永井一正
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永井 一正(ながい かずまさ、1929年4月20日 - )は日本のグラフィックデザイナー。大阪府大阪市[1]出身。2020年東京オリンピックエンブレムのデザイン選考の審査員代表。息子はHAKUHODO DESIGN(博報堂デザイン)代表取締役社長の永井一史。
略歴
- 1929年 大阪府大阪市に生まれる
- 1951年 東京藝術大学彫刻科中退[2]。大和紡績に入社、宣伝を担当しグラフィックデザイナーとして仕事をする
- 1953年 日本宣伝美術会(日宣美)会員
- 1960年 日本デザインセンター創立に亀倉雄策等とともに参加する
- 1960年 亀倉雄策・河野鷹思・田中一光・杉浦康平・稲垣行一郎と共に1964年東京五輪エンブレムの指名コンペ対象6人に選ばれるも、落選[3][4][5]
- 1962年 東京ADCで銀賞・銅賞受賞
- 1962年 日本宣伝美術会展にて永井ほか2名が、円の大きさが縦の2/3の「日の丸」を共同提案(1964年東京五輪では不採用も1998年長野五輪では使用された)[6][7][8]
- 1966年 第1回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ金賞
- 1966年 札幌冬季五輪のシンボルマーク(エンブレム)に8名の中から永井案が採用される[9]
- 1968年 第6回東京国際版画ビエンナーレ東京国立近代美術館賞
- 1988年 永井一正の世界展(姫路市立美術館)
- 1989年 紫綬褒章受章
- 1994年 日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)会長に就任
- 2015年 2020年東京五輪エンブレムデザイン審査委員代表として佐野研二郎の作品を選出[10][11][12]
両親は姫路市出身[1]で、1945年3月の大阪大空襲で実家を戦火で消失後、戦後の姫路で10代の青年期を過ごす[13]。
現在日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会特別顧問、日本デザインコミッティ名誉会員。
近年例年、亀倉雄策賞の最終選考委員会の選考委員も務めている[14][15]。
不正
オリンピックエンブレム選出に先立つ一次審査において不正に関与した。2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会は2015年12月18日に、「一次審査において事前に参加を要請した8人中2人に対して、不適切な投票があった」とする外部有識者による調査結果を公表し、この際、永井氏の不適切な働きかけにより本来であれば落選する者がでるはずだったのが一次審査応募の8人全員が1次審査を通過する結果となった。[16]
作品・業績
- つくばエクスプレス(首都圏新都市鉄道)シンボルマーク
- 三菱UFJフィナンシャル・グループシンボルマーク(2004年商標登録出願)
- 東京電力シンボルマーク
- 富山県シンボルマーク
- 放送大学シンボルマーク
- 一連のSaveポスター(1998年)
- Save Natureポスター(1995年)
- 一連のLifeポスター(1995年)
- 河北新報社シンボルマーク(1993年)
- ニコニコのりシンボルマーク(1986年)
- 茨城県章(1991年)
- 神姫バス 貸切バスデザイン(1990年)
- 世界デザイン博覧会シンボルマーク(1987年)
- JRグループ共通シンボルマーク(1986年)
- 南日本放送シンボルマーク(1983年)
- 阪神タイガースユニフォームの袖、パンツのライン(『輝流ライン』ギザギザ模様)(ホーム用1976年~1978年、ビジター用1975年〜1978年)[17]
- フジネットワークシンボルマーク(1973年)
- 沖縄国際海洋博覧会シンボルマーク(1972年)[17]
- 日清食品シンボルマーク(1971年)
- SDポスター(1968年)
- 札幌冬季オリンピックシンボルマーク(オリンピックエンブレム)[18](1966年)[17]
- アサヒビール『アサヒスタイニー』ポスター(1965年) など多数。
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主な受賞・受章
- 第一回モスクワ国際ポスタートリエンナーレグランプリ(1992年)
- 紫綬褒章(1989年)
- 芸術選奨文部大臣賞(1988年)
- 第11回ブルノ国際グラフィックビエンナーレグランプリ(1985年)
- 第2回亀倉雄策賞[19] (1966年)
- 勝見勝賞(1966年)
- 日宣美会員賞(1966年)
- 朝日広告賞(1966年)
- 毎日産業デザイン賞(1966年)
- ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ(金賞・銀賞・名誉賞1966年)
- 勲四等旭日小綬章(1999年)
- ADCグランプリ
- 毎日芸術賞
他
著作
- 『つくることば いきることば』(2012年六耀社)
- 『生命のうた』(2007年六耀社)
- 『永井一正』(2004年トランスアート)
- 『永井一正のポスター』(1995年河出書房新社)
- 『永井一正デザインライフ』(1994年六耀社)
- 『永井一正の世界』(1985年講談社)
- 『アートディレクション』(1968年美術出版社)
他
主な作品収蔵先
関連人物
脚注
- ↑ 1.0 1.1 “姫路は原点の地 永井一正さんのポスター展開幕”. 神戸新聞 (2017年11月12日). . 2018閲覧.
- ↑ FGひろば140号 クリエイターズ・アイ
- ↑ 亀倉雄策が東京五輪で示した、デザインの力。 2013年11月号 宣伝会議
- ↑ オリンピック・パラリンピックとビジュアルデザイン 東京デザイン2020フォーラム
- ↑ 雑誌「デザインの現場」1998年No.100
- ↑ 日の丸の大きさ・解答 - 吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)の新・徒然草 2007年12月31日
- ↑ 月刊五輪:吹浦忠正の1964年東京五輪物語 「日の丸」基準に苦労 - 毎日新聞、2015年4月21日 東京朝刊(アーカイブ)
- ↑ 東京五輪エンブレムのパクリ疑惑 原因はコンペ作品のコンセプトか - ライブドアニュース(2015年8月2日 LITERA)
- ↑ 第8回 永井一正(1) スポーツとアート - JOC
- ↑ 2020年東京オリンピック・パラリンピックの大会エンブレムデザインを募集 マイナビニュース 2014年9月19日
- ↑ 「夢だと思った」2020年東京五輪のエンブレムに佐野研二郎氏 104件から選定 Art Annual online、2015年7月27日
- ↑ 五輪エンブレム盗作問題 審査員と佐野研二郎さんとのつながりがネットで話題に ガジェット通信 2015年8月17日
- ↑ “永井一正ポスター展:生を求める表現の宇宙”. 毎日新聞 (2017年12月13日). . 2018閲覧.
- ↑ 第17回亀倉雄策賞:選考経緯・展覧会情報(更新)
- ↑ 第18回亀倉雄策賞:選考経緯・展覧会情報(更新)
- ↑ 白紙撤回の五輪エンブレム選考過程で「不適切な投票」 朝日新聞デジタル 2015年12月18日
- ↑ 17.0 17.1 17.2 ユニフォーム物語 阪神タイガース2010年交流ユニフォーム『週刊ベースボール』2012年2月6日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20444-2/6, 70頁。
- ↑ 2020年東京五輪のエンブレムは亀倉デザインの正統進化 - デザイン情報サイト[JDN]、2015年7月29日
- ↑ Japan Graphic Designers Association Inc.
外部リンク
典拠レコード: