2、桟瓦葺、西南隅塔屋付、銅板葺
- 附指定:建築仕様書等1冊、建築設計図1巻
- 新島の死後、新島記念神学館建設を目指す運動が開催されたが、なかなか寄付金が集まらなかった。そんな折、新島と同年に幼くしてこの世を去った息子のために、とB・W・クラーク夫妻より寄付があった。その資金で建設されたのがクラーク記念館である。ドイツのネオ・ゴシック様式を基調とする建築物で、同志社のシンボル的存在とされる。1894年の開館当時はクラーク神学館と呼ばれ、神学教育・研究の中心として使用された。1979年5月に「設計図」、「新築仕様書」とともに重要文化財に指定された。2003年1月から全面的改修・復原工事が行われ、2007年12月完成。塔屋の緑青色の銅板葺きは竣工当時の鉄板葺きに、大正以来撤去されていたドーマー窓を回復、大棟の宝珠飾りを建設当時の尖塔飾りに交換、煙突雨除け再設置、煉瓦、小屋組み補強、全体耐震化など、かなり大規模な改修・復原が行われた。
国登録有形文化財
- 建築物
- アーモスト館 (同志社大学今出川校地)
- 同志社啓明館西館(同志社大学今出川校地)
- 同志社啓明館本館(同志社大学今出川校地)
- 同志社フレンドピースハウス(旧同志社大学布哇寮)
- 同志社女子大学ジェームズ館(同志社女子大学今出川校地)
- 同志社女子大学栄光館(同志社女子大学今出川校地)
その他
- 鹿苑院(同志社大学今出川校地)
- 薩摩藩邸跡 (同志社大学今出川校地)
- 近衛殿跡 (同志社大学新町校地)
- 石敷き遺構 (同志社大学室町校地)
- 2002年の同志社大学室町校地寒梅館の建設に伴う発掘調査にて発見された。石敷きの中から16世紀中頃の土器が出土した。上杉本洛中洛外図屏風により、寒梅館周辺は第12代将軍足利義晴が再築した室町殿のあった場所と推定された。さらに、出土したものと上杉本洛中洛外図屏風が一致したことで、この石敷きは室町殿の北東隅の社とその南の築地基礎と推定される。現在は寒梅館にて一部発掘したままの状態を見ることができるようになっている。
- 恐竜の足跡 (同志社大学今出川校地)
不祥事
同志社大学の構内や学生寮で生じたゴミを、京都市の許可を得ずに同市内の焼却施設に運搬したとして、同志社の法人事業部長(同志社エンタープライズ社長も兼任)と清掃管理会社の社長が2016年1月19日に京都府警察に逮捕された[3]。
脚注
- ↑ http://www.doshisha.ed.jp/information/info_20110520.html 学校法人同志社がAA+の格付けを取得
- ↑ “学校法人同志社 新理事長就任について”. 学校法人 同志社 (2013年4月15日). . 2013閲覧.
- ↑ 同志社大のゴミを無許可収集か 大学関係者ら逮捕 NHKニュース 2016年1月19日
関連文献
- 同志社五十年史編纂委員会 『同志社五十年史』 同志社校友会、1930年