鹿児島神宮

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鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社。式内社式内大社)、大隅国一宮旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。別名を「大隅正八幡宮」。

祭神

現在の祭神は次の通り[1]

主祭神
相殿神
  • 帯中比子尊(なかたらしひこのみこと、第14代仲哀天皇)
  • 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后) - 仲哀天皇皇后。
  • 品陀和気尊(ほむだわけのみこと、第15代応神天皇・八幡大神)
  • 中比売命(なかつひめのみこと、仲姫命) - 応神天皇皇后。
相殿神4柱は八幡神を合祀した関係による。

歴史

創始は社伝によると「神武天皇の時に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」とされる。当社の北西13kmの地点には、穗穗出見尊の御陵とされる高屋山陵がある。

欽明天皇の代に八幡神が垂迹したのもこの場所とされる。当社を正八幡と呼ぶのは『八幡愚童訓』に、「震旦国(インドから見た中国)の大王の娘の大比留女は七歳の時に朝日の光が胸を突き、懐妊して王子を生んだ。王臣達はこれを怪しんで空船に乗せて、船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべた。船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着き、その太子を八幡と名付けたと言う。継体天皇の代のことであると言う。」との記載がある。 八幡神は大隅国に現れ、次に宇佐に遷り、ついに石清水に跡を垂れたと『今昔物語集』にも記載されている。

信頼できる史料での初出は、醍醐天皇の時に編纂された『延喜式神名帳』に「大隅国桑原郡 鹿児嶋神社」とあるもので、大社に列している。その高い社格から桑幡氏税所氏などの有力国人をその神職より輩出した。平安時代に宇佐八幡が九州各地に別宮を作ったのに伴い、当社に八幡神が合祀されたともされている。それ以降、正八幡宮・大隅八幡宮・国分八幡宮などとも称される。

戦国時代から江戸時代には、地元の大名である島津氏の尊崇を受けた。

1874年明治7年)に神宮号宣下及び近代社格制度において官幣中社に列し、1895年(明治28年)に官幣大社に昇格した。戦後は神社本庁別表神社となった。

境内

祭事

ファイル:Hatsu uma sai 02.jpg
初午祭の様子(2012年撮影)

鹿児島神宮で行われる年間祭事は次の通り[2]

  • 七種祭(1月7日)
  • 初午祭(旧暦1月18日:近年は近日の日曜日)
  • 藤祭(旧暦3月10日)
  • 御田植祭(旧暦5月5日)
  • 例祭(旧暦8月15日)
  • 七夕祭
  • 御浜下り祭(10月第3日曜日)

文化財

重要文化財(国指定)

  • 紺糸威鎧 兜、大袖付(工芸品)
    島津家家老の樺山幸久の奉納。1953年(昭和28年)3月31日指定[3][4]
  • 色々威胴丸 兜、大袖付(工芸品)
    永禄元年(1558年)の島津貴久の奉納。鹿児島県歴史資料センター黎明館保管。1953年(昭和28年)3月31日指定[5][4]
  • 色々威胴丸 兜、大袖付(工芸品)
    永禄元年(1558年)の島津貴久の奉納。東京国立博物館保管。1953年(昭和28年)3月31日指定[6][4]
  • 刀 無銘(伝則重)(工芸品)
    戦後の進駐軍の接収で所在不明。1918年(大正7年)4月8日指定[7]
  • 刀 銘相州住秋広 明徳三(工芸品)
    明徳3年(1392年)の作。27代島津斉興の奉納。戦後の進駐軍の接収で所在不明となったが、オークションへの出品で発見されて2003年(平成15年)に神社が買い戻した。現在は鹿児島県歴史資料センター黎明館保管。1927年(昭和2年)4月25日指定[8][4]

国の史跡

  • 大隅正八幡宮境内及び社家跡 - 2013年(平成25年)10月17日指定[9][4]

鹿児島県指定文化財

  • 有形文化財
    • 本殿・拝殿・勅使殿(建造物)
      宝暦6年(1756年)の島津重豪による造営。1990年(平成2年)3月23日指定[10][4]
    • 正宮造替の石灯籠(建造物)
      2014年(平成26年)4月22日指定[4]
    • 鹿児島神宮所蔵陶磁器(工芸品)
      2008年(平成20年)3月25日に「鹿児島神宮宝物 陶磁器」として霧島市指定有形文化財(工芸品)に指定[10]、2010年(平成22年)4月23日に鹿児島県指定有形文化財に指定[4]
    • 鹿児島神宮文書(古文書)
      正八幡宮神官命婦職補任状、正八幡宮執印下文、酒井季時正宮修理職補任状、酒井為春正八幡宮修理所職補任状。1987年(昭和62年)3月16日指定[10][4]
  • 有形民俗文化財
    • 宮内の田の神
      1968年(昭和43年)3月29日指定[10][4]

霧島市指定文化財

  • 有形文化財
    • 辻の角の保食神社(建造物) - 元は弥勒院脇の白鷺池の弁財天堂。明治の廃仏毀釈で現在地に移建された。2005年(平成17年)7月6日指定[10][4]
    • 鹿児島神宮四天王石像(歴史資料) - 隼人歴史民俗資料館の場所で発見。隼人塚史跡館保管。1994年(平成6年)6月7日指定[10][4]
    • 神宮古印(歴史資料) - 1995年(平成7年)7月3日指定[10][4]
  • 史跡
    • 宮坂貝塚 - 裏参道で発見された貝塚。1999年(平成11年)12月8日指定[10][4]
  • 無形民俗文化財
    • 十八日の馬 - 1987年(昭和62年)3月31日指定[10][4]

現地情報

所在地

交通アクセス

脚注

  1. 由緒について(公式サイト)。
  2. 神社由緒書「鹿児島神宮由緒略記」。
  3. 紺絲威鎧〈兜、大袖付/〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. 4.00 4.01 4.02 4.03 4.04 4.05 4.06 4.07 4.08 4.09 4.10 4.11 4.12 4.13 4.14 文化財【隼人】(霧島市ホームページ、2017年4月1日更新版)。
  5. 色々威胴丸〈兜、大袖付/〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  6. 色々威胴丸〈兜、大袖付/〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  7. 刀〈無銘(伝則重)/〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  8. 刀〈銘相州住秋広/明徳三〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  9. 大隅正八幡宮境内及び社家跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  10. 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 10.6 10.7 10.8 指定(登録)文化財一覧表(霧島市ホームページ、2018年4月5日更新版)。

関連図書

  • 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、19頁
  • 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、89-90頁
  • 菅田正昭『日本の神社を知る「事典」』日本文芸社、1989年、240頁
  • 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、284-285頁

関連項目

外部リンク