フィアット
フィアット(伊: FIAT S.p.A.)は、イタリアの自動車メーカーである。現在は、持株会社であるフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)の一部門を構成する。
概要
社名のFIATとはFabbrica Italiana Automobili Torinoの頭文字を取ったものである[1]。「トリノのイタリア自動車製造所」の意味。トリノ市のリンゴット地区に本拠を置くことから、フィアット本社工場と「リンゴット」はしばしば同義とされる。
「フィアット、陸に、海に、空に」のスローガンの元、自動車のみならず、自動車関連業、鉄道車両[2]や船舶、航空機の製造などのイタリアにおける産業分野全般を掌握し、マスコミュニケーション、金融等にも進出している。
このことから、イタリアのみならずヨーロッパにおいても大きな影響力を持つ。かつては「フランスはルノーを持っているが、フィアットはイタリアを持っている」とまで評された。
イタリア証券取引所に株式を上場している。2007年までニューヨーク証券取引所(コード:FIA)にも上場していた。創業グループの1人のジョヴァンニ・アニェッリを継ぐアニエッリ家が大株主となり代々経営を行っている。
歴史
創業
ジョヴァンニ・アニェッリらイタリア北部の数人の実業家の出資によって、1899年にトリノで創業された。同年には最初の自動車を発売した。その後1902年にはアニェッリがフィアットの社長となった。1908年には最初の航空機エンジンを開発した。
イタリア最大の自動車会社
第一次世界大戦中にフィアットはイタリア北部の工業都市トリノにある工場をフル操業して、連合国軍の1国であるイタリア軍に軍需製品を供給した。路面電車、航空機、鉄道列車、トラクター、ディーゼルエンジンなどの生産で当時3万人以上の労働者を雇用していた。
第一次世界大戦後にはミッレミリアなどのレースでも活躍したほか、フォーミュラーレースにも参戦してアルファロメオやブガッティなどと覇を競った。その後「トッポリーノ」こと初代「500」などの大ヒットモデルを出したほか、高級車部門にも進出した。
また国外進出に意欲的で、第一次世界大戦後には日本やアメリカ、満州国などへの輸出を拡大したほか、1934年にはフランスにシムカを設立させたほか、ドイツでは1932年にNSUの自動車部門を買収し、「NSUフィアット」とした。
第二次世界大戦前後
イタリアが1940年から参戦した第二次世界大戦では、各種軍用車を生産するほか、航空機などを生産したが、イタリアは1943年に連合軍に降伏し、さらにその後も本社のあるトリノなど北部がドイツ軍の占領下におかれたため、生産が停止したばかりか工場が連合国軍機の爆撃を受けるなどの損害を被った。
さらに第二次世界大戦終戦直後の1945年12月にジョヴァンニ・アニェッリが死去したが、その後はヴィットリオ・ヴァレッタが経営を行い、イタリアが戦災から復興し1950年代から1960年代にかけて「イタリアの奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げ、「アウトストラーダ」の拡張や自家用車の普及が進む中で「500」(ヌォーヴァ)や「600」などのヒットモデルを送り出した。
海外進出
なお戦後になっても海外進出には積極的で、1950年にスペインでセアト(現在はフォルクスワーゲングループ)を設立し、1968年にはトルコでトファシュを設立している。さらに南アメリカではアルゼンチンに進出した他、1970年代にはブラジルでも生産を始めた。
また、イタリアが冷戦下において共産党を含む左翼陣営が勢力を持っていたこともあり、他の西側諸国が進出を躊躇していた東欧圏への進出を進めた。ソビエト連邦にプラントを輸出し、1970年にアフトヴァースが、元イタリア共産党書記長のパルミーロ・トリアッティの名を冠したトリヤッチ市に建設された工場で「ジグリ(輸出名『ラーダ』)」の生産を開始した。
また、1930年代から生産していたポーランド(ポルスキ・フィアット)での生産を1965年より再開したほか、ユーゴスラビア(ザスタバ)にも進出した。
買収攻勢
1966年に、ヴィットリオ・ヴァレッタから、ジョヴァンニ・アニェッリの孫のジャンニ・アニェッリ(ジャンニは愛称、本名は祖父と同じジョヴァンニ)が経営を引き継いだ。
ジャンニ・アニェッリが経営を引き継いだ1960年代後半から1980年代にかけては、「アウトビアンキ」(1968年)や「フェラーリ」(1969年)、「アバルト」(1971年)のほか、経営不振に陥っていた高級車メーカーの「ランチア」を1969年に買収した。さらに、国営化されて以降高コスト体制と品質問題による販売不振から経営苦境に陥っていた「アルファロメオ」を1986年に傘下に収め、イタリアの自動車業界を事実上独占することになる。
さらに、オートバイ及び小型車メーカーの「ピアッジオ」を1964年に買収したほか、電装部品メーカーの「マニエッティ・マレリ」を1967年に買収した。また、商用車部門として「イヴェコ」を1975年に創立した。
経営不振
この間、フィアットは石油ショックや、その前後の左翼勢力による慢性的な労働争議により経営が不安定化し、1974年から1978年まで新型車の発表がなかった。
しかしリビアの元首であるカダフィ大佐からの融資を受け入れ、その後1980年代始めに発売された、斬新な設計の小型車「パンダ」と「ウーノ」の成功で窮地を脱した他、1988年にはエンツォ・フェラーリ亡き後のフェラーリを完全子会社化した。その際、レイオフ(一時解雇)された従業員を呼び戻し、同じ経営不振のルノーを買収する噂も流れ、実際にフランスではエイプリルフールに、買収のウソのニュースが流されたほどであった。
しかし実際は、政府の要請で買収したアルファロメオの経営立て直しに多額の資金を費やさざるを得なかったことや、労働争議により経営状態は安定せず、イタリア政府による日本車の輸入規制や、レイオフした社員を政府による救済機関で引き取ってもらうなどの措置に助けられている状況であった。
1990年代は「ブラーボ/ブラーバ」とジョルジェット・ジウジアーロのデザインした初代プントがヨーロッパで大ヒットし、かろうじてその屋台骨を支えたが、その後も欧州連合発足後のイタリアにおける日本車の輸入規制撤廃による競争激化などを受けて、不安定な経営状況が続いた。
経営建て直し
2000年より自動車部門でゼネラルモーターズと提携していたが、経営状況が悪化したフィアットとの提携を進めることを躊躇したゼネラルモーターズ側が、2005年に一方的に提携を解消、買収契約に関する違約金、15.5億ユーロをゼネラルモーターズから得た。
その後は、傘下のフェラーリおよびマセラティの経営を立て直したルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ会長、およびセルジオ・マルキオンネCEOのもと、ゼネラルモーターズから得た違約金を原資に、経営の建て直しをはじめた。
その様な中でもアニェッリ一族による経営が基本にあり、2005年にはジャンニ・アニェッリの孫のジョン・エルカーンがフィアットの取締役に、その弟のラポ・エルカーンがブランドマーケティング担当部長に就任し、過去に使用していたロゴマークを復活させ、ロゴを入れたアパレルなどを展開し、世界的に大ヒットさせた。なお、長い歴史を持つフィアットは、社名ロゴと車両オーナメントの変更が多いことでも知られている[3]。
また、経営建て直しの一環として、モンテゼーモロ会長の指揮のもと、2005年に相次いで3つの新型車を発表している。まず、導入が待たれていた新Dセグメントモデルを、かつて使用していた車名、「クロマ」の名で発表。ワゴン風の5ドアボディとなっている。続いて7月28日、フィアット社はプントの第3世代「グランデプント」を発表した。実際に全長が4mを超える、「グランデ」(大きい)サイズだが、それ以上に大きな命運がこの車種に懸かっているとされ、実際同モデルはその後2006年1月のヨーロッパ市場における販売台数1位になるなど、フィアット建て直しのシンボルとなった。
さらに12月11日にはスズキとの共同開発による小型クロスオーバーSUV「セディチ(16、4×4=16から)」を発表。これらはいずれもジョルジェット・ジウジアーロとの協力でデザインされたものである。
復活
その様な中、1979年のデビュー以来根強い人気に支えられてきたパンダの後継であるニューパンダが2004年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
その後、積極的な新車攻勢と、ラポ・エルカーンが主導するブランドイメージの復活を受けて販売台数が増加し、2005年11月には単月黒字を計上したほか、その後も単月黒字を連続して達成。その他にもクロマの予想を上回る販売台数を得た他、グランデプントが2006年1月のヨーロッパ市場における販売台数1位になる。2006年第三四半期の販売台数も、ルノーやプジョーなどのライバルが前年比割れになる中、前年比増になるなど長年の低迷から完全に復活したとの評価を受けた上に、自らも「復活宣言」を行った。
2007年にはグランデプントベースのセダン「リネア」、大失敗に終わったスティーロの後継車種「ブラーボ」(これまたかつての車名が復活)、往年のヒット作である「500」の新型をデビューさせ、同車種はヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。さらには「アバルト」ブランドを復活した。
クライスラーとの提携
2009年1月には、サーベラス・キャピタル・マネジメント傘下で経営再建を目指しているクライスラーに資本参加し、35%の株式を取得する資本提携合意を発表した。フィアットは、クライスラーが北アメリカ市場で燃費性能の高いコンパクトカーを生産するための技術などを提供すると同時に、北アメリカ市場以外におけるクライスラー車の販売でも協力することを表明した。
これを受けて「クライスラー・300」が「ランチア・テーマ」として、「ダッジ・ジャーニー」が「フィアット・フリーモント」としてイタリアをはじめとしたヨーロッパ市場で販売されたほか、「500」がアメリカ市場で販売されることになった。
2010年4月21日、フィアットは産業機械および商用車部門を分離すると発表[4][5]。翌2011年1月1日にCNHグローバルやイヴェコなどを統括する持株会社であるフィアット・インダストリアルが設立された[6]。
2012年5月23日にマツダと業務提携を発表。マツダ・ロードスターの4代目モデルをベースとした新車を、アルファロメオのブランドで販売する計画を発表した。生産はマツダが担当する[7]。その後、アルファロメオではなくフィアットから124スパイダーとして販売されることが発表された。
FCA
2014年1月には、クライスラーを完全子会社化すると発表し[8]、同年10月12日に合併、新たに設立された持株会社「フィアット・クライスラー・オートモービルズ」(FCA)の傘下にフィアットとクライスラー両社が置かれる企業形態となり、トヨタ自動車やフォルクスワーゲン、ルノーやゼネラルモーターズなどに次ぐ規模の自動車グループとなった。
翌13日にはニューヨーク証券取引所での取引を開始した[9]。またその後フェラーリをFCAより分社化するとともに上場させたが、現在もマルキオンネ会長がフェラーリの会長を兼任し、マセラティへのエンジン供給を行うなど密接な関係を保っている。
また上場以降は、アルファロメオやアバルト、ジープなどの高付加価値ブランドの車種展開の積極化を行うことで、収益の向上を図っている。しかしながら、同時にグループ内の経営効率化を受けて、老舗ブランドのランチアの展開縮小が進められている。
事業内容
事業買収を長年続けてきた結果、フィアットの事業分野は自動車製造やエンジン製造、造船業などを始めとする製造業、農業、金融と多岐に及ぶ。イタリアの各種製造業の多くがフィアットグループに属するためその影響は大きい。
自動車
フィアットグループオートモービルズ(Fiat Group Automobiles S.p.A)は、2007年、フィアットグループ内における自動車関連事業を再構成する目的で設立された会社である。同社は以下の会社を包括している。
- フィアット・オートモービルズ(Fiat Automobiles S.p.A.) - フィアットブランド車の製造・販売
- フィアット・プロフェッショナル(Fiat Professional) - フィアットブランド車のうち、小型商用車を担当
- アルファロメオ・オートモービルズ(Alfa Romeo Automobiles S.p.A.) - アルファロメオブランド車の製造・販売
- ランチア・オートモービルズ(lancia Automobiles S.p.A.) - ランチアブランド車の製造・販売
- マセラティ(Maserati S.p.A.) - 1997年以降フェラーリの子会社であったが、2005年にアルファロメオオートモービルズと合併
- アバルト&C(Abarth & C. S.p.A.) - アバルトブランド車の管理
- フェラーリ - フィアットグループにより過半数株が所有されている
フィアットブランド車種一覧
現行
- 500
- 500L(派生車種含む)
- 500X
- パンダ (Panda)
- ウーノ (2代目Uno)
- ティーポ (Tipo)
- イデア (Idea)
- プント (Punto)
- リネア (Linea)
- ブラーボ (Bravo)
- パリオ(Palio)
- シエナ(Siena)
- ストラーダ(Strada)
- フルバック(Fullback) - 三菱・トライトンのOEM
- フリーモント(Freemont) - ダッジ・ジャーニーのOEM
- フィオリーノ(Fiorino)
- ドブロ(Doblò)
- スクード(Scudo)
- デュカート(Ducato)
- 124スパイダー (124Spider) - ND型マツダ・ロードスターの兄弟車。日本のマツダの工場で生産されるが、日本ではアバルトによってチューンアップされたアバルト・124スパイダーしか発売されない。
生産終了
- 500(チンクェチェント) (初代及び2代目Cinquecento)
- 600(セイチェント) (初代Seicento)
- ムルティプラ
- 1100
- 1300/1500
- 1800/2100/2300
- 1200/1500/1600カブリオレ
- 850 (850)
- 850スパイダー (850)
- ディーノ (Dino)
- 124 (124)
- 125 (125)
- 126 (126)
- 127 (127)
- 128 (128)
- 130 (130)
- 131 (131)
- フィアット・132/アルジェンタ (元132 - 1981年にアルジェンタへ改名)
- X1/9 (X1/9)
- リトモ (Ritmo)
- ウーノ (初代Uno)
- クロマ (初代及び2代目Croma)
- テムプラ (Tempra)
- ブラーボ/ブラーヴァ (初代Bravo/Brava)
- マレア(Marea)
- スティーロ(Stilo)
- クーペ・フィアット (Coupe Fiat)
- バルケッタ (Barchetta)
- ウリッセ(Ulysse)
- セディチ (Sedici) - スズキ・SX4のOEM
フィアット車を生産している企業
- セアト - スペインで1963年から1980年まで、フィアットとの資本・技術提携でフィアット車のライセンス生産を行っていた。その後はフィアットとの法廷闘争を経てパンダの継続生産権を得、1993年以降はフォルクスワーゲングループのアウディブランドの一部門となっている。
- ザスタバ - セルビアでフィアット車のライセンス生産を行っていた。2008年にフィアットが買収。
- トファシュ - トルコでフィアット車などのライセンス生産を行っている。
- 南京汽車 - 中華人民共和国でフィアット車、イヴェコ車を合弁生産していた。
- 平和自動車 - 北朝鮮でフィアット車をノックダウン生産している。
モータースポーツ
フィアットは第一次世界大戦後より「ミッレミリア」をはじめとするモータースポーツに参戦している。また、世界ラリー選手権(WRC)には早期から参戦しており、1970年代はグループ4マシンの「124アバルトラリー」、「131アバルトラリー」で活躍をした。特に131アバルトラリーはマニファクチャラーズ部門を3度、ドライバー部門を2度制覇しWRCで最も活躍したFR車となった。
1980年代からはグループ会社のランチアのグループB及びグループA車両で参戦して好成績を残し、特にデルタで6連覇を果たした1987年〜1993年にかけては常勝ともいえる活躍をしていた。
近年は経営悪化もあって活動を潜めていたが、プントでJWRCに継続的に参戦。2006年から本格的にシリーズ化されたS2000クラスにグランデ・プントで参戦しヨーロッパ選手権、イタリア選手権を制覇し、アバルトブランドを復活させた。2007年からはIRC(インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ)に参戦。2007年から2009年まで6勝するも、タイトルを獲得したプジョー、シュコダには届かず苦戦を強いられている。
また、2007年から2010年までの間、ロードレース世界選手権MotoGPクラスにおいてヤマハチームのスポンサーとなった。自動車会社が資本関係のない他の自動車会社のスポンサーとなるケースはトラック業界等を除くと数少ないが、チームにフィアットと資本関係のあるフェラーリへの去就が噂されていたバレンティーノ・ロッシ選手がいたことが関係していると見られている。最終的にヤマハへのスポンサーシップを終了した理由も、明らかにはされていないものの、ロッシが翌年ドゥカティへ移籍することになった事が大きな理由であると言われている。
業務用車輌
「イヴェコ」ブランドなどで生産されているトラックや バス、建設機械やトラクターなどの農業機械などの事業は2011年に分社化されて「フィアット・インダストリアル」となった。
なお、かつてはフィアットは、トラクターメーカーとしても知られていた。1919年、最初のトラクター702型の発売を皮切りに、フィアットは農業機械部門に進出した。 1971年にランボルギーニグループから、「ランボルギーニ・トラットリーチ」(農業機械部門)の全株式を取得。
1984年には農業機械部門を「フィアットアグリ」として分社化、1988年には建設機械部門も統合し「フィアットジオテック」と改称。1991年にフォード・ニューホランドを買収、「ニューホランド・ジオテック」と改称する。
その後、1999年にはケースIHを買収し「CNHグローバル」と改称した。現在では、CNHグローバルの有するケースIH、ニューホランドブランドのトラクターが世界中で発売されている。
自動車部品
航空機
かつてフィアットは航空機及び飛行機エンジンのメーカーとしても名を馳せていた。特に軍用機の分野では様々な用途の機種を開発、生産していた。
第一次世界大戦後、フィアットはポミリオやアンサルドといった小規模な航空機メーカーを吸収し、1930年代にはフィアット CR.32やフィアット CR.42といった有名な複葉戦闘機を世に送り出した。第二次世界大戦では、ダイムラー・ベンツ製のエンジンを搭載した戦闘機フィアット G.55、優れたデザインの爆撃機フィアット BR.20などをイタリア空軍に提供した。さらに、イタリア軍向けにフィアット レベリM1935重機関銃など機関銃を製造していた。
1950年代、NATO加盟国で共通の軽戦闘爆撃機を装備する計画が持ち上がり、フィアット G.91が設計された。その後、航空機開発部門はアエリタリアを設立するためにアエルフェールと合併した。G.91の生産もアエリタリアが引き継いだため、アエリタリア G.91と呼ばれている。
新聞社
トリノ市の有力紙「ラ・スタンパ (La Stampa)」などの各種マスコミもフィアットグループに属する。また、ジョン・エルカーンが取締会のメンバーを務める「コリエーレ・デラ・セラ」も影響下にあるとされる。
サッカークラブ
イタリアサッカー1部リーグセリエAの強豪ユヴェントスは、フィアットのオーナー一族であるアニエッリ家が設立し、現在も同家がオーナーとしてその資金・運営においてバックアップしている。そのため、ユヴェントスの選手たちはフィアットグループの車に乗っている。現在の胸スポンサーはフィアット傘下のブランド「ジープ」。
日本での歴史
1990年代まで
第一次世界大戦後より日本への乗用車の輸出を始め、大倉喜七郎率いる日本自動車や、ヤナセが正規輸入販売代理店となり「509トルペード」や「1500ベルリーナ」などの中型車を販売していた。その後1930年代に入ると満州国への輸出も行っていた。1938年(昭和13年)には大日本帝国陸軍がイ式重爆撃機を輸入して使用していた。
第二次世界大戦後も乗用車の輸入が行われていたが、いくつかの変遷を経て1980年代に入ると、ジヤクス・カーセールス、チェッカーモータース、サミットモータース(住友商事)が正規輸入販売代理店となり、フィアットのみならず、「アバルト」ブランドの車種も輸入販売された。
なおアルファロメオの輸入販売は、イタリア本社の民営化など様々な要素から正規輸入販売代理店が変わり、その中で1980年代中盤には日本国内での正規輸入販売代理店がなくなり、輸入販売が中断することとなった。しかし1988年に大沢商会が正規輸入販売代理店となったことで輸入販売が再開された。
フィアットとアルファロメオ、ランチア
1990年代以降は地場資本の企業による輸入販売をやめ、当時他の欧米の自動車会社でも積極的に行われていたように自社の日本法人を設立して、自前での輸入販売への切り替えを進めた。
1990年4月より、フィアットグループオートモービルズは日本法人「アルファロメオジャパン」を設立、アルファロメオ車を販売するディーラー網「アレーゼ」の整備を始めた。同年11月にはアレーゼにおいてフィアット車の取り扱いも開始し、社名を「フィアットアンドアルファロメオモータスジャパン」へと改称した。
さらに1997年の「フィアットオートジャパン」への改称を経て、2007年8月より「フィアットグループオートモービルズジャパン」として、フィアット、アルファロメオおよびアバルト・ブランド車の輸入・販売を行っている。ディーラー網の名称は、2003年以降アレーゼから「アルファロメオ」へと変更され、更に「フィアット」「アバルト」が追加されている。
1990年代前半までは、マツダ系列の「オートザム」でも取り扱われていたランチアの正規輸入は現在行われていないが、ガレージ伊太利屋が並行輸入し販売を行っている。
クライスラー日本との統合
2012年7月1日に、「フィアットグループオートモービルズジャパン」はクライスラーの日本法人でもあり、「メルセデス・ベンツ日本」[10]の子会社でもあった「クライスラー日本」と業務統合し「フィアットクライスラージャパン(FCJ)」を発足させた[11]。
なお、「フィアット・クライスラージャパン」は法人名称ではなく、登記上は別々に存続していた「フィアットグループオートモービルズジャパン」と「クライスラー日本」を一括した呼称としていた。そして2015年1月1日、「フィアットグループオートモービルズジャパン」と「クライスラー日本」の両法人は正式に合併し、社名を「FCAジャパン株式会社」(FCA Japan Ltd.、略称:FCAJ)に変更[12]。
販売網の再編成
2016年からは、フィアット・クライスラーのそれぞれの部門で、正規ディーラー網の再編成が行われている。2016年4月1日に、全国の「クライスラー・ジープ」店の名称を「ジープ(+地名)」に変更。同年10月より新CIによる統一店舗デザインが導入される[13]。
2016年7月1日から、フィアット正規ディーラーでアバルトブランド全車の取り扱い及びサポートを開始。合わせて、ディーラー名をフィアット/アバルト(+地名)に変更した[14]。2017年より、アルファロメオを新CIの専売店舗で販売する体制を開始[15]。アルファロメオの販売をフィアット/アバルトとの併売体制から切り離し専売制へと移行する。
フェラーリとマセラティ
フェラーリとマセラティは、長年正規輸入販売代理店を経由しての輸入販売が行われていたが、同じく日本法人による輸入販売に切り替えられた。現在フェラーリは2008年に設立された日本法人のフェラーリ・ジャパンが輸入し、「コーンズ・モーターズ」や「ロッソ・スクーデリア」など8社の正規販売代理店が販売している。マセラティは2010年4月に設立された日本法人のマセラティ・ジャパンが輸入し、全国の正規販売代理店が販売を行っている。
ニューホランドとケースIH
かつてはクボタがフィアットブランドのトラクターを輸入していたが、現在は傘下の「ニューホランド」と「ケースIH」のトラクターが、日本法人の日本ニューホランドおよび三菱農機によって輸入されている。
その他
脚注
- ↑ 『カーグラフィック』2013年5月号「昂ぶるトリノ フィアット・グループのいま」より
- ↑ 鉄道車両部門のFIAT Ferroviariaは2000年にアルストム・トランスポール社に買収された。
- ↑ ロゴとオーナメントの変遷
- ↑ “伊フィアット、自動車部門と産業機械・商用車部門を分離”. ロイター (2010年4月23日). . 2013閲覧.
- ↑ 大矢アキオ (2010年4月23日). “フィアットがトラック&トラクター部門を分離”. Response.. . 2013閲覧.
- ↑ “FIAT Industrial - FAQs The Group”. フィアット・インダストリアル. . 2013閲覧.
- ↑ マツダ、フィアットと協業プログラムを発表 (PDF) - 2012年5月23日 マツダ株式会社 フィアットグループオートモービルズ
- ↑ フィアット、クライスラーを統合 ホンダ超え世界7位に 朝日新聞 2014年1月2日
- ↑ 新生フィアット・クライスラー、13日にNY市場に上場 - THE WALL STREET JOURNAL 2014年10月10日
- ↑ ダイムラーとクライスラーの協業が解消されたものの、日本では小規模ながらもメルセデス・ベンツ日本がクライスラー日本の経営に携わっていたことから
- ↑ 「フィアット クライスラー ジャパン」が7月1日より始動 7月9日より本社機能を統合移転
- ↑ 「FCAジャパン株式会社」2015年1月1日誕生! - FCAジャパン 2015年1月1日
- ↑ ジープの新CIを導入する第一号店「ジープ福岡西」グランドオープン - FCAジャパン 2016年9月23日
- ↑ フィアット正規ディーラーにてアバルトの販売を開始 - FCAジャパン 2016年6月30日
- ↑ アルファロメオ専売の正規ディーラー網を全国に構築 - FCAジャパン 2016年10月14日
- ↑ 参考リンク
関連項目
- リンゴット - フィアットのかつての生産拠点