神崎武法

提供: miniwiki
2017/11/20/ (月) 16:27時点におけるja>Tribotによる版 (bot: 自由民主党 (日本) link)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

神崎 武法(かんざき たけのり、1943年7月15日 - )は、日本政治家弁護士公明党常任顧問。

衆議院議員(9期)、公明党政策審議会長、公明党国会対策委員長、郵政大臣第58代)、新進党総務会長、新党平和代表、公明党代表(初代)などを歴任した。

来歴

政界入り

中華民国河北省天津市生まれ。千葉県立千葉高等学校東京大学法学部卒業。司法修習第20期を経て、1968年検察官任官。横浜地検福岡地検東京地検那覇地検において検事外務省領事移住部に出向、内閣審議官などを歴任し、法務省刑事局付参事官室勤務を最後に、1982年に退官。

1983年第37回衆議院議員総選挙公明党公認で旧福岡1区から出馬し、初当選を果たした。1986年には、公明党委員長矢野絢也の下、党副書記長、党国際局長に就任。1990年には党政策審議会長国会対策委員長に相次ぎ就任。

野党時代

1993年、公明党を含む非自民8党派が参加した細川内閣郵政大臣に任命され、初入閣を果たした。1994年内閣総理大臣細川護煕の辞任により細川内閣は総辞職し、神崎も郵政大臣を退任。羽田内閣で入閣した森本晃司に代わり、党国会対策委員長に就任した。公明党解党により、公明新党を経て、1994年末の新進党結党に参加する。

1996年、新進党党首小沢一郎の下、新進党総務会長に就任した。1997年末、小沢が突如新進党の解党を宣言すると、旧公明党所属の衆議院議員及び一部の参議院議員らで新党平和を結成し、代表に就任。1998年11月、新党平和と公明[1]の合流により公明党[2]が再結成され、公明党代表に就任する。

与党時代

1999年内閣総理大臣小渕恵三から連立政権への参加要請を受け、これを受諾。同年10月、小渕再改造内閣が発足し、公明党枠では続訓弘総務庁長官に就任した。

2000年、小渕の急逝により森喜朗が後継首相に就任。また自由党が連立から離脱し、連立に残留した保守党を加えた自公保連立政権第1次森内閣が発足した。

2004年5月、国民年金保険料の未加入期間があると報じられた菅直人[3]を強く批判[4]し、菅の民主党代表辞任を主張した[5]にもかかわらず、後に自らにも未納が発覚した際には党代表を辞任しなかった。しかし、同年7月の第20回参議院議員通常選挙で公明党が議席増を果たしたため責任問題には発展せず、10月の党全国大会で党代表4選を果たした。

2005年第44回衆議院議員総選挙では、比例九州ブロック単独1位で出馬し、当選。翌2006年太田昭宏の公明党代表就任に伴い、党常任顧問に就任する。2009年第45回衆議院議員総選挙でも与党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、比例九州ブロックで9回目の当選を果たした。

2010年4月7日に2002年頃から患っていた腎不全の悪化に伴い、病気療養に専念するため議員辞職し、政界を引退。なお、政界引退後も公明党常任顧問の職には留まっている。

  • 2010年9月29日、中国建国61周年を祝うレセプションへ出席している[6]

人物

政策・政治活動

  • 男女共同参画社会の実現が強く求められている。女性の社会進出が増大するにつれ、結婚後も独身時代と同じ姓でありたいとする女性の意思は尊重されるべき」として、選択的夫婦別姓制度導入に賛同する[9]

著書

  • 人権国家への道 21世紀の日本(公明党機関紙委員会、2000年) ISBN 4-87584-101-9

脚註

  1. 旧公明党所属の参議院議員の一部及び地方議員で構成された政党。新進党結党前、旧公明党は公明新党と公明に分党していた。
  2. 英語表記は「NEW KOMEITO」である。
  3. 後に社会保険庁側の過失と判明。
  4. 神崎、冬柴、北側氏も未納 責任問題発展も(共同通信)
  5. 岩手県盛岡市内の記者会見で、国民年金保険料未納問題で見解(自身のホームページ、2004年5月1日付 公明新聞掲載記事より)
  6. 中国建国記念レセプション 日本の議員50人出席もあいさつなし - MSN産経ニュース
  7. 自公連立の象徴 神崎氏が引退
  8. 神崎・坂口の自遊空間
  9. 第151回国会 - 衆議院 - 本会議 - 2号 平成13年02月05日

関連項目


公職
先代:
宮澤喜一(兼任)
日本の旗 郵政大臣
第57代:1993年 - 1994年
次代:
羽田孜(臨時代理)
党職
先代:
結成
公明党代表
初代:1998年 - 2006年
次代:
太田昭宏
先代:
結成
新党平和代表
初代:1998年
次代:
公明党
先代:
渡部恒三
新進党総務会長
第2代:1996年 - 1997年
次代:
解散
先代:
結成
新進党国会運営委員長
初代:1994年 - 1995年
次代:
渡部恒三