安政
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安政(あんせい)は日本の元号の一つ。嘉永の後、万延の前。1855年[1]から1860年までの期間を指す。この時代の天皇は、孝明天皇。江戸幕府将軍は、徳川家定、徳川家茂。
改元
朝廷は「文長」を希望していたが、幕府の介入によって「安政」に差し替えられ、実施日も前将軍徳川家慶の月法要(毎月22日)終了後に変えられた[2]。
安政年間の出来事
安政期には大きな地震が相次いで発生したが、安政伊賀地震・安政東海地震・安政南海地震・豊予海峡地震は、「安政」への改元前の嘉永7年に発生した地震である。 このため、これらの地震は本来「嘉永の大地震」と称すべきだという見解がある[3]。
一方、明治の改元にあたっては詔勅で「慶応4年(1868年)を明治元年と改元する」としており、慶応4年1月1日に遡って明治元年と改元されているのだから(立年改元)、これ以前も例えば、嘉永7年(1854年)は1月1日に遡り安政元年に改元されたとも解釈され、歴史年表も安政元年を採用しているので「安政の大地震」とすべきという見解もある[4]。
また、日本史的大事件として江戸幕府崩壊の引き金となる安政の大獄や桜田門外の変が起きた。
誕生
- 安政2年(1855年): 犬養毅(第6代立憲政友会総裁、第29代内閣総理大臣)
- 安政3年(1856年): 原敬(第3代立憲政友会総裁、第19代内閣総理大臣)
- 安政5年(1858年): 斎藤実(海軍大将、第30代内閣総理大臣)
- 安政5年 ( 1858年) : 山本兵吉 (猟師、三毛別羆事件のヒグマを仕留めた人物)
- 安政7年(1860年): 加藤高明(初代憲政会総裁、第24代内閣総理大臣)
死去
- 安政2年(1855年): 江川英龍(享年55)、遠山景元(享年63)
- 安政4年(1857年): 阿部正弘(享年39)
- 安政5年(1858年): 徳川家定(享年35)、島津斉彬(享年50)
- 安政6年(1859年): 安島帯刀(享年49、安政の大獄で切腹)、梅田雲浜(享年45、安政の大獄で獄死)、橋本左内(享年26、安政の大獄で刑死)、頼三樹三郎(享年34、安政の大獄で刑死)、吉田松陰(享年30、安政の大獄で刑死)
- 安政7年(1860年): 井伊直弼(享年46、桜田門外の変で害死)
西暦との対照表
※は小の月を示す。¶は改元月を示す。
安政元年(甲寅) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月 | 五月※ | 六月 | 七月 | 閏七月※ | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月※¶ | 十二月 |
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グレゴリオ暦 | 1854/1/29 | 2/27 | 3/29 | 4/27 | 5/27 | 6/25 | 7/25 | 8/24 | 9/22 | 10/22 | 11/20 | 12/20 | 1855/1/18 |
ユリウス暦 | 1854/1/17 | 2/15 | 3/17 | 4/15 | 5/15 | 6/13 | 7/13 | 8/12 | 9/10 | 10/10 | 11/8 | 12/8 | 1855/1/6 |
安政二年(乙卯) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月※ | 五月 | 六月 | 七月※ | 八月 | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月※ | |
グレゴリオ暦 | 1855/2/17 | 3/18 | 4/17 | 5/16 | 6/14 | 7/14 | 8/13 | 9/11 | 10/11 | 11/10 | 12/9 | 1856/1/8 | |
ユリウス暦 | 1855/2/5 | 3/6 | 4/5 | 5/4 | 6/2 | 7/2 | 8/1 | 8/30 | 9/29 | 10/29 | 11/27 | 12/27 | |
安政三年(丙辰) | 一月 | 二月※ | 三月※ | 四月 | 五月※ | 六月 | 七月※ | 八月 | 九月 | 十月 | 十一月※ | 十二月 | |
グレゴリオ暦 | 1856/2/6 | 3/7 | 4/5 | 5/4 | 6/3 | 7/2 | 8/1 | 8/30 | 9/29 | 10/29 | 11/28 | 12/27 | |
ユリウス暦 | 1856/1/25 | 2/24 | 3/24 | 4/22 | 5/22 | 6/20 | 7/20 | 8/18 | 9/17 | 10/17 | 11/16 | 12/15 | |
安政四年(丁巳) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月※ | 五月 | 閏五月※ | 六月 | 七月※ | 八月 | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月 |
グレゴリオ暦 | 1857/1/26 | 2/24 | 3/26 | 4/24 | 5/23 | 6/22 | 7/21 | 8/20 | 9/18 | 10/18 | 11/17 | 12/16 | 1858/1/15 |
ユリウス暦 | 1857/1/14 | 2/12 | 3/14 | 4/12 | 5/11 | 6/10 | 7/9 | 8/8 | 9/6 | 10/6 | 11/5 | 12/4 | 1858/1/3 |
安政五年(戊午) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月※ | 八月 | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月 | |
グレゴリオ暦 | 1858/2/14 | 3/15 | 4/14 | 5/13 | 6/11 | 7/11 | 8/9 | 9/7 | 10/7 | 11/6 | 12/5 | 1859/1/4 | |
ユリウス暦 | 1858/2/2 | 3/3 | 4/2 | 5/1 | 5/30 | 6/29 | 7/28 | 8/26 | 9/25 | 10/25 | 11/23 | 12/23 | |
安政六年(己未) | 一月 | 二月※ | 三月 | 四月※ | 五月※ | 六月 | 七月※ | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月 | |
グレゴリオ暦 | 1859/2/3 | 3/5 | 4/3 | 5/3 | 6/1 | 6/30 | 7/30 | 8/28 | 9/26 | 10/26 | 11/24 | 12/24 | |
ユリウス暦 | 1859/1/22 | 2/21 | 3/22 | 4/21 | 5/20 | 6/18 | 7/18 | 8/16 | 9/14 | 10/14 | 11/12 | 12/12 | |
安政七年(庚申) | 一月 | 二月※ | 三月¶ | 閏三月 | 四月※ | 五月※ | 六月 | 七月※ | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月 |
グレゴリオ暦 | 1860/1/23 | 2/22 | 3/22 | 4/21 | 5/21 | 6/19 | 7/18 | 8/17 | 9/15 | 10/14 | 11/13 | 12/12 | 1861/1/11 |
ユリウス暦 | 1860/1/11 | 2/10 | 3/10 | 4/9 | 5/9 | 6/7 | 7/6 | 8/5 | 9/3 | 10/2 | 11/1 | 11/30 | 12/30 |
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 嘉永から安政への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1855年1月15日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。安政元年は西暦1855年1月15日から同2月16日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、嘉永7年=安政元年=西暦1854年、安政2年=西暦1855年となって実際とはずれが生じる。
- ↑ 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年) ISBN 4-87294-115-2 P281-283
- ↑ 湯村哲男(1969) (PDF) 湯村哲男(1969): 本邦における被害地震の日本暦について, 地震, 第2輯, 22, pp.253-255.
- ↑ 神田茂(1970) (PDF) 神田茂(1970): 本邦における被害地震の日本暦の改元について, 地震, 第2輯, 23, pp.335-336.