坂越

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坂越
坂越の位置
坂越
座標: 東経134度25分0.2秒北緯34.768861度 東経134.416722度34.768861; 134.416722
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 25px 兵庫県
市町村 25px 赤穂市
人口 (2012年10月1日)[1]
 - 計 1,578人
  男750人、女828人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 678-0172
市外局番 0791
ナンバープレート 姫路
位置座標はJR赤穂線坂越駅

坂越(さこし)は兵庫県赤穂市東部の坂越湾に面する港町。 都市景観大賞(都市景観100選)にも選ばれた伝統的建造物群による古い町並みと、秦河勝聖域の島、生島を包むように広がる美しい坂越湾の眺望で知られる。播州赤穂産『坂越のかき』の養殖生産地。
坂越は四季折々の貴重な行事や祭礼、それに伝わる伝統芸能[2]も数多く保存伝承[3]されており、中でも大避神社の祭礼「坂越の船祭り(瀬戸内海三大船祭り)」は国の重要無形民俗文化財に指定されている。また、2018年(平成30年)4月22日北前船の西回り(瀬戸内)航路の主要な寄港地として坂越に残る関連文化財7件[4]日本遺産に認定(日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間―北前船寄港地・船主集落」日本遺産ポータルサイト)された[5]

歴史

播磨灘に位置する天然の良港坂越浦には、渡来人であった秦河勝を始め、南朝(南北朝時代)の忠心であった児島高徳など、多くの偉人伝説が残る。地元に残るそれら人々の伝承記録をみると、坂越が瀬戸内往来の重要な中継地として長くあった事が窺える。
807年(大同2年)、中国からの帰途であった空海、901年(延喜元年)、都から九州の大宰府へ下る途中であった菅原道真、1565年(永禄7年)、長崎・平戸から京都に向かう途中のイエズス会宣教師ルイス・フロイスの他、1587年(天正15年)、九州遠征中の豊臣秀吉を見舞った細川幽斎も、その帰途に坂越に足跡を残す。[6]
17世紀に入ると、瀬戸内海有数の廻船業(西廻り航路)の拠点として発展[7]、奥藤、大西、岩崎、渋谷などの豪商が廻船業を営み、坂越浦には西回り航路用の大型廻船31艘、内海航路用の小型廻船15艘余りが犇いていたという。また、西国大名参勤交代としても使われていた。
この頃の坂越港には、数回にわたってオランダ船の入港記録もあり、1787年(天明7年)には、蘭学者でもあった司馬江漢が坂越に立ち寄っているのが興味深い(『江漢西遊日記』)。
18世紀以降、北前船が停泊する日本海諸港の台頭によって瀬戸内の港町の多くが衰退する中、坂越は「赤穂の塩」を運ぶ北前船の港として明治時代まで栄え、坂越浦から、高瀬舟の発着場があった千種川まで続く「大道(だいどう)」と呼ばれる通りの風格ある町並みは、往時の繁栄を今に伝えている。

坂越と景教

坂越にある大避神社には、渡来人であった秦河勝が祀られており、その一族はネストリウス派キリスト教徒の末裔であったという。
日本のキリスト教の研究者によると、日本で最も古くイースターを礼拝したのは、ネストリアンと呼ばれていた景教を崇拝する人々であり、西暦544年(欽明5年)頃には、坂越に教会を築き、すでにイースターを祝っていたという。驚くことに、日本初となる孤児院(秘伝院)も坂越にあったと推測している。事実であれば、ローマカトリックの宣教師であった聖フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸する1,000年前に景教は坂越に伝来していた事になる。

道真伝説

坂越には菅原道真を由来とする地名が多く残る。
『901年(延喜元年)、九州の太宰府に左遷される途中に道真は、潮まちのため、坂越に小船をつけて立ち寄る(大泊・御泊(おおとまり))。歓迎の村人で大騒ぎになる坂越の様子に驚いた道真であったが、思わぬ歓待に心をよくし、暫く坂越に逗留する(洞龍(とうりゅう))。道真は浜の岩(天神岩)に腰をおろし、集まった人々に、讃岐国の国司をしていた時に見た塩造りの話や、京の都話などをして次第に坂越の人と親しくなっていった。』
道真公が去った後、人々は、天神山(北之町)の北野天満宮(現在は大避神社境内に移設)に道真公を祀る。
有名な『こち吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな』は、ここでは、道真公が坂越を離れる時に、坂越の山に咲く梅の花を眺めながら、京を思いつつ、詠んだ歌であるとされている。

坂越沖で撃沈された「せりあ丸

坂越沖では、太平戦争末期に日本本土への石油輸送に成功したことで知られる一隻の大型タンカーが米海軍機動部隊に空爆を受けて沈没している。
1945年(昭和20年)7月28日、せりあ丸は相生の播磨造船所で貨物船に改造されるため坂越湾に停泊していたが、午前5時30分頃から始まったアメリカ軍の波状攻撃で船尾楼左舷に爆弾1発を被弾、午後1時20分再び機関室上部に命中した2発が致命傷となり大火炎に包まれながら生島の西方沖に沈没した。 この空襲では乗組員48人のうち一等機関士や甲板員、調理員など6人が犠牲になった。[8]

坂越村の所属の変遷

  • 1600年慶長5年) - 姫路藩領
  • 1613年(慶長18年) - 岡山藩領
  • 1615年元和元年) - 赤穂藩領
  • 1701年元禄14年) - 幕府領(浅野内匠守家改易による一時公収)
  • 1702年(元禄15年) - 赤穂藩領(明治の廃藩置県まで)

特産品

  • 牡蠣 - 清流千種川(日本名水百選)の河口に位置し、周囲を森に囲まれた坂越湾一帯は、瀬戸内有数の清浄海域であるため、生産される牡蠣は安全で衛生的な牡蠣として人気がある。主に出荷される牡蠣は、種付けから収穫までが短い1年牡蠣のため、その味わいは海水独特のえぐみやクセがなく、牡蠣を苦手とする人でも食べられる牡蠣として全国の市場で流通する。
  • 地酒 - 「忠臣蔵」 (「凛」「QUATRESEPT 47」) 「乙女」
    • 奥藤酒造 facebook - 創業は、慶長6年(桃山時代1601年)。現在も操業する酒蔵では、神戸市にある剣菱酒造、伊丹市にある小西酒造に次いで兵庫県で三番目に古く、全国でも有数の歴史を持つ老舗の酒蔵として知られる。ちなみに赤穂浪士が討ち入り前に飲んだという清酒は剣菱。近年、兵庫県立上郡高等学校農業科の生徒が仕込んだ清酒の販売も行っている。

交通アクセス

  • JR赤穂線 坂越駅 から、坂越港まで徒歩約15分。
  • 神姫バス - 定期運行バスの他、指定期間中の土・日・祝祭日は播州赤穂駅坂越駅を起点に、観光周遊バス『陣たくん号』[9]が、一日三往復で運行されている。木戸門、浜社宅、坂越港下車。

港湾・施設

坂越港として地方港湾に指定されているほか、坂越漁港(第一種漁港)がある。

  •  赤穂市漁業協同組合 - 坂越かき直販所

企業

  • アース製薬[1]工場・研究所 - 工場・研究所は1910年(明治43年)以来坂越にあり、かつては本社も置かれていた。現在も実質的な本社として、国内随一の生産拠点となっている。同社の大ヒット商品「ごきぶりホイホイ」など坂越工場発祥の製品は多い。
  • ユニチカ - かつては、坂越湾に面して第一工場(現赤穂化成)、千種川沿いの高野地区に第二工場があり、両工場を隔てる宝珠山を貫くトンネルで繋がれていた。現在は元の第二工場で坂越事業所として稼動する。
  • 赤穂化成[2]本社 - 前身は赤穂東浜塩業組合。「赤穂の天塩」、海洋深層水を加工した飲料水「天海の水」、「熱中対策水」などを製造・販売する。
  • 赤穂ロープ(株)
  • 奥藤商事 - 赤穂市内唯一の酒蔵である『奥藤酒造』を所有、生産する。

名所・旧跡・観光施設

坂越の古い町並み都市景観100選日本遺産指定文化財)

  • 生島樹林 (国の天然記念物日本遺産指定文化財、瀬戸内海国立公園ひょうごの森百選
  • 宝珠山 - 宝珠山~茶臼山登山道(ウォーキングコース)/宝珠山八十八箇所霊場
  • 天神岩
  • 辰巳柳太郎生家 - 顕彰碑「夢」
  • 坂越大道 - 千種川の高瀬舟船着き場と坂越の港を結ぶ通り。通りの両側には、坂越で最も往時の面影を残す美しい町並みが続く。近年、古民家を活用したカフェや人気スイーツ店が出店、赤穂の新しい観光スポットになっている。
  • 黒崎墓所(日本遺産指定文化財、兵庫県記念物史跡) - 「他所三昧」「船三昧」とも呼ばれ、宝永7年(1710年)から嘉永元年(1840年)頃にかけて、坂越浦海域で航海中に海難や病気などによって客死した人々の集団墓地。出羽・肥前・薩摩など、北は秋田、南は種子島、東は伊豆、西は対馬に至るまでの国内29カ国、約130人が葬られている。現在は大小さまざまな石質からなる墓碑、約60基が残る。
  • みかんのへた山古墳 (兵庫県記念物史跡) - 古墳時代中期(5世紀)に造られた大型の円墳(直径38メートル、高さ4.5メートル)で、坂越浦の鍋島を見下ろす丘陵の頂上に位置し、墳丘には葺石が施されている。名称の由来は、形状が蔕(ヘタ)が付いた蜜柑に似ているからとされる。
  • 坂越大泊鉱山跡(1959年採掘開始~1974年閉山) – アース製薬坂越工場の背後にある、丸山の中腹に残る鉱山跡。初期はロウ石を主に採掘していたが、鉱石から高品位の金が確認された後は、国内有望の金鉱脈として「昭和のゴールドラッシュ」「瀬戸内の金山」として脚光を浴びた。10年余りでその役割を終えたが、2016年に赤穂市域全体が火山の噴火による国内最大規模のカルデラ地形内であることが判明、現在でも残るホッパーなどの鉱山産業遺構が再評価されている。
  • 海の駅しおさい市場[3]
    •  牡蠣料理「くいどうらく」[4]
    •  瀬戸内海鮮・おみやげ処「おうみや」
    •  坂越かき直販所 - 赤穂市漁業協同組合が運営する坂越かきの直販所。
  •  天塩スタジオ 赤穂[5] - 塩や味噌造りなどの体験教室や、食育セミナーなどを通して和食文化の発信にと、平成28年5月に坂越本社内にオープンしたキッチン付きのイベントスペース。平成27年10月にオープンした、天塩スタジオ東京[6] に続いて2ヵ所目の施設。レンタルスペースとしての貸し出しもある。予約制。
  • 坂越緞通工房[7] - 赤穂緞通の技法を伝承、製作している個人工房。見学は事前に問合せが必要。

祭事・催事

  • 1月15日 - 坂越・鳥井町の曳きとんど(左義長)- 台車にのせた左義長(とんど)を三味線や鳴り物で音頭をとりながら海岸まで曳航、お囃子や小唄が賑やかに奏でられる中点火される国内でも珍しい伝統小正月行事。約250年前の明和・安永年間(1764~1781年)の頃に始まったとされ、昭和に入り次第に衰退、戦後は昭和33、37、50、60年に4回行われていた。平成26年に29年ぶりに復活[12]した後は、3年後となる平成29年に行われている。
  • 1月下旬から2月上旬頃 - 坂越カキ祭り-現在は、兵庫県立赤穂海浜公園にて「赤穂かきまつり」として開催。2018年度は、2月4日(日)に開催され、1万6000人(主催者発表)が訪れた。
  • 3月中旬頃の日曜日 - SAKOSHI街並み文化の集い - 坂越の歴史や文化、古い街並みを活用した昔懐かしい多彩なイベントが行われる。
    • SAKOSHI街並み文化の集いVII - 平成29年3月19日(日)13:00~ 大避神社を主会場に「日本の伝統文化の宴」と称して邦楽、能楽、雅楽など、多彩な催し物が予定されている。夕刻、神社周辺がライトアップされ雅やかな初春の坂越を演出する。
    • 坂越の嫁入り[13] - 坂越地区で昭和初期まで続いたとされる婚礼儀式で、その伝統を継承しようと、不定期だが公募して執り行われる。坂越・瀬戸の嫁入り実行委員会の主催。
  • 4月上旬日曜日 - 船岡園さくら祭り
  • 8月上旬日曜日 - いきいき坂越たこまつり-「坂越盆踊り」は赤穂市の無形民俗文化財で17世紀頃から伝わる。平成30年度は8月5日(日)17:00頃から開催。赤穂民報「坂越盆踊り」のルーツを探る
  • 10月第2土・日 - 坂越の船祭り(大避神社船祭り)国の重要無形民俗文化財 瀬戸内海三大船祭りの一つ。
  • おくとう市 おくとう市 facebook - 奥藤酒造の酒蔵を中心に、2ヶ月に1回(奇数月の最終日曜日)のペースで開催されているイベント。坂越の歴史ある町並み風情をバックに、大正・昭和期を中心としたレトロ感満載の気分が味わえる。

出身有名人

坂越が登場する資料/記述

  • 世阿弥が能の理論をまとめた『風姿花伝』には、蘇我入鹿の難を逃れた河勝が舟で坂越浦に漂着し坂越の地で終焉を迎えたことが書かれている。
  • 室町時代の猿楽師金春禅竹の『明宿集』に「播磨の国の南波尺師(ナハシャクシ(坂越))の浦に寄る」の記述がある。
  • 『風姿花伝』の記述を元に、哲学者の梅原猛は“舞楽の祖”秦河勝の伝承を基に書き下ろした新作能「河勝」の舞台を坂越としている。
  • こゝろ』と『道草』の間に書かれた夏目漱石の最後の短編随筆となった『硝子戸の中』に、富士登山の画を送ってきて賛を強要する男として「坂越の男 岩崎某」が登場する。1915年(大正4年)1月13日から2月23日にかけて39回にわたって『朝日新聞』に掲載された。
  • 司馬遼太郎は小説『兜率天の巡礼』において坂越の大避神社を登場させ、秦氏がネストリウス派キリスト教徒の末裔であったという物語を創作している。
  • 柳田国男『石神問答』 - 石神、塞の神、道祖神をシャクシといい、坂越はシャクシの宛字であるとの記述がある。
  • 中沢新一『精霊の王』 - 『猿楽の徒の先祖である秦河勝は、壺の中に閉じ籠もったまま川上から流れ下ってきた異常児として、この世に出現した。この異常児はのちに猿楽を創出し、のこりなくその芸を一族の者に伝えたあとは、中が空洞になった「うつぼ船」に封印されて海中を漂ったはてに、播州は坂越の浜に漂着したのだった・・・』との記述がある。

坂越が登場するドラマ/映画/CM

所在地

〒678-0172 兵庫県赤穂市坂越

周辺情報

ギャラリー

脚注

外部リンク