京急富岡駅

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西口(2006年5月2日)

京急富岡駅(けいきゅうとみおかえき)は、神奈川県横浜市金沢区富岡西七丁目にある、京浜急行電鉄本線駅番号KK47

歴史

1930年昭和5年)4月1日、湘南電気鉄道黄金町駅から浦賀駅までを開業させた際、屏風浦駅と金沢文庫駅との間に駅は設置されなかった。

同年7月には夏季のみ海水浴客専用仮駅として湘南富岡駅(しょうなんとみおかえき)が開業し、翌1931年(昭和6年)5月に一般の駅に昇格したが、この駅は第二次世界大戦末期の1945年に、連合国軍機により海軍横浜航空隊基地(現富岡総合公園)や日本兵器産業工場の社宅付近(現横浜市立富岡小学校付近)を狙った空襲により破壊され営業休止となり、1947年(昭和22年)1月に廃止された。

しかし同年3月には元の位置から杉田方約900m、現在の鳥見塚バス停付近に再び湘南富岡駅(しょうなんとみおかえき)が開業した。旧海軍基地に設けられたGHQの施設関係者専用駅で、一般客の利用は不可能であった。翌1948年(昭和23年)には一般客の利用も可能となり、列車も時間帯を問わず当駅に停車することとなった。

その湘南富岡駅も京急の宅地開発に伴って1955年(昭和30年)12月に戦前と同じ位置に移転し、その後京浜富岡駅(けいひんとみおかえき)を経て1987年(昭和62年)6月に京急富岡駅となった[1]

  • 1930年昭和5年)7月10日 - 湘南電気鉄道の仮駅として、現在の京急富岡駅の位置に湘南富岡駅が開業。
  • 1931年(昭和6年)5月1日 - 湘南富岡駅が駅に昇格。
  • 1941年(昭和16年)11月1日 - 湘南電気鉄道の合併により京浜電気鉄道の駅となる。
  • 1942年(昭和17年)5月1日 - 京浜電気鉄道の合併により東京急行電鉄大東急)湘南線の駅となる。
    • 大東急当時は品川駅~横浜駅間が東急品川線、横浜駅~浦賀駅間が東急湘南線と呼ばれていた。
  • 1945年(昭和20年)6月10日 - 横浜本牧・磯子・富岡の軍需工場や海軍基地を狙った横浜南部空襲により湘南富岡駅は破壊され営業休止となる。
  • 1947年(昭和22年)
    • 1月10日 - 休止となっていた湘南富岡駅が正式に廃止される。
    • 3月1日 - 湘南富岡駅が現在とは異なる位置に再開業。米軍基地への通勤客専用駅とされ、通常は朝夕ラッシュ時のみ列車が停車、米兵が利用する際は駅員がホーム上に旗を掲示すると、時間帯を問わず停車した。降りる際も米兵に限り車掌か運転士に米兵が申告するだけで時間帯を問わず停車した。
  • 1948年(昭和23年)
    • 春ごろ - 湘南富岡駅を一般客も利用可能とし、終日列車が停まることとなる。
    • 6月1日 - 東京急行電鉄からの独立により京浜急行電鉄の駅となる。
  • 1955年(昭和30年)12月1日 - 湘南富岡駅が現在地に移転。
  • 1963年(昭和38年)11月1日 - 京浜富岡駅に改称。
  • 1983年(昭和58年)5月2日 - ダイヤ改正により、朝間上り急行の臨時停車駅となる。
  • 1987年(昭和62年)
    • 4月10日 - 上り待避線の使用開始[2]
    • 6月1日 - 京急富岡駅に改称[1]。それまでラッシュ時のみの停車だった急行が終日停車するようになる。
  • 1996年平成8年)9月16日 - 駅長所在駅となる(後に上大岡駅の被管理駅となり駅長配置廃止)。
  • 1999年(平成11年)7月31日 - 白紙ダイヤ改正による急行廃止に伴い、普通のみの停車駅となる。

駅構造

ファイル:Keikyu-Tomioka Station-platform.jpg
2・3番線側から見たホーム(2007年10月3日)

高架線がほぼ南北に走り、その高架上にホームがある高架駅となっている。東側の下り線に単式ホーム1面1線、上り線に島式ホーム1面2線があり、併せて2面3線の構造となる。かつて急行停車駅だったため、有効長はいずれも8両編成対応である。

駅舎は高架の東側の高い位置にあり、内部には自動券売機自動改札機などがある。駅舎から階段が地平に伸びて東口となっているほか、改築前の上りホームへの構内通路を転用した西口が設けられている。

のりば

番線 路線 方向 行先
1 KK 本線 下り 横須賀中央三浦海岸方面
2・3 上り 横浜品川方面

3番線は待避線となっており、平日朝ラッシュ時は、後続の特急・快特を通過待ちするための列車が発着する。

この待避線は1987年昭和62年)4月に設置された。このため、上りホームには発車ブザー(電子電鈴装置)がある。

利用状況

2016年度の1日平均乗降人員23,252人であり[3]、京急線全72駅中27位。1988年をピークに乗降客数は減少し続けている。

近年の1日平均乗降・乗車人員推移は下表の通りである。

年度別1日平均乗降・乗車人員[4]
年度 1日平均
乗降人員[5]
1日平均
乗車人員[6]
出典
1980年(昭和55年) 12,603
1981年(昭和56年) 13,995
1982年(昭和57年) 16,340
1983年(昭和58年) 17,497
1984年(昭和59年) 17,644
1985年(昭和60年) 18,230
1986年(昭和61年) 18,836
1987年(昭和62年) 19,230
1988年(昭和63年) 19,647
1989年(平成元年) 18,293
1990年(平成02年) 17,463
1991年(平成03年) 17,197
1992年(平成04年) 16,732
1993年(平成05年) 16,586
1994年(平成06年) 16,488
1995年(平成07年) 16,498 [* 1]
1996年(平成08年) 16,066
1997年(平成09年) 15,505
1998年(平成10年) 15,164 [* 2]
1999年(平成11年) 14,896 [* 3]
2000年(平成12年) 29,687 14,816 [* 3]
2001年(平成13年) 29,226 14,537 [* 4]
2002年(平成14年) 28,120 13,915 [* 5]
2003年(平成15年) 27,796 13,601 [* 6]
2004年(平成16年) 27,305 13,395 [* 7]
2005年(平成17年) 27,024 13,250 [* 8]
2006年(平成18年) 26,917 13,193 [* 9]
2007年(平成19年) 26,700 13,131 [* 10]
2008年(平成20年) 26,141 12,963 [* 11]
2009年(平成21年) 25,526 12,670 [* 12]
2010年(平成22年) 25,181 12,511 [* 13]
2011年(平成23年) 24,700 12,251 [* 14]
2012年(平成24年) 24,590 12,226 [* 15]
2013年(平成25年) 24,344 12,122 [* 16]
2014年(平成26年) 23,494 11,707 [* 17]
2015年(平成27年) 23,432 11,680 [* 18]
2016年(平成28年) 23,252 11,616 [* 19]

駅周辺

市街地が駅を中心としてほぼ東西方向に開けている。駅の東側を京急本線とほぼ並行するかたちで国道16号が走っているが、当駅からは100mほど離れている。約2km東側に横浜新都市交通金沢シーサイドライン並木中央駅がある。

バス路線

駅周辺からは主に近隣の住宅地へ向かう横浜京急バスの路線が発着している。

西口から南に約100mの所に京急富岡駅停留所、東口から約300mの国道16号上に富岡停留所がある。かつては東口から約500m離れた富岡バスターミナルより、新杉田駅・なぎさ団地・金沢工業団地方面に路線バスが頻発しており当駅からの乗り換え需要もある程度あったが、その後大幅に減便・廃止され、バスターミナルとしては機能していない。

京急富岡駅
  • 富1 氷取沢高校ゆき
  • 富2 能見台車庫前ゆき
  • 富3 金沢文庫駅(西口)ゆき
  • 富5 富岡9期ニュータウンゆき(朝夕のみ)
  • 富6 富岡9期ニュータウン富岡西循環 京急富岡駅ゆき10時から16時のみ
富岡

隣の駅

Keikyu logo small.svg.png 京浜急行電鉄
KK 本線
モーニング・ウィング号・京急ウィング号快特・特急・エアポート急行
通過
普通
杉田駅 (KK46) - 京急富岡駅 (KK47) - 能見台駅 (KK48)

脚注

  1. 1.0 1.1 鉄道ジャーナル』第21巻第10号、鉄道ジャーナル社、1987年8月、 128頁。
  2. 高野光雄 『京急ダイヤの歴史』2011年。
  3. 京急グループ会社要覧 2017 - 2018 (PDF) - 33ページ
  4. 横浜市統計ポータル - 横浜市
  5. 各種報告書 - 関東交通広告協議会
  6. 神奈川県県勢要覧

出典

神奈川県県勢要覧

関連項目

外部リンク