高橋善正
高橋 善正(たかはし よしまさ、1944年5月5日 - )は、高知県高岡郡窪川町(現:四万十町)出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ、プロ野球解説者・評論家。
史上12人目の完全試合達成者。
1975年から1977年までの登録名は高橋 良昌(読み同じ)。2008年より4年間、中央大学硬式野球部監督を務めた。
Contents
経歴
プロ入りまで
高知商業高校では1961年、2年生の時に、夏の甲子園に出場。後に同校野球部監督となる谷脇一夫とバッテリーを組み、1回戦で大分高田の門岡信行と投げ合い、完封勝利を飾る。しかし2回戦では相羽欣厚、江藤省三らのいた中京商と打撃戦を展開。一時は5点リードするが逆転され、山中巽、林俊彦の継投に屈し7-8で惜敗。谷脇以外のチームメートに、後に巨人入りする岩郷泰博がいる。翌1962年の夏も県予選を勝ち抜き南四国大会決勝に進出するが、徳島商の日崎勝に完封を喫し、甲子園出場を逸する[1]。
中央大学に進み、東都大学野球リーグでは在学中に2回優勝を経験。2年生の1964年秋季リーグでは、当時のリーグ新記録である8連勝を達成、8勝0敗の成績で優勝に貢献し、最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインに選ばれた。3年生の1965年秋季リーグでも、リーグ新記録のシーズン9勝をマークし最優秀投手、ベストナインに選ばれたが、芝池博明を擁する専大に優勝を阻まれる[2]。リーグ通算63試合に登板し、サイドハンドからのくせ球を武器に35勝15敗、188奪三振、防御率1.61という記録を残した。通算35勝は芝池博明の41勝、田村政雄と松沼雅之の39勝に次ぐリーグ歴代4位タイ。大学同期に高畠導宏がいる。
現役時代
1966年の第2次ドラフト会議で東映フライヤーズに1位指名[3]され入団。ルーキーイヤーの1967年にプロ初登板を完封勝利で飾るなど15勝を挙げ新人王に選出された。翌年も先発として活躍するが、1969年のオープン戦でのランニングの際に排水溝に落ちて腰を痛めてから勝星が減り低迷。しかし1971年には復活して7勝、同年8月21日には対西鉄ライオンズ戦でプロ野球史上12人目の完全試合を達成している[4]。「西鉄ライオンズは黒い霧事件で主力選手が退団して弱体化していたからできた」と冷静にコメント。投球数86、三振は3回の三輪悟投手から奪った1個だけで、内野ゴロ15、内野フライ7、外野フライ4と打たせてとるピッチングだった。翌年も10勝を挙げた。オールスターゲームにも1968年と1972年の2度出場。
1973年に小坂敏彦、渡辺秀武との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍、同年は1勝に終わる。1974年4月15日の対広島東洋カープ戦(広島市民球場)で、2安打1失点(奪三振9、与四死球2)で1973年5月9日以来の完投勝利を挙げ、これが川上哲治の監督通算1000勝目となった[5]。1974年10月14日に行われた長嶋茂雄現役引退試合では先発し、他のV9メンバーと共にスコアボードにその名を連ねた。その後は主として中継ぎに転向し、1975年には小川邦和と並びチーム1位の53試合に登板。1977年には日本シリーズに初登板した。同年限りで現役引退。
指導者、解説者として
引退後は巨人(1978年 - 1979年・1981年 - 1983年二軍投手コーチ, 1980年一軍投手コーチ)、中日(1986年一軍投手コーチ, 1987年スカウト)、日本ハム(1988年 - 1989年一軍投手コーチ)、大洋(1990年 - 1992年一軍投手コーチ)、シダックス(1997年 - 1998年投手コーチ)、中央大学(2007年投手コーチ, 2008年 - 2011年監督)で監督・コーチを務めた。合間を縫って、テレビ東京「スポーツTODAYプロ野球速報」初代解説者(1984年 - 1985年)、NHK-BS「メジャーリーグ中継」解説者(1993年 - 1996年)、日刊ゲンダイ評論家(1999年 - 2006年)を歴任。中大監督時代には1シーズン目で6季ぶりの1部昇格を成し遂げたが、2011年秋には最下位となり入替戦に回ったが1部に残留した。翌2012年1月限りで監督を退任。教え子には澤村拓一・美馬学・鍵谷陽平がいる。
退任後、日刊ゲンダイで再び評論家(2012年 - )を務めている。その傍ら全国野球振興会の常任理事。
2018年に完全試合達成時のウイニングボールを野球殿堂博物館に寄贈した。武智文雄の完全試合達成時のボールと並んでプロ野球の歴史コーナーで展示されている[6]。
詳細情報
年度別投手成績
1967 | 東映 | 45 | 27 | 5 | 5 | 3 | 15 | 11 | -- | -- | .577 | 884 | 226.2 | 212 | 21 | 22 | 0 | 6 | 101 | 0 | 0 | 68 | 62 | 2.46 | 1.03 |
1968 | 38 | 22 | 8 | 1 | 2 | 13 | 14 | -- | -- | .481 | 845 | 198.1 | 204 | 16 | 50 | 6 | 8 | 78 | 1 | 0 | 87 | 75 | 3.40 | 1.28 | |
1969 | 34 | 14 | 2 | 0 | 0 | 3 | 11 | -- | -- | .214 | 437 | 105.2 | 118 | 13 | 13 | 0 | 0 | 45 | 0 | 0 | 59 | 48 | 4.09 | 1.24 | |
1970 | 23 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 9 | -- | -- | .182 | 351 | 84.0 | 83 | 14 | 16 | 2 | 4 | 43 | 0 | 0 | 51 | 42 | 4.50 | 1.18 | |
1971 | 34 | 24 | 6 | 1 | 1 | 7 | 11 | -- | -- | .389 | 754 | 181.2 | 184 | 19 | 39 | 8 | 8 | 84 | 1 | 0 | 79 | 66 | 3.27 | 1.23 | |
1972 | 38 | 26 | 9 | 1 | 2 | 10 | 13 | -- | -- | .435 | 752 | 185.0 | 172 | 21 | 47 | 5 | 5 | 88 | 5 | 0 | 85 | 78 | 3.79 | 1.18 | |
1973 | 巨人 | 25 | 9 | 1 | 0 | 0 | 1 | 5 | -- | -- | .167 | 291 | 70.1 | 74 | 14 | 11 | 2 | 3 | 50 | 2 | 0 | 31 | 27 | 3.45 | 1.21 |
1974 | 24 | 7 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | -- | .667 | 240 | 59.0 | 53 | 5 | 11 | 2 | 0 | 27 | 2 | 0 | 20 | 15 | 2.29 | 1.08 | |
1975 | 53 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 2 | -- | .250 | 360 | 95.2 | 72 | 9 | 12 | 0 | 2 | 40 | 0 | 0 | 30 | 27 | 2.54 | 0.88 | |
1976 | 25 | 6 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 | -- | .750 | 252 | 62.2 | 62 | 12 | 12 | 5 | 3 | 39 | 0 | 0 | 27 | 24 | 3.45 | 1.18 | |
1977 | 45 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 3 | -- | .600 | 241 | 55.2 | 58 | 9 | 22 | 6 | 0 | 30 | 3 | 0 | 34 | 27 | 4.37 | 1.44 | |
通算:11年 | 384 | 147 | 32 | 8 | 8 | 60 | 81 | 7 | -- | .426 | 5407 | 1324.2 | 1292 | 153 | 255 | 36 | 39 | 625 | 14 | 0 | 571 | 491 | 3.34 | 1.17 |
---|
表彰
- 新人王 (1967年)
記録
- 初記録
- 初登板・初先発・初勝利・初完投・初完封:1967年4月12日、対西鉄ライオンズ2回戦(後楽園球場) ※延長13回サヨナラ
- 初セーブ:1974年10月10日、対大洋ホエールズ25回戦(後楽園球場)、6回表から2番手で救援登板・完了、4回1失点
- その他の記録
背番号
- 18 (1967年 - 1972年)
- 11 (1973年 - 1977年)
- 80 (1978年 - 1983年)
- 75 (1986年)
- 84 (1988年 - 1989年)
- 81 (1990年 - 1992年)
登録名
- 高橋 善正 (たかはし よしまさ、1967年 - 1974年)
- 高橋 良昌 (たかはし よしまさ、1975年 - 1977年)
関連情報
著書
- 『情熱野球で勝つ「言葉の鉄拳」』(ベースボール・マガジン社:2009年7月)
脚注
関連項目
外部リンク
業績 |
---|
テンプレート:日本プロ野球完全試合達成者 テンプレート:パシフィック・リーグ新人王 テンプレート:北海道日本ハムファイターズ開幕投手 |