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辛坊 治郎(しんぼう じろう、1956年4月11日 - )は、日本のニュースキャスター、シンクタンク経営者である。読売テレビアナウンサー→理事・報道局解説委員長(局長待遇)などを経て、株式会社大阪綜合研究所代表を務める。また、読売テレビ時代より芦屋大学客員教授も務める。読売テレビ時代には、情報番組のプロデューサーを務めたこともある。
住友ファイナンスエイシア社長を務めた辛坊正記は実兄。
Contents
経歴
生い立ち
男2人兄弟の二男として鳥取県米子市で生まれた[1][2]。7歳年上の兄(辛坊正記)がいる。しかし、鳥取での生活はわずか2ヶ月だったため全く記憶にないという[1]。小学校入学前までは、自衛隊員だった父親の転勤に伴って全国を転々とし、物心がついたころから大学時代までは埼玉県入間市で過ごした[1][3]。なお、辛坊家のルーツは大阪府岸和田市にあり[1]、出身地を岸和田(大阪)としているプロフィールも見られる[4]。青春時代は埼玉県で生活していたため、2006年当時においても自身のルーツが大阪という感覚を持っていなかったと語り、外部の環境は埼玉県であるが家庭内においては関西文化の生活様式であったため、本人曰く「自分は根無し草のようなもの」とのこと[1]。
入間市立豊岡中学校時代にテレビでメキシコ映画『ぼくの心はバイオリン』を見ていた時、停電になったためラスト15分を見ることができなかった。放送していたTBSに結末を電話で聞いたところ、親切に教えてもらったことに感激し、将来は放送局で働こうと決めた。フリーアナウンサー、ニュースキャスターの小宮悦子は同中学校の2年後輩にあたる。
埼玉県立川越高等学校では航空部と英語部に所属。1浪の後早稲田大学法学部に進学した。高校の同期には、ルポライターで作家の本橋信宏がいた。
大学3年時に司法試験を受けるが不合格。その後、夏休みを挟んだ3ヶ月間、西ヨーロッパ・モロッコ・トルコなどを旅した。4年次の就職活動で埼玉県庁の上級職試験に合格し、住友商事の内定も受けた。ある日、大学の就職部の掲示板でフジテレビのリポーター・司会者(アナウンサー)募集のチラシを見て、受けるだけで1000円もらえたことから受けたところ、受験者1300人の中から7次試験の最終面接3名まで残った。フジテレビの入社試験は担当希望の番組を訊かれた際に「リビング11(お昼の通販番組)を担当したい」と答えてしまい落ちたが、12月に大阪の読売テレビから突然電話があり[5]、「フジテレビの最終で落ちたそうだが良かったら弊社を受けてみないか」と誘われたため、読売テレビを受け合格。埼玉県の上級職・住友商事・読売テレビの3つ選択肢があったが、読売テレビに決めた。本人は、自身の講演会で「始業時間が朝10時と一番遅かったから」と冗談を飛ばしている[6]。
アナウンサー
大学卒業後の1980年(昭和55年)、読売テレビにアナウンサーとして入社。『ズームイン!!朝!』の大阪キャスターを8年間担当。スポーツコーナーで、森たけしと共に阪神タイガースの不振をボヤいた台詞「難儀やなぁ」は、1987年(昭和62年)新語・流行語大賞流行語部門の銀賞を受賞する。1989年(平成元年)には、森たけしと歌った阪神タイガース応援歌『負ける気せんね』をリリースした。。
1990年(平成2年)4月より夕方のローカルニュース『ニューススクランブル』のキャスターとして活躍する傍ら、1991年(平成3年)1月から1992年(平成4年)3月まで『ウェークアップ!』の司会を務めた。。
1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災関連のニュースも担当した。当時、読売テレビは2日間(48時間)にわたって震災の報道特番を行い、辛坊はその48時間にわたって読売テレビのスタジオでキャスターを務めた。
解説委員
1997年(平成9年)から報道局解説委員となり、。
帰国後は報道部チーフプロデューサーへ就任し、同職と並行する形で『報道特捜プロジェクト』のキャスターや、関西ローカルの『元気モンTV』『あさイチ!』ではコメンテーターなどを担当。『元気モンTV』『あさイチ!』ではチーフプロデューサーを兼任しながら出演し、中元綾子(当時読売テレビアナウンサー)をメインキャスターに据えたことや、辛坊自身の「日本一よく分かるニュース解説」のコーナーが人気となり、同時間帯視聴率トップにするなどの実績をあげた。
2000年(平成12年)には報道局情報番組部長に就任し、初の著書で前述のメディア事情をまとめた「TVメディアの興亡」を刊行。
2001年(平成13年)10月から日本テレビ『ズームイン!!SUPER』開始に伴い、新聞ニュース解説(兼サブ司会)に起用されたことから、東京での単身赴任生活を始めた。2003年(平成15年)7月からはそれまで特番だった『たかじんのそこまで言って委員会』がレギュラー昇格となり、やしきたかじんとともに司会を担当、毎週(現在は隔週)金曜日午後に読売テレビ本社第1スタジオでの収録のため帰阪していた。さらに2005年(平成17年)4月からは桂文珍に代わって同局の報道番組『ウェークアップ!』の後番組の『ウェークアップ!ぷらす』の司会を担当。その影響で『ズームイン!!SUPER』の月・火は当時多摩大学助教授の野田稔(後に読売新聞特別編集委員の橋本五郎)となったため、出演は水・木・金の出演に短縮され、2009年(平成21年)4月から読売テレビ本社で『SUPER SURPRISE』(金曜日は「たかじんのそこまで言って委員会」もしくは「SUPER SURPRISE なるほドットJAPAN」の収録)に出演することになる。それによりズームインは水・木出演(金曜日は日本テレビ解説委員の畑山篤に変更)とさらに短縮されたが、2010年(平成22年)3月26日の放送をもって降板した。。
その間、2004年(平成16年)より、芦屋大学客員教授を務める。
2009年(平成21年)10月1日付けで岩田公雄の後任として読売テレビ報道局解説委員長に昇格した[7]。
2010年(平成22年)3月29日から、かつて『ズームイン!!朝!』や『あさイチ!』で共演した森と共に平日早朝のローカル情報番組『朝生ワイド す・またん!』のキャスターへ就任、8年半ぶりに読売テレビの早朝番組のメインキャスターとして復帰すると同時に、週6本の生放送に出演することになった。4月に実兄との共著「日本経済の真実―ある日、この国は破産します」を出版し、。
読売テレビを退職
2010年(平成22年)8月、翌月末をもって読売テレビを退職し、10月よりシンクタンクの研究員になる旨が報道され[8][9]、自身がキャスターを務める「朝生ワイド す・またん!」にて記事を取り上げ本人からも公表された。退職日は2010年(平成22年)9月30日。退職後は自身が設立したシンクタンクである大阪綜合研究所へ移籍。退職後も番組出演を続けている。
2016年4月から、TBS系列のバラエティー番組『直撃!コロシアム!! ズバッと!TV』で、他局系列の番組に初レギュラー出演を果たす[10]。
主に大阪府を中心とした近畿地方の政治・経済・文化、およびアジア・太平洋地域における環境・観光・民族文化・経済開発についての研究・調査・およびそれを基とした講演活動などを行う。
ヨットで太平洋の横断
2013年6月、全盲のヨットマンだった岩本光弘をサポートする形で福島県いわき市の小名浜港をスタートし、8月にアメリカ合衆国のカリフォルニア州サンディエゴでゴールをする予定であった。ヨットは間寛平がアースマラソンのときに使ったエオラス号を使用する。企画・発案はアースマラソンのサポートスタッフでもあった比企啓之[11][12]。6月21日にクジラと思われる生物と衝突して、ヨットが浸水し、同日7時45分に118番通報する。その後10時間近く救難艇で漂流したのち[13]、同日18時14分に海上自衛隊のUS-2(救難飛行艇)に救助された[14]。
人物
メディア研究の経験などから、芦屋大学客員教授や関西大学非常勤師(東京に単身赴任前まで)、読売テレビ寄講講義(俗にいう「冠講座」)として、立命館大学客員講師を務め、臨時で母校の早稲田大学でも講師を務めた経験もある。また、レギュラー番組の合間に、メディアや報道の裏側を題材とした講演なども行っている。
その他、マリンジャーナリスト会議から「2014年MJCマリン賞スポーツ/アドベンチャー部門」に岩本とともに選ばれている。以前の遭難後、海難救助のボランティア組織を応援するために青い羽根募金に協力している。NNN系列アナウンサーの最高賞であるNNSアナウンス賞の最優秀賞を受賞している。
十二指腸癌闘病
2012年(平成24年)12月19日に大阪市内の病院で、十二指腸の腫瘍(後に初期の十二指腸癌と判明)を摘出する手術を行った。病院には前日18日に入院したが、手術当日も「す・またん!」に病院から直行して通常通り出演し、「私、病院からやってきました。今日(19日)手術なんだよ。テレビ出て解説してる場合じゃないだろ」と明るい調子で司会進行していた。手術は無事成功したが、大事を取ってその週のレギュラー番組への出演を見合わせ、翌週に完全復帰した。
出演
テレビ番組
現在
※…読売テレビ時代からの出演番組。
- 朝生ワイド す・またん!(2010年3月29日 - ) - キャスター(EPGでの肩書きは「解説」)※(2018年3月までは月 - 金曜日、2018年4月以降は木・金曜日担当)
- ZIP!(読売テレビローカルパート、2011年4月1日 - ) - キャスター(同上)
- ウェークアップ!ぷらす(2005年4月2日 - ) - 司会※
- そこまで言って委員会NP(2003年7月13日 - 2013年6月9日、2014年9月7日 - [15]) - 司会(番組上では「副委員長」→「議長」の設定)※
- かんさい情報ネットten. - 不定期の水曜日に「増田のニュースドライブ〜辛坊さんついてきて〜」コーナー担当およびコメンテーターとして出演
・news every-ナレーションhttps://www.ntv.co.jp/every/
過去
フリー転身後
- そうだったのか!学べるニュース(2011年5月18日・25日、テレビ朝日)
- たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜(2011年5月14日、テレビ大阪)
- 辛坊・宮根のワケあり!?ジャパン(2011年11月20日・27日、読売テレビ)
- 日経スペシャル 未来世紀ジパング〜沸騰現場の経済学〜(2012年8月27日、テレビ東京)
- 泣いたらアカンで通天閣(2013年3月25日 - 27日、読売テレビ) - 整骨院の客 役
- NMBとまなぶくん(2014年10月2日、関西テレビ)
- さんまのまんま2014 大阪から生放送SP(2014年11月22日、関西テレビ)
- ネプ&イモトの世界番付(2011年10月18日 - 2016年3月18日、日本テレビ) - 準レギュラー
- オールスター感謝祭'16春(2016年4月9日、TBSテレビ)
- Nスタニュースワイド(2016年4月11日、TBSテレビ)
- 直撃!コロシアム!! ズバッと!TV(2016年4月11日 - 7月25日、TBSテレビ) - MC [10]
- 辛坊治郎の激辛!!地方創生委員会(2017年 - 、山陰ケーブルビジョン[16])
読売テレビ時代
※…読売テレビ退社後も出演。
- 読売新聞ニュース - キャスター
- ズームイン!!朝!(日本テレビ) - 読売テレビキャスター
- スター生たまご・邦子のいまドキ芸能界 - 秘書
- ウェークアップ! - 司会
- ニューススクランブル - キャスター
- 元気モンTV - チーフプロデューサーも担当
- あさイチ! - 同上
- おもしろサンデー - リポーター
- 報道特捜プロジェクト(日本テレビローカル)
- 阪神大震災特集
- ZERO×選挙2009 - 関西ローカルパート担当メインキャスターなど
- ACTION 日本が動いた!2009全記録SP(日本テレビ) - ウェークアップぷらすキャスターとして
- ズームイン!!SUPER(日本テレビ)
- 全国ネットパート解説キャスター(2001年10月1日 - 2010年3月25日)
- 読売テレビローカルパート解説キャスター(2010年3月29日 - 2011年3月31日)
- サプライズ→SUPER SURPRISE - 木曜日→水曜日(読売テレビ制作担当分)
- オールスター Shall we ダンス?〜有名人社交ダンス選手権〜(日本テレビ)
- 2005年12月30日・20:00 - 22:54に放送された社交ダンスを扱ったバラエティ特番。プロダンサーの青柳明子とペアを組み挑戦したが、準決勝で敗退した。また、放送前から本番に向けての練習の模様は「ズームイン!!SUPER」の中でも紹介された。
テレビアニメ
- 名探偵コナン(2013年、読売テレビ) - 医師 役
ラジオ
- こんちわコンちゃんお昼ですょ! (2011年4月18日、MBSラジオ)
- 辛坊治郎のホリデーズバリ!ラジオ (2011年11月3日、ニッポン放送)
- ザ・ボイス そこまで言うか! (2012年11月2日、2017年8月23日、2018年3月7日、ニッポン放送)
- 辛坊治郎ズーム そこまで言うか!(2012年4月7日 - 2017年9月30日、ニッポン放送)
- 飯田浩司のOK! Cozy up!(2018年4月18日 、ニッポン放送)
CM
書籍
- TVメディアの興亡 〜デジタル革命と多チャンネル時代〜(2000年4月、集英社新書) ISBN 4087200264
- ふらっとアフガニスタン7泊8日(2002年6月、日本テレビ) ISBN 4820398202
- あいまいな日本の問題点がスッキリわかる本―辛坊のニュースななめ読み(2007年6月、幻冬舎) ISBN 4344013344
- 誰も書けなかった年金の真実―あなたがもらえなくなる日(2007年12月、幻冬舎) ISBN 4344014391
- 日本経済の真実―ある日、この国は破産します(2010年4月、幻冬舎) ISBN 4344018168
- ※実兄辛坊正記(執筆当時は株式会社日本総研情報サービス代表取締役専務)との共著
- 日本の恐ろしい真実 財政、年金、医療の破綻は防げるか?(2010年9月、角川SSコミュニケーションズ) ISBN 4047318256
- 中国 この腹立たしい隣人(2011年3月、実業之日本社)ISBN 4408108812
- ※孔健との共著
- 2時間でいまがわかる! 放射能の真実!(2011年9月、アスコム)ISBN 4776207001
- ※高橋千太郎(京都大学原子炉実験所副所長・教授)との共著。
- この国で起きている本当のこと(2012年4月、朝日新聞出版)ISBN 4022509678
- 辛坊訓 日々のニュースは教訓の宝庫(2012年11月、光文社)ISBN 4334977197
- 見せかけの正義の正体 この国で起きている本当のこと2013(2013年5月、朝日新聞出版)ISBN 4022510854
- 冒険訓 (2014年9月、光文社)ISBN 4334977995
- ニュースで伝えられないこの国の真実 (2015年4月、中経出版)ISBN 4046012153
連載
- 辛坊治郎の甘辛ジャーナル(『週刊朝日』2011年5月6・13日合併号より連載)
- 辛坊治郎の「ニュース食い倒れ!」(『FLASH』2011年5月17日号より連載)
- 辛坊治郎の「なんぎな帆走月報」(『[Kazi]』)
音楽
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 2006年10月26日配信 ニュースのウラ側: メディア論コーヒーブレイク8 (2017年11月29日時点におけるアーカイブ)より、「関西のうどん定食」の章を参照。
- ↑ 新連載スタート!誓います!尖閣諸島突撃リポート:辛坊治郎のこれでいいんかい!?:コラム:スポーツ報知大阪版(2010年10月12日付)より、著者略歴を参照。
- ↑ 早稲田大学人物研究会のサイトに掲載された、2004年7月7日読売テレビ東京支社で行われた講演記録より、辛坊の4度目の発言を参照。
- ↑ 『ズームイン!!SUPER』公式サイトでは「大阪府岸和田市」、日本プランニングアート公式サイトでは「大阪府出身(鳥取県生まれ)」としている。
- ↑ 当時はまだ個人情報保護法がなかったため、日本では企業間同士による応募書類の回し合いが普通に行われていた。
- ↑ 週刊FLASH 2014年4月29日号でのコメント
- ↑ 2009年9月27日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』で発表された。
- ↑ 辛坊治郎さん、読売テレビを9月に退職へ(読売新聞、2010年8月3日付、2010年8月3日閲覧)
- ↑ 辛坊治郎氏、政界進出か…9月で読売テレビ退社へ(社会) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース(スポーツニッポン、2010年8月3日付)
- ↑ 10.0 10.1 “辛坊治郎、4月からTBSで新番組 南キャン・山里とタッグ”. ORICON STYLE (2016年2月29日). . 2016閲覧.
- ↑ 辛坊治郎キャスター、がん転移の疑い「肺に影見つかった」(2013年3月16日閲覧)
- ↑ 辛坊治郎さん「肺に影」もヨットで太平洋横断挑戦へ(2013年3月16日閲覧)
- ↑ 辛坊治郎さんら救助 海水浸入、ヨット放棄し救命ボートに - スポーツニッポン 2013年6月21日
- ↑ 辛坊さんらを救助、2人とも元気。- デイリースポーツ 2013年6月21日
- ↑ たかじんのそこまで言って委員会の司会交代について - ytv「委員会」公式サイト
- ↑ 辛坊治郎の激辛!!地方創生委員会 第2弾
関連項目
外部リンク
- シンクタンク公式サイト
- ブログ
- メルマガ
- 辛坊治郎メールマガジン(まぐまぐ!)
- (本人のアカウント)
- YouTube
- コラム
- ヨット太平洋横断
- 辛坊治郎がブラインドセーラーとヨットで太平洋横断をする理由 談・辛坊治郎×比企啓之(吉本グループ元社長)
- それでも辛坊治郎・岩本光弘 両氏の再挑戦を願う 太平洋横断「ブラインドセーリング」半年間の取材を通じて感じたこと
- テレビ
- 辛坊さんの「放送後の一言」(ytv ウェークアップ!ぷらす)