湊町 (大阪市)
湊町 | |
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— 町丁 — | |
座標: 東経135度29分43.0秒北緯34.666583度 東経135.495278度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 大阪府 |
市町村 | 大阪市 |
区 | 浪速区 |
等時帯 | JST (UTC+9) |
郵便番号 | 556-0017 |
湊町(みなとまち)は、大阪市浪速区の町名。一丁目と二丁目とが設置されている。2006年9月現在の人口は1288人。郵便番号556-0017。
地理
浪速区の北東端に当たり、オフィスビルと高層マンションが混在する。北で西区南堀江、北東で中央区道頓堀・難波、東で元町、南で塩草、南西で稲荷、西で桜川、北西で幸町と隣接する。
歴史
道頓堀川八丁のひとつである「道頓堀湊町」に端を発する。道頓堀川(西道頓堀川)・西横堀川・難波入堀川(後者2つの堀は埋立てられ、阪神高速1号環状線が通る)などの水運を利用した貯木場があり、西道頓堀川の対岸にある堀江の家具問屋街も、貯木場や木材搬入の地域として栄えたことの名残である。1843年(天保14年)には遊所が置かれ、深里(ふかり)と呼ばれた。遊所は1871年(明治4年)に廃止されたが、現在も当町から西道頓堀川に深里橋という四つ橋筋の橋が架かっている。
1889年(明治22年)に貨物駅を併設した湊町駅(現在のJR難波駅)が開設され、南部の貨物ターミナルとしての機能も担った(貨物取り扱いは国鉄時代末期の1985年(昭和60年)3月に廃止)。湊町駅開設によって江戸期以来の町域は全て湊町駅構内となり、ホームは南隣の西成郡難波村にも及んだ。
1943年(昭和18年)の区域調整において、南区から浪速区へ所属が変更された。第二次世界大戦末期、米軍による大阪大空襲で一帯は焼け野原となり、焼け出された人々が住みついた。
1980年(昭和55年)には湊町駅構内となっていた旧難波村の東円手町および東神田町の北半においても湊町の住居表示が実施され、現在の町域となった。しかし、1989年(平成元年)に湊町駅は南へ約100m移転し、本来の湊町から完全に離れたこともあって、1994年(平成6年)にはJR難波駅へ改称されている。その後1996年(平成8年)に地下化されている。
施設
- 関西本線(大和路線) JR難波駅
- 大阪市営地下鉄四つ橋線 なんば駅
- 近鉄難波線・阪神なんば線 大阪難波駅
- 千日前通
- 四つ橋筋
- 大阪シティエアターミナル(OCAT)
- OCATバスターミナル
- 湊町リバープレイス
- なんばHatch
- FM OSAKA
- 富永病院
- 近鉄新難波ビル
- 難波サンケイビル(産経新聞大阪本社)
- マックスバリュ難波湊町店
- マルイト難波ビル
関連項目
幸町 | 西区南堀江 | 中央区道頓堀・中央区難波、 | ||
桜川 | 北 | 元町 | ||
西 湊町 東 | ||||
南 | ||||
稲荷 | 塩草 |