国道33号
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国道33号(こくどう33ごう)は、高知県高知市から四国山地部を経由し愛媛県松山市へ至る一般国道である。
Contents
概要
一部区間を除いてかつての土佐街道(松山街道)と同じ経路を辿る。高知市と松山市の間を佐川町・久万高原町などを経由して最短距離で結んでいる大動脈であるが、四国山地部を縫うように進むため線形不良箇所が多く、冬季の積雪や凍結による危険や、異常気象時の事前通行規制区間も存在している[1]。そのため現道に沿う形で地域高規格道路の高知松山自動車道が現在整備されている。
路線データ
一般国道の路線を指定する政令[2]に基づく起終点および経過地は次のとおり
- 起点:高知市(県庁前交差点=国道32号・国道55号終点、国道56号・国道194号・国道195号・国道197号・国道493号起点)
- 終点:松山市(松山市役所前=国道11号・国道56号終点、国道317号・国道379号・国道440号・国道494号起点)
- 重要な経過地:高知県吾川郡伊野町[注釈 1]、同県高岡郡佐川町、同県吾川郡吾川村[注釈 2]、愛媛県上浮穴郡柳谷村[注釈 3]、同郡久万町[注釈 3]、同県伊予郡砥部町
- 総延長 : 122.9 km(愛媛県 62.6 km、高知県 60.3 km)[3][注釈 4]
- 重用延長 : 3.1 km(愛媛県 3.1 km、高知県 - km)[3][注釈 4]
- 未供用延長 : なし[3][注釈 4]
- 実延長 : 119.8 km(愛媛県 59.5 km、高知県 60.3 km)[3][注釈 4]
- 指定区間[4]
- 高知市本町5丁目144番 - 松山市二番町4丁目7番2(全線)
歴史
高知と松山を結ぶ道は、662年に久万官道として開かれた。この道は後に松山街道・土佐街道と呼ばれた。
- 1886年(明治19年)、丸龜 - 高知 - 松山間約270kmの改修工事(四国新道)が開始された。この工事は、香川県議会議員の大久保諶之丞が私財を投じて進められたものである。改修工事は1894年(明治27年)に終了し、1920年(大正9年)4月1日、松山 - 高知間が県道松山高知線に認定された。
- 1945年(昭和20年)1月18日内務省告示第1号により、高知までの国道23号「東京市ヨリ高知県庁所在地ニ達スル路線」を延伸する形で高知 - 松山間が国道に認定され、国道23号「東京都ヨリ愛媛県庁所在地ニ達スル路線(乙)」となった。
- 1952年(昭和27年)12月4日、新道路法に基づく路線指定で、旧23号の高知 - 松山間が一級国道33号(高知県高知市 - 愛媛県松山市)として指定された。
- 1965年4月1日、道路法改正によって一級・二級の別がなくなり一般国道33号となった。
- 2015年4月1日、かつて国道440号との重複区間となっていた、愛媛県上浮穴郡久万高原町東明神から三坂峠を通り、愛媛県伊予郡砥部町大平に至る延長約9.2km(共に三坂道路との交点を結ぶ区間)が国道33号の指定を外され愛媛県に管理が移管、国道440号の単独区間となった。[5]
工事概要
- 1952年(昭和27年)高知県佐川町内の赤土峠の改良工事に着手[6]。
- 1958年(昭和33年)8月、高知市・伊野町境咥内坂の改良工事に着手[7]。
- 1959年(昭和34年)愛媛県美川村の河口橋に着手[8]。
- 1960年(昭和35年)10月、佐川町の霧生関の改良工事に着手[7]。
- 1961年(昭和36年)高知県越知町横倉-吾川村寺村、堀切峠の改良工事に着手
- 1962年(昭和37年)10月16日、愛媛県内三坂峠の改築に着手[9]。
- 1963年(昭和38年)2月26日、高知県内咥内坂の改築を完了[10]。8月、愛媛県砥部地区改良に着手。12月、久万バイパスに着手。
- 1964年(昭和39年)2月20日、高知県内霧生関の改築を完了[11]。3月10日高知県内堀切峠の改築を完了[10]。10月、寺村トンネルに着手[12]。
- 1966年(昭和41年)2月、愛媛県久万高原町藤ノ棚ー笛ヶ滝間開通。3月、寺村トンネル完成[13]。4月、松山南道路に着手。越知バイパスに着手。8月、砥部地区の1次改築を完了[13]。9月、久万バイパス完成。12月10日愛媛県内三坂峠の改築を完了[13]。
- 1967年(昭和42年)3月、高知県伊野地区を最後に高知県内の一次改築を完了[13]。
- 高知県内の一次改築においては、道路線形にクロソイド曲線が採用され車両の走行性向上と工事の経費削減に効果を発揮した。また、赤土峠の改良工事で造られた赤土隧道は、四国における直轄施工としては、初のトンネル工事で請負工事で施工された。掘削工法は、底設導抗掘削で人力掘削、木製支保工、ズリの搬出は0.6m3トロッコを使用。トンネル中央に断層があり工事中に落盤が発生、越知側坑口での湧水など、難工事であった。4月、佐川バイパスに着手。
- 1968年(昭和43年)3月、高知県境付近(西之谷、落出大橋)を最後に愛媛県内の一次改築完了[13]。
- 愛媛県内の一次改築においては、三坂峠で四国で最初となる凍結とタイヤ・チェーンに対する耐久性の優れたグースアスファルト舗装を施工。
- 1969年(昭和44年)大渡ダム関連付け替え道路着手[14]。
- 大渡ダム完成に伴い水没する区間を幅員、線形等を改良するものである。起点は吾川郡吾川村大字大尾、終点は吾川郡吾川村大字橘、延長は2.864km、規格は第3種第3級、完成2車線で道路幅員は8m、車線幅員は3.0mである。工事区間の舟戸トンネルは、発破工法では下方の人家集落に多大な影響を与えることからジャイアントブレーカとクローラドリルを組み合わせた機械掘削工法を採用した[15]。
- 1970年(昭和45年)3月、高知県高岡郡越知町の越知バイパス完成[16]。
- 1973年(昭和48年)熊秋トンネルに着手[17]。
- 1974年(昭和49年)2月1日、高知県高岡郡佐川町の佐川バイパス完成。4月に高知西バイパス事業に着手[18]。
- 1975年(昭和50年)9月、大渡ダム関連付け替え道路完成。12月に熊秋トンネル完成[18]。
- 1979年(昭和54年)12月、松山南道路全線暫定供用[19]。
- 1983年(昭和58年)3月24日、高知県高岡郡佐川町の赤土歩道トンネル完成[20]。
- 2014年(平成26年)12月25日、佐川歩道トンネルL=322m(高岡郡佐川町甲から佐川町乙)供用開始[21]
災害について
- 1980年(昭和36年)12月11日、高知県高岡郡越知町横倉で崩壊のため約1週間通行止め[22]。
- 1982年(昭和38年)1月2日から豪雪のため愛媛県久万町(現久万高原町)で約1ヶ月交通が途絶[23]。
- 1982年(昭和57年)8月27日に愛媛県久万高原町(旧柳谷村)の柳谷第二洞門内で台風13号による豪雨で面河川が増水し、洞門基部を洗掘し路面陥没が発生。9月5日まで全面通行止め、全面開通は昭和58年2月6日[24]。
- 2011年(平成23年)2月26日午前10時頃、高知県吾川郡仁淀川町名野川で斜面が高さ約25m、長さ約30m崩壊、27日12時まで全面通行止め[25]。
路線状況
バイパス
現道
別名
- 土佐街道(松山街道、久万街道)
- 電車通り(土佐電鉄線との並走区間)
重複区間
- 国道194号:高知県高知市(県庁前交差点) - 高知県吾川郡いの町(仁淀川橋東詰)
- 国道494号:高知県高岡郡佐川町(上郷交差点) - 高知県吾川郡仁淀川町(川口交差点)
- 国道439号:高知県吾川郡仁淀川町川口(川口交差点) - 高知県吾川郡仁淀川町峠ノ越(大渡交差点)
- 国道440号:愛媛県上浮穴郡久万高原町柳井川(柳谷大橋交差点) - 愛媛県上浮穴郡久万高原町東明神(三坂道路起点) 及び 愛媛県伊予郡砥部町大平(三坂道路終点) - 愛媛県松山市(市役所前交差点)
- 国道379号:愛媛県伊予郡砥部町千足 - 愛媛県松山市(市役所前交差点)
- 国道11号・国道494号:愛媛県松山市小坂(小坂交差点) - 愛媛県松山市二番町(市役所前交差点)
- 国道317号:愛媛県松山市勝山町(勝山交差点) - 愛媛県松山市二番町(市役所前交差点)
道路施設
トンネル
- 塩ヶ森トンネル(L=142m、W=7.5m)1964年(昭和39年)度完成
- 堀切トンネル(L=583m、W=8.0m)1964年(昭和39年)度完成
- 寺村トンネル(L=572m、W=8.0m)1966年(昭和41年)度完成[26]。
- 熊秋トンネル(L=862m、W=8.3m)1975年(昭和50年)度完成
- 赤土トンネル(L=385m、W=6.5m)1958年(昭和33年)度完成[27]。
- 高知西トンネル(L=635m、W=10.8m)1992年(平成4年)度完成
- 赤土歩道トンネル
橋梁
道の駅
事前通行規制区間
1968年(昭和43年)12月、異常気象時における事前通行規制区間を設定。平成21年度時点の区間は下記のとおり。
- 高知県高岡郡越知町横倉 - 吾川郡仁淀川町森山字オオヂミ 20.3km
- 高知県吾川郡仁淀川町森山字オオヂミ - 愛媛県上浮穴郡久万高原町柳井川 12.9km
- 愛媛県上浮穴郡久万高原町柳井川 - 愛媛県上浮穴郡久万高原町中黒岩 7.6km
- 愛媛県松山市久谷町 - 愛媛県砥部町千足 12.8km
※すべての区間において、降水量が250ミリ以上になると規制が開始される。各区間の入口には積算雨量を示す電光掲示板が設けられているが、高知県側と愛媛県側では表示様式が異なっている。 交通規制を参照
地理
通過する自治体
交差する道路
高知県
- 国道32号(高知市・県庁前交差点起点)(※国道32号重複=国道55号・国道56号・国道195号・国道197号・国道493号)
- 国道194号(高知市・県庁前交差点起点 -(重複)- 吾川郡いの町・仁淀川橋東詰)
- 高知自動車道伊野IC(吾川郡いの町)
- 国道494号(高岡郡佐川町・上郷交差点 -(重複)- 吾川郡仁淀川町・川口交差点)
- 国道439号(吾川郡仁淀川町・川口交差点 -(重複)- 大渡交差点)
愛媛県
- 国道440号(上浮穴郡久万高原町・柳谷大橋交差点 - 松山市・市役所前交差点終点)
- 国道380号(上浮穴郡久万高原町・落合交差点)
- 国道379号(伊予郡砥部町千足 - 松山市・市役所前交差点終点)
- 松山自動車道松山IC(松山市)
- 国道11号(※国道11号重複=国道494号)(松山市・小坂交差点 -(重複)- 市役所前交差点終点)
- 国道317号(松山市・勝山交差点 -(重複)- 市役所前交差点終点)
- 国道56号(松山市・市役所前交差点終点)
主な峠
- 赤土峠:高知県高岡郡佐川町 - 越知町
なお、かつて当路線の難所となっていた 三坂峠(標高720m・愛媛県上浮穴郡久万高原町 - 愛媛県松山市)は、2015年4月1日より国道33号の指定を外され、国道440号の単独区間となったため、当路線は三坂峠を通過しなくなった。
画像
- Ehime-kouch.jpg
高知・愛媛県境
脚注
出典
- ↑ 松山河川国道事務所/道について/厳しい気候や災害への備え. 松山河川国道事務所. 2015年9月10日閲覧。
- ↑ “一般国道の路線を指定する政令”. 電子政府の総合窓口 イーガブ. 2012年10月15日閲覧。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 “表26 一般国道の路線別、都道府県別道路現況 (PDF)”. 道路統計年報2016. 国土交通省道路局. p. 4. . 2017閲覧.
- ↑ “一般国道の指定区間を指定する政令”. 電子政府の総合窓口 イーガブ. 2012年10月15日閲覧。
- ↑ 国管理国道を愛媛県に移管~4月1日より道路の路線名が変わります~ (PDF) . 国土交通省四国地方整備局松山河川国道事務所. 2015年3月26日閲覧。
- ↑ 高知工事事務所四十年史、社団法人建設弘済会1987年11月発刊、611頁
- ↑ 7.0 7.1 高知工事事務所四十年史、社団法人建設弘済会1987年11月発刊、923頁
- ↑ 松山工事四十年史、社団法人四国建設弘済会1985年10月発刊、272頁
- ↑ 四国地方建設局三十年史、社団法人建設弘済会1988年6月発刊、734頁
- ↑ 10.0 10.1 建設省四国地方建設局40年のあゆみ、社団法人四国建設弘済会1999年3月発刊、96頁
- ↑ 高知工事事務所四十年史、社団法人建設弘済会1987年11月発刊、924頁
- ↑ 高知工事事務所四十年史、社団法人建設弘済会1987年11月発刊、925頁
- ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 13.4 建設省四国地方建設局40年のあゆみ、社団法人四国建設弘済会1999年3月発刊、97頁
- ↑ 高知工事事務所四十年史、社団法人建設弘済会1987年11月発刊、927頁
- ↑ 高知工事事務所四十年史、社団法人建設弘済会1987年11月発刊、691頁
- ↑ 高知工事事務所四十年史、社団法人建設弘済会1987年11月発刊、678頁
- ↑ 四国地方建設局三十年史、社団法人建設弘済会1988年6月発刊、421頁
- ↑ 18.0 18.1 土佐国道事務所40年のあゆみ、国土交通省四国地方整備局土佐国道事務所2003年3月発刊、104頁
- ↑ 建設省四国地方建設局40年のあゆみ、社団法人四国建設弘済会1999年3月発刊、100頁
- ↑ 土佐国道事務所40年のあゆみ、国土交通省四国地方整備局土佐国道事務所2003年3月発刊、106頁
- ↑ “国道33号 佐川歩道トンネルの完成について” (プレスリリース), 国土交通省 土佐国道事務所, (2014年12月22日) . 2015閲覧.
- ↑ 四国地方建設局三十年史、社団法人四国建設弘済会1986年6月発刊、730頁
- ↑ 四国地方建設局三十年史、社団法人四国建設弘済会1986年6月発刊、734頁
- ↑ 松山工事四十年史、社団法人四国建設弘済会1985年10月発刊、463頁
- ↑ 災害(落石崩壊)による通行止め解除について(第8報) (PDF) . 四国地方整備局土佐国道事務所. 2012年10月12日閲覧。
- ↑ 高知工事事務所四十年史、社団法人建設弘済会1987年11月発刊、656頁
- ↑ 高知工事事務所四十年史、社団法人建設弘済会1987年11月発刊、652、653頁
注釈
参考文献
- 高知工事事務所四十年史
- 土佐国道事務所40年のあゆみ
- 松山工事四十年史