浜離宮恩賜庭園
浜離宮恩賜庭園(はまりきゅう おんし ていえん)は、東京都中央区浜離宮庭園にある都立庭園である。
概要
東京湾から海水を取り入れ潮の干満で景色の変化を楽しむ、潮入りの回遊式築山泉水庭。江戸時代に庭園として造成された。園内には鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑やボタン園などを有する。元は甲府藩下屋敷の庭園だったものが、徳川将軍家の別邸浜御殿や、宮内省管理の離宮を経て東京都に下賜され、都立公園として開放された。
近年、かつて園内にあった複数の建築物の再建計画が進められており、2010年に「松の御茶屋」、2015年に「燕の御茶屋」の復元が完了した。2018年4月に「鷹の御茶屋」も完成した[1]。復元予定があった「延遼館」は舛添要一都知事の辞任により未定となっており、「海手御茶屋」の復元が検討中されている。
主な見所
- 鴨場 - 鴨猟のため作られた池。庚申堂鴨場と新銭座鴨場の二つがある。築造は、前者が1778年、後者が1791年。鴨場は池と林を3mほどの土手で囲い、土手には常 緑樹や竹笹を植え、鴨が安心して休息できるように外部と遮断されている。鴨場ではかつて猟が行われていた。その方法は、池に幾筋かの引堀(細い堀)を設け、小のぞきから鴨の様子をうか がいながら、稗・粟などのエサとおとりのアヒルで引掘におびきよせ、機をみて土手の陰から網ですくいとるというものであった[2]。
- 潮入の池 - 海水を引き入れ、潮の干満(水位の上下に従って水門を開閉)による眺めの変化を楽しむことができるようになっている。東京湾からボラ、セイゴ、ハゼ、ウナギなどの魚が入り込んで生育している。江戸時代には釣りが行われていた(現在は禁止されている)。池の岩や石にはベンケイガニ、フナムシ、フジツボがなどが見られる[2]。
- 中島 - 潮入の池の中央に位置する小さい島。
- 中島の御茶屋 - 中島にある休憩所。
- 松の御茶屋 - 潮入りの池の北東側にある茶屋。(利用不可)
- 燕の御茶屋 - 潮入りの池の北側にある茶屋。
- 三百年の松 - 江戸時代、徳川家宣が改修したときに植えられたと伝わる。東京都内最大の黒松。
- ボタン園 - 60種800株が植えられている。
- お花畑 - 季節の花が咲きほこる。
- 桜 - 種類が多いため見頃が比較的長い。春はライトアップされる。
- 他の樹木 - 松、ケヤキなど多種。園内には多くの大木が残されている。
ギャラリー
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庭園全体
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大手門
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名勝および史跡 旧浜離宮庭園の石碑
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潮入の池
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庭園より汐留のビル群
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中島の御茶屋
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松の御茶屋
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燕の御茶屋
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菜の花畑と汐留のビル群
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東京タワーから見た浜離宮庭園
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巨大黒松 徳川家宣時代に植樹
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黒松と池と汐留ビル
歴史
1654年(承応3年)に甲府藩主の徳川綱重がこの地を拝領し、海を埋め立てて別邸を建てた。その後は甲府藩の下屋敷として使用された。このため甲府浜屋敷、海手屋敷と呼ばれるようになった。綱重の子である徳川綱豊が6代将軍(家宣)になったため甲府徳川家は絶家となり[3]、将軍家の別邸とされた。浜御殿と改称して大幅な改修が行われ、茶園、火薬所、庭園が整備された。とくに徳川家斉と家慶の頃は、将軍の鷹狩の場であった。幕末には、幕府海軍伝習屯所であった。
1729年(享保14年)5月、雄の象がベトナムから運ばれ、浜御殿の小屋で12年を過ごした[4]。
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放鷹術実演(2010年1月2日撮影)
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放鷹術実演(2010年1月2日撮影)
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放鷹術実演(2010年1月2日撮影)
慶応2年に着工した石造洋館が、明治2年に外国人接待所「延遼館」として竣工した。延遼館は、明治維新後も鹿鳴館が完成するまでは迎賓館として使用された。明治3年に、宮内省の管轄となり名前も離宮と改められた。明治天皇も度々訪れるようになる。
その後、1923年の関東大震災と1945年の東京大空襲で、大手門や複数の御茶屋や樹木が焼失し、庭園自体も大きく損傷する被害を受けた。
- 1879年(明治12年) - 当時のドイツ皇太子フリードリヒが訪れた。日本を訪問した前アメリカ大統領のユリシーズ・S・グラントが延遼館に1か月滞在し、浜離宮内の中島茶屋で明治天皇との謁見が行われた[5]。
- 1889年(明治22年) - 延遼館が取り壊される。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - GHQの要求により東京都に下賜される。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 都立庭園として開園。
- 1952年(昭和27年) - 旧浜離宮庭園として特別史跡・特別名勝に指定される。
- 1983年(昭和58年) - 中島の御茶屋の復元工事が完了。
- 2000年代前半 - 対岸の旧汐留貨物ターミナルが再開発され汐留の高層ビル群が林立した。
- 2010年(平成22年)12月 - 松の御茶屋の復元工事が完了。
- 2015年(平成27年)5月 - 燕の御茶屋の復元工事が完了[6][7]。
- 2018年(平成30年)4月 - 鷹の御茶屋の復元工事が完了。
交通
- 大手門口
- 中の御門口
- 水上バス
脚注
- ↑ 浜離宮に「鷹の御茶屋」十一代将軍が創建 休憩所を復元『毎日新聞』朝刊2018年4月20日(東京面)
- ↑ 2.0 2.1 “庭園へ行こう。 浜離宮恩賜庭園”. 東京都公園協会. . 2018-5-24閲覧.
- ↑ 甲府藩は5代将軍綱吉御側御用人の柳沢吉保が入った。
- ↑ 松島駿二郎 (2008年7月25日). “長崎から江戸まで、象が歩いた”. 日経ビジネスオンライン. . 2018閲覧.
- ↑ 小杉雄三『浜離宮庭園』東京公園文庫 12, 1981, p.93.
- ↑ “「燕の御茶屋」の復元が終了しましたので、公開を始めます!”. 浜離宮恩賜庭園(公園へ行こう!). (2015年5月27日) . 2015閲覧.
- ↑ “燕の御茶屋 よみがえる 浜離宮庭園 30、31日に公開記念イベント”. 東京新聞. (2015年5月30日) . 2015閲覧.
参考文献
- 小杉雄三『浜離宮庭園』東京公園文庫 12, 郷学舎, 1981.
- 水谷三公『将軍の庭 ― 浜離宮と幕末政治の風景』中公叢書, 2002.
- 横浜開港資料館編『F. ベアト写真集 1 ― 幕末日本の風景と人びと』明石書店, 2006. - 英語版に写真あり