芳本美代子

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芳本 美代子(よしもと みよこ、1969年3月18日 - ) は、山口県宇部市出身の女優歌手。80年代アイドル。

血液型はB型。身長158cm。所属事務所はブリスクコーポレーション(マネージメント業務)、歌手活動当時の所属レコード会社はテイチク明治大学付属中野高校定時制卒業。愛称みっちょん[1]

略歴

1969年3月18日、山口県小野田市(現・山陽小野田市)の病院で三姉妹の次女として誕生する。小学時は広島市己斐で育つ[2]。小学3年生の時、チェリッシュが司会の『全日本選抜ちびっこものまね歌合戦!』に出場し、広島地区で優勝して初めて東京に訪れた。それで子供ながらに地元で有名になり、これが「芸能界」を意識した切っ掛けであり、同時に本人はこの時を芸能界デビューと見做している[3]。『ちびっこものまね』に出場して以降、それまで男児のように育てられていた芳本は一変して、綺麗に着飾って広島市八丁堀の音楽学院に毎週連れて行かれるようになった。芳本は「ああ、こういう仕事をすると、良くしてもらえるんだ!」と喜んだ[3]。中学時代はバスケット部に所属。中学3年在学中の1983年KBC九州朝日放送主催のオーディション、第5回福岡音楽祭・新人登竜門ビッグコンテストに応募、本選に進むも無冠に終わる。しかし、テレビ放送を見たテイチクレコードのスタッフからスカウトされ、山口から福岡に通う形で歌のレッスンを始める[3]

1984年3月に芸映プロがマネジメントを引き受け、同年8月に上京、翌1985年3月21日に「白いバスケット・シューズ」でアイドル歌手デビューを果たす[1]。上京当初の3ヶ月は寮にいたが、その後信濃町のソニー・ミュージックスタジオの裏で一人暮らししていた[3]。その年の各音楽祭で新人賞を獲得する。 なお、デビュー前にニッポン放送ラジオ「前略一世風靡セピア」の中で「美代子のハーピット占い」という機械を使ってリスナーの相性占いをするというコーナーを担当していた。

デビュー当時、レコード売上的にはやや苦戦を強いられた。同期デビューに、本田美奈子森川美穂中山美穂南野陽子浅香唯斉藤由貴大西結花など、のちにトップアイドルになる華々しい顔ぶれと並んでのデビューだった[1]。さらに所属事務所からも志村香がほぼ同時にデビューした上に、おニャン子クラブの台頭で求められるアイドル像が変質していった時期と重なり、彼女が置かれた環境は良好なものとは言えなかった。

アイドル時代は自らを「体育会系」と称していた(デビュー当初から好きな食べ物に焼肉を挙げ、華奢な体格に反して大食で、成人後は更に酒豪が加わった)。歌手活動末期には、CHAGE and ASKAに依頼した2枚のシングルやサザンオールスターズのカバーなどの作品も発売している。

1990年、第28回ゴールデン・アロー賞・演劇新人賞を受賞する。これを契機に芸能活動の主体を歌からテレビドラマや舞台に切り替え、数多くの作品に出演する。以来中堅女優としてテレビドラマや舞台等で活躍している。

私生活では1996年、俳優の金山一彦と結婚。その後金山の女性問題(河合美智子との不倫)が元で一時別居状態になるも復縁し、2001年3月19日、第一子となる女児を出産した。2013年7月に離婚を発表。2016年7月、一般男性と再婚した[4]

2017年1月末日で、デビュー以来30年以上所属した芸映を退社して独立する[5]

2009年、劇団アクターズ・マップの旗揚げ舞台公演「宇宙旅館」にて初演出も手がける。

2018年7月26日テレビ朝日スマートフォンデュ』にて約28年ぶりに歌番組出演。

エピソード

  • 風見しんごは小学校の先輩。
  • デビュー当初憧れていた芸能人は石野真子、松田聖子、真田広之。
  • 若手時代にレコード会社対抗の運動会に出場したが、運動音痴であったため1回出場して以来期待されなくなった[3]
  • 芸能界で一番嬉しかったことは仕事で何度も海外に連れて行ってもらったこと[3]
  • 1980年代、当時は新曲をリリースするサイクルが早かったため歌詞と降り付けを覚えるのに苦労したといい、先行予約を兼ねて販促イベントで日曜日にデパートの屋上でフルコーラス歌うのもプレッシャーとの戦いであった[3]。覚える暇がなかったため会場に来たファンの口元を見て後追いで歌うようなこともあった[3]
  • 1980年代はジャニーズ系のアイドルと共演しただけで女性アイドルは異性のファンから嫉妬されてバッシングを受けることがあったが、芳本は同性のファンばかりだったのでそうした経験はなかった。恋愛を疑われることとも芳本は無縁であった[3]

作品

  • シングルは1985年から1990年迄の間に19タイトルが発売され、オリコンチャートでは内5枚がベスト10入りした。最高位は「ヴァニティ・ナイト」の週間売り上げ5位。
  • アルバムは1985年から1989年迄の間にオリジナル盤が10枚、ライブ盤が1枚、ベスト盤は1986年-1989年に3枚と2003年に1枚がそれぞれ発売されている。オリコンチャートでは内1枚がベスト10入りした。最高位は「WING」の週間売り上げ10位。
    • テイチク所属の女性アイドルで1970年 - 1980年代にオリコンチャートでシングルベスト10に到達したのは高田みづえと芳本美代子の二人だけ。アルバムチャートでベスト10に到達したのは芳本美代子が唯一である[1]
  • TBSザ・ベストテンには1986年に2曲計2週チャートインした。最高位は「Auroraの少女」の8位。もう1曲チャートインしたのは「青い靴」の10位。紅白歌合戦の出場実績はない。
  • 当時、同じ事務所の石川秀美の妹分としてデビューした。

以前チャームポイントの八重歯を抜いて差し歯にした。

シングル

  1. 白いバスケット・シューズ(1985年3月21日) 作詞:松本隆 作曲:井上大輔 編曲:井上大輔・深町純
    (c/w) 海辺のテレフォン・ボックス
  2. プライベート・レッスン(1985年6月26日) 作詞:松本隆 作曲:井上大輔 編曲:中村哲
    (c/w) Endless Love Song
  3. 雨のハイスクール(1985年9月11日) 作詞:松本隆 作曲:財津和夫 編曲:大村雅朗
    (c/w) ワンサイデッド・ラヴ
  4. アプリコット・キッス(1985年12月4日) 作詞:松本隆 作曲:宮城伸一郎 編曲:佐藤準
    (c/w) 16才の場面
  5. 心の扉(1986年3月5日) 作詞:松本隆 作曲:財津和夫 編曲:萩田光雄
    (c/w) 哀しみのレイン
  6. 青い靴(1986年6月4日) 作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀
    (c/w) 天然色の夏
  7. Auroraの少女(1986年9月10日) 作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀
    (c/w) Feel So Fine
  8. 横顔のフィナーレ(1986年12月24日) 作詞:松本一起 作曲:難波弘之 編曲:大村雅朗
    (c/w) 悲しきチャーリー
  9. ヴァニティ・ナイト(1987年3月25日) 作詞:戸沢暢美 作曲:久保田利伸 編曲:大村雅朗
    (c/w) シャ・ラ・ラ
  10. 東京Sickness(1987年6月24日) 作詞:戸沢暢美 作曲:佐藤健 編曲:山川恵津子
    (c/w) It's a Wave
  11. Heroes(1987年9月16日)作詞:戸沢暢美 作曲:佐藤健 編曲:大村雅朗
    (c/w) 綺麗なブロークン・ハート
  12. 涙のイヤリング(1987年12月2日) 作詞:小林和子 作曲:和泉常寛 編曲:山川恵津子
    (c/w) 複雑なセレナーデ
  13. 恋するブランニュー・デー(1988年3月9日) 作詞:森雪之丞 作曲:和泉常寛 編曲:小林信吾
    (c/w) ハートのPuzzle
  14. センチメンタル・カーニバル(1988年6月15日) (あおい輝彦のカバー) 作詞:阿部敏郎 作曲:阿部敏郎 編曲:鷺巣詩郎
    (c/w) 太陽の密会
  15. サカナ跳ねた(1988年9月21日) 作詞:飛鳥涼 作曲:飛鳥涼 編曲:矢賀部竜成
    (c/w) 隠した Je taime
  16. 真冬のウサギ(1989年1月21日) 作詞:澤地隆 作曲:CHAGE 編曲:矢加部起成
    (c/w) You …
  17. BAD BOY…(1989年7月21日) 作詞:Steve Kipner・Shun Taguchi 作曲:Steve Kipner・Andy Goldmark 編曲:Steve Kipner・Steve Lindsey
    (c/w) TWO TO THE POWER OF LOVE
  18. 海(1990年5月1日) (サザンオールスターズのカバー)[1] 作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐 編曲:小林信吾
    (c/w) The Last Shadow Dance
  19. 愛しのバカヤロー(1990年9月21日) 作詞:田口俊 作曲:小林信吾 編曲:小林信吾
    (c/w) My (all in all)

アルバム

複数日付はアナログ媒体(LP・カセットテープ)/CDの各発売日。

  • SURF WIND(1985年7月5日/21日)
  • ミ・ヨ・コ Friendship Concert'85(1985年12月4日/16日) - ライブ
  • PARADISE PARK(1986年4月1日/21日)
  • MIYOKO WAVE(1986年7月21日) - 12インチ、ミニアルバム
  • WING(1986年10月1日)
  • Pisces(1986年12月16日) - ベスト
  • I'm the one(1987年7月21日)
  • YESTERDAY'S(1987年12月16日)
  • ベストコレクション(1988年3月21日) - ベスト
  • Miss Lonely Hearts(1988年10月21日)
  • Starry Night(1988年12月16日) - ピクチャーCD
  • ORIGINAL SUPER BEST(1989年3月21日) - 2枚組ベスト
  • Power Of Love(1989年8月1日)
  • MY(1990年10月21日)
  • コンプリート・80'Sシングルズ(2003年7月24日) - 2枚組ベスト

その他

映像作品

  • ミ・ヨ・コ Friendship Concert'85(1985年12月) - ライブ
  • EXPLOSION(1986年12月1日) - ライブ
  • アース・アーク・芸映フェスティバル 武道館が燃えた!(1987年1月25日) - 当時の芸映プロ所属タレント総出演のチャリティーイベントライブ
  • Landing Road(1987年)
  • 以下、イメージビデオ
    • ROMANCING(1988年3月25日) - 書籍扱い
    • White Whisper(1990年)
    • VIEW〜不思議ね〜(1992年3月23日)
    • アイドル黄金伝説 芳本美代子(2002年4月26日) - White WhisperのDVD化再発

出演

テレビドラマ(レギュラー出演)

テレビドラマ(ゲスト・単発出演)

映画

オリジナルビデオ

舞台

  • 阿国(1990年初演) - 第28回ゴールデン・アロー賞・演劇新人賞受賞[1]
  • 夏の夜の夢(1991年)
  • スライス・オブ・サタデーナイト(1992年、アトリエダンカン)
  • D・Live Rock To The Future(1996年 - 1997年、劇団新感線)
  • 髑髏城の七人(1997年、劇団新感線)
  • こどもの一生(1998年、G2プロデュース)
  • 検察側の証人(1999年、自転車キンクリートSTORE)
  • マクベス(1999年、自転車キンクリートSTORE)
  • ピーターパン(2001年 - 2002年、ホリプロダクション)
  • ジンジャーブレッド・レディ(2002年 - 2003年、博品館劇場)
  • 妄想ラジオ ぴんた&ぽんた(2008年7月、劇団アクターズマップ)
  • どんまいマインド(2008年10月 - 11月)
  • 死神の精度(2009年11月)
  • 軋み(2011年1月)

バラエティ番組

生活情報番組

  • 芳本美代子のワン・ラブショッピング(2010年10月 - 、全国系列ローカル局、独立U局、BS、CS)

通販情報番組

  • 野々村真・芳本美代子のフィットライフショッピング(2013年、ローカル局

ラジオ番組

ゲーム

CM

書籍

写真集

  • 芳本美代子ファースト(1985年7月5日初版)
  • 美代子(1986年3月1日初版)
  • 頬杖ついて(1987年3月10日初版)
  • Be My Lady(1987年10月24日初版)
  • 芳本美代子写真集 It's a beautiful memory(1988年4月5日初版)
  • Risky(1989年3月30日初版)
  • ESPER(1990年5月3日初版)
  • Why not!(1991年5月10日初版)
  • 檸檬(1995年10月10日初版)

エッセイ他

  • ミッチョン元気印!(1986年7月5日初版)
  • BIGアイドルカセットおしゃべり文庫 芳本美代子(1988年8月8日発行) - 書籍扱い

脚注

外部リンク