葛野郡

提供: miniwiki
2018/8/5/ (日) 21:30時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索


ファイル:Kyoto Kadono-gun.png
京都府葛野郡の位置

葛野郡(かどのぐん)は、京都府山城国)にあった

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。

  • 京都市
    • 北区の一部(金閣寺町および大将軍・北野・小松原・等持院・平野・衣笠・大北山・中川・杉阪・真弓・小野・大森を冠称する各町)
    • 中京区の一部(聚楽廻・西ノ京・壬生を冠称する各町)
    • 下京区の一部(西七条・七条御所ノ内・梅小路・中堂寺・朱雀・八条を冠称する各町)
    • 南区の一部(八条・西九条・唐橋を冠称する各町)
    • 右京区の大部分(京北各町を除く)
    • 西京区の一部(大枝・大原野を冠称する各町を除く)

歴史

古代

隣接する愛宕郡とともに郡域の一部が平安京となった。

和名類聚抄』に記される郡内の。()内は訓。

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

テンプレート:山城国葛野郡の式内社一覧
神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
凡例を表示

近世以降の沿革

  • 旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領1は代官小堀数馬が管轄。●在方のみ本郡に所属した複数の町を含む通称で、本項では1町として数える。(3町78村)
  • 慶応4年
  • 明治6年(1873年)(3町76村)
    • 窪村が常盤村に合併。
    • 常盤村・谷村が合併して常盤谷村となる。
  • 明治7年(1874年)(3町65村)
    • 鳴滝村・福王子村が合併して宇多野村となる。
    • 木辻村・池上村・法金剛院村が合併して花園村となる。
    • 一之瀬村・中島村・善妙寺村・平岡村が合併して梅ケ畑村となる。
    • 門前村・市川村・中里村・安養寺村が合併して太秦村となる。
    • 生田村・高田村が合併して嵯峨野村となる。
    • 上村・下村が合併して小野村となる。
  • 明治8年(1875年)(3町61村)
    • 中村・東河内村・西河内村が合併して大森村となる。
    • 二条御城廻が西ノ京村に、池裏村が上嵯峨村にそれぞれ合併。
    • 天竜寺門前が改称して天竜寺村となる。
  • 明治10年(1877年) - 宿村が川勝寺村に合併。(3町60村)
  • 明治12年(1879年4月10日 - 郡区町村編制法の京都府での施行により下記の変更が行われる。(60村)
    • 行政区画としての葛野郡が発足。郡役所が太秦村に設置。
    • 紙屋川町が上京区、三条新畑・来迎堂廻りが下京区のそれぞれ一部となる。
  • 明治14年(1881年) - 御室門前村が改称して御室村となる。

町村制以降の沿革

ファイル:Kyoto Kadono-gun 1889.png
1.衣笠村 2.朱雀野村 3.大内村 4.七条村 5.太秦村 6.西院村 7.京極村 8.桂村 9.川岡村 10.松尾村 11.梅津村 12.嵯峨村 13.下嵯峨村 14.花園村 15.小野郷村 16.中川村 17.梅ヶ畑村(紫:京都市)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(17村)
    • 衣笠村 ← 大将軍村、北野村、大北山村、小北山村、松原村、等持院村(現・京都市北区)
    • 朱雀野村 ← 壬生村、西ノ京村、聚楽廻(現・京都市中京区)
    • 大内村 ← 東塩小路村、朱雀村、中堂寺村(現・京都市下京区)、西九条村、八条村(現・京都市下京区、南区)
    • 七条村 ← 西七条村、西塩小路村、梅小路村、御所ノ内村(現・京都市下京区)、唐橋村(現・京都市南区)
    • 太秦村 ← 嵯峨野村、太秦村、安井村、中野村、常盤谷村(現・京都市右京区)
    • 西院村 ← 西院村(現・京都市下京区、右京区)、山之内村(現・京都市右京区)
    • 京極村 ← 川勝寺村、郡村、徳大寺村[字団子田](現・京都市右京区)
    • 桂村 ← 上野村、徳大寺村[字団子田を除く]、上桂村、千代原村、下桂村(現・京都市西京区)
    • 川岡村 ← 下津林村、牛ヶ瀬村、川島村、岡村(現・京都市西京区)
    • 松尾村 ← 上山田村、松室村、松尾谷村、下山田村、御陵村(現・京都市西京区)
    • 梅津村 ← 東梅津村、西梅津村(現・京都市右京区)
    • 嵯峨村 ← 天竜寺村、上嵯峨村、水尾村、原村、越畑村(現・京都市右京区)
    • 下嵯峨村(単独村制。現・京都市右京区)
    • 花園村 ← 花園村、御室村、宇多野村、谷口村(現・京都市右京区)
    • 小野郷村 ← 杉阪村、小野村、大森村、真弓村(現・京都市北区)
    • 中川村(単独村制。現・京都市北区)
    • 梅ケ畑村(単独村制。現・京都市右京区)
  • 明治35年(1902年2月1日 - 大内村の一部(東塩小路町・西九条)が京都市に編入。下京区の一部となる。
  • 明治36年(1903年12月1日 - 下嵯峨村が嵯峨村に編入。(16村)
  • 大正7年(1918年)4月1日(12村)
    • 衣笠村が京都市上京区に編入。
    • 朱雀野村・大内村・七条村および西院村の一部(西院の一部)が京都市に編入。下京区の一部となる。
  • 大正12年(1923年)4月1日(1町11村)
    • 郡会が廃止。郡役所は存続。
    • 嵯峨村が町制施行して嵯峨町となる。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和6年(1931年)4月1日 - 京極村・川岡村・西院村・梅津村・桂村・松尾村・嵯峨町・太秦村・花園村・梅ケ畑村が京都市に編入。同区域をもって右京区が発足。(2村)
  • 昭和17年(1942年)7月1日 - 「北山城地方事務所」が京都市に設置され、愛宕郡乙訓郡とともに管轄。
  • 昭和23年(1948年)4月1日 - 中川村・小野郷村が京都市に編入。上京区の一部となる。同日葛野郡消滅。

変遷表

行政

  • 歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治11年(1879年)4月10日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. 神服数人、川端清益、安本秀綱、梅ヶ畑供臣人、大国有■(車+卩)、長沢員堅、藤田義之、宮本亮周、西大路実邦、大沢仙丸、大■(草冠に聿)兵部、青盛富、小■(草冠に聿)善大夫各知行が記載されている。
  2. 三条通沿いの各町の在方の石高の合計とみられる。
  3. 記載は三条台。
  4. 安本秀綱、池上幸太郎の各知行が記載されている。
  5. 現・下京区来迎堂町とみられる。
  6. 6.0 6.1 6.2 八条村のうち。本項では八条村を1村として数える。
  7. 記載は紙屋川村。
  8. 記載は広隆寺門前。
  9. 記載は大石中里村。
  10. 記載は中村。
  11. 記載は川端村。
  12. 記載なし。

参考文献

関連項目