筑波大学附属小学校

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テンプレート:日本の小学校 筑波大学附属小学校(つくばだいがくふぞくしょうがっこう、Elementary School, University of Tsukuba)は、東京都文京区大塚三丁目にある国立小学校筑波大学附属校男女共学。通称は「筑附(つくふ)」、「筑小」、「附属小」。

概要

1872年明治5年)の学制発布を受けて、1873年(明治6年)1月15日東京師範学校の附属小学校として江戸幕府直轄の昌平坂学問所跡に設立された、国の制度に基づく日本初の小学校で、官立私立小学校の中において創立年が一番古い小学校である[1]

現在の募集人数は毎年128人(男64・女64)で、毎年の志願者数が募集人数の30倍程に上り、国内最多の志願者が集まる小学校である。このため入学試験では筆記・実技試験の前に、抽選器を用いた一次検定抽選が行われ、約4,500名の応募者のうち男女1,000名ずつ程度が2次検定試験を受けられる。筆記・実技試験の2次検定合格者男女各100名でさらに3次検定の第二次抽選を経て、最終的に男女各64名が最終検定合格者となる。

当校は4クラス編成であるが、クラスの呼び方が一般の学校とは異なっている。一般の学校では、通常クラスを○年○組と称するが、当校では○部○年と称する。このため、一般の学校の「1年4組」を当校では「4部1年」と称し、1年から6年までの部ごとの縦割りの活動が存在する。また、部ごとにクラスカラーがあり、1部~4部までがそれぞれ黄、緑、紫、赤となっている。運動帽やリュックサックの紐、縄跳びバンダナなど、クラスごとにこれらがイメージカラーとなっている。

古くから教科担任制をとっていることや、各教科で教育研究が行われてきたことから、いわゆる「職員室」は存在せず、各教科ごとに「○○科準備室」が独立して校内随所に散在する。また、学級担任は学年が上がるとともにそのまま持ち上がり、1学年4クラス128名を6年間、4人の担任団がチームとなって受け持ち、子供達の成長・発達を長い目で見守る。

昭和50年代までは6年間クラス替えが無かったが、それ以降、3年から4年に上がる時の1回のみクラス替えを行うようになり、現在に至る。また、クラス替え前後で同じ部になることはない。このため、前述の通り各クラスの担任は6年間変わらないことから、クラス替え前後で担任も同じになることはない。

体育館と土のグラウンドが広大な敷地内にそれぞれ2つずつある。毎朝登校すると、まず制服から体操着に着替え、授業前の「朝の活動」と呼ばれる時間にクラス単位でドッジボールや縄跳びをしたり、併設されている「占春園」(水戸徳川家2代徳川光圀の弟松平頼元1659年にこの地に構えた屋敷の名残である日本庭園)を走ったりする。また、占春園は自然観察など理科教育の場としても利用される。

筑波大学附属中学校へは、内部進学入試を経て、卒業生の上位8割程度が進学できる。

入学に際して運動能力をみる2次検定試験があるため、運動神経が優れた児童が比較的多く、ハイレベルな体育の授業が行われている。校内では、教育発表会やテレビや新聞、出版の取材の時は制服で授業を受けるが、普段は登校後運動着に着替える。他校に比べ薄着で、真冬は長袖のセーターを着用してもよいが、大半は半袖短パン(女子はブルマー)で過ごす。体育はどんなに寒くても全員半袖短パンにならなければならない。

通学範囲は東京都区部西東京市埼玉県和光市である。大部分は片道1時間かけて通学し、中には1時間半や2時間近くかけて通う児童もいる。登校時間が早いため、朝、家を出る時間がとても早く、中には6時前に出る児童もいる。

日本の初等教育のパイオニアであり、全国や海外から年1万人以上が訪れる教師の教育拠点校である。次世代を支える子供たちの育成を目指し、研究テーマを設け、授業研究を伴いながら、理論と実践の研究を行っている。

  • 1990~1992「子供の感性が生きる授業」
  • 1993~1996「学ぶ価値を見出し追究する活動」
  • 1997~1999「自分づくりを支える教育課程」
  • 2000~2003「子供の豊かに培う共生・共創の学び」
  • 2004~2007「子供の力」を高める
  • 2008~「独創」の教育

主な行事

  • 大運動会が毎年10月1日付近の土曜日に行われる。この大運動会は文字通りの大運動会で、練習・準備・応援ともに児童・教師・保護者が大変熱を入れて、徹底的に優勝劣敗を競う。そのため、9月には他の授業を振り替えての練習や朝7時半までに登校して朝練、友達同士で空いた時間に練習がとても盛んである。縄跳びが盛んな学校であるが、大運動会の二重跳びの生き残りを争う競技では、20分間程二重跳びをし続ける児童が豊富に存在する。
  • 毎年11月には、若桐会 (PTA) が主催する文化祭、「若桐祭」が催される。若桐会で活動する保護者のみならず、保護者全体が各分野で活躍する豊富な人材が存在することも奏し、保護者同士が試行錯誤を繰り返し、在校生が楽しめる純粋で本格的な内容となっている。2014年には、桐の手紙を世界各国に発送し、エストニア共和国トーマス・イルヴェス大統領からは感謝状とモミの木が贈呈されている。すべては、愛する子供と学校のために行う活動が、相乗効果を生み、学校を一つの一体感と価値感とを確立している。
  • 春と秋には、西東京市保谷にある学校附属の保谷農園にサツマイモの苗差し、ジャガイモ掘り、サツマイモ掘り、狩りに行く。また、クラス替え前である3年次、卒業前である6年次の3月には、保谷農園でクラスごとに餅つきを行う。
  • 3年生以上は、山梨県清里高原にある附属清里若桐寮へ、毎年異なる季節に清里合宿に行く。3年次は美し森、4年次は飯盛山、5年次は(小天狗2000m級の山)、6年次では三ッ頭(八ヶ岳)の登山を全員でする。
  • 5年次では志賀高原へ「雪の生活」(スキー合宿)へ行く。
  • 6年次には、千葉県富浦の附属中学校富浦寮へ遠泳に行き、古式泳法の一つである水府流太田派を伝承する附属桐游倶楽部会員の指導のもと、全員が1時間ほどで約2kmを泳ぎ切る。このため、児童全員が1年生からスイミングスクールに通って練習し、中には選手コースで練習する児童もかなり多い。6年次7月の富浦合宿に向けて、毎年夏休みの間には学校のプールにおいて、1年・6年ペア、2年・5年ペア、3年・4年ペア、の3期に分けて1週間ずつの若桐会 (PTA) が主催する「水泳学校」があり、本校の卒業生である大学生による指導が行われる。
  • また、東京高等師範学校尋常中等科(現・筑波大学附属中学校・高等学校)がその発祥に深く関わっている修学旅行は6年次2月頃に行い、京都奈良へ行くのが伝統となっている。
  • そして5年次6年次では、通称「統一テスト」が行われる。これは、内部進学入試の模擬試験に当たり、国算理社の4教科を学年全体で行う。その成績を基に1~40位はA、41~80位はB 81~120位はC、121~160位はD、などと順位付けがされる。

沿革

校章・校歌

校章

1888年(明治21年)11月五三の桐校章が制定された。その桐章は、明治天皇の行幸の際、皇室の御紋章である五七の桐章を校章に用いるようご沙汰を頂いたことによる。しかし五七の桐では不敬にわたることがあってはとの理由で五三の桐となった。

校歌

佐佐木信綱作詞、信時潔作曲である。

著名な出身者

アクセス

関連校

脚注

  1. 海後宗臣、仲新、寺崎昌男『教科書でみる 近現代日本の教育』東京書籍、1999年

関連項目

外部リンク


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