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ダイムラー(独: Daimler AG)は、ドイツ・シュトゥットガルトに本拠を置く、乗用車及び商用車の世界的メーカーであり、トラックの販売における世界最大手である。フランクフルト証券取引所上場企業(FWB: DAI)。
日本の三菱ふそうトラック・バスはダイムラーの傘下企業である。
Contents
概要
アメリカ合衆国の自動車会社クライスラーとの関係解消(後述)に伴い、2007年10月4日(現地時間)に旧社名であるダイムラー・クライスラー・アーゲー(DaimlerChrysler AG )から現社名に変更した。
同社の乗用車はメルセデス・ベンツ、スマート、フレイトライナー、その他のブランドで販売されている。また、子会社として三菱ふそうトラック・バスなどを所有している。
2000年には航空宇宙産業部門のダイムラー・クライスラー・エアロスペース(DASA)は分離、合併しEADSとなった。日本の三菱自動車工業や韓国の現代自動車とも提携していたが、巨額の損失による対アジア計画の見直しにより、2004年に現代自動車との提携を解消、2005年11月には三菱自動車工業との資本提携を解消した。2003年に三菱自動車工業から分離・独立した三菱ふそうトラック・バスとは資本提携を継続させ、後に連結子会社とした。
2018年には浙江吉利控股集団が、ダイムラーの株式9.6%を取得して最大の株主となった[1]
会社略歴
ダイムラー・ベンツ
1883年ドイツ人技術者のカール・ベンツがベンツ社(Benz & Cie )を創立、1900年にはドイツ人技術者のゴットリープ・ダイムラー、ヴィルヘルム・マイバッハらによりダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社(Daimler Motoren Gesellschaft, DMG)が設立された。1926年両社は合併しダイムラー・ベンツとなる。同社は「メルセデス・ベンツ」ブランドの自動車や、戦車用、船舶用、航空用エンジンなどのメーカーとして発展をとげた。
1959年にダイムラーベンツの筆頭株主フリードリヒ・フリックとドイツ銀行の後押しで経営危機にあったBMWの吸収合併を計画するも労働組合や個人株主などの反発で買収を断念し[2]、両社の大株主だったヘルベルト・クヴァントは自らBMWの救済に乗り出した。その後、クヴァントは保有していたダイムラーベンツの株式をクウェート投資庁に売却した。
クライスラーとの合併
1998年、当時のダイムラーベンツ会長であるユルゲン・シュレンプの主導により、ドイツのダイムラーベンツ・アーゲーとアメリカ合衆国のクライスラー・コーポレーションの事業結合契約に基づきダイムラー・クライスラーが誕生した。乗用車で6大グループの一角で、グループ総合での世界販売実績第6位、商用車においては世界最大のメーカーであった。2007年のクライスラー部門売却まで、アメリカ・ミシガン州オーバーンヒルズとドイツ南部のシュトゥットガルトに本社を置いていた(登記上の本社はシュトゥットガルト)。
一部車種では部品共用や兄弟車関係が行われ、一例としてクライスラー・300にはメルセデス・ベンツ・Eクラスのコンポーネンツが用いられ、メルセデス・ベンツ・Rクラスはクライスラー・パシフィカの兄弟車である。
合併から解消へ至る経緯
ダイムラー・ベンツとクライスラーの経営方針や技術思想にあまりにも違いがあったため、協業開始時から「ドイツとアメリカが手を組めるはずがない」などと陰口も叩かれており、互いに相手との違いを尊重しあう両社の姿勢が協業を継続させる鍵と見られていた。結局両部門が揃って好業績をあげたのは初年度だけで、クライスラー部門の北米不振はついに解消されず、2007年5月14日、ダイムラー・クライスラーはクライスラー部門を米投資会社サーベラスへ売却することを発表、同年8月3日、ダイムラー・クライスラーは、クライスラー部門の資産管理を行う持株会社「クライスラー(Chrysler LLC )」を設立し、その株式の80.1%を55億ユーロでサーベラスに売却、かつては「世紀の合併」といわれたダイムラーとクライスラーの協業体制は約9年で解消されることとなった。イギリスのBBCは、「不幸な結婚は終了することになった」と報じた。同年10月4日の株主総会によって、社名をダイムラー・クライスラーから現社名に変更した。なお、協業解消後もダイムラーからクライスラーへの出資(所有比率19.9%)、および業務上の提携関係は継続した。2009年4月27日、残りの株式をサーベラスに譲渡するとともにクライスラー向け債権15億ドルを放棄すること、3年間にわたり年間2億ドル(計6億ドル)をクライスラーの年金基金に拠出することで、サーベラスおよびアメリカ年金給付保証公社(PBGC)と合意した。2009年4月30日、クライスラーは連邦倒産法第11章の適用を申請して倒産。クライスラーは、アメリカとカナダ両政府から総額100億ドルの公的資金と、フィアットからの技術支援・人材支援を得て経営再建を目指すことになった。
“ダイムラーベンツ”から“ダイムラー”へ
2007年のクライスラー部門パージの際、ダイムラー・クライスラーはかつての社名である“ダイムラーベンツ”では無く“ダイムラー”と改名した。同時に高級車部門は“メルセデス・ベンツ・カーズ”、バン部門は“メルセデス・ベンツ・バンズ”、系列企業であるダイムラークライスラー銀行は“メルセデス・ベンツ銀行”に改名された。
2018年2月、長らく筆頭株主だったクウェート投資庁に代わり[3]、中国の浙江吉利控股集団が筆頭株主となったことが発表された[4]。
株主構成
地域別の保有割合(2012年8月31日時点)[5]
- 35.0% ヨーロッパ諸国(ドイツ以外)
- 32.8% ドイツ
- 18.1% アメリカ
- 7.6% クウェート
- 3.1% アラブ首長国連邦
- 3.1% アジア諸国
- 0.3% その他
ブランド一覧
- Daimler Cars
- Mercedes-Benz Cars(メルセデス・ベンツ・カーズ)
- Daimler Trucks(ダイムラー・トラックス)
- Mercedes-Benz Vans(メルセデス・ベンツ・バンズ)
- Daimler Buses(ダイムラー・バスズ)
- Daimler Financial Services(ダイムラー・ファイナンシャル・サービス)
- Mercedes-Benz Bank(メルセデス・ベンツ銀行)
- Mercedes-Benz Financial(メルセデス・ベンツ・ファイナンシャル)
- Daimler Truck Financial(ダイムラー・トラック・ファイナンシャル)
日本法人
完全子会社としてメルセデス・ベンツ日本株式会社(MBJ)がある。MBJは、ダイムラーJが持ち株会社として事業経営・財務管理・実務(自動車輸入・販売およびサービス)を担当している。所在地は東京都港区品川。現代表者は上野金太郎(代表取締役兼CEO)[6]。かつては事業経営・財務管理に関してはダイムラー日本株式会社が担当していたものの、現在はMBJに吸収された。 輸入拠点は茨城県日立市の茨城港日立港区であり、常磐自動車道日立南太田ICそばに新車整備センター(VPC)がある。車両はここで品質検査、納車整備などを経て出荷されている。 2010年3月までは愛知県豊橋市にもVPCを設けていたが、日立に集約・統合した。その後、東日本大震災の影響により、一時的ではあったが再び愛知県豊橋市でのVPC業務を復活させた。現在、旧豊橋VPCはFCAジャパンが使用しているが、2014年8月頃に再び豊橋に新VPCを設置する事を表明した。前述の東日本大震災において日立VPCが壊滅的な被害を受けた事によるリスク分散という効果が期待できる。豊橋VPCも含めた三河湾の規制緩和により、日本全国のナンバープレートの封印取り付けが可能な制度によって豊橋VPCから直接納車が可能となる「デリバリーコーナー」が設けられた。
- 両社の略史
1986年 メルセデス・ベンツ日本株式会社が設立。(当時はまだクライスラーとの合併前)
1999年 ダイムラー・クライスラー誕生に合わせ、ダイムラー・クライスラー日本ホールディングス株式会社が設立。Mベンツ日本はクライスラージャパンセールス株式会社と統合、ダイムラー・クライスラー日本株式会社(略称DCJ)が誕生する。
2007年 ダイムラー・クライスラー本社が会社分割を実施した事を受け、ダイムラー・クライスラー日本ホールディングスがダイムラー日本株式会社に、ダイムラー・クライスラー日本がメルセデス・ベンツ日本株式会社に改名した。
- この改名により、DCJ社は合併前の旧社名(MBJ)を9年ぶりに復活させることとなった。社長及び所在地は継続され、MBJ社となった現在に至る。
- 補足
2007年に分割されたクライスラーの日本法人は、MBJの子会社という形でクライスラー日本(現・FCAジャパン)株式会社として分離設立された。設立当時の社長は旧DCJクライスラーブランドの責任者であったクリストファー・エリス[9] 所在地は東京都港区台場[10]。
日本での主な関連会社
- 三菱ふそうトラック・バス株式会社 (資本比率89.29%)
関連項目
脚注
- ↑ 中国吉利、ダイムラーの筆頭株主に…全株式の9.69%を取得 Response 2018年2月15日
- ↑ 吉森賢『ドイツ同族大企業』274頁 NTT出版 2015年
- ↑ “Daimler and the Kuwait Investment Authority celebrate the anniversary of their 40-year partnership” (2014年9月18日). . 2018閲覧.
- ↑ “中国・吉利、ダイムラー株1割取得 筆頭株主に” (2018年2月24日). . 2018閲覧.
- ↑ “Shareholder Structure”. Daimler AG. . 2012閲覧.
- ↑ DCJ時代から社長兼CEOを担当していたハンス・テンペルは2010年4月1日付でオーストラリアにある「メルセデス・ベンツ オーストラリア・パシフィック」の社長に就任した。
- ↑ この頃はダッジブランドのバイパーも輸入していた。(現在は輸入していない)
- ↑ 一例として、スマートのリアウインドの左下には灰色地「DaimlerChrysler Japan」と書かれたステッカーが貼られていた。
- ↑ 2009年7月にMBJからの出向社員として七五三木敏幸が新社長に就任。エリスはジープのラングラー・チェロキー商品開発責任者として就任する為に米国に帰国した。
- ↑ その後は2013年7月1日にフィアット・クライスラージャパンの設立に伴い、所在地を東京都港区芝に移転し、社長並びにCEOはフィアットからの出向社員としてポンタス・ヘグストロムが就任。七五三木は営業本部長を経験した後にポルシェジャパンの代表取締役社長に就任した。ちなみに現在の本社は、クライスラーのかつての提携先でもあった三菱自動車本社の近くに所在している。