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古平郡(ふるびらぐん)は、北海道後志国後志総合振興局

人口3,155人、面積188.36km²、人口密度16.7人/km²。(2018年3月31日、住民基本台帳人口)

以下の1町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記1町のまま変更されていない。

歴史

郡発足までの沿革

江戸時代、古平郡域は和人地となる。松前藩によってフルビラ場所が開かれていた。陸上交通は、余市から古平境界までの2里(7.9km)余の道を余市場所請負人竹屋長左衛門が開削している。

江戸時代後期文化4年には古平郡域は天領とされたが、文政4年には一旦松前藩の領に戻された。弘化4年恵比須神社が創建される。安政2年古平郡域は再び天領となり庄内藩の警固地となっている。安政5年禅源寺が開山している。慶応3年5月には琴平神社が鎮座。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年8月15日大宝律令国郡里制を踏襲して古平郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

ファイル:Shiribeshi-shicho.png
北海道一・二級町村制施行時の古平郡の町村(7.古平町 青:区域が発足時と同じ町村)

参考文献

関連項目