マイケル・ヤング (内野手)
マイケル・ブライアン・ヤング(Michael Brian Young , 1976年10月19日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡コビーナ出身の元プロ野球選手(内野手)。メキシコ人の母を持つ。2014年1月に現役引退を表明、同年11月から古巣テキサス・レンジャーズのGM補佐を務める。
Contents
経歴
プロ入りとブルージェイズ傘下時代
1997年のMLBドラフト5巡目(全体149位)でトロント・ブルージェイズから指名され、プロ入り。契約後にプロデビューした傘下のA-級セントキャサリンズ・ストンパーズでは、リーグ3位タイの74試合に出場し、44試合で遊撃、28試合で二塁を守った。136塁打(リーグ3位タイ)・85安打(同4位タイ)・48打点(同5位タイ)を記録した。また、8月11日から28日にかけて16試合連続安打を記録した。
1998年にはA級ヘイガーズタウン・サンズで140試合に出場し、147安打・238塁打・86得点を記録。8月には月間打率.324・21打点を記録した。守備では二塁手として128試合、遊撃手として24試合に出場し、守備率.978を記録した。1999年にはA+級ダニーデン・ブルージェイズで二塁手として74試合、遊撃手として53試合に出場。打率.313・155安打・36二塁打・30盗塁を記録し、リーグのオールスターにも選ばれた。7月16日から30日にかけては14試合連続安打を記録。雑誌『ベースボール・アメリカ』では、ブルージェイズで上から4番目のプロスペクト(有望選手)で、リーグで最も守備のいい二塁手と評価された。カリフォルニア秋季リーグでも活躍し、打率.295・8本塁打・18打点を記録した。
2000年、AA級テネシー・スモーキーズでは24二塁打・5三塁打・16盗塁を記録。7月12日にはAA級全体のオールスターゲームに出場した。
レンジャーズ時代
2000年7月19日にエステバン・ロアイザとのトレードで、ダーウィン・クビアン投手と共にテキサス・レンジャーズに移籍した。傘下のAA級タルサ・ドリラーズでは43試合に出場し、打率.319・5三塁打を記録した。9月27日にはメジャー初昇格を果たし、9月29日のオークランド・アスレチックス戦に代走としてメジャー初出場を果たす。二塁の守備固めに起用され、2打数無安打だった。アリゾナ秋季リーグでは25試合に出場し、打率.268・1本塁打・6打点を記録。
2001年、開幕はAAA級オクラホマ・レッドホークスで迎えたが、5月25日にメジャー再昇格し、27日にメジャー契約を結ぶ。二塁手として102試合に出場。6月11日にはメジャー初本塁打を放った。9月11日にはMLB屈指の左腕投手バリー・ジト(アスレチックス)の完封を阻む本塁打を放った。年間で11本塁打・49打点・9犠打・長打率.402・守備率.984を記録し、チーム新人王に選ばれた。2002年は156試合に出場し、メジャーに定着した。2003年終了後にアレックス・ロドリゲスとのトレードで守備位置の重複するアルフォンソ・ソリアーノが移籍。二塁での守備はゴールドグラブ賞級だったが[1]、「チームにとってベストなこと」とヤングはバック・ショーウォルター監督に遊撃手へのコンバートを直訴した[2]。
4年総額1,000万ドルの契約を2004年開幕前に結び[3]、開幕から遊撃手として出場し続けた。オールスターに初選出を果たした。ヤングはショーウォルター監督と良好な関係を築き[4]、守備・打線の要としてチームリーダーへ成長した[2]。
2005年には打率.331で首位打者を獲得。2006年は、ワールド・ベースボール・クラシックに米国代表で出場した。この年、ソリアーノの後釜に新人のイアン・キンズラーが就くことになり、ヤングはかつてロドリゲスと二遊間を組みながら吸収したように、キンズラーに様々なアドバイスを送った[5]。全162試合に出場し、球団記録となる打数691、二塁打52を記録した。オールスターでは、9回表2死二・三塁の場面で逆転の決勝三塁打を打ち、MVPに選出された。
4年契約を満了していないにもかかわらず球団は2007年3月2日に2008年の500万ドルのオプション契約を行使し、2009年から5年総額8,000万ドルで契約延長。この金額はアレックス・ロドリゲスが2000年に結んだ10年2億5,200万ドルに次ぐ球団史上2位の大型契約となった[3]。
有望株のエルビス・アンドラスに遊撃のポジションを空けるため、シーズン終了後の12月に球団はヤングにコンバートを打診。当初、ヤングはこれを拒みトレードを志願していたが、最終的に三塁手への転向に合意した[6]。2009年は三塁手として出場。4月19日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で自身初のサヨナラ本塁打を記録[7]。その後、22日に同点、24日に逆転の本塁打を9回に記録。9月1日のブルージェイズ戦のダブルヘッダー2戦目でハムストリングのケガで11試合欠場[8]。出場試合数はレギュラー定着後最低の135試合にとどまったが、打率.322・22本塁打は2005年以来の好成績となった。
2011年はエイドリアン・ベルトレの加入により指名打者に回された。当初はこれを不服とし、トレードによる放出を要求した。しかし、高額の年俸が仇となってトレードは成立せず、そのままレンジャーズでプレーすることになった。開幕後はそのような騒動を忘れさせる活躍で自己最高の打率.338をマーク。2年ぶりのオールスター選出を果たし、依然としてリーグ屈指の巧打者であることを証明した。
2012年は初の打率3割を達成した2003年以降では最低の成績に終わった。
フィリーズ時代
2012年12月8日にジョシュ・リンドブロム、リサルベルト・ボニーヤとのトレードで、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。フィリーズはヤングを正三塁手として起用する方針を明かし、2013年の年俸1600万ドルの内1000万ドルをレンジャーズが負担する[9]。
ドジャース時代
2013年9月1日にロブ・ラスムッセンとのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースに移籍した[10]。オフの10月31日にFAとなった。
現役引退後
2014年11月5日、レンジャーズのゼネラルマネジャー(GM)特別補佐に就任したことが発表された[12]。
選手としての特徴
MLBを代表する安打製造機の一人。MLB史上5人しか達成していない5年連続200安打といった記録を持つ。一方でメジャーリーグの選手228名のアンケートで過小評価されている野手として1位となったこともある[13]。
人物
小児がんと闘う子供たちを支援するNGO “ワイプ・アウト・キッズ・キャンサー” (Wipe Out Kids' Cancer)の大使を務め、2003年にはダラス・フォートワースBBWAAからハロルド・マッキニー・グッドガイ賞が贈られた[14]。
趣味はゴルフとビリヤード[14]。少年時代はニューヨーク・メッツのファン[14]で、憧れの選手はドン・マッティングリー[15]。お気に入りの球場はフェンウェイ・パークである[14]。
いとこのザック・パディーヤは、1994年 - 1996年のプロボクシング・WBO世界ジュニアウェルター(スーパーライト)級チャンピオンだった。もう1人のいとこ、ジョニー・チャベスもプロボクサーでマイナー団体IBCスーパーバンタム級チャンピオンだった。サンフランシスコ・ジャイアンツのマイナーで内野手としてプレーしたジェイソン・ヤングといういとこもいる[14]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | TEX | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2001 | 106 | 429 | 386 | 57 | 96 | 18 | 4 | 11 | 155 | 49 | 3 | 1 | 9 | 5 | 26 | 0 | 3 | 91 | 9 | .249 | .298 | .402 | .699 | |
2002 | 156 | 633 | 573 | 77 | 150 | 26 | 8 | 9 | 219 | 62 | 6 | 7 | 13 | 6 | 41 | 1 | 0 | 112 | 14 | .262 | .308 | .382 | .690 | |
2003 | 160 | 713 | 666 | 106 | 204 | 33 | 9 | 14 | 297 | 72 | 13 | 2 | 3 | 7 | 36 | 1 | 1 | 103 | 14 | .306 | .339 | .446 | .785 | |
2004 | 160 | 739 | 690 | 114 | 216 | 33 | 9 | 22 | 333 | 99 | 12 | 3 | 0 | 4 | 44 | 1 | 1 | 89 | 11 | .313 | .353 | .483 | .836 | |
2005 | 159 | 732 | 668 | 114 | 221 | 40 | 5 | 24 | 343 | 91 | 5 | 2 | 0 | 3 | 58 | 0 | 3 | 91 | 20 | .331 | .385 | .513 | .899 | |
2006 | 162 | 748 | 691 | 93 | 217 | 52 | 3 | 14 | 317 | 103 | 7 | 3 | 0 | 8 | 48 | 0 | 1 | 96 | 27 | .314 | .356 | .459 | .814 | |
2007 | 156 | 692 | 639 | 80 | 201 | 37 | 1 | 9 | 267 | 94 | 13 | 3 | 0 | 1 | 47 | 5 | 5 | 107 | 21 | .315 | .366 | .418 | .783 | |
2008 | 155 | 708 | 645 | 102 | 183 | 36 | 2 | 12 | 259 | 82 | 10 | 0 | 0 | 6 | 55 | 0 | 2 | 109 | 19 | .284 | .339 | .402 | .741 | |
2009 | 135 | 593 | 541 | 76 | 174 | 36 | 2 | 22 | 280 | 68 | 8 | 3 | 0 | 4 | 47 | 2 | 1 | 90 | 16 | .322 | .374 | .518 | .892 | |
2010 | 157 | 718 | 656 | 99 | 186 | 36 | 3 | 21 | 291 | 91 | 4 | 2 | 0 | 11 | 50 | 4 | 1 | 115 | 21 | .284 | .330 | .444 | .774 | |
2011 | 159 | 689 | 631 | 88 | 213 | 41 | 6 | 11 | 299 | 106 | 6 | 2 | 0 | 9 | 47 | 7 | 2 | 78 | 17 | .338 | .380 | .474 | .854 | |
2012 | 156 | 651 | 611 | 79 | 169 | 27 | 3 | 8 | 226 | 67 | 2 | 2 | 0 | 6 | 33 | 3 | 1 | 70 | 26 | .277 | .312 | .370 | .682 | |
2013 | PHI | 126 | 512 | 468 | 49 | 129 | 24 | 4 | 8 | 185 | 42 | 1 | 0 | 0 | 1 | 42 | 4 | 1 | 78 | 18 | .276 | .336 | .395 | .731 |
LAD | 21 | 53 | 51 | 3 | 16 | 2 | 1 | 0 | 20 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 5 | 3 | .314 | .321 | .392 | .713 | |
'13計 | 147 | 565 | 519 | 52 | 145 | 26 | 5 | 8 | 205 | 46 | 1 | 0 | 0 | 2 | 43 | 4 | 1 | 83 | 21 | .279 | .335 | .395 | .730 | |
MLB:14年 | 1970 | 8612 | 7918 | 1137 | 2375 | 441 | 60 | 185 | 3491 | 1030 | 90 | 30 | 25 | 72 | 575 | 28 | 22 | 1235 | 236 | .300 | .346 | .441 | .787 |
- 太字はリーグ1位。
獲得タイトル・表彰・記録
- 首位打者:1回(2005年)
- ゴールドグラブ賞:1回(2008年)
- MLBオールスターゲーム選出:7回(2004年 - 2009年、2011年)
- MLBオールスターゲームMVP:1回(2006年)
- プレイヤーズ・チョイス・アワーズ
- マービン・ミラー・マン・オブ・ザ・イヤー:2回(2008年、2011年)
背番号
- 2(2000年 - 2001年)
- 10(2002年 - 2013年)
脚注
- ↑ “Michael Young Biography” (英語). JockBio. . 2009閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 小林信行 「黄金のカルテット レンジャーズ内野陣の魅力」『月刊スラッガー』2005年6月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌 15509-6、50 - 51頁。
- ↑ 3.0 3.1 Associated Press (2007年3月2日). “Young agrees to five-year extension with Texas” (英語). ESPN.com. . 2009閲覧.
- ↑ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』 廣済堂出版、2005年、195頁。ISBN 978-4-331-51093-3。
- ↑ 村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』 廣済堂出版、2007年、218頁。ISBN 978-4-331-51213-5。
- ↑ Sullivan, T.R. (2009年1月15日). “Young will shift to third base Rangers shortstop changes stance, clearing way for rookie Andrus” (英語). MLB.com. . 2009閲覧.
- ↑ Sullivan, T.R. (2009年4月19日). “Young's walk-off homer lifts Rangers” (英語). MLB.com. . 2010閲覧.
- ↑ Sullivan, T.R. (2009年9月15日). “Young makes abbreviated return” (英語). MLB.com. . 2010閲覧.
- ↑ Phillies acquire Michael Young from Texas Rangers USA TODAY
- ↑ “Dodgers acquire seven-time All-Star third baseman Michael Young from Philadelphia” (2013年9月1日). . January 11, 2014閲覧.
- ↑ T.R. Sullivan (2014年1月30日). “Longtime Rangers staple Young retires”. MLB.com. . January 31, 2014閲覧.
- ↑ “ヤング氏がレンジャーズGM補佐に 通算2375安打、05年首位打者”. スポーツニッポン (2014年11月6日). . November 07, 2014閲覧.
- ↑ http://sportsillustrated.cnn.com/multimedia/photo_gallery/1207/mlb-most-underrated-position-player/content.1.html
- ↑ 14.0 14.1 14.2 14.3 14.4 http://texas.rangers.mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=276545
- ↑ 三尾圭「安打製造機の素顔 / マイケル・ヤング [レンジャーズ] イチローが認める男」 『月刊スラッガー』102号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-10、24-25頁。
関連項目
外部リンク
業績 |
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