マルエーフェリー
マルエーフェリー株式会社(マルエーフェリー、英称:A-Line Ferry Co.,Ltd.)'は、鹿児島県鹿児島市泉町に本部を置く海運会社。本社は鹿児島県奄美市名瀬入舟町にある。旧社名は大島運輸株式会社。
Contents
概要
奄美大島を拠点に事業を行う有村商事から分離[1]し、1953年(昭和28年)12月1日に設立。創業者は、与論島出身の有村治峯である。
船舶の運航を行う海運業を営んでいるほか、物流業などを営む関連会社も複数ある。
かつては、喜界島で路線バスの運行も行っていた[2]が、2010年10月に関連会社の奄美航空に譲渡された。 ※詳細は、#バス事業を参照。
かつて沖縄航路などを運航していた同業の有村産業(沖縄県那覇市、解散済)とは、創業者同士が親戚関係である。
沿革
※バス事業については、#バス事業を参照。
- 1953年(昭和28年)12月: 大島運輸株式会社を設立。
- 1956年(昭和31年) 4月: 鹿児島支店を開設。
- 1957年(昭和32年) 8月: 鹿児島 - 那覇航路を開設。
- 1958年(昭和33年) 9月: 鹿児島と奄美各島間の一般旅客定期航路事業免許を取得。
- 1962年(昭和37年) 3月:鹿児島 - 那覇航路を定期運航化。
- 1962年(昭和37年)10月: 東京支店を開設。
- 1963年(昭和38年) 5月: 東京 - 那覇間の定期航路を開設。
- 1964年(昭和39年) 5月: 東京と奄美・那覇間の一般旅客定期航路事業免許を取得。
- 1969年(昭和44年) 2月: 沖縄支店を開設。
- 1969年(昭和44年) 5月: 大阪支店を開設。
- 1970年(昭和45年) 5月: 資本金を9,700万円に増資。
- 1972年(昭和47年) 4月: 神戸事業所を開設し、神戸 - 奄美各島定期航路を開設。
- 1972年(昭和47年) 6月: 鹿児島航路を増船し複線化、鹿児島 - 奄美 - 与論航路に貨客船「ひかり」が就航。
- 1973年(昭和48年)12月: 資本金を3億400万円に増資。
- 1974年(昭和49年) 4月: 神戸 - 奄美諸島 - 那覇航路に貨客船「神戸丸」が就航。
- 1975年(昭和50年) 5月: 鹿児島 - 那覇航路をフェリー化、「エメラルドあまみ」が就航。
- 1976年(昭和51年) 2月: 資本金を3億3,500万円に増資。
- 1979年(昭和54年) 6月: 福岡営業所を開設する。
- 1979年(昭和54年)11月: 資本金を4億5,500万円に増資。
- 1981年(昭和56年) 7月: 阪神 - 那覇航路をフェリー化、「あかつき」が就航。
- 1983年(昭和59年) 7月: 大型旅客船「サンシャインふじ」が進水。
- 1985年(昭和60年) 4月: 組織改編を実施し、本部機構を鹿児島に配置。
- 1986年(昭和61年) 8月: 東京 - 奄美 - 与論 - 那覇航路に貨客船「ありあけ(初代)」が就航。
- 1987年(昭和62年) 5月: 東京 - 那覇航路がフェリー化。同時に志布志寄港を実施する。
- 1989年(平成元年) 5月: 鹿児島 - 奄美諸島 - 那覇航路に「フェリーあけぼの(初代)」が就航。
- 1992年(平成 4年)10月: 宮崎営業所を開設し、阪神 - 那覇航路が宮崎寄港を実施。
- 1998年(平成10年) 3月: 内航運送業許可を取得。
- 2005年(平成17年) 6月: 社名をマルエーフェリー株式会社に改称。
- 2006年(平成18年)10月: 阪神 - 那覇航路、宮崎寄港を休止。
- 2007年(平成19年) 2月: 「フェリーたかちほ」(現:「たかちほ」)が漁船「幸吉丸」と衝突事故。
- 2008年(平成20年) 7月: 鹿児島 - 奄美諸島 - 那覇航路の「フェリーあかつき」が引退、代船として「フェリーあけぼの」が就航。
- 2009年(平成21年)11月: 「ありあけ」が転覆事故を起こし東京航路旅客運航を休止。
- 2010年(平成22年) 3月: 「ありあけ」事故により旅客運航を休止していた東京航路に代船「クルーズフェリー飛龍21」を中古で購入し再開。
- 2011年(平成23年) 6月: 鹿児島発那覇行き「フェリーあけぼの」が沖永良部和泊港入港時、防波堤接触、船底部浸水。
- 2012年(平成24年)10月: 鹿児島 - 奄美諸島 - 那覇航路の「フェリーなみのうえ」が引退、代船として「フェリー波之上」が就航。
- 2014年(平成26年)12月: 東京 - 那覇航路をRO-RO船化。「クルーズフェリー飛龍21」引退、「琉球エキスプレス2」就航。
- 2015年(平成27年)5月: 東京港の使用埠頭を若洲埠頭に移転。
- 2015年(平成27年)12月: 東京 - 那覇航路「たかちほ」引退、「琉球エキスプレス3」が就航。
- 2017年(平成29年)10月: 阪神 - 那覇航路をRO-RO船化、志布志寄港を追加。「琉球エキスプレス」引退、東京航路「琉球エキスプレス2」を転配。東京航路に「琉球エキスプレス5」就航。
- 2018年(平成30年) 2月: 名古屋営業所を開設、東京 - 那覇航路の東京木曜発下り便に名古屋寄港を追加。
船舶
ファンネルマークは、オレンジに赤丸の中に赤字でアルファベットの「A」が書かれ、余白は白色となっており、意匠の特徴であるアルファベットの「A」は本社が所在する奄美大島の頭文字に因んでいる[3]。また、喫水線上の船体塗装は上半分が白、下半分が青であるほか、船体側面中央には赤字で「A"LINE」のロゴマークが書かれるとともに、船首には3本の青線と赤丸の中に赤字でアルファベットの「A」が描かれている。なお、これらの意匠などは子会社の奄美海運が運航する船舶でも同じものを採用している。船ごとの設備の違いから、利用できる客室等級が異なる。
運用船舶
竣工年月 | 総トン | 全長 | 全幅 | 型深さ | 出力 | 航海速力 | 旅客定員 | 造船所 | 船籍 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
フェリーあけぼの | 2008年6月 | 8,083t | 145.00m | 24.00m | 14.50m | 8,250PSx2 | 21.0ノット | 682名 | 三菱重工業下関 | 奄美 |
フェリー波之上 | 2012年9月 | 8,072t | 145.00m | 24.00m | 14.50m | 8,250PSx2 | 21.0ノット | 707名 | 三菱重工業下関 | 奄美 |
琉球エキスプレス 2 | 2014年12月 | 10,758t | 159.98m | 24.00m | 10.80m | 13280kWx1 | 24.28ノット(最大) | RO-RO船 | ヤマニシ | 那覇 |
琉球エキスプレス 3 | 2015年11月 | 10,034t | 168.7m | 27.00m | 10.80m | 13280kWx1 | 23.53ノット(最大) | RO-RO船 | ヤマニシ | 那覇 |
琉球エキスプレス 5 | 2017年 | 10,034t | 168.7m | 27.0m | 10.80m | 13280kWx1 | 24.0ノット(最大) | RO-RO船 | ヤマニシ | 那覇 |
- フェリー
- フェリーあけぼの (2代)(鹿児島 - 沖縄航路)
- フェリー波之上(鹿児島 - 沖縄航路)
- 旅客定員707名(特等、1等、2等寝台、2等洋室、2等)。
- 三菱重工が開発した「三菱空気潤滑システム(MALS)」を初搭載したフェリー
- 船形は、姉妹船にあたる「フェリーあけぼの」と基本的に同じで推進機関が1軸2機関のバリアフリー対応船。
- 二等寝台は鹿児島 - 沖縄航路としては初のシングルルームや交差二段ベット方式などのプライバシー重視の客室設計を行っている。
- 客室配置は上等級を減らし二等客室を増やしたため、旅客定員は増えているが、臨時席は基本設置していないため満席の場合、未予約乗船不可の可能性はある。
- 2017年12月に国土交通省の「船旅活性化モデル地区事業」を活用し、世界自然遺産であり同社同航路上にありながら交流が少なく交通困難地となっていた[4]屋久島へ利用客数などに応じて寄港の可否を判断できる制度を利用し、沖縄→奄美各離島→鹿児島の上り便に限り屋久島の下船客が10日前までの予約で20人に達した場合、2018年3月4日以降一年間の奄美大島出港後屋久島へ(3月5日寄港分から)臨時寄港し、下船客のみ取り扱うと発表[5][6]。
- RO-RO船
- 琉球エキスプレス 2(RO-RO船、東京航路→阪神航路)
- 琉球エキスプレス 3(RO-RO船、東京航路)
- 石巻市の造船会社ヤマニシにより建造され、2015年9月1日に進水式を実施。
- 『たかちほ』に代わり2015年12月3日東京港発便より就航。
- 琉球エキスプレス 5(RO-RO船、東京航路)
- 石巻市の造船会社ヤマニシにより建造され、2017年5月11日に進水式を実施。
- 『琉球エキスプレス 2』に代わり2017年10月15日東京港発便より就航。
引退船舶
- エメラルドあまみ(鹿児島航路) - 1975年5月就航。引退後、改修を行い「フェリーあまみ(初代)」として奄美海運へ売却。
- あけぼの丸(鹿児島航路) - 1977年11月就航。1989年9月引退、フィリピンへ売却。Super ferry19として運航中。
- 波之上丸 (3代)(3代)(東京航路) - 1980年5月就航、1994年6月に引退し日本国外へ売却。
- あかつき(阪神航路) - 1981年7月就航。
- ありあけ(初代)(初代)(東京航路)
1986年7月就航、1995年9月に引退しフィリピンへ売却。スーパーフェリー9として就航していたが、
2009年9月6日午前3時(現地時間)ごろ、ダバオからマニラへの航路(ジェネラル・サントス・イロイロ経由)に就航中、サンボアンガ沖で沈没[9]。 - フェリーあけぼの (初代)(鹿児島航路)IMO: 8905373 /MMS: 374150000
1989年9月就航、2003年2月に引退し、韓国の清海鎮(チョンヘジン)海運へ売却、「オハマナ」号として就航していたが、
同社事故により会社清算され、競売複数回入札により、2015年1月韓国内船舶仲介取引業者が落札。
2015年夏頃、新潟県が主体となって計画された第三セクター「日本海横断航路」事業における運航船舶として調達しようとしたが
2015年10月韓国から日本への回航後、約1年の韓国における係留による、性能劣化のため同事業における運用に適さない判断により受領拒否した。
しかし、韓国仲介業者が契約不履行と提訴し、日本側の契約内容未解釈との仲裁判断により、
日本側は一部売買代金及び和解金を支払っているが、船舶所有権は韓国側仲介業者が有していて、船舶自体は神田造船所に係留されている[10][11]。 - フェリーあかつき(「ニューあかつき」から改称、阪神航路→鹿児島航路)IMO: 9045895/MMSI: 370441000
1992年竣工、同年7月就航、2008年7月引退。6,412総トン、最大速力23.78ノット。旅客定員800名。
1992年7月、「ニューあかつき」として阪神航路に就航。2003年2月、「フェリーあかつき」に改名のうえ鹿児島航路に転配。
2008年7月、「フェリーあけぼの」(2代)就航にともない引退、船籍をパナマに変更し谷山港に係船。
ギリシャの船会社に売却したが金融危機により同社が倒産したため約半年間係留されたのち、日本のSHKグループが購入。
「ゆうとぴあ4」へ船名を変更のうえ、グループ内の上海下関フェリー(2014年に蘇州下関フェリーに社名変更)で2009年10月4日から下関 - 蘇州航路に週2便の貨物船として運航中[12][13][14]。
- ありあけ (フェリー・2代)(東京航路)
1995年1月竣工、同年9月就航。7,910総トン、航海速力24.0ノット(最大24.93ノット)。
2009年11月事故により運航停止、事故現場にて解体[15]。
- フェリーなみのうえ(鹿児島航路)
1994年6月竣工、6,586総トン、速力21.5ノット、旅客定員804名。
「フェリー波之上」(2012年9月就航)と入れ替わりで2012年10月1日那覇発[16]で退役し韓国の清海鎮海運へ売却。
客室追加などの改修を受けた後「SEWOL(セウォル)」として就航していたが、
2014年4月16日午前、仁川から済州島への航路に就航中、観梅島沖で沈没(セウォル号沈没事故)[17]。
- Ferry Sewol 1.jpg
フェリーなみのうえは日本で退役後、韓国へ渡りセウォルとなった
- クルーズフェリー飛龍21(東京航路)IMO: 9135250/MMSI: 355319000
- たかちほ(RO-RO船、東京航路)
- 3,891総トン、全長131.16m、幅20.0m、型深出力8.99m、13,500PS、航海速力19.9ノット。ヤマニシ建造。
- 2007年5月1日、「フェリーたかちほ」から船名変更。運航業務は(株)新日本海事の委託。2015年11月15日引退。
- 琉球エキスプレス(阪神 - 沖縄航路)
- 旅客定員240名(1等、2等寝台、2等洋室、2等)。
- 積載数:トラック94台、乗用車72台、コンテナ(10ft)92個。
- 鉄道建設・運輸施設整備支援機構と共有。2017年10月9日引退。
- バリアフリー対応船。供食設備は自動販売機(レトルト・インスタント食品などを販売)のみとなっている。
- 旅客定員が少ないため、繁忙期などに予約が無い場合は乗船できないこともある。
- 第七太洋丸 - 貨物船(鹿児島航路/与論まで)
- 第八太洋丸 - 貨物船(鹿児島航路/与論まで)
- 第十一太洋丸 - (鹿児島航路)
- 興島丸 - 貨物船
- 波之上丸(初代) - (鹿児島航路)
- あまみ丸(初代) - (鹿児島航路)
- 晴海丸 - 貨物船
- にしき丸 - 貨物船
- にほん丸 - 観光船
- 太平丸 - 貨物船
- さくら - 元見本市船「さくら丸」(東京航路)
- ひかり - (鹿児島航路→阪神航路)
- 新さくら丸 - (東京航路)
- 波之上丸(2代) - (鹿児島航路)
- 神戸丸 - (阪神航路→鹿児島航路)
- サンシャインふじ - チャーター船
- あまみ丸(2代) - (喜界航路)
- ふじ - チャーター船
航路
※斜字は寄港しないことがある。
- 東京 - 沖縄航路(貨物RO-RO航路)
- 東京港(若洲埠頭) - 名古屋港(金城埠頭) - 志布志港 - 本部港 - 那覇港(新港ふ頭)
- 2008年7月以降、与論港寄港休止。
- 2009年11月13日に発生した「ありあけ」海難事故(後述)の影響により一時休航[15]していたが、
代替船舶として「クルーズフェリー飛龍21」を鉄道建設・運輸施設整備支援機構から購入し修繕改修を行った後、
当初予定より遅れ2010年3月18日の那覇港出港便から運航を再開した[19]。 - 2014年12月7日那覇新港着(悪天候により、所定スケジュール12月6日から24時間遅れ[20])をもって
(旅客)フェリー航路としての運航と奄美大島寄港を休止し、以降(貨物)RO-RO航路として運航。 - 2017年2月より東京木曜発の下り便のみ名古屋港への寄港を開始。
- 東京港(若洲埠頭) - 名古屋港(金城埠頭) - 志布志港 - 本部港 - 那覇港(新港ふ頭)
- 阪神 - 沖縄航路(貨物RO-RO航路)
- 鹿児島 - 沖縄航路(旅客フェリー航路)
特記事項
- 各離島の使用港は、奄美大島名瀬港以外は外海と面していて天候などの影響を受けやすく、欠航しないまでも寄港地の変更や寄港しないこと(抜港)などの条件付き運航もあり、荒天が予想されるときには大きな影響が出ることがある。
- 台風や冬場の季節風などによる荒天によって、欠航便が発生した後、運航再開時に臨時便や変則運航が設定されることがある。
- フェリーとして各離島間の物流の要として機能しているため、農繁期や引っ越し時期など貨物量が増加する時期は、各離島を経由する運航形態により各寄港地の停泊予定時間を超過し、遅延が寄港する度に加算され、最終目的地で大幅に遅延することもある。
- 往復相互利用については以下の会社および区間で可能だが、船室の等級などによって適用されるものとされないものがある
(一例として、鹿児島-奄美間と志布志-奄美間の料金は同一だが、相互利用は不可)。
- 年末年始の定期航路休航日を利用し、旅行会社主催の初日の出クルーズや
世界遺産となっている屋久島への観光ツアーが不定期に催行され、関西航路が屋久島宮之浦港に臨時寄航した実績が有るが、一般客は下船不可。
屋久島ツアー実績により、2018年3月4日那覇出港分から「フェリー波之上」上り便限定で利用客が規定数に達した場合のみ屋久島臨時寄港し、屋久島下船利用のみ一年間実証実験運航が認められた。 - 鹿児島-奄美間は通常夜行運航便だが、2009年7月22日の日食前後には、世界中からの来島者を運送するための臨時の昼行便を運航するため、該当区間のみピストン運航を行った。
- かつては特例で、鹿児島航路のみ、初乗船日から一週間以内に最終目的地で下船する条件で、二等旅客料金のみ途中下船が認められる「途中下船サービス」があり、奄美諸島などを周遊する旅行などで使用できたが、安全上の理由により、2015年6月11日乗船分から中止されている。(購入は始発船会社で手続きは各船案内所で下船までに行う。運航船会社は基本的にマルエー、マリックスが交互日替わり運航)[22]。
- 例:鹿児島(初日)船中泊→奄美(二日目)一泊→徳之島(三日目)一泊→沖永良部(四日目)一泊→与論(五日目)一泊→本部(六日目)一泊→那覇(七日目)
関連会社
- 奄美海運 - 鹿児島市から奄美群島へのローカル航路を運営。
- 有村商事 - 酒類、米穀・石油販売卸小売業者。マルエーグループの中核をなす。
- マルエー物流 - 荷役会社。那覇における船舶代理店。
- 第一海運 - 荷役会社。志布志、宮崎における船舶代理店。
- 大島輸送 - 荷役会社。鹿児島での荷役を担当。
- 大島産業 - 船舶用飲料品、船舶用品売買業。
- 奄美航空(奄美航空ツーリスト) - 空港における地上業務受託、旅行業、宿泊施設運営のほか、喜界島での路線バス事業を行なう(後述)[23][24]。
バス事業
かつて、奄美群島の喜界島において路線バス事業を行っていた。同事業は1975年、東亜国内航空から譲受[25]し当社にて直営していたが、2010年10月から関連会社の奄美航空(奄美航空ツーリスト)に移管された[24]。
バス路線
路線バスは、北本線、南本線、中央線の3路線がある[26]。
- 北本線
- 湾営業所 - 空港前 - 中熊 - 志戸桶 - 浦原 - 荒木 - 空港前 - 湾営業所
- 南本線
- 湾営業所 - 空港前 - 荒木 - 浦原 - 志戸桶 - 中熊 - 空港前 - 湾営業所
- 中央線
- 湾営業所 - 空港前 - 中熊 - 滝川 - 川嶺 - 空港前 - 湾営業所
参考文献
- 日本船舶明細書I 2008年版 - 社団法人 日本海運集会所(2007年12月30日発行)
脚注
- ↑ 『にっぽん全国たのしい船旅2013-2014』 p.100 「にっぽん航路史」 イカロス出版(イカロスMOOK、2013年8月発行)ISBN 9784863207448
- ↑ 鹿児島県公式サイト内の資料を参照。
- ↑ 新造船情報 その24 煙突 - マルエーフェリー
- ↑ (従来は一旦鹿児島を経由し両島を行き来していて利用者には不評だった)
- ↑ フェリー波之上、上り屋久島寄港…3月から実証実験
- ↑ (同社の同航路僚船フェリーあけぼの (2代)の臨時寄港と屋久島乗船は他社既存航路があるため不可、同社運送はフェリー波之上限定の沖縄、奄美各離島から屋久島への一方運送のみ、屋久島からの他社区間に関しては自己責任において予約購入するとみられる)
- ↑ 進水式の様子(ヤマニシ 2014年8月28日付け、2014年12月27日閲覧)
- ↑ 『琉球エキスプレス2』志布志港に初入港!!!(第一海運 2014年12月10日付け、2014年12月27日閲覧)
- ↑ “900人以上が乗ったフェリーが沈没、5人死亡 フィリピン”. AFPBB News. (2009年9月6日)
- ↑ 「日本海横断航路の船舶調達問題に関する特別調査委員会」報告書
- ↑ MarineTrafficオナハマ船舶詳細情報
- ↑ 下関/蘇州航路に10月から“ゆうとぴあ4” - Web CRUISE(海事プレス社、2009年8月7日付、同年11月13日閲覧)
- ↑ 下関/蘇州(太倉)フェリー航路運航 船舶およびサービス変更について(プレスリリース) - 上海下関フェリー(2009年8月4日付、2010年1月10日閲覧)
- ↑ MarineTrafficゆうとぴあ4船舶詳細情報
- ↑ 15.0 15.1 「ありあけ」の海難について及び運休のご案内 - マルエーフェリー(2009年11月13日付、同日閲覧)
- ↑ http://www.aline-ferry.com/news4.html
- ↑ 韓国で沈没の旅客船、2012年9月まで鹿児島で運航 - 朝日新聞 2014年4月17日
- ↑ 大仁フェリー船舶情報(韓国語表記)
- ↑ 「飛龍21」の営業航海への就航について - マルエーフェリー(2010年3月15日付)
- ↑ 東京航路(飛龍21)運航状況 2014年12月27日閲覧
- ↑ 「フェリー波之上」名瀬発上り便の屋久島寄港の計画について
- ↑ ニュース・途中下船サービスの中止についてご案内 - マルエーフェリー・奄美海運(archive.is)
- ↑ 会社概要 - 奄美航空(2010年11月1日閲覧)
- ↑ 24.0 24.1 喜界バス、奄美航空へ事業譲渡 - 南海日日新聞(2010年10月2日付、同年11月1日閲覧)
- ↑ 喜界町のあゆみ - 喜界町 ※同サイトでは東亜航空とあるが、同社は1971年に合併して東亜国内航空になっている。
- ↑ 路線バス(島バス) - 喜界島ナビ.com(ポータルサイト、2010年11月1日閲覧)
関連項目
- マリックスライン - 同じ区間を運航する鹿児島市の船舶事業者。
- リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件 - 指名手配され逃亡中の容疑者の逮捕に社員が貢献(電話にて警察に通報)し、公的懸賞金が分配された。