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ペスト(ドイツ語: Pest, 英語: plague)とは、ヒトの体にペスト菌(Yersinia pestis 腸内細菌科 通性嫌気性/グラム陰性/無芽胞桿菌)が感染することにより発症する感染症(伝染病)である。黒死病(英語: Black Death, ドイツ語: Schwarzer Tod)とも。
Contents
疫学
日本では感染症法により一類感染症に指定されている。ペストは元々齧歯類(特にクマネズミ)に流行した病気で、人間に先立ってネズミなどの間に流行が見られることが多い。
ノミ(特にケオプスネズミノミ)がそうしたネズミの血を吸い、次いで人が血を吸われた結果、その刺し口から菌が侵入したり、感染者の血痰などに含まれる菌を吸い込んだりすることで感染する。人間、齧歯類以外に、猿、兎、猫などにも感染する。
かつては高い致死性を持っていたことや罹患すると皮膚が黒くなることから黒死病と呼ばれ、恐れられた。世界史に数次の全地球規模の流行が記録されており、特に14世紀の大流行は、世界人口を4億5000万人から3億5000万人にまで減少させた[1]。
1990年代
WHOの報告によれば、1991年以降ヒトペストは増加し 1996年の患者3,017人(うち死亡205人)、1997年には患者5,419人(うち死亡274人)であった。ただし、WHOに報告された人のペスト患者数は、概して、実際の患者数よりも低かった。
汚染地域とされるのは、
- アフリカの山岳地帯および密林地帯
- 東南アジアのヒマラヤ山脈周辺ならびに熱帯森林地帯
- 中国、モンゴルの亜熱帯草原地域
- アラビアからカスピ海北西部
- 北米南西部ロッキー山脈周辺
- 南米北西部のアンデス山脈周辺ならびに密林地帯
などである。
2000年代
WHOの報告によれば、2004年から2009年までの間の世界全体の患者数は12,503人。うち、死亡者はアフリカ、アジア、アメリカの16ヶ国から843人。調査の期間、毎年ペスト患者が報告されていた国は、コンゴ民主共和国、マダガスカル、ペルー、アメリカ合衆国の4か国。ただし、世界各国からWHOに報告された人のペスト患者数は、概して、実際の患者数よりも低かったものとみられる。全世界での平均発生数は、依然として発生する地域的なアウトブレイクによる増減は見られるものの、1998年以降、大きな変化はない[2]。
症状と病型
多くの場合の潜伏期間は 2 - 7日で、全身の倦怠感に始まって寒気がし、39 ℃~40 ℃の高熱が出る。その後、ペスト菌の感染の仕方と症状の出方によって腺ペスト、肺ペストなどに分けられる。
次のような病型に分類されている。
腺ペスト
リンパ節が冒されるのでこの名がある。ペストの中で最も頻度の高い病型。ペストに感染したネズミから吸血したノミに刺された場合、まず刺された付近のリンパ節が腫れ、ついで腋下や鼠頸部のリンパ節が腫れて痛む。リンパ節はしばしばこぶし大にまで腫れ上がる。ペスト菌が肝臓や脾臓でも繁殖して毒素を生産するので、その毒素によって意識が混濁し心臓が衰弱して、治療しなければ数日で死亡する。
- 皮膚ペスト・眼ペスト
ノミに刺された皮膚や眼にペスト菌が感染し、膿疱や潰瘍をつくる。
敗血症
1割がこのタイプとされ、局所症状を呈しないままペスト菌が血液によって全身にまわり敗血症を起こすと、急激なショック症状、昏睡、皮膚のあちこちに出血斑ができて、手足の壊死を起こし全身が黒いあざだらけになって死亡する。別名黒死病。
肺ペスト
腺ペストの流行が続いた後に起こりやすいが、時に単独発生することもある。かなり稀な病型。腺ペストを発症している人が二次的に肺に菌が回って発病し、又はその患者の咳やくしゃみによって飛散したペスト菌を吸い込んで発病する。頭痛や40 ℃程度の発熱、下痢、気管支炎や肺炎により呼吸困難、血痰を伴う肺炎となる。呼吸困難となり治療しなければ数日で死亡する。
診断
血液、痰、リンパ節からの膿などをサンプルとして採取し検査する。
治療
感染症指定医療機関に隔離され、株ごとに異なる感受性のある抗生物質による治療が行われる(テトラサイクリン、クロラムフェニコール、ストレプトマイシン、ドキシサイクリン、シプロフロキサシン等)。抗生物質のある21世紀の日本では死亡例はない。
予防
予防策として、
- 感染の予防策としてはペスト菌を保有するノミや、ノミの宿主となるネズミの駆除
- 腺ペスト患者の体液に触れない
- 患者部屋への立ち入りを制限
- 患者の 2メートル以内に接近する場合。マスク、眼用保護具、ガウン、手袋の着用
- テトラサイクリン、ドキシサイクリン、ST合剤の予防内服
が挙げられる。
なお、有効なワクチンは存在しない。
ペストの歴史
アテナイの疫病
紀元前429年、ペロポネソス戦争の最中ギリシャのアテナイを襲って多数の犠牲者を出した疫病は、「アテナイのペスト」と呼ばれていたが、記録に残る症状の分析により、今日では痘瘡(天然痘)または発疹チフス(あるいはそれらの同時流行)と考えられ、ペスト説は完全に否定されていると言ってよい。これは有名な歴史家トゥキディデス自身がかかり回復した記録から判明した(激しい頭痛、目の炎症、喀血、咳、くしゃみ、胸痛、胃けいれん、嘔吐、下痢、高度の発熱)。
ローマ帝国の疫病
アントニヌス帝(マルクス・アウレリウス・アントニヌス)のペスト(en)と呼ばれる小流行が165~180年に起こっている。
東ローマ帝国での流行
ヨーロッパで最初に記録に残っているペストの流行は、542年から543年にかけて東ローマ帝国で流行したものである。「ユスティニアヌスの斑点」と呼ばれている。当時帝国は、かつての西ローマ帝国の故地再征服を目指して大規模な戦争(ゴート戦争)を継続して行っていたが、ペストの流行により大混乱に陥った。ユスティニアヌス自身も感染したが回復している。帝国は8世紀と14世紀にもペストの流行に襲われた。1340年代からの流行は、最後の攻勢に出ていた帝国に大打撃を与えた。
流行はアジア、北アフリカ、中東、ヨーロッパに広がり、当時の人口の半分に当たる3,000~5,000万人(またはそれ以上)が死亡したと言われる。
ドイツで発掘された遺体のDNA解析結果が2014年に発表され、病気の起源は今まで考えられたアフリカではなくアジアであるという。また過去の流行とも関係なく、その後の流行とも無関係であったという。
14世紀の大流行
472年以降、西ヨーロッパから姿を消していたが、14世紀には全世界にわたるペストの大流行が発生した。この流行はアジアからシルクロードを経由して欧州に伝播し、人口の約3割を死亡させた。全世界でおよそ8,500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2に当たる、約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。
14世紀の大流行は中国大陸で発生し、中国の人口を半分に減少させる猛威を振るったのち、1347年10月(1346年とも)、中央アジアからイタリアのシチリア島のメッシーナに上陸した。ヨーロッパに運ばれた毛皮についていたノミが媒介したとされる。流行の中心地だったイタリア北部では住民がほとんど全滅した[3]。1348年にはアルプス以北のヨーロッパにも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、猛威を振るった。ヨーロッパの社会、特に農奴不足が続いていた荘園制に大きな影響を及ぼした。
1377年にヴェネツィアで海上検疫が始まった。当初30日間だったが、後に40日に変更された。イタリア語の40を表す単語からquarantine(検疫)という言葉ができた。
イギリスでは労働者の不足に対処するため、エドワード3世がペスト流行以前の賃金を固定することなどを勅令で定めた(1349年)ほか、リチャード2世の頃までに、労働集約的な穀物の栽培から人手の要らないヒツジの放牧への転換が促進した。イングランドの総人口四百万人の3分の1が死んだと言われ、当時通用していたフランス語や聖職者が使用していたラテン語の話者人口が減り英語が生き延びた。
また、ユダヤ教徒の犠牲者が少なかったことから、彼らが井戸へ毒を投げ込んだ等のデマが広まり、迫害や虐殺が行われた ( ペストと反ユダヤ主義 )。ユダヤ教徒に被害が少なかったのはミツワーに則った生活のためにキリスト教徒より衛生的であったという考えがある一方、実際にはキリスト教徒と隔離されたゲットーでの生活もそれほど衛生的ではなかったなどの見解もある。
ポーランドではアルコール(蒸留酒)で食器や家具を消毒したり腋や足などを消臭する習慣が国民に広く定着していたほか、原生林が残り、ネズミを食べるオオカミや猛禽類などが多くいたためペストの発生が抑えられていた。
地中海の商業網に沿って、ペストはヨーロッパへ上陸する前後にイスラーム世界にも広がった。当時のエジプトを支配し、紅海と地中海を結ぶ交易をおさえて繁栄していたマムルーク朝では、このペストの大流行が衰退へと向かう一因となった。
その後の流行
その後も、ペストは17世紀頃から18世紀頃まで何度か流行している。1629年10月にはミラノで検疫の重要性が明らかになった。すなわち、1630年3月のカーニバルのためにミラノでの検疫条件を緩めたところ、ペストが再発したのである(en)。ピーク時の死亡者数は1日当たり約3,500人であった[4]。1665年にはロンドンで流行し、およそ7万人が亡くなった。後にダニエル・デフォーは『疫病の年』(A Journal of the Plague Year、1722年)で当時の状況を克明に描いている[5]。ロンドンでは(en)人が多く集まる大学が閉鎖され学生は疎開させられたが、当時ケンブリッジ大学を卒業したばかりのアイザック・ニュートンは故郷に疎開している間、大学での雑事から解放され思索に充てる時間が増えたことで、微積分法の証明や距離の逆2乗の法則の導出など重要な成果を残した。
フランスでは1720年にマルセイユで大流行 (Great Plague of Marseille) した。しかし、集権化にともなう防疫体制の整備と衛生状態の改善から、これ以降の大流行はみられなかった。こうして先進諸国では19世紀までにほとんど根絶されたが、発展途上国ではなお大小の流行があり、インドでは1994年に発生、パニックが起きた。
19世紀の中国とインドで1,200万人が死んだ世界的流行(en:Third plague pandemic)は、中世のペストが、香港から世界中に広がったとされる。
日本におけるペスト発生
日本でのペストの発生例としては、1896年で、横浜に入港した中国人船客が横浜の中国人病院で死去した。1899年(明治33年)11月、台湾から門司港へ帰国した日本人会社員が広島で発病し死亡、その後半月の間に神戸市内、大阪市内、浜松で発病、死者が発生した。1899年は45人のペスト患者が発生、40人が死亡した。翌年より東京市は予防のため1匹あたり5銭で鼠を買い上げた。1901年(明治34年)5月29日警視庁はペスト予防のため屋内を除き跣足(裸足)歩行を禁止した(庁令第41号)[6]。ペスト患者数のピークは1907年で患者数は646人であった。紡績工場での患者発生が続き、国内の発生源はペスト流行地インドから輸入される綿花に混入したネズミというのが通説になった。日本でも1926年に2人の死者を出している[7]。
文芸作品
- ジョヴァンニ・ボッカッチョ 『デカメロン』(1349-51年) - 1348年のペストを題材とする
- 死の舞踏 (美術) - 14世紀頃のペスト流行をきっかけとして成立
- イブン・バットゥータ 『大旅行記』- 14世紀のイスラーム世界におけるペスト被害の記述がある
- シェイクスピア 『ロミオとジュリエット』(1595年頃) - 作中でペストが重要な役割を持つ
- ダニエル・デフォー 『ペスト』(1722年) - 1665年から翌66年にかけてのロンドンでのペスト流行 (en:Great Plague of London:Great Plague of London) を題材とする
- アーダルベルト・シュティフター『御影石』(原題:Granit, 1853年) - 老人が語り手である孫の少年に、かつてその地方を襲ったペストの記憶を物語る。
- アルベール・カミュ 『ペスト』(1947年) - アルジェリアでペストが大流行する設定の小説
- 西村寿行 『滅びの笛』(1976年)、『滅びの宴』(1980年) - 日本でペスト菌を持つ鼠が大発生する設定の小説
- ダン・ブラウン 『インフェルノ』(2013年)
- 朱戸アオ 『リウーを待ちながら』(講談社, イブニング, 2017-2018年) - 日本でペストのパンデミックが起こるという漫画
関連法規
脚注
注釈
出典
- ↑ Historical Estimates of World Population, アメリカ国勢調査局の推計
- ↑ ペスト:地域別罹患率・死亡率の検討-2004年~2009年 CDC Travelers' Health, Outbreak Notice(2010年2月18日)2017年3月4日
- ↑ 以上の記述は同上資料
- ↑ 山内一也 (2004年9月2日). “中世の黒死病はペストではなくウイルス出血熱”. 人獣共通感染症連続講座 第159回. 公益社団法人日本獣医学会. . 2010閲覧.
- ↑ ダニエル・デフォー 『ペスト』 平井正穂訳、中央公論新社〈中公文庫〉、2009-07。ISBN 978-4-12-205184-3。
- ↑ 「跣足厳禁庁令発足」毎日新聞、1901年5月31日。『新聞集成明治編年史. 第十一卷』、国立国会図書館近代デジタルライブラリー、2014年7月3日閲覧。
- ↑ IDWR: 感染症の話「ペスト」 国立感染症研究所感染症情報センター
参考文献
- 酒井シヅ 『病が語る日本史』 講談社〈講談社学術文庫 1886〉、2008-08。ISBN 978-4-06-159886-7。
- 感染症の話「ペスト」 - 国立感染症研究所感染症情報センター「感染症発生動向調査週報」(2001年第51週掲載)
- 石坂尚武編 『イタリアの黒死病関係史料集』刀水書房 2017年12月。ISBN 978-4-88708-435-3
関連資料
- 加藤茂孝 「人類と感染症との闘い -「得体の知れないものへの怯え」から「知れて安心」へ - 第4回「ペスト」-中世ヨーロッパを揺るがせた大災禍 (PDF) 」、『モダンメディア』 独立行政法人理化学研究所感染症研究ネットワーク支援センター、2010年、第56巻第2号
- 濱田篤郎 「感染症ノスタルジア (4) 文明を進化させてしまう魔力...ペスト」、『ニュースレター』 一般財団法人海外法人医療基金、2003年2月、第109号
関連項目
- 北里柴三郎 - ペスト菌発見者の1人
- 感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律
- 検疫法
- ペスト医師 - 中世ヨーロッパでペスト罹患者を専門に扱った医師
- 魔女狩り - 中世ヨーロッパではペスト流行を魔女の仕業とし、疑わしい女性を魔女として迫害する例があった
- ビアマグ#ビアマグの蓋 - 中世ヨーロッパではペスト感染を防ぐためにビアマグに蓋を付けた
- キスカ島撤退作戦 - 軍医が兵舎に『ペスト患者収容所』と書き記し、上陸したアメリカ軍が通訳を呼んで翻訳させた際にその意味を知って大混乱となった。
- 死の舞踏(曖昧さ回避)
- ハーメルンの笛吹き男 - この伝承にペストが関係しているという説がある
- 4人の泥棒の酢 - ヨーロッパでのペストの流行の時に話題になった泥棒と飲み物の話
外部リンク
- 感染症についての情報「ペスト」 - FORTH(厚生労働省検疫所)
- ペスト - 「メルクマニュアル医学百科家庭版」オンライン版
- ペストの病原体検査・診断マニュアル (PDF) - 国立感染症研究所
- 生物・化学戦(BC)の対処法(生物) 「ペスト」 - 緊急災害医療支援学
- 「黒死病」と呼ばれたペスト、歴史上3回目のアウトブレイクが継続中 大規模DNA解析プロジェクトが北欧中心に進む - Medエッジニュース、2015年2月20日