自由民主党 (日本)

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政党 日本
自由民主党
Liberal Democratic Party of Japan
成立年月日 1955年(昭和30年)11月15日
前身政党 自由党[注 1]
日本民主党
本部所在地
〒100-8910
東京都千代田区永田町1-11-23
東経139度44分29.1秒北緯35.6785度 東経139.741417度35.6785; 139.741417
公式サイト 自由民主党
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自由民主党(じゆうみんしゅとう、英語: Liberal Democratic Party of Japan

日本の政党。保守政党

第2次世界大戦後の保守合同以来,長期間政権の座を占め,日本の政治を支配した。

1955年11月,自由党日本民主党が合同して結成された。結成当初は総裁を置かず,鳩山一郎緒方竹虎三木武吉大野伴睦が総裁代行委員となったが,1956年4月の総裁選挙で鳩山一郎が初代総裁に就任。その後,1983年の新自由クラブとの連合を除き,1993年まで単独政権を維持した。鳩山内閣は 1956年に日ソ共同宣言に調印した。岸信介内閣は 1960年に日米安全保障条約の改定を行ない(安保改定問題),池田勇人内閣は 1964年に経済協力開発機構 OECDに加盟,佐藤栄作内閣は 1972年5月に沖縄返還を実現した。また,同 1972年7月に成立した田中角栄内閣は 9月に日中国交正常化(日中共同声明)を実現するなど,戦後日本政治史の大きな部分で,政権担当政党としての役割を果たした。最大の保守政党として,財界の強力な支持のみならず,建設業者,中小企業者,農業従事者の支持を集めた。最初の総裁選から有力政治家中心の党内派閥が明確なかたちをとり,当初成立した 8派閥は合従連衡を繰り返したが,弱小派閥の淘汰と世代交代により,1970年代以降には五大派閥に整理され,福田赳夫(岸信介派),大平正芳(池田勇人派),田中角栄(佐藤栄作派),中曽根康弘河野一郎派),三木武夫(三木派)が各派閥の領袖を引き継ぎ,総裁・内閣総理大臣を務めた。

1993年7月の衆議院議員総選挙で単独過半数割れとなったため,非自民・非共産による細川護煕連立内閣が成立,保守合同以来 38年ぶりに野党に転落,「55年体制」と称された長期政権は終わった。1994年日本社会党村山富市を首相とする社会党(社会民主党),自民党,新党さきがけによる 3党連立内閣で政権政党に復帰。1996年1月に橋本龍太郎内閣が成立した。同 1996年10月の総選挙後に社会民主党,新党さきがけが閣外協力に転じ,少数単独政権となったが,1998年に成立した小渕恵三内閣は 1999年に自由党(2000離脱),公明党保守党(2000より参加)と組んで政権基盤を固めた。2001年小泉純一郎が政権の座につくと経済と行財政の構造改革を推進,派閥政治打破で歴史的な役割を果たした。2005年郵政民営化の是非を国民に問う総選挙で圧勝,15年ぶりに単独で衆議院の過半数を占めた。しかし小泉後,構造改革のひずみ,社会保険庁の不祥事,衆議院と参議院の「ねじれ国会」,世界金融危機などの処理に苦しんだ安倍晋三福田康夫麻生太郎の各内閣は低迷する内閣支持率にあえぎ,いずれも 1年の短期政権となり,2009年総選挙で惨敗,政権の座を民主党に譲った。稚拙な政権運営を続けた 3代の民主党政権に対する国民の低い評価が 2012年総選挙に反映して,民主党が下野し,安倍総裁が公明党との連立内閣を組織して政権に復帰した。


脚注

外部リンク


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