筑波大学附属中学校・高等学校
筑波大学附属中学校・高等学校 | |
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過去の名称 |
高等師範学校尋常中学科(旧制) 高等師範学校附属尋常中学校(旧制) 高等師範学校附属中学校(旧制) 東京高等師範学校附属中学校(旧制) 東京高等師範学校附属中学校・高等学校 東京教育大学附属中学校・高等学校 |
国公私立の別 | 国立学校 |
設置者 | 国立大学法人筑波大学 |
校訓 |
中学:「強く・正しく・朗らかに」 高校:「自主・自律・自由」 |
設立年月日 | 1888年 |
開校記念日 | 9月11日 |
共学・別学 | 男女共学(男女比1:1) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科(中学5クラス・高校6クラス) |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 13003G |
所在地 | 〒112-0012 |
公式サイト | 筑波大学附属中学校・高等学校 |
筑波大学附属中学校・高等学校(つくばだいがくふぞくちゅうがっこう・こうとうがっこう、Junior and Senior High School at Otsuka, University of Tsukuba)は、東京都文京区大塚一丁目にある国立中学校・高等学校。通称は「筑附(つくふ)」、「附属(ふぞく)」[1][2]。
Contents
概要
1888年(明治21年)に高等師範学校(官立)の尋常中学科として江戸幕府直轄の昌平黌跡に設立されて以来、120年以上の歴史を有する国立の進学校。旧制中学校であった戦時中には特別科学学級が設置された。
1950年より男女共学となり、現在は中学校、高校ともに外部からの入学を受け入れているが、完全な中高一貫ではなく、中学から高校へは、内部連絡入試(一般入試とは異なる)を経て、男女それぞれ上位80%が進学できる。1学年の生徒数は中学205名、高校240名である。なお、中学では学年の3分の2程度、高校では3分の1程度が附属小学校からの内部進学者である。また、筑波大学の附属校であるが、同大学への特別な内部進学枠は存在しない。
中学校には制服があり、男子は、明治期創設の学習院中・高等科と似た、海軍兵学校(現・海上自衛隊幹部候補生学校)学生服型(ネイビーブルー。セーラー服同様に着丈が短く、詰襟で前合わせもホック留め、前合わせ・襟・袖に黒の蛇腹リボン装飾の上着。昔の海軍士官型でもある。日本海海戦の写真参照。同型は巣鴨中学校・高等学校が採用)、女子はセーラー服である。男子制服には帽子も付帯し、古い時代には登下校時、校門守衛所を通る際に脱帽し、帽子を脇に抱えて礼をするなどの着用義務があったが、現在は随意である。
高校もかつては中学と同じ制服を使用したが、1970年(昭和45年)2月に生徒自治会および教員委員会の決定によって服装既定が廃止され、現在は私服である。
中学は「強く、正しく、朗らかに」を、高校は「自主、自律、自由」をそれぞれモットーとする。
現役生は、自校のことを「筑附」や「筑波」と称することが多いが、各界で活躍している卒業生は、まだ東京教育大学附属時代の人が多いことや、脚注2 の理由があり、卒業すると、単に「附属」と呼ぶことが多い。
2008年10月10日には、創立120周年記念式典が催された。
沿革
- 1872年 - 神田昌平黌跡(現・湯島聖堂)に官立の師範学校を創設
- 1888年 - 高等師範学校に尋常中学科を設置(本校の創立)
- 1896年 - 高等師範学校から分離し、高等師範学校附属尋常中学校となる
- 1899年 - 高等師範学校附属中学校と改称
- 1902年 - 東京高等師範学校附属中学校と改称
- 1929年 - 長野県芦田村に高原寮(現・蓼科桐陰寮)を設置
- 1940年 - 小石川区大塚町56(現在地)の新校舎に移転
- 1947年 - 学制改革により、東京高等師範学校附属中学校となる
- 1948年 - 学制改革により、東京高等師範学校附属高等学校となる
- 1949年 - 東京教育大学附属中学校・高等学校と改称
- 1950年 - 高校1年より男女共学始まる
- 1978年 - 筑波大学附属中学校・高等学校と改称
- 1996年 - 中学・高校体育館完成
- 2004年 - 国立大学法人筑波大学に移管
主な行事
高等学校
1896年(明治29年)前後の野球部対抗戦が始まりで[3]、毎年6月の第一土曜日に行われている、学習院高等科および学習院女子高等科との総合定期戦は、筑附では「院戦」、学習院では「附属戦」の名で親しまれている[4]。(ただしボート競技は4月に行われる[5]。)
また、1920年に初めて[3]行われた東京開成中学校(現・開成中・高)とのボートレース(通称「開成レース」)は、現在も毎年4月に戸田漕艇場で行われ、日本で最も歴史を持つ[6]学校間定期戦である(2018年現在、45勝45敗[7]で全くの互角である。)。他に伝統的な対校戦としては、1947年(昭和22年)から始まった[8][9]対神奈川県立湘南高等学校サッカー部定期戦もある。
野球では、校名が東京高等師範学校附属中学校であった1946年(昭和21年)、第28回全国中等学校野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会-夏の甲子園)に、それまで私学が独占していた[10]東京代表の座を国・公立として初めて奪い、出場しベスト4まで勝ち進んだ(さらに同年の国体でも準優勝している)。、選手らが各ポジションの土を手ぬぐいに包んで持ち帰った[11]ことが、
また、毎年9月には文化祭、「桐陰祭」が2日間に渡り開催される。
中華人民共和国の北京師範大学第二附属中学やシンガポールのホワチョン高校との短期交換留学も毎年行われている。
校章・校歌
校章
校歌
1902年(明治35年)、卒業生の穂積重遠(10回1901年卒)による提唱で、山根磐と宮島秀夫(共に12回1903年卒)が作詞し、鈴木米次郎(本校の旧教官)が作曲した「桐陰会会歌」が、校歌に当たるものとして制定され、現在に至るまで「桐陰会歌」の名で歌い継がれている[12]。
卒業生
著名な出身者
同窓会
卒業生の集まりとして、旧制中学時代の1890年(明治23年)に設立された校友会「桐陰会」に名前の由来を持つ「桐陰同窓会」があり、毎年6月頃に東京丸の内の銀行会館において総会が行われる。2017年は銀行会館が改装工事中のため、東京神田の学士会館で行われた。(2018年も同様の予定)
2005年11月7日号の『AERA』の特集記事「大学より高校力」において、全国の高校同窓会の中でも、戦後の人材の輩出力において、日本有数、と紹介されている。また、月刊『文藝春秋』2005年5月号のビジネス臨時増刊号において、同誌の同級生交歓コーナーの登場人物の出身校別ランキングで、筑波大学附属駒場高等学校と併せ、1位になった。
施設
- 施設は主に高校校舎・中学校舎、体育館、運動場・コート面、プール、武道館などからなる。
- 中学校舎は、中庭と育鳳館を囲むL字型の3階建てとなっている。
- 高校校舎は、噴水のある中庭を持ったコの字型の3階建てとなっている。また、2003年度に情報実習室完成・空調設備設置。2005年度に校舎のバリアフリー化として多機能付トイレやスロープ、エレベーターを設置した。
- 敷地内(体育館前)に標高27.47mの三等三角点を持つ。
最寄駅
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関連校
脚注
- ↑ 「附」の漢字表記について。一部の私立大学の附属学校が正式名称として「付属」の表記を採用しているが、本校は他の国立大学附属学校と同様に「附属」の表記が正しい。また、「附」は常用漢字に含まれるが、日本新聞協会の新聞用語懇談会が不使用を決めているため、新聞記事などでは固有名詞であるにも関わらず「筑波大付属」などと表記されることが多い。
- ↑ 「附属」の略称について。本校および筑波大附属小は日本初の「附属学校」として明治時代に設立され、当時「附属」といえばすなわち(旧制)東京高師附属小・中(つまり現在の筑波大附属小・中・高)のことを指した。その名残で、他に様々な大学の附属学校が存在する今でも本校のことを「附属」と略する呼び方が残っている。
- ↑ 3.0 3.1 2006国立学校フォーラム 筑波大学附属高等学校生徒によるHP (PDF)
- ↑ 第67回 総合定期戦(附属戦)が行われました | 学習院女子中・高等科
- ↑ 院戦(ボート)結果 | 筑波大学附属高等学校
- ↑ 開成レース | 筑波大学附属高等学校
- ↑ “勝敗数一覧 (開成レース)” (ja-JP). 筑波大学附属高校端艇部 Fuzoku-Rowing. (2012年6月30日) . 2018閲覧.
- ↑ 湘南戦 | 筑波大学附属高等学校
- ↑ 第67回附属・湘南サッカー定期戦(湘南戦) | 筑波大学附属高等学校
- ↑ [1]
- ↑ 【高校野球】球児たちが持って帰る「甲子園の土」の秘密 - NAVER まとめ
- ↑ 桐陰会会歌
関連項目
外部リンク
- 筑波大学附属中学校 - 公式サイト
- 筑波大学附属高等学校 - 公式サイト
- 桐陰祭 - 生徒による文化祭公式サイト
- 桐陰同窓会 - 同窓会サイト