関西大学
関西大学 | |
---|---|
大学設置 | 1922年 |
創立 | 1886年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人関西大学 |
本部所在地 |
大阪府吹田市山手町三丁目3番35号 東経135度30分29.5秒北緯34.770333度 東経135.508194度 |
キャンパス |
千里山(大阪府吹田市) 高槻(大阪府高槻市) 高槻ミューズ(大阪府高槻市) 堺(大阪府堺市) 梅田(大阪府大阪市) |
学部 |
法学部 文学部 経済学部 商学部 社会学部 政策創造学部 外国語学部 人間健康学部 総合情報学部 社会安全学部 システム理工学部 環境都市工学部 化学生命工学部 |
研究科 |
法学研究科 文学研究科 経済学研究科 商学研究科 社会学研究科 総合情報学研究科 理工学研究科 外国語教育学研究科 心理学研究科 社会安全研究科 東アジア文化研究科 ガバナンス研究科 法科大学院 会計専門職大学院 臨床心理専門職大学院 |
ウェブサイト | 関西大学公式サイト |
関西大学(かんさいだいがく、英語: Kansai University)
大阪府吹田市山手町三丁目3番35号に本部を置く日本の私立大学。
Contents
概観
大学全体
関西大学は、当時の司法省の顧問を務めていたボアソナードに学んだ有田徳一、井上操、小倉久、鶴見守義、土居通夫、野村清吉ら大阪在勤の裁判官、彼らの上司である児島惟謙、漫画家手塚治虫の祖父手塚太郎、自由民権運動家である吉田一士らにより、1886年に関西初の法律学校として大阪府大阪市西区の願宗寺に開かれた関西法律学校を起源とする。1922年に大学令に基づく旧制大学となった。2018年現在、13学部、大学院15研究科を設置している。近年、専門職大学院の充実を図っており、法科大学院・会計専門職大学院・臨床心理専門職大学院を設置している。
理念
関西大学の建学の精神は、第二次世界対戦が終戦を迎えた時期、1947(昭和22)に、当時の学長、岩崎卯一が提唱した「正義の権力よりの守護」を基底とした「正義を権力から護れ」となっている。これは、大津事件の裁判において、司法権の独立を守った児島惟謙が創立に関わっているためとされている。
また、大正期に、第11代学長山岡順太郎の掲げた、「学の実化(じつげ)」・(学理と実際との調和、国際的精神の涵養、外国語学習の必要、体育の奨励)を教育の理念としている。
沿革
年表
- 1825年 - 藤沢東畡によって泊園書院が開かれる。
- 1886年(明治19年)11月 - 関西法律学校が西区京町堀の願宗寺を仮校舎として開校。12月、東区(現:中央区)淡路町の予章館へ校舎を移転。
- 1887年 - 北区河内町の興正寺へ校舎を移転。
- 1893年 - 司法省指定学校として認可指定学校に認可。
- 1899年 - フランス人法律家ボアソナードが来校。
- 1903年 - 西区江戸堀に二階建校舎(江戸堀学舎)を竣工。
- 1904年 - 専門学校令による専門学校となる。
- 1905年 - 社団法人に改組し、「私立関西大学」と改称。大学科、大学予科および専門科を設置。各科に法律学科、経済学科を置く。
- 1906年 - 大学科、専門科に商業学科を増設。福島学舎を竣工。
- 1911年 - 専門部に高等商業予科を新設し、従来の商業学科も高等商業学科と改称。
- 1913年 - 関西甲種商業学校(関西大学第一中学校・高等学校の前身)が開校。
- 1920年 - 財団法人に改組し、関西大学と改称。
- 1922年 - 大学部と大学予科が現在の千里山キャンパスへ移転、大学令による大学となる。大学科、大学予科を法学部(法律学科、政治学科)、商学部(商業学科)と大学予科に改組。駐日フランス大使ポール・クローデルが来校し特別公演。
- 1924年 - 専門部に文学科、商学部に経済学科を設置。商学部を経済学部に改称。
- 1927年 - 住友財閥より住友合資会社本社社屋を受贈。
- 1928年 - 法学部に文学科(哲学と英文学の2専攻科)を増設し、法文学部となる。
- 1929年 - 天六学舎竣工。
- 1930年 - 専門部第一部(昼間部)を設置。
- 1935年 - 経済学部を経商学部と改称。
- 1941年 - 文部省の指示により、学部、予科、専門部第一部・ニ部それぞれに報国団を結成。
- 1943年 - 徴兵猶予撤廃により、12月学徒出陣の学生に特別講義を実施。
- 1944年 - 法文学部と経商学部がそれぞれ法学部と経済学部になる(戦局悪化による学科廃止のため)。関西工業専門学校(工学部の前身)が開校。関西大学人文科学研究所を開設。
- 1948年 - 新制大学に移行し、法学部・文学部・商学部・経済学部の4学部を設置。
- 1950年 - 関西大学短期大学部を設置(募集は1955年まで)。
- 1951年 - 学校法人関西大学に改組。
- 1958年 - 工学部を設置。
- 1967年 - 社会学部を設置。
- 1972年 - 考古学研究室の高松塚古墳発掘調査で極彩色の壁画を発見。
- 1985年 - 関西大学総合図書館、情報処理センターを開館。
- 1986年 - 創立100周年。
- 1994年 - 高槻市に「高槻キャンパス」を開設し、総合情報学部を設置。関西大学博物館を開館。第二部が天六から千里山へ移転。
- 1997年 - エクステンションリードセンターを開設。白馬栂池高原ロッジ竣工。
- 2000年 - 外国語教育研究機構を設置。
- 2002年 - 先端科学技術推進機構、ソシオネットワーク戦略研究センターを開設。外国語教育学研究科(博士前期課程・後期課程)を開設。
- 2003年 - 東京センターを開設。第二部を廃止し、フレックス(昼夜開講制)を導入。
- 2004年 - 法科大学院を設置。文学部8学科を廃止し、総合人文学科1学科10専修の組織へ移行。
- 2006年 - 会計専門職大学院を設置。凛風館を開館。文学部で昼夜開講制を廃止。
- 2007年 - 法学部・経済学部・商学部で昼夜開講制を導入。政策創造学部を新設。工学部をシステム理工学部・環境都市工学部・化学生命工学部へ再編。東京センターを東京駅八重洲口のサピアタワー内へ規模を拡充の上で移転。
- 2008年 - 法学部の法律学科と政治学科を統合し、新たに「法学政治学科」を設置。大学院心理学研究科を設置。早稲田大学と学術交流協定締結。大阪市立大学・大阪府立大学と包括連携協定締結。
- 2009年 - 千里山キャンパスに外国語学部を設置。大学院心理学研究科に心理臨床学専攻 (専門職大学院を設置。関西大学・大阪医科大学・大阪薬科大学は、文部科学省「大学教育充実のための戦略的大学連携支援プログラム」に採択され、共同して「三大学医工薬連環科学教育研究機構」を設置し、「医工薬連環科学」の教育とその具体的実践活動を開始。
- 2010年 - 「堺キャンパス」を開設し、人間健康学部を新設。「高槻ミューズキャンパス」を開設し、社会安全学部および大学院社会安全研究科を設置。
- 2011年 - 大学院東アジア文化研究科、ガバナンス研究科を設置。
- 2013年 - 留学生別科(日本語・日本文化教育プログラム進学コース)を開設。南千里国際プラザを開設(留学生宿舎と留学生別科用教育施設)[1]。
- 2014年 - 天六キャンパスを売却。
- 2016年 - 千里山キャンパスに、関大前駅北口前と第3学舎間を結ぶエスカレーターを備えた「西門」が完成。大阪市北区鶴野町に「梅田キャンパス」を開設[2]。
基礎データ
所在地
- 千里山キャンパス(大阪府吹田市山手町)
- 高槻キャンパス(大阪府高槻市霊仙寺町)
- 高槻ミューズキャンパス(大阪府高槻市白梅町)
- 堺キャンパス(大阪府堺市堺区)
- 梅田キャンパス(大阪府大阪市北区)
- 東京センター(東京都千代田区丸の内サピアタワー)
象徴
スクールカラーは 紫紺である[3]。
校章
風雨に晒されながらも力強く生い茂っていく淀川の葦の葉をイメージしている[4][5]。
ロゴマーク
校章を「SIGILLUM・UNIVERSITATIS・KANSAIENSIS・MDCCCLXXXVI」(印章・関西大学・1886年〈ラテン語〉)で囲んでいる。1886年は同学の創立年である。第17代学長を務めた岩崎卯一が1915年(大正4年)に第1回海外留学生としてコロンビア大学に留学しているが、校章をラテン語で囲むのはコロンビア大学の印章に因んだデザインとされ、当時の留学団が使用した印章のデザインである。
KUマーク
関西大学は2009年(平成21年)度から2013年(平成25年)度までコミュニケーション・マーク「Global 'KU'」とタグライン「THINK × ACT」(スィンク・バイ・アクト)を使用していた。コミュニケーションマークは、"Kansai University" の「K」と「U」の2文字を重ねて地球の形にデザインし、色はスクールカラーである紫紺を用いていた[6]。2014年(平成26年)度にロゴマークが導入されたことにより大学では使用中止となったが、コミュニケーションマークについては関西大学初等部・中等部・高等部のマークとして、引き続き使用されることになった。
学歌・応援歌
- 学歌
- 関西大学では大学歌のことを「校歌」と呼ばずに「学歌」と呼ぶ。「自然の秀麗 人の親和…」で始まる学歌は、1922年(大正11年)9月に関西大学が大学令による大学に昇格した後に制定された。大正初期から「遥に高き生駒山…」で始まる校歌(池辺義象作詞、弘田龍太郎作曲)はあったが[7]、時の総理事山岡順太郎が提唱する「学の実化」を受けて、新時代の学歌が待望されていた。学歌は、同学教授であった服部嘉香が作詞し、服部の知人で作曲界の異才山田耕筰が作曲した。その後、山田耕筰は歌唱上の制約から第3節の「自由の訓練 自治の発揮」を「自由の尊重 自治の訓練」と、第2節の「実化」を「じつげ」と歌うように指導し、それ以来、今日に至るまでその歌詞で歌われている。
- 応援歌
- 応援歌に「応援歌」「王者関大」「関大マグマ」などがある。いずれも関西大学応援団の団員たちが制作した歌、あるいは一般公募の中から選ばれた歌で[8]、総合関関戦や大学祭の後夜祭などで学生たちによって歌われる。なお、関大マグマは『マグマ大使』の主題歌の替え歌である。
- その他
- 他にも「学生歌」「関西大学讃歌」「逍遥歌」などがある。
マスコットキャラクター
フクロウ。ギリシア神話やローマ神話で学問・技芸・知恵を司る女神の使者、知の象徴とされている鳥。若者たちに学生生活の中で自分を見つめ直し、物事を自らの目と耳で感じ取り、創造力を育んでほしいという願いを大きな目と耳(羽角)を持つこの鳥に喩えた[9]。
組織構成
学部
別科
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大学院
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附属機関
研究所
1947年設立。他大学の出版部などに見られるような独立した法人組織ではなく、学校法人関西大学の事務組織の一部局として位置づけられている。
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研究グローバルCOEプログラムグローバルCOEプログラムとして、1件のプロジェクトが採択されている。
私立大学戦略的研究基盤形成支援事業
私立大学学術研究高度化推進事業選定されたプロジェクトは27件に上り、全私立大学中ベスト3にランクされる。
主な競争的資金の獲得状況
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学生生活
学園祭
学園祭は「関西大学統一学園祭」と称し(略称は「学祭」)、例年11月上旬の4日間に渡り開催される。研究発表やミスター&ミスキャンパスコンテスト、学外から著名人を招聘しての講演会やコンサートなど、様々な企画が催されている。また、サークルや学科などの有志学生は、模擬店での軽食の販売やパフォーマンスの披露を行う。大学当局は学生の主催であり大学の公式行事ではないという立場を取っている。2016年(平成28年)の統一学園祭には約8万人が来場した。
スポーツ
同学の応援歌の歌詞にも登場する「カイザー」(KAISER:ドイツ語で「皇帝」の意味)という愛称が、体育会のチーム名や体育会全体の統一名称として用いられている。
- 野球部は関西学生野球連盟に所属している。
- サッカー部は、関西学生サッカーリーグに所属している。
- ラグビー部は関西大学ラグビーフットボールリーグに所属している。
- アメリカンフットボール部は関西学生アメリカンフットボール連盟に所属している。
- バスケットボール部は関西学生バスケットボール連盟に所属している。
- 陸上部は箱根駅伝に1928年(昭和3年)、1930年(昭和5年)、1931年(昭和6年)に出場しており、これは関東学生陸上競技連盟所属校以外では最多である[28]。
- 探検部は1991年(平成3年)にタリム川をカヌーで航行し、タクラマカン砂漠の縦断に成功した。
- アイススケート部は、オリンピック日本代表選手の高橋大輔、織田信成、町田樹、宮原知子を輩出した。
- 日本オリンピック委員会ボクシング競技強化センターが凱風館に設置されている[29]。
関関戦
関西学院大学との対抗戦は、旧制大学時代から続いており、端艇部(ボート部)、陸上競技部、野球部、サッカー部など様々な運動部で開催されている。両大学では関西大学の「関」と関西学院大学の「関」を取って、関関戦と呼ぶ。また、単に相手校の名を冠して関学戦と呼ぶこともある。1978年(昭和53年)からは総合関関戦も開催されている。
- 関大・法大対抗戦 - 法政大学との対抗戦。1924年(大正13年)から1939年(昭和14年)に一時中断されるまで、15回にわたって行われた。
- 京関・早慶対抗戦 - 1937年(昭和12年)から1951年(昭和26年)まで行われた京都大学と関西大学の連合軍と、早稲田大学と慶應義塾大学の連合軍との東西対抗戦。
大学関係者
大学関係者一覧
- 参照: 関西大学の人物一覧
同窓会組織
関西大学の同窓会・親睦会組織は「関西大学校友会」と称し、関西大学卒業生で構成される。1897年(明治30年)に発足され、1911年(明治44年)に最初の支部となる東京支部の開設以降、支部開設が相次ぎ、1941年(昭和16年)の時点で国内26か所、国外11か所(大連、台湾、朝鮮、奉天、新京、上海等)にまで拡大した。現在では、都道府県別や市区町村別の地域支部、海外支部、企業別、業種別の職域会、ゼミOB会など、様々な団体組織が存在する。(2018年現在、247団体、会員数約40万人)
機関誌『關大』
校友会が発行する大学機関誌。1955年(昭和30年)5月に一般紙と同じ新聞形式の月刊紙として創刊以来、1998年(平成10年)3月までは年11回、以降は年6回、更に2004年(平成16年)からはA4判オールカラーの冊子形式に体裁変更し、2015年(平成27年)5月に創刊60周年を迎えた。
学術研究会
関西大学には、学部によっては学生と教員により組織される学術研究会がある。各々活動内容は異なるが、会報や学術誌の発行、過去問の配布などが主である。法学会や経済学会では懸賞論文を募集しており、優秀とされる者については賞状と賞金を与えられる。うち法学会では、半世紀以上にわたって懸賞論文が行われており、会誌「関西大学法学会誌」において入賞者の氏名・論文名が掲載されるほか、優秀賞受賞者についてはその全文が掲載され、「法学会誌」が大学紀要としての性質を有していることから、受賞者のデータは国立国会図書館のデータベースに記録される。受賞者からは、法曹・法学研究者を輩出し、主な受賞者として、大阪高等検察庁検事長の中尾巧や大阪府公安委員会委員長の栗原宏武(元大阪家庭裁判所所長・関西大学法科大学院名誉教授)らがいる。
- 関西大学法学会(法学部、政策創造学部)
- 関西大学文学会(文学部)
- 関西大学映像文化学会(文学部映像文化専修)
- 関西大学英文学会(文学部英語英文学専修)
- 関西大学国文学会(文学部国語国文学専修)
- 関西大学独文学会(文学部ドイツ語ドイツ文学専修)
- 関西大学フランス語フランス文学会(文学部フランス語フランス文学専修)
- 関西大学哲学会(文学部哲学・倫理学専修、比較宗教学専修、芸術学美術史専修)
- 関西大学史学・地理学会(文学部歴史学専修、地理学・地域環境学専修)
- 関西大学中国文学会(文学部中国語・中国学専修)
- 関西大学教育学会(文学部教育学専修)
- 関西大学文学部心理学会(文学部心理学専修)
- 関西大学経済学会(経済学部)
- 関西大学商学会(商学部)
- 関西大学外国語教育学会(大学院外国語教育学研究科)
- 関西大学理工学会(環境都市工学部、化学生命工学部、システム理工学部、工学部)
- 理工学府(システム理工学部、環境都市工学部、化学生命工学部を含む)の学生と教員で組織する団体。会報や学術誌である「工学と技術」を発行し、また関西大学理工学府の学生向けにパソコン講習会や工場見学会、講演会などを行っている。2007年度に関西大学工学部がシステム理工学部、環境都市工学部、化学生命工学部の3学部に編成されるまでは関西大学工学会という名称であった。
施設
現在のキャンパス
千里山キャンパス
大阪府吹田市山手町に位置し、同一キャンパス内に13学部・大学院13研究科・3専門職大学院が立地している。日本初となる田園都市として、千里山駅の西側一帯で計画的に開発された千里山住宅地に1922年(大正11年)竣工された。第二次世界大戦時には日本陸軍に千里山キャンパスが接収され、軍部の諸施設に転用された為、学舎はアメリカ海軍の艦載機による機銃掃射を受けた。戦後は学舎の多くが建築家村野藤吾により設計され、そのうち簡文館 が2007年(平成19年)7月に登録有形文化財に登録された。キャンパスの南部には名神高速道路が横断しており、その北側にキャンパスの大部分が集中している。地域社会の一員としての開かれた姿勢を持ち、大学および地域社会が有する知的・人的資源の活用を図ることにより、地域社会の発展に寄与するべく、キャンパスは学生や教職員に限らず、常時出入りが自由となっている。
- 以文館
1927年(昭和2年)、 住友財閥より住友合資会社(大阪府東区北浜)の本社社屋の建物を受贈、移築して大学本館とした。この建物は、現在の三井住友銀行大阪本店ビルとして利用されている住友ビルディング南側の敷地にあったもので、建物の寄贈については山岡順太郎総理事や喜多村桂一郎理事の尽力が大きかった。1954年(昭和29年)、老朽化のため解体。2004年(平成16年)に法科大学院の学舎として建築された以文館には、この大学本館の象徴であった八角形ドームのデザインが取り入れられている。
- 威徳館
1928年(昭和3年)、京都で昭和天皇の即位の礼が行われ、京都御苑内に白木造りの饗宴場が造営された。即位大礼後に建物はすみやかに解体され、 観心寺(大阪府河内長野市)、橿原神宮(奈良県 橿原市)と共に関西大学へ下賜され、1932年(昭和7年)2月、大学本館の北側に講堂兼武道場の「威徳館」として竣工した。学生1千人を収容でき、入学式や卒業式などのほか柔剣道の演舞場、さらに戦後は大教室としても使われたが、1953年(昭和28年)末に新学舎建設のため解体された。現在、この場所には第1学舎(法文学舎)が建っている。威徳館の建物は再度移築され、近隣の千里寺の本堂として現存している。
- 使用学部 : 法学部、文学部、外国語学部、経済学部、商学部、社会学部、政策創造学部、システム理工学部、環境都市工学部、化学生命工学部
- 使用研究科 : 法学研究科、文学研究科、経済学研究科、商学研究科、社会学研究科、外国語教育学研究科、理工学研究科、心理学研究科、東アジア文化研究科、ガバナンス研究科、法科大学院(法務研究科)、会計専門職大学院(会計研究科)、臨床心理専門職大学院(心理学研究科心理臨床学専攻)
- 使用附属施設 : エクステンション・リードセンター、関西大学総合図書館、関西大学博物館、スターバックスなど。
- 交通アクセス :阪急千里線関大前駅下車、駅北口から正門まで徒歩約5分、西門(第3学舎に至近)まですぐ。駅南口から南門まですぐ。阪急千里線千里山駅下車、駅から北門(第1学舎に至近)まで徒歩約9分、JR京都線吹田駅下車、JR吹田北口よりバスで7分(200系統関西大学行き)関西大学(山手ゆにわ遊園前)バス停下車、東門(第4学舎の最寄り)まで徒歩2分。
高槻キャンパス
大阪府高槻市霊仙寺町2丁目1番1号に所在。1993年(平成5年)竣工、テレビスタジオおよび関連設備を有している。国内の大学としては初の国際競技規格の通年型アイスアリーナが創立120周年記念事業の一環として、課外活動振興に伴う環境整備のために建設された。大学行事、正課体育、アイスホッケー部、アイススケート部および第一高等学校課外活動の活動拠点となるとともに、併せて、他大学の練習場として、また、近隣の小・中・高等学校の課外行事での利用などに対しても施設を開放している[30]。
- 使用学部 : 総合情報学部
- 使用研究科 : 総合情報学研究科
- 使用附属施設 : 馬場、ゴルフ練習場、スタジオ、関西大学 たかつき アイスアリーナ
- 交通アクセス :阪急京都線富田駅・JR京都線(東海道本線)摂津富田駅下車、市営バス「関西大学」「萩谷」「萩谷総合公園」行き約20分。阪急京都線高槻市駅・JR京都線(東海道本線)高槻駅下車、市営バス「関西大学」行き約25分。
高槻ミューズキャンパス
大阪府高槻市白梅町(JR高槻駅北東地区のユアサコーポレーション工場跡地)に都市再生緊急整備地域の指定に基づくJR高槻駅北東地区開発事業の一環として2010年(平成22年)に竣工。関西大学初等部・中等部・高等部を併設する。キャンパス名は、ギリシャ神話の学芸の女神「MUSE(ミューズ)」に由来する。
- 使用学部 : 社会安全学部
- 使用研究科 : 社会安全研究科
- 使用附属施設 : 安全ミュージアム、生涯学習センター、エクステンション・リードセンター
- 交通アクセス : 高槻駅から徒歩約5分、阪急高槻市駅から徒歩約10分。
堺キャンパス
大阪府堺市堺区香ヶ丘町に所在。堺市立商業高等学校跡地に2010年(平成22年)竣工。
梅田キャンパス
大阪府大阪市北区鶴野町に所在。2016年(平成28年)竣工したサテライトキャンパス。
- 使用研究科 : 会計研究科
- 使用附属施設 : キャリアセンター梅田オフィス、KANDAI Me RISE 倶楽部、スターバックスなど。
- 交通アクセス : 阪急梅田駅下車徒歩5分、JR大阪駅下車徒歩8分、阪神梅田駅下車徒歩11分。地下鉄御堂筋線梅田駅下車徒歩6分、地下鉄谷町線東梅田駅下車徒歩9分、地下鉄四つ橋線西梅田駅下車徒歩13分。
- うめきたラボラトリ
グランフロント大阪、ナレッジキャピタルタワーC、9階に所在。
- 東大阪サテライトオフィス
クリエイション・コア東大阪、南館2階に所在。
閉鎖されたキャンパス
- 江戸堀学舎
大阪府大阪市西区江戸堀に1903年(明治36年)竣工。1906年(明治39年)、大阪市電敷設のため校地を大阪市へ売却。福島学舎へ移転。
- 福島学舎
大阪府大阪市北区上福島に1906年(明治39年)竣工。江戸堀校舎の建物を移築。1929年(昭和4年)、鉄道省より東海道本線拡幅高架化を受けて閉鎖。天六学舎へ移転。
- 天六学舎
大阪府大阪市北区長柄西1に1929年(昭和4年)竣工。福島校舎より専門部、関西甲種商業学校、第二商業学校がそれぞれ移転し、夜間のみであった専門部に加え昼間部が開設された。1935年(昭和10年)から1965年(昭和40年)までは大学本部があった。1993年(平成5年)までは法学部や商学部などの第2部(夜間部)が置かれ都心のキャンパスとして利用されていたが、第2部は全国的な夜間学部の人気低迷とともに1994年(平成6年)には千里山キャンパスに移転し、その後は公開講座などを実施していた。2014年(平成26年)9月に閉鎖。
- 心斎橋オフィス
大阪府大阪市中央区に所在。2010年(平成22年)に閉鎖。
- 中之島センター
大阪府大阪市北区中之島の大阪府立中之島図書館内に所在。2015年(平成27年)に閉鎖。
学生寮
- 学生国際交流館・秀麗寮(男子専用寮)
- ドミトリー月が丘(女子専用寮)
- 千里凱風寮(スポーツ競技成績が優れた男子専用寮)
セミナーハウス
施設一覧[31]
- 高岳館
- 飛鳥文化研究所
- 白馬栂池高原ロッジ
- 六甲山荘
- 彦根荘
- 恭仁山荘
対外関係
他大学との協定
- 大学コンソーシアム大阪加盟
- 関西社会人大学院連合加盟
- 全国私立大学FD連携フォーラム加盟
- 大学eラーニング協議会加盟
- 関西学生法学連盟加盟
- 関西四大学学長フォーラム
- 関西四大学大学院単位互換制度
- 関西四大学図書館協定
- 「資料の利用に関する関西四大学図書館相互協力規約(1968年)」のほか、「関西四大学大学院単位互換協定(1998年)」などにより、関西四大学「関関同立」の教職員、大学院生、学部生の図書館相互利用が出来る。
- 包括学術交流協定
- 包括連携協定
- 連携協力協定
- 学術交流協定
- 大阪医科大学
- 大阪薬科大学
- 上記2大学との協定より、2009年(平成21年)に文部科学省「大学教育充実のための戦略的大学連携支援プログラム」として採択され、3大学が共同で「三大学医工薬連環科学教育研究機構」を設置し、「医工薬連環科学」の教育とその具体的実践活動を開始した。
- 早稲田大学
- 学術連携協定
- 信州大学 - 信州大学大学院医学系研究科と人間健康学部による連携。
研究機関との連携
- バチカン図書館 - 東西学術研究所はローマ大学、北京外国語大学と共にバチカン図書館所蔵の東アジア関連資料研究を進めている。
- コロンビア大学 - データサイエンス研究センターとの共同研究を行っている。
- ハーバード燕京研究所
- 台湾国家図書館
- 財団渋沢史料館
系列校
関西大学の各教育機関は大学を頂点とする附属学校」ではなく、同一法人のもとで平等の取り扱いを受ける独立した併設学校である。
連携校
過去に学校法人関西大学との連携校だった学校がある。
- 関西大学連携浪速中学校 - 学校法人大阪國學院浪速中学校は、2010年4月に関西大学連携浪速中学校と改称し、関大コースを設置した。その後2012年2月、入学枠について協議中であったにも関わらず中学校側が必ず関西大学に進学できるといって生徒を募集していたことから連携を解消することとなり、生徒保護の観点から一定の偏差値に達した者を1学年あたり30名を上限として一定期間に限って受け入れる方針となった[33]。
海外協定大学
国名(地域名) | 協定校 |
---|---|
オーストラリア | 2 |
ベルギー | 1 |
ブラジル | 1 |
ブータン | 1 |
カナダ | 1 |
スイス | 1 |
中国 | 10 |
デンマーク | 1 |
エクアドル | 1 |
エジプト | 1 |
フランス | 4 |
ドイツ | 10 |
香港 | 1 |
インド | 2 |
インドネシア | 1 |
イタリア | 1 |
日本 | 7 |
韓国 | 14 |
マレーシア | 5 |
メキシコ | 3 |
ミャンマー | 1 |
ニュージーランド | 2 |
ノルウェー | 1 |
フィリピン | 3 |
ロシア | 3 |
スペイン | 2 |
スリランカ | 1 |
スウェーデン | 2 |
中華民国(台湾) | 10 |
タイ | 6 |
トルコ | 1 |
アラブ首長国連邦 | 1 |
イギリス | 7 |
アメリカ合衆国 | 20 |
ベトナム | 6 |
社会との関わり
- 大阪マラソン協賛スポンサー
- 関西大学は、地元大阪に本拠を置く大学として、大阪マラソンの協賛スポンサーとなっており、同大会運営への協力や、マラソンや大阪の魅力を紹介する一般市民向け公開講座、スポーツ教室、通訳ボランティア、給水ボランティア、海外協定大学を通じた大会広報などの取り組みを行っている。
- 学生運動
脚注
- ↑ “関西大学 留学生別科(日本語・日本文化教育プログラム進学コース)”. 関西大学. . 2011閲覧.
- ↑ “◼梅田で学びの高度化・多様化を追求!◼ 天六キャンパスを売却し、梅田に新拠点を開設 〜 地域・社会人・大学がともに発展できる新たなハブ機能として〜” (PDF) (プレスリリース), 関西大学, (2014年7月16日) . 2016閲覧.
- ↑ “校章・スクールカラー”. 関西大学. . 2016閲覧.
- ↑ 『HAND BOOK (大学要覧)』、関西大学、毎年発行。
- ↑ “校章・スクールカラー”. 関西大学. . 2015閲覧.
- ↑ “コミュニケーション・マーク”. 関西大学. . 2011閲覧.
- ↑ 関西大学百年史編纂委員会 『関西大学百年史』 通史編上巻、1986年、289-291頁
- ↑ “応援団の歴史”. 関西大学應援團OB千成会. . 2010閲覧.
- ↑ 『大学 KANSAI UNIVERSITY 1993 (大学要覧)』、関西大学、1993年、 裏表紙。『INFORMATION 1993 大学案内』、関西大学、1993年、 99頁。
- ↑ 履修モデルは、学部ホームページ[1]、2016年入学生用の学部パンフレット[2]による(2016年入学生用の大学案内[3]には記載なし)。
- ↑ 主専攻言語に加え、「プラスワン外国語」としてドイツ語、フランス語、スペイン語、ロシア語、朝鮮語、英語(中国語を主専攻言語とした場合)、中国語(英語を主専攻言語とした場合)のいずれかを選んで学ぶ。また、2年次には海外の提携大学への留学が義務づけられているが、主専攻言語が英語の学生が韓国または台湾の大学を選択する場合、朝鮮語または中国語を副専攻言語として時間割数を増やして学ぶことになる。
- ↑ 2016年入学生用の大学案内によると、情報学の専門分野を体系的に学習するための指針として、メディア情報系、コンピューティング系、社会情報システム系がある。基礎科目、展開科目、実習科目は一部を除き、系で分類されている(複数の系にまたがる科目もある)。一つの系を集中して学ぶことも、系を複合させて学ぶことも可能。
- ↑ 2014年入学生用の大学院履修要覧[4]によると、選択した領域の科目を一定単位履修しなければならない。
- ↑ 2015年度入学生用の大学院案内[5]によると、教員はこれら「東アジアの言語と表象」、「東アジアの思想と構造」、「東アジアの歴史と動態」の3領域を分担。大学院要覧(2014年入学生用)[6]によると、必修科目である演習は、前期課程でも後期課程でも、これら3領域に分かれている。
- ↑ 2015年度入学生用の大学院案内では「研究領域」という言葉を用いていないが、分野等の構成は理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」と同じ。
- ↑ 理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」[7]
- ↑ 理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」[8]
- ↑ 理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」[9]
- ↑ 理工学研究科のサイトの教員紹介・研究内容[10]
- ↑ 理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」[11]
- ↑ 建築学分野、都市システム工学分野共通
- ↑ 理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」[12]
- ↑ 建築学分野、都市システム工学分野共通
- ↑ 理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」[13]
- ↑ 理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」[14]
- ↑ 理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」[15]
- ↑ 理工学研究科のサイトにある「教員紹介・研究内容」(数学分野、物理・応用物理学分野、機械工学分野、電気電子情報工学分野、建築学分野、都市システム工学分野、エネルギー・環境工学分野、化学・物質工学分野、生命・生物工学分野)
- ↑ [ https://dot.asahi.com/dot/2014122800026.html /意外!箱根駅伝に出ていた西日本の「名門大学」]AERA dot.、2014年12月31日閲覧。
- ↑ JOC認定競技別強化センター公益財団法人日本オリンピック委員会、2018年1月15日閲覧。
- ↑ 関西大学アイスアリーナ(概要)
- ↑ 関西大学公式サイト内 セミナーハウス一覧
- ↑ 2008年に発足したファカルティ・ディベロプメント(Faculty Development、通称:FD)に関する日本で初の私立大学連携協定。
- ↑ 毎日新聞 2012年2月24日
関連文献
- 関西大学 『関西大学創立五十年史』 1936年
Wiki関係他プロジェクトリンク
関連項目
外部リンク
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