歴史教科書問題
歴史教科書問題(れきしきょうかしょもんだい)では、歴史教科書の記述や、ある歴史の認識や解釈をめぐって関係各国で発生した諸問題を扱う。
歴史教科書問題がしばしば話題にあがる地域としては、ドイツおよび日本の周辺地域が挙げられる。
日本の周辺地域では、日本国・中華人民共和国・大韓民国間で、教科書の記述と歴史認識について論争となることが多い。日本の教科書問題は、中国では「歴史認識問題」と呼ばれ、韓国では「歴史歪曲問題」とも言われるが、韓国は国内の保守派と革新派の対立から独自の教科書問題も抱える。
また日本では、教科用図書検定や教科書採択も議題になる。近隣諸国条項も参照。
Contents
ドイツの歴史教科書
第一次世界大戦以前は、国民国家の教育として、自国の戦争は正当防衛、他国の戦争は侵略戦争、他国の征服は文明を広め、福音の光を点し、高い道徳や禁制ほか高貴なことを広めたと信じるよう教育された[1][2]。
1925年、知的協力国際委員会は、カサレス決議にて「諸民族間の精神的接近を達成するための最も有効な方法の一つが、青少年を他国に対する重大な誤解に導きうる誤った印象を与える性質の内容を教科書から抹消、訂正することにあるとの理解に基づき」、各国委員会に対し互いに修正要求を送るよう、協力を要求したが、高い評価を得た一方、拘束力が無く、1926年から1930年の間に3件適用されるにとどまった[3][4]。1930代の国際会議においてドイツは非協力的であり「ナショナリズムに刻印された歴史教育を弁護して、共同作業を不可能にし」た[5][6]。
1944年、連合国は1933年以前のヴァイマル共和国の全教科数百点の教科書を検査、そのまま使用に耐えうるものは小学校用の8冊のみ、と否定的結論を下し[7][8]、ドイツ占領後の約1千点の教科書に対しては、さらに厳しい見解を示した[9][10]。
第二次世界大戦後、1950年からドイツ・フランス間で[11]、1972年からドイツ・ポーランド間で教科書改善が開始され[12][13]、2008年、ドイツ・フランス共通歴史教科書を刊行するに至った[14][15]。
日本の歴史教科書問題
戦前
日中間の歴史教科書問題は、第二次世界大戦以前にも存在し、1914年9月13日、東京日日新聞「支那政府に厳談せよ」記事で、中国の反日的な教科書に対する抗議を主張したことをきっかけに、日中両国が互いに相手の教科書を問題として外交問題になった[16]。
戦後
家永教科書裁判
1962年、家永三郎らによって執筆された高等学校日本史用の教科書『新日本史』(三省堂)が教科用図書検定で不合格とされ、実際に日本国内の高等学校で使われることはなかった。家永三郎は「教科用図書検定は検閲に当たり、憲法違反である」として3回にわたって日本国などに対して裁判を起こす。第1次と第3次の訴訟では、一部家永側の主張が認められ、国の裁量に行きすぎがあったとされたものの、家永の主張の大半は退けられ、日本国憲法下において教科用図書検定は制度として合憲・適法とされた。教科用図書検定について争われた裁判には、ほかに例が少なく、判決理由として示された事項は、現代社会における教育裁判でも参考にされる。
第一次教科書問題
各新聞の1982年(昭和57年)6月26日付朝刊が、日本国内の教科用図書検定において、昭和時代前期の日本の記述について「日本軍が「華北に『侵略』」とあったのが、文部省(現在の文部科学省)の検定で「華北へ『進出』」という表現に書き改めさせられた」と報道され、日本と中国、韓国との間で外交問題に発展した。これは第一次教科書問題といわれる[17]。
当初は大きな問題として扱われていたわけではないが、7月20日前後から「歴史教科書改ざん」キャンペーンが展開され、7月26日に中国政府から日本政府に正式に抗議が行われた。この問題に関連して、小川平二文部大臣が「外交問題といっても、内政問題である」などの発言をし、松野幸泰国土庁長官が「韓国の歴史教科書にも誤りがある」「日韓併合でも、韓国は日本が侵略したことになっているようだが、韓国の当時の国内情勢などもあり、どちらが正しいかわからない」と発言をしたことから、韓国からも強い反発も招き[18]、韓国の『東亜日報』は21日のトップ記事で侵略美化を憂慮する報道をした[19]。この問題を解決するため、8月26日に『「歴史教科書」に関する宮澤喜一内閣官房長官談話[20]』が発表されたが、中国は「宮沢官房長官談話には満足しうる明確かつ具体的是正措置がなく、中国政府はこれに同意できない。」と回答、同日、小川文相が国会の教科用図書検定調査審議会への諮問に「隣接諸国との友好親善に配慮すべき」との一項目を加えることを表明したことで、9月9日に中国政府は「まだ暖昧ではっきりせず満足できない部分もあるが、これまでの説明に比べれば一歩前進したものであり、今後採られる具体的行動及びその効果を更に見守ってゆく」と了承し、韓国政府も「日本政府の 努力を多とする」と回答して、外交的には収束した[21][22][23]。
文部科学省においては、教科用図書検定基準の中に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」という近隣諸国条項の追加が談話と連動して行われ、文部省内は中国と韓国に関する教科書会社の記述は全て認め訂正は無しにせざるを得ないという雰囲気に陥った。
このとき文部官僚として条項導入を担当した加戸守行は、「一方の教科書会社側は『削れるものなら削ってみろ』という勢いで自虐史観の記述を強めていき、条項導入前より過激な内容になった」と当時の状況について述べている[24]。
以後韓国では1983年6月に『中央日報』と『朝鮮日報』が、高校教科書検定の実態が明らかになると1984年6月に『朝鮮日報』が連載記事を掲載し、日本の教科書問題に関心を持ち続けるようになった[25]。
なお、この問題のきっかけとなった報道は誤報であり、その原因は文部省の記者クラブの合同取材に拠るもので、一人の記者が勘違いした内容を取材に参加していた各メディアが一斉に報道したためであるという主張もある[26]。
第二次教科書問題
「日本を守る国民会議(現在の日本会議、以下「国民会議」)」編の高校用教科書『新編日本史[27]』(原書房) を中国が批判。中曽根康弘首相が文部省に検討を要請し、5月27日に異例の再審議が行われた[28]。これは第二次教科書問題ともいわれる[29]。この『新編日本史』は「皇室への敬意を育む」「神話を通して建国を理解させる」などの方針に基いて編纂されており、天皇の人間宣言を掲載しないなど天皇中心の記述が多かった[30]。特に人間宣言非掲載については4回にわたる文部省との折衡の焦点となり、『新編日本史』を作成した国民会議側は「人間とか神格否定の語句だけは絶対入れたくない」と主張した[31]。こうしたさなか国民会議支援の懇談会が不二歌道会、新日本協議会など40数団体が集結して開かれ、政府・文部省に対する糾弾大会の開催が決定した[32]。結局『新編日本史』は検定に合格したものの昭和62年8月の締め切りで32校8900部に留まるなど採択率は低く、その理由として朝日新聞が批判記事を書いたことを「悪質な妨害活動」と神社新報は糾弾している[33]。
なお一連の件について家永は「立場は違うが、検定で落とせとは口が裂けても言えない」と語り、教科書は自由発行・自由採択であるべきとの持論を述べた[34]。
現在に至るまで
第一教科書問題を発端に、以降も90年代から2000年代にかけて歴史教科書問題は、歴史認識問題と連動してしばしば中国・韓国との外交問題となってきた。中国・韓国の主張を記述する過度な配慮がある教科書が目立ち、中国・韓国が外交問題にする可能性がある部分には検定意見は付けないというように近隣諸国条項が呪縛になっている[35]。
2001年に教科用図書検定に合格した『新しい歴史教科書』(扶桑社) は、中学校社会科の歴史教科書として新しい歴史教科書をつくる会によって執筆された[36]。この教科書は、大江健三郎等[37]17名によって、「検定申請本から「従軍慰安婦」「燼滅作戦」「731部隊」などへの言及が激減し、日本の朝鮮植民地支配や中国侵略を正当化している」と主張、「加害の記述を後退させた歴史教科書を憂慮し、政府に要求する」という要望書が公表されている[38]。
2011年、沖縄県の八重山地区(石垣市、与那国町、竹富町)で、文部科学省が2002年8月に出した通知、「教科書制度の改善について」[39]に基づく改革の実施に対し、「新しい歴史教科書をつくる会」の自由社・育鵬社の中学歴史・公民教科書の採択反対を主張する勢力が、「つくる会」系教科書の採択のための改革と主張。改革に対するネガティブ・キャンペーンとしての教科書採択を巡る騒動へと発展した。当初、この騒動は歴史の教科書に重点が置かれていたが、育鵬社版の公民の教科書が採択されると、与那国島への自衛隊配備反対を主張する勢力も加わり、自衛隊配備に対するネガティヴ・キャンペーンとしての性質も帯びることとなった。
なお、この騒動は厳密には歴史教科書問題ではないが、前述の通り、「つくる会」系教科書反対派が当初、歴史教科書の採択反対に重点を置いたため、便宜上本項に分類する(八重山教科書問題)。
また、2014年3月から韓国で一部採択される教学社による教科書は日本の植民地支配が朝鮮半島を近代化させたと記述し、李承晩、朴正煕大統領を肯定的に扱い6・15南北共同宣言を批判的に扱っているため歴史を歪曲するものとして騒動になった[40]。
大学入学試験記述問題
2004年1月に行われた大学入試センター試験における世界史B第1問, 問5[3]で、「日本統治下の朝鮮で、第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた」との選択肢が正答に設定されていたことに対して、ある受験者が「第二次大戦当時の言葉としてはなかった」と、採点からのこの問題の除外を求める仮処分申し立てを2004年2月に東京地方裁判所に起こした(2004/2/4 産経新聞)。
韓国の歴史教科書問題
再国定化および革新派と保守派の対立
軍事独裁政権下の1974年に朴正煕が導入した国定の歴史教科書が長く使われてきたが、歴史学会や国民から批判を受けて、リベラル派(革新系)の盧武鉉政権が2007年に国定制度の廃止を決定。その後は検定制度が導入されて、複数の民間企業が教科書を作成し、学校側が自主的にそれを選ぶという仕組みに変わった。
しかし実際に出来た検定教科書が革新派系に偏ったため、保守派の李明博が政権につくと、再び国定教科書復活へ向けた揺り戻しが始まり、同じく保守派の朴槿恵政権がこの動きを本格化し、教育部が国定化を議論する討論会を開いた。ところが、これには韓国の歴史学会(革新系)が「政権ごとに異なる『国論』に立脚して国定教科書を作るということは、時代錯誤的発想でしかない。むしろ『国論分裂の種』を撒くことになる」と猛反発し[41]、朴正煕時代をはじめとする過去の独裁政権時代や日帝時代が美化されるという懸念を訴え、歴史を教える教師の97%が国定化に反対するとした調査結果も公表された。一方で保守系の団体は、民主化運動や反政府デモなど革新派運動を取り上げる量が多すぎると批判した[42]。
革新派と保守派はそれぞれが双方の歴史観に対して非難で応酬していたが、「正しい歴史」と称する韓国高校歴史教科書をめぐる左右両派による激しい「歴史戦争」は革新派の勝利に終わった。2014年3月からの新学期を前に、保守派の執筆した教学社の『韓国史』は検定を通過したが、その教科書は学校側で(1校を除いて)採択されなかったからである。当初は、約20校が一旦は教学社の教科書採択を決めたが、革新系の教員労組「全教組」や野党、市民団体、同窓生、父母などが抗議に押しかけ、脅迫電話が鳴り続けるなどしたために、後にすべての学校が採択を取り消してしまった[43]。
この状況に対してニューズウィーク誌は、軍事独裁者朴正煕の娘である朴槿恵は、国定教科書によって父の時代を美化したいのかもしれないと指摘しながら、「韓国の歴代政権は、日本が歴史教科書で過去を歪曲しているとして非難を繰り返してきた。その韓国で教科書が再び国定化されれば、歴史問題で日本を批判してきた韓国政府は自己矛盾に陥りかねない。再国定化すれば、政権は自国の歴史を自分たちの都合のいいように『修正』する誘惑に駆られるからだ。」[42]と書いて、無理強いすれば、父の独裁政権への再批判という火の粉が自分に降り掛かることになると指摘した。
その後、2015年10月12日、政府は韓国史の教科書を再び国定化することを発表した。新しい国定教科書は2017年入学生から使用される予定であった。しかし、実際に採用した学校はほとんどなく、さらに政権交代によって革新派の文在寅が大統領に就任すると、選挙中の公約であった国定教科書廃止、検定制度の復活を指示したため、国定教科書が日の目を見ることはなかった。
中国と韓国の争点
中国と韓国は、中朝国境と同地帯の歴史的背景について、意見を異にしている。かつての天朝と属国という背景から、両国間も歴史問題の根は深く、共同研究などは進められているが意見の隔たりは大きい。
- 高句麗史
- 中国大陸・・・当時の中国の地方政権の一つであり、高句麗の歴史は中国の歴史である。
- 韓国・・・高句麗の歴史が韓国の歴史の一部であることは明白で、中国の歴史であるという言い分は歪曲でしかない。
- 詳細は東北工程を参照
中国の歴史教科書問題
非民主国家である中華人民共和国においては、政府が国内における批判の声を封殺しているが、国外からはその行き過ぎたナショナリズムと愛国主義・愛国教育は批判の対象となっている。
中国の歴史教科書への指摘
- 中国戦線での日本軍との戦いがなければアメリカ軍や連合国の勝利がなかったなどと、第二次世界大戦での中国の役割を過大評価している。
- ソ連が日ソ中立条約を反故にし満州侵攻をしたことを、世界平和の貢献を担ったと讃えるなど、その後シベリア抑留など苦痛を味わった日本国民の感情を無視している。
- 中国は国民党政府軍と英米軍と日本軍のミャンマーでの戦いを、自国の海外での初めての戦いとしている。しかし、それは李氏朝鮮が実質清の従属国であったと位置づけ、日清戦争で朝鮮半島と戦った事実を無視していることになる。
- 日清戦争の最中、旅順で起きた日本軍による清の非戦闘員の虐殺に関して、「被害者が慰霊されている万忠墓は、日本軍に刃物などでズタズタになるまで殺されたあの惨劇を忘れてはいけないと警告している」などと、生徒に対し反日感情を抱かせるような記述になっている。
- 日本の侵略による中国人の死者は約1000万人とされているが中国の歴史教科書では約3000万人と多い。
大連日本人学校用教科書没収事件
2005年6月27日、中国大連市にある大連日本人学校が教材として使うため日本から取り寄せた資料集や問題集、CDなどが大連の税関で没収されていたことが判明した。小学生用の「社会」や中学生用の「歴史」や「公民」の副教材が初めて差し押さえを受けた。大連当局は、「台湾が独立した国として扱われ、“一つの中国”という大原則に違反している」「尖閣諸島が日本領としている地図がある」などと主張。それらの教材は『違法図書』として罰金を日本人学校の関係者に要求した[44]。
日本人学校側が、罰金1千元と始末書を提出することで、事態は沈静化した[44][注 1]。
日本人学校で使用される教科書は、文部科学省の外郭団体である『海外子女教育振興財団』が手配をしているが、授業を補助するために使用される副教材は日本人学校が選択しているため、中国国内では日本国内の出版物の検閲が強まりつつあるという見方がある[44]。
多国間での歴史教科書への取り組み
問題点
米スタンフォード大学アジア太平洋研究センターによる日中韓米台の歴史教科書比較研究では、「日本の教科書は戦争を賛美せず、最も抑制的」「非常に平板なスタイルでの事実の羅列であり、感情的なものがない」と評価された。韓国の歴史教科書については「韓国は日本が自国以外に行った行為には興味はなく、日本が自分たちに行ったことだけに関心がある。」とし、自己中心的にしか歴史を見ていないと指摘した。また、中国の歴史教科書は「共産党のイデオロギーに満ちており、非常に政治化されている。」と批判している[45]。
歴史教科書問題の解決に向けていくつかの方法が考えられるが、根本的な解決のためには「中国や韓国が持つ歴史認識を日本人も共有しなければならない」という論調がメディアなどでは強い。しかしながら、教育システムが全く違う国において、双方の国が要求するような共通の教育を行うことは難しい。また中国に関しては、民主主義体制を敷いていないが故に広く公正に論じる為には広く客観的に公正に教科書問題について論じなければならないが、反体制・現在や過去の歴史上、中国共産党に非があると記載される事に繋がる記述には検閲や禁止などの政策が敷かれて言論の統制が残る現状では非常に難しい。
2005年5月7日に町村信孝外務大臣が李肇星外相と会談し、中国の歴史教科書の偏った記述内容の改善を要求したが拒否されている。同年7月9日、町村外務大臣が日本で採用された歴史教科書の一部(近代歴史)を中国語・朝鮮語に翻訳し外務省のホームページで8月ごろに公開することを決めた。
共同の歴史書・歴史教科書の制作
政府間プロジェクト
日韓の国家間のプロジェクトとして、日韓歴史共同研究事業がある。
民間プロジェクト
2004年(平成16年)8月、中国社会科学院近代史研究所の呼びかけで、日本国・中華人民共和国・大韓民国の3国の一部の識者共同で歴史書を制作することが発表され、2005年(平成17年)5月に3か国で発売された(邦題『未来をひらく歴史:日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史[46]』)。この教材の内容に関しては、賛否両論がある。
- 肯定的評価
- 自国中心ではなく、東アジア史の視点で記述されている。
- 各国の教科書でこれまで記述されていなかったことが、数多く記述されている。
- 日本・中国・韓国の歴史教育関係者が共同して作成した、初めての歴史教材である。
- 各国の執筆者がそれぞれの立場でできるだけ公平な歴史認識で記述しようと努めている。
- 否定的評価
- 元々このプロジェクトが立ち上げた中国側の意図は「昨今の日本独自の歴史観や自由主義史観による歴史教科書に対抗するため」であった。
- 反日的な内容が多く含まれている。
- 戦後60年の各国の動向の記述が少ない(チベット問題、ベトナム戦争など)。
- あとがきによれば「同じ内容の本を三国の言葉で同時発刊」とのことであるが、日本と韓国で発行された本の間で朝鮮戦争の記述などに全く異なる部分がある。そのようなこの本の現状が、まさに歴史認識の共有の困難さを示している。
- 各国からの参加者が限定的で、例えば日本からの参加者には 野平晋作(ピースボート)、小河義伸(平和を実現するキリスト者ネット事務局代表)、高嶋伸欣(琉球大学教授)、松井やより(元『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク代表)[47]など研究者ではない左翼系の政治運動家・市民運動家だけが参加し、政治的偏向が強い。
注釈
- ↑ 。
出典
- ↑ 近藤 1993, p. 14.
- ↑ Meyer, Enno, Die deutsch-polnischen Schulbuchgespräche von 1937/38, in: Internationale Schulbuchforschung, 10.Jg. (1988), H.4, S.404.
- ↑ 近藤 1993, pp. 15,16.
- ↑ 吉岡 2014, p. 96.
- ↑ 近藤 1993, p. 33.
- ↑ Meyer, Die deutsch-polnischen Schulbuchgespräche S.406.
- ↑ 近藤 1993, pp. 35.
- ↑ Pakschies, Gunter, Umerziehung in der Britischen Zone 1945-1949, Beltz Verlag, Weinheim, 1979, S.173.
- ↑ 近藤 1993, pp. 36.
- ↑ Schuddekopf, Zwanzig Jahre, S.18.
- ↑ 近藤 1993, p. 60.
- ↑ 近藤 1993, p. 117.
- ↑ 吉岡 2014, pp. 95-103.
- ↑ Geiss, Le Quintrec 2008.
- ↑ ガイス, ル・カントレック 2008.
- ↑ 川島真「最初の歴史教科書問題」(日本経済新聞、2009年10月26日)
- ↑ 清水美和「中国はなぜ反日になったか」文春新書,113-117頁。毛里和子「日中関係」岩波新書,2006年,122頁
- ↑ 日韓文化交流基金 「教科書編纂制度の変遷/教科書問題の史的変遷」
- ↑ 高崎宗司『反日感情』講談社現代新書、p56-p60
- ↑ 「歴史教科書」に関する宮沢内閣官房長官談話(1982年〔昭和57年〕8月26日、日本国外務省)
- ↑ 中央大学論集第30号抜刷 「宮津談話に関する 一史料」
- ↑ 清水美和「中国はなぜ反日になったか」文春新書,114頁
- ↑ 高崎宗司『反日感情』講談社現代新書、p60
- ↑ 「自虐史観記述の源流「近隣諸国条項」撤廃も」, 産経ニュース, 2013年4月11日.
- ↑ 高崎宗司『反日感情』講談社現代新書、p64
- ↑ 産経新聞 2017.4.30 08:00 教科書検定「侵略→進出」は大誤報だった 「虚に吠えた中韓」暴いた渡部昇一さん[1]
- ↑ なお現在明成社からこの教科書の改訂版というべき教科書が「最新日本史」というタイトルで刊行されている。
- ↑ 高崎宗司『反日感情』p65
- ↑ 清水美和「中国はなぜ反日になったか」文春新書,126頁。毛里和子「日中関係」岩波新書,2006年,122頁
- ↑ 高崎宗司『反日感情』p65
- ↑ 『神社新報』昭和61年7月14日1面
- ↑ 『神社新報』昭和61年7月14日1面
- ↑ 『神社新報』昭和62年8月15日1面
- ↑ 1993/03/18 読売新聞朝刊[2]
- ↑ http://www.sankei.com/life/news/130411/lif1304110013-n1.html]「自虐史観記述の源流「近隣諸国条項」撤廃も」,産経ニュース,2013年4月11日.
- ↑ 「新しい歴史教科書」第270頁―日中戦争
- ↑ 荒井信一、井出孫六、井上ひさし、入江昭、鵜飼哲、大石芳野、金子勝、佐藤学、東海林勤、小森陽一、隅谷三喜男、高橋哲哉、三木睦子、溝口雄三
- ↑ 坂本義和『人間と国家(下) -ある政治学徒の回想-』岩波書店 岩波新書1317 2011年 208ページ
- ↑ 教科書制度の改善について(2002年〔平成14年〕8月30日、日本国文部科学省)
- ↑ 「植民地支配で韓国は近代化」歴史教科書合格で騒動=韓国 Searchina 2013/09/03
- ↑ “韓国:7つの歴史学会が「国定教科書中断」で共同声明”. レイバーネット. (2014年8月24日) . 2014閲覧.
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- ↑ 44.0 44.1 44.2 “中国・大連 日本人学校の教材没収 「台湾」「尖閣」記述を問題視”. 産経新聞. (2005年6月28日)
- ↑ 読売新聞 2010年12月16日
- ↑ 日中韓3国共通歴史教材委員会・編著『未来をひらく歴史:日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史』(高文研) - ISBN 4874983413
- ↑ 歴史教育アジアネットワークJAPANを参照
参考文献
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- 藤岡信勝 『「自虐史観」の病理』 文藝春秋〈文春文庫〉、2000-10。ISBN 978-4167196042。
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- 藤岡信勝 『これだけは譲れない歴史教科書10の争点』 徳間書店、2005-06。ISBN 978-4198620219。
- 自由主義史観研究会 『教科書が教えない歴史』 扶桑社、1996-08。ISBN 978-4594020408。
- 西尾幹二 『民族への責任』 徳間書店、2005-05。ISBN 978-4198620110。
- 西尾幹二 『異なる悲劇日本とドイツ』 文藝春秋〈文春文庫〉、1994-10。ISBN 978-4163493602。
- 西尾幹二 『歴史と科学』 徳間書店〈PHP新書〉、2001-10。ISBN 978-4569618081。
- 『国民の油断―歴史教科書が危ない!』 PHP研究所〈PHP文庫〉、2000-05。ISBN 978-4569574110。
- 坂本多加雄 『歴史教育を考える』 PHP研究所〈PHP新書〉、1998-02。ISBN 978-4569559759。
- 秦郁彦 『現代史の争点』 文藝春秋〈文春文庫〉、2001-08。
- 秦郁彦 『現代史の光と影―南京事件から嫌煙権論争まで』 グラフ社、1999-06。ISBN 978-4766205374。
- 『入門 韓国の歴史―国定韓国中学校国史教科書』 三橋広夫訳、明石書店〈世界の教科書シリーズ〉、1998-10。ISBN 978-4750310848。
- 申奎燮 『新版 韓国の歴史―国定韓国高等学校歴史教科書』 大槻健, 君島和彦訳、明石書店、2000-04。ISBN 978-4750312736。
- 人民教育出版社地理社会室 『わかりやすい中国の歴史』 大沼正博訳、明石書店〈世界の教科書シリーズ〉、2000-11。ISBN 978-4750313429。
- 木村幹 『日韓歴史認識問題とは何か』 ミネルヴァ書房〈叢書・知を究める〉、2014-10。ISBN 978-4623071753。
関連項目
- 歴史認識
- 反日教育
- b:歴史学 - b:日本史 - b:世界史
- 教科書 - 教科用図書検定 - 近隣諸国条項 - 文部科学省
- 家永教科書裁判
- 八重山教科書問題
- 新しい歴史教科書をつくる会 - 日本会議
- 家永三郎 - 小林よしのり
- 自虐史観
- 親日 - 反日 - 嫌韓
- 日本における検閲
外部リンク
- 検定教科書履修義務不存在確認等請求事件 判決 (2001年〔平成13年〕12月6日東京地方裁判所判決 平成9年(行ウ)第92号)
- 財団法人教科書研究センター(現在・過去に採用された教科書が閲覧、複写できる)
- ドイツ・ポーランド共通教科書会議