伊勢佐木町
伊勢佐木町 | |
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— 町丁 — | |
座標: 東経139度37分43.42秒北緯35.4416194度 東経139.6287278度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川県 |
市町村 | 横浜市 |
区 | 中区 |
面積[1] | |
- 計 | 0.092km2 (0mi2) |
人口 (2017年(平成29年)12月31日現在)[2] | |
- 計 | 2,099人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 231-0045[3] |
市外局番 | 045 (横浜MA)[4] |
ナンバープレート | 横浜 |
伊勢佐木町(いせざきちょう)は、神奈川県横浜市中区の地名。現行行政地名は伊勢佐木町1丁目~7丁目(字丁目)からなり、伊勢佐木町通りに沿って北東 - 南西方向に約1.4km続く。住居表示未実施区域。郵便番号は231-0045[3]。北東端から地上は、吉田橋を抜けると馬車道につながり、一方、地下にはマリナード地下街があり、馬車道や関内駅につながっている。また、南西端は南区に接する。現在1丁目と2丁目は「イセザキモール」(全面歩行者天国)、3丁目~7丁目は「伊勢佐木町商店街」と呼ばれる。
Contents
沿革
現在の読みは「いせざきちょう」であるが、当初は「いせさぎちょう」と呼ばれた。 命名は諸説あり、当地の道路建設費用を寄付した三名(伊勢屋中川次郎兵衛、佐川儀右衛門、佐々木新五郎)にちなむとも、伊勢佐木町起立前に興行場を開場した伊勢文蔵・佐々木次年の両名にちなむともいわれている。
元々は入江を埋めた吉田新田の北一つ目沼地。沼地は寛文11年(1671年)までには埋め立てられ、耕地となっていた。 明治2年(1869年)には当地付近に港崎遊郭が移転し、吉原町が起立、明治5年(1872年)にはその遊郭も高島町に再移転し、区画を整理して明治7年(1874年)5月20日伊勢佐木町が起立した。 大区小区制では第1大区4小区に属し、明治11年(1878年)横浜区に編入され、明治22年(1889年)横浜市制施行で同市の1町となる。 昭和3年(1928年)松ヶ枝町、賑町、長島町の全域と長者町、久方町、末吉町の各一部を編入して南吉田橋際まで町域が拡大した。
繁華街の変遷
明治時代から商店などが集中したため、現在でも明治創業の店舗が残っている。
明治6年(1873年)に興行場が開かれ、大相撲も催される興行街となる。 明治15年(1882年)に遊郭が高島町から真金町へ再々移転すると、関内から遊郭への通り道となり、伊勢佐木町通りを中心に繁華街へ発展。 明治44年(1911年)にはドイツ人貿易商・ヴェルダーマンが日本最初の洋画封切館であるオデヲン座を開館、大正初期までには東京・浅草や大阪・千日前と並ぶ大繁華街となり、「ザキブラ」「イセブラ」なる言葉も生まれた。
関東大震災で大被害を受けたが復興は早く、昭和に入ってなおも大いに栄えるが、太平洋戦争で被災、更に戦後は占領軍によって接収される。昭和26年(1951年)返還が順次開始され、復興が本格化したのは昭和30年代に入ってからである。
昭和53年(1978年)からは恒久的なかたちでの歩行者天国が実施されている。また近年では、ミュージシャンのゆずがアマチュア時代にストリートライブをよく行っていた場所として知られている。
課題
昭和35年(1960年)頃から、砂利置き場であった横浜駅西口の本格的な大規模開発がはじまり、昭和45年(1970年)頃には、横浜駅エリアが横浜最大の繁華街としての地位を確立した。それにともない、伊勢佐木町の繁華街としての機能は徐々に低下し、現在では横浜駅エリアに大きく水をあけられている。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
伊勢佐木町1〜2丁目 | 28世帯 | 41人 |
伊勢佐木町3丁目 | 22世帯 | 38人 |
伊勢佐木町4丁目 | 151世帯 | 263人 |
伊勢佐木町5丁目 | 471世帯 | 649人 |
伊勢佐木町6丁目 | 285世帯 | 418人 |
伊勢佐木町7丁目 | 454世帯 | 690人 |
計 | 1,411世帯 | 2,099人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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伊勢佐木町1丁目 | 全域 | 横浜市立本町小学校 | 横浜市立横浜吉田中学校 |
伊勢佐木町2丁目 | 全域 | ||
伊勢佐木町3丁目 | 全域 | ||
伊勢佐木町4丁目 | 全域 | ||
伊勢佐木町5丁目 | 全域 | 横浜市立東小学校 | 横浜市立老松中学校 |
伊勢佐木町6丁目 | 全域 | ||
伊勢佐木町7丁目 | 全域 |
著名な店舗・寄席・劇場・映画館
現存する店舗
- 有隣堂書店本店
- 不二家(元町で創業しここに2番店を出した)
- 文明堂(横濱文明堂の本店。1946年に長崎総本店より経営分離。)
- イセビル(1926年竣工のテナントビル。昭和初期にはカフェーやダンスホールが入っていた。)
過去に存在した店舗
- 1921年野澤屋呉服店として創業。1934年には野澤屋、1973年に松坂屋の傘下に入ってノザワ松坂屋となり、1977年に横浜松坂屋となる。2004年本館・西館ともに横浜市歴史的建造物に認定された。2008年閉店。本館は2010年解体。跡地は、複合商業施設カトレヤプラザ伊勢佐木に生まれ変わった。
- 吉田橋南詰の鶴屋と1丁目の壽百貨店。1丁目の建物は元々越前屋百貨店だったのを鶴屋が買収したもの。区画整理のため吉田橋店を廃止し、1丁目の店舗を松屋横浜店として統合したが、昭和53年撤退。横浜松坂屋が買収して西館として運営していたが、現在はJRA場外馬券売場のエクセル伊勢佐木(有料制)になっている。
- 松喜屋
- 1919年(大正8年)呉服店として創業。戦後、百貨店に業態転換。屋上にあった灯台を模した構築物から、通称・赤灯台と呼ばれた。1969年、ユニーの前身であるほていや(創業地は伊勢佐木町)に店舗の営業を譲渡し、1976年にユニーに吸収合併された。2009年にピアゴイセザキ店に改称されたが、建て替えのため2013年8月に閉鎖され取り壊された。(ピアゴイセザキ店は2015年7月3日に跡地に建った新築建物で再開業している。)
- 森永キャンデーストア:レストラン。菓子専門店。1丁目に所在していた。
- ヨコチク:横浜最古のレコード店。
- 横濱カレーミュージアム:2001年丸井イセザキ館跡のパチンコ店「PIA」7・8階に出店し人気を呼んでいたが、2007年3月に閉館。
- 猫と泥棒:紅茶専門喫茶店。
- メトロナイトパレス:昭和初期に名を馳せたカフェー。
- サクラサロン:昭和初期に名を馳せたカフェー。
- ピーナッツ:無名時代の矢沢永吉らのバンド・ヤマトなどが出演していたディスコ。2丁目で営業していた。
- モカンボ:1954年の「モカンボ・セッション」で有名なナイトクラブ。2丁目で営業していた。
- 根岸家:横浜の戦後を語る上で欠かせない存在。24時間営業の酒場。1980年11月20日焼失。正式な所在地は隣接する若葉町。現在は駐車場。
現存する映画館
- 横浜ニューテアトル(2丁目)
- 横浜シネマリン(厳密には長者町に所在)
- シネマ・ジャック&ベティ(厳密には若葉町に所在)
過去に存在した寄席・劇場・映画館
- 横浜オデヲン座(日本最初の洋画封切映画館)
- 朝日ニュース(戦前の映画館。厳密に言えば伊勢佐木町ではなく福富町に所在。)
- 電氣館(戦前の映画館。厳密に言えば伊勢佐木町ではなく羽衣町に所在。)
- 常設館(戦前の映画館。松竹系。)
- 朝日館(新興映画劇場。戦前の映画館)
- 世界館(戦前の映画館)
- 帝国館(戦前の映画館)
- 横浜日活館(戦後裏手に横浜日活シネマを開設。後に両館敷地をもって横浜日活会館に改築。末期は洋画上映館・横浜オスカーになっていた。横浜日活会館自体は現存。)
- 敷島座(戦前の芝居小屋)
- 横浜花月劇場(戦前戦後に、吉本興業が所有していた劇場。寄席の「朝日座」を買収・改称した。1946年横浜グランド劇場に改称。洋画を上映。吉本撤退後に横浜東映会館が建設された。)
- 花月(戦前、吉本興業が所有していた寄席。「新富亭」を買収・改称した。)
- 寿館(戦前、吉本興業が所有していた寄席)
- 横浜東映会館(伊勢佐木町東映)
- 横浜ピカデリー(松竹直営。厳密に言えば伊勢佐木町ではなく長者町に所在。)
- 横浜大映劇場(旧・大都館。のち横浜松竹・横浜セントラル。厳密に言えば伊勢佐木町ではなく長者町に所在。)
- 横浜東亜映画劇場(二代目横浜オデヲン座。最晩年は大蔵映画直営。厳密に言えば伊勢佐木町ではなく曙町に所在。)
- 横浜東映劇場(旧・オリンピア劇場。「東急グリル」を併設。横浜東映会館とは別物。厳密に言えば伊勢佐木町ではなく長者町に所在。1963年に閉館するが、建物自体は2017年まで存在していた。)
- 関内アカデミー劇場
交通
伊勢佐木町にちなむ作品・人物など
- 音楽 「伊勢佐木町ブルース」青江三奈・唄、1968年:4丁目に歌碑が設置されている。
- 音楽 ゆず:デビュー前に横浜松坂屋本館前で歌っていた。
- 音楽 「長者町ブルース」クレイジーケンバンド・唄、1998年
- 音楽 「福富町ブーガルー」クレイジーケンバンド・唄、2008年
- 音楽 「夜霧の伊勢佐木町〜愛の真世界編〜」ゆず (北見川潤子&ムーチョ小岩沢)・唄、2014年
- ドラマ 「あぶない刑事」シリーズ:大通り公園とイセザキモールが登場。
- 映画 「やっさ、もっさ」渋谷実・監督 松竹 1953年
- 映画 「俺は待ってるぜ」蔵原惟繕・監督 日活 1957年:伊勢佐木町入口の裏辺りが映る。
- 映画 「白昼の襲撃」西村潔・監督 東宝 1970年
- 映画 「夜の歌謡シリーズ 伊勢佐木町ブルース」村山新治・監督 東映 1968年
- 映画 「ヨコハマメリー」中村高寛・監督 2006年
- 小説 「雑貨店」島崎藤村・作(初出「新潮」 1909年)
- 小説 「忘れ残りの記」吉川英治・作 文藝春秋社 1957年
- 小説 「われ過ぎし日に」豊田穣・作 講談社 1977年
- 小説 「人間関係」山田智彦・作 徳間書店 1987年
参考資料
- 『横浜伊勢佐木町周辺の劇場と映画館の変遷』柴田 勝・著 1972年
- 『都市ヨコハマをつくる』田村明・著 中央公論社 1983年
- 『都市ヨコハマ物語』田村明・著 時事通信社 1986年
- 『横浜イセぶら百科』神奈川新聞社編集局・編 神奈川新聞社 1986年
- 『そして、風が走りぬけて行った 天才ジャズピアニスト・守安祥太郎の生涯』植田紗加栄・著 講談社 1997年
- 『モロッコの辰 横浜愚連隊物語』山平重樹・著 大和書房 1996年
- 『聞き書き横濱物語』松葉好市・著 ホーム社 2003年
- 『昭和二十年の青空』赤塚行雄・著 有隣堂 2004年
- 『昭和30年代の神奈川写真帖・上巻』西潟正人・著 アーカイブス出版 2007年
- 『Old but new イセザキの未来につなぐ散歩道 』伊勢佐木町1・2丁目地区商店街振興組合・編 神奈川新聞社 2009年
- 『ヨコハマ伊勢佐木町 復活への道』山田泰造・著 日本経済新聞出版社 2009年
関連項目
- 関内
- 若葉町 (横浜市)
- 桜木町
- 野毛町
- 吉田町 (横浜市中区)
- 横浜港
- 日枝神社 (横浜市南区) - 伊勢佐木町界隈の総鎮守。通称「お三の宮」。
- 東京吉本 - 戦前から戦後にかけて伊勢佐木町に多くの劇場・映画館を所有。
- ザキ座
ギャラリー
- 2016年1月20日早朝.jpg
イセザキモール
出典
- ↑ “横浜市町区域要覧”. 横浜市 (2016年3月31日). . 2018閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 “横浜の人口 - 登録者数(市・区・町・外国人) - 町丁別世帯と男女別人口”. 横浜市 (2017年12月31日). . 2018閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 “郵便番号”. 日本郵便. . 2018閲覧.
- ↑ “市外局番の一覧”. 総務省. . 2018閲覧.
- ↑ 『映画館のある風景 昭和30年代盛り場風土記・関東編』 キネマ旬報社、2010年
- ↑ “小中学校等通学区域”. 横浜市 (2017年11月15日). . 2018閲覧.
- ↑ “第10回:戦前期日本の映画館写真(8)日本各地篇”. NFC Digital Gallery. 東京国立近代美術館フィルムセンター (2015年5月30日). . 2017閲覧.