日本プロ野球選手会
略称 | JPBPA |
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設立年 | 1980年(昭和55年) |
種類 |
一般社団法人 労働組合 |
目的 | プロ野球選手の地位向上 |
メンバー | NPB球団に所属日本人選手全員(一部の外国人選手を含む)[1] |
ウェブサイト | 日本プロ野球選手会 |
日本プロ野球選手会(にほんプロやきゅうせんしゅかい、英語:Japan Professional Baseball Players Association、略称:JPBPA)は、日本野球機構(NPB)に参加するプロ野球球団に所属するプロ野球選手を会員とする日本の団体である。団体の性格に合わせて労働組合と一般社団法人の2法人が登記されている。
- 労働組合日本プロ野球選手会 - 選手の待遇改善や地位向上など要求に基づいて団結し、団体交渉を行う。以下労働組合選手会と記す。
- 一般社団法人日本プロ野球選手会 - 野球全体の発展を目的とする社会活動を行う。以下社団法人選手会と記す。
実質的にはどちらも同一会員による同一組織で、同一団体が制度上2つの形態を有するものであり、本項目は両方を扱う。NPB選手の内、日本国籍を有する選手は全員が会員となっている[2][3]。中央2組織の他に日本プロ12球団に置かれる球団選手会がある。
Contents
概要
労働組合選手会は選手の待遇改善、地位向上を目指し、社団法人選手会は野球全体の発展を目的として、野球教室やチャリティ活動などを展開している。
2017年12月7日現在、労働組合会長は炭谷銀仁朗(埼玉西武ライオンズ)、社団法人理事長は大島洋平(中日ドラゴンズ)が務める。
なお、労働組合選手会は、日本労働組合総連合会(連合)、全国労働組合総連合(全労連)、全国労働組合連絡協議会(全労協)のいずれのナショナルセンター・労組間共闘組織にも属しない中立の労働組合である。
球団オーナー側からは、選手個人は税法上個人事業者と扱われるため、「正式な労働組合ではない」との声もあったが、1985年に東京都地方労働委員会(現・東京都労働委員会)に労働組合として認定され、労働組合として法人登記されており、プロ野球再編問題の際、日本野球機構を相手取って合併を行わないよう求めた仮処分申請において、東京高裁は労働組合法上の団体交渉権を有すると判断している(申請そのものは棄却)。
歴代会長・理事長
球団名はそれぞれ就任当時の在籍球団
労働組合日本プロ野球選手会会長(選手長)
- 初代会長:中畑清(読売ジャイアンツ、昭和60年11月5日就任)
- 2代目会長:原辰徳(巨人、平成元年7月25日就任)
- 3代目会長:岡田彰布(阪神タイガース、平成4年7月26日就任)
- 4代目会長:正田耕三(広島東洋カープ、平成7年12月5日就任)
- 5代目会長:古田敦也(ヤクルトスワローズ、平成10年12月4日就任)
- 6代目会長:宮本慎也(ヤクルト、平成17年12月1日就任)
- 7代目会長:新井貴浩(阪神、平成20年12月4日就任)
- 8代目会長:嶋基宏(東北楽天ゴールデンイーグルス、平成24年12月6日就任)
- 9代目会長:炭谷銀仁朗(埼玉西武ライオンズ、平成29年12月7日就任)
一般社団法人(旧・社団法人)日本プロ野球選手会理事長
- 初代理事長:安村和雄(昭和55年8月15日就任)
- 2代目理事長:落合博満(ロッテオリオンズ、昭和60年11月1日就任)
- 3代目理事長:石毛宏典(西武、昭和62年12月3日就任)
- 4代目理事長:岡田彰布(阪神、平成元年12月4日就任)
- 5代目理事長:岡崎郁(巨人、平成4年12月1日就任)
- 6代目理事長:辻発彦(西武、平成5年12月7日就任)
- 7代目理事長:伊東昭光(ヤクルト、平成7年12月5日就任)
- 8代目理事長:川相昌弘(巨人、平成10年12月4日就任)
- 9代目理事長:立浪和義(中日ドラゴンズ、平成13年12月7日就任)
- 10代目理事長:小久保裕紀(巨人、平成17年12月1日就任)
- 11代目理事長:井端弘和(中日→巨人、平成21年12月3日就任)
- 12代目理事長:東出輝裕(広島、平成25年12月5日就任)[4]
- 13代目理事長:大島洋平(中日、平成27年12月3日就任)
沿革
- 1946年11月3日 任意団体として日本野球選手会発足。
- 1947年4月14日 選手と経営者の対等な立場を確約し、選手の人権保障と自由を謳った憲章を宣言。あわせて10年選手制度を導入。
- 1980年8月15日 社団法人として法人格取得(社団法人日本プロ野球選手会設立)。
- 1984年7月21日 労働組合法外の組織として労働組合日本プロ野球選手会発足
- 1985年11月5日 東京都労働委員会から労働組合として認定。
- 1985年11月19日 法人登記をして労働組合日本プロ野球選手会発足。ストライキ権を取得。各12球団の選手会も傘下の組合組織となったが、ヤクルトスワローズ選手会は親会社の意向[5]により脱会。
- 1989年 ヤクルト選手会が復帰。
- 1992年 シーズンオフ、かねてからの選手会の要求によりフリーエージェント制度が施行。
- 2004年 球団合併阻止→新球団加盟促進を要求し初のストライキを決行。詳細はプロ野球再編問題やプロ野球ストライキを参照のこと。
- 2012年10月19日 社団法人選手会が一般社団法人への移行を認められる[6]。
- 2016年5月 熊本地震復興支援活動として、日本プロサッカー選手会と共同でチャリティーオークションを実施。
現在の役員
労働組合「日本プロ野球選手会」役員 (2017.12.7より) | ||
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会長 | 炭谷銀仁朗(埼玉西武) | |
副会長 | ||
會澤翼(広島) | 角中勝也(千葉ロッテ) | |
福田永将(中日) | 岡田貴弘(オリックス) | |
三上朋也(横浜DeNA) | 増田達至(埼玉西武) | |
菅野智之(巨人) | 柳田悠岐(福岡ソフトバンク) | |
中村悠平(東京ヤクルト) | 岡島豪郎(東北楽天) | |
運営委員 | 嶋基宏(東北楽天)、栗山巧(埼玉西武)、ほか事務局1名、弁護士2名 | |
会計 | 中島卓也(北海道日本ハム)、梅野隆太郎(阪神) |
一般社団法人「日本プロ野球選手会」役員 (2017.12.07より) | |
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理事長 | 大島洋平(中日) |
専務理事 | 炭谷銀仁朗(埼玉西武) |
常務理事 | 角中勝也(ロッテ)、T-岡田(オリックス)、森忠仁(事務局) |
理事 | 會澤翼(広島)、増田達至(埼玉西武)、福田永将(中日)、柳田悠岐(福岡ソフトバンク)、三上朋也(横浜DeNA)、岡島豪郎(東北楽天)、菅野智之(巨人)、中村悠平(東京ヤクルト)、中島卓也(北海道日本ハム)、梅野隆太郎(阪神)、ほか大学教授2名 |
監事 | 庄司末光(公認会計士)、松本泰介(弁護士) |
プロ野球構造改革協議会
2004年、二回目のストライキを回避した時に、選手会と日本プロ野球組織 (NPB) が結んだ合意事項に、この協議会を設置して、時間をかけて各課題を徹底的に話し合うことが盛り込まれた。
- おもな改革の状況、課題
- セ・パ両リーグの交流戦が実現。
- ドラフト改革は、高校生と大学・社会人の二回に分けて行う分離ドラフトを実施。
→現在は一括開催。
- 大学・社会人の自由獲得枠が2枠から1枠へ。
→現在は撤廃。
- 年俸一億円以上の選手の減俸制限が、30%から40%に緩和。
- プロをめざす選手の受け皿を拡大するための育成枠を新設。
- フリーエージェント権(FA権)取得年数は、現行の9年のまま。
- →ドラフト自由獲得枠撤廃に伴い最短7年に短縮。詳しくはフリーエージェントの項を参照。
- フリーエージェント (FA) 資格取得に必要な登録日数に算入できる上限を30日から60日に増やす譲歩案を日本プロ野球組織 (NPB) が提示したが、選手会側は、投手については90日とすることなどを求め、合意に至らなかった。
- 2006年オフのオリックスの中村紀洋の契約更新問題を受けて、戦力外となる選手の扱いなどに関するルールを明確化するように要求した。
脚注
- ↑ プロ野球選手会名簿一覧 - 日本プロ野球選手会
- ↑ 陽岱鋼やルシアノ・フェルナンドのような日本国籍を有しないが、日本国籍を有する選手と同等の扱いの選手は加入している。
- ↑ ただし二重国籍であるMICHEALのような例外もある。
- ↑ 2013年冬の選手会総会大会を実施しました。 - 日本プロ野球選手会
- ↑ 当時ヤクルト本社には労働組合がなく、選手会労組は道義的な理由で認められなかったためといわれている。
- ↑ 開催状況 資料一覧 - 公益法人information
参考文献
- 藤本定義 『覇者の謀略 実録プロ野球四十年史』 ベースボール・マガジン社、1983年。ISBN 4583023499。
- 山本茂 『七色の魔球 回想の若林忠志』 ベースボール・マガジン社、1994年。ISBN 4583031475。