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2018/8/13/ (月) 10:07時点における最新版
越後湯沢駅(えちごゆざわえき)は、新潟県南魚沼郡湯沢町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。
概要
当駅には上越新幹線と在来線の上越線・北越急行ほくほく線が乗り入れている。
上越新幹線については、当駅からガーラ湯沢駅への支線が分岐している。これは元々保線基地への引き込み線だったものを、ガーラ湯沢スキー場へのアクセス路線として旅客化したもので、スキーシーズンのみの営業である。上越新幹線の列車が乗り入れるが、法律上は上越線の支線であり在来線として扱われる。全区間普通列車のない区間となるが、特急料金不要の特例は適用されない。
また、上越線六日町駅を起点とする北越急行ほくほく線から、快速・普通列車の大半と超快速列車「スノーラビット」が上越線経由で当駅まで直通している。2015年3月13日までは、ほくほく線経由で北陸方面への特急「はくたか」号が運転されていた。
歴史
- 1925年(大正14年)11月1日 - 上越北線(現:上越線)塩沢 - 当駅間開通時に一般駅として開業する。
- 1931年(昭和6年)9月1日 - 上越線が水上駅まで開通する。
- 1978年(昭和53年)6月15日 - 車扱貨物の取扱を廃止し旅客駅となる。
- 1982年(昭和57年)11月15日 - 上越新幹線が開通する。
- 1983年(昭和58年)3月 - 駅レンタカー営業開始する[2]。
- 1985年(昭和60年)3月14日 - 荷物の取扱を廃止する。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
- 1990年(平成2年)12月20日 - 上越線支線がガーラ湯沢駅まで開通する。
- 1997年(平成9年)3月22日 - 北越急行ほくほく線の開業により、上越新幹線に接続する特急列車として、当駅 - 福井駅・金沢駅・和倉温泉駅間で「はくたか」が運転を開始する。
- 2004年(平成16年)10月1日 - JR東日本新潟支社管内の駅ビルを運営するトッキー・越後ステーション開発の合併に伴い、駅ビルの愛称を「プラトーゆざわ」から「CoCoLo湯沢」に改称。
- 2009年(平成21年)
- 2012年(平成24年)7月14日 - CoCoLo湯沢がリニューアルオープンする。
- 2015年(平成27年)
駅構造
駅構内
新幹線は高架(駅舎3階)に中央に通過線2本を挟んだ島式ホーム2面4線・在来線は地上に島式ホーム2面4線と単式ホーム1面1線を持つ[4]。雪害対策のため構内を屋根で囲まれている新幹線ホームは16両対応である。
丘陵地の東斜面に駅舎があるため、東口側は橋上駅舎[4]、新幹線ホーム下の西口は2階建ての高架駅という変則構造になっている[4]。
当駅は直営駅(駅長配置)であり、地区管理駅として上越線の土樽駅 - 北堀之内駅間の各駅(直営の浦佐駅除く)および只見線の大白川駅 - 藪神駅間の各駅を管理している。
駅構内には、みどりの窓口(営業時間 5:45 - 22:30)・指定席券売機(2台設置・営業時間:5:45~23:10・23:00以降はインターネット予約の受け取り不可)・タッチパネル式自動券売機(3台設置・交通系iCカード決済不可)・待合室・NewDays(駅入口・新幹線コンコース内)・駅弁屋・立食いそば店(いずれも在来線コンコースで営業・改札外利用も可能)などがある[3]。
自動改札機は新幹線改札口と在来線の新幹線のりかえ改札口にのみ設置されており、在来線改札口に限り有人改札となっている。
なお当駅はJR東日本のICカード「Suica」のサービスエリア外となっており、上越線ではSuicaおよび相互利用サービス対象のICカードは利用できない。
また上越新幹線では全線で「モバイルSuica特急券」のサービスが利用できる一方、Suica定期券については上毛高原駅 - 長岡駅間はサービスエリア外となっており、当駅発着のFREX定期券は磁気券で発行される。
改札口など駅構内数ヶ所に自動体外式除細動器(AED)が設置されている。
駅ビル
駅ビル「CoCoLo湯沢」のフロア構成は西口駅舎2階の1フロアのみで[5]、改札外コンコース部の「がんぎどおり」には土産品店・惣菜店・食べ歩き横丁(レストラン)・観光案内所などが軒を連ねる[5]。
コンコース北側に所在する本館フロアは新潟県の名産のひとつである日本酒をメインテーマにした商業施設「ぽんしゅ館」が主要テナントで、県内各地の酒蔵から取り寄せた日本酒や、南魚沼地方の名産品を中心とした県内各地の土産物などが陳列されている[5]。
また飲食コーナー[6][7]や「ていすてぃんぐGALLERY越乃室」(日本酒試飲コーナー)[8]のほか、越後湯沢温泉の源泉に日本酒を加えたものが使用されている入浴施設「酒風呂 湯の沢」がある[9][10]。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
在来線 | ||||
0 | ■ほくほく線 | - | 十日町・直江津方面 | 一部列車は2番線発着 |
1 | ■上越線 | 下り | 六日町・長岡方面 | 一部列車は2・3番線発着 |
2・3 | 上り | 水上・高崎方面 | ||
4 | (予備ホーム) | |||
新幹線(越後湯沢-ガーラ湯沢間は正式には上越線支線) | ||||
11・12 | 上越新幹線 | 下り | 新潟・ガーラ湯沢方面 | 当駅始発は14番線から発車 |
13・14 | 上り | 東京方面 | 一部の当駅始発は11・12番線から発車 |
駅弁
かつては石打駅でも駅弁を販売していた川岳軒(在来線コンコース売店)[11]の駅弁が購入できる。
また、2007年(平成19年)には歌手の香田晋が、歌曲「越後湯沢駅」を発売し、この歌にちなんで、香田が駅弁の「林道かまめし」の制作を手がけた。
主な駅弁は下記の通り[12]。
- くるみ山菜ずし
- 雪国弁当
- ほくほく弁当
- かにずし
- 駒子弁当
- いくらたらこめし
- 越後林道釜めし(パッケージの文字は香田晋の自筆によるものである。)
- 越後もち豚すきすき弁当
- 牛〜っとこしひかり
利用状況
2000年度以降、3,000人前後で推移しており、2016年度の1日平均乗車人員は2,996人である[1]。
この乗車人員には、上越新幹線と在来線を乗り継ぐ乗客の数の多くが、当駅を出場しないため、基本的に含まれない。そのため、在来線よりも新幹線の乗車人員の方がとても多い状況であり、また、実際の当駅の鉄道利用者数もより少ない数になっていた。
2015年3月14日に北陸新幹線の長野駅 - 金沢駅間が延伸開業し、その前日13日の運転をもって特急「はくたか」号の運行が終了した。これにより、関東と北陸地方との連絡駅としての役割を事実上終えたため、2015年度の新幹線の乗車人員は前年度と比べて5割以上減少している。
駅周辺
周辺は越後湯沢温泉を抱える温泉街の中心地で、旅館・ホテル・マンションが立地する。東口側にはバブル経済期に建設されたリゾートに特化する高層マンションが目立つ。駅前から温泉街が広がっているのは、新幹線停車駅では当駅のほかには熱海駅くらいであり、珍しいケースである。
近くには湯沢高原スキー場・ガーラ湯沢スキー場・神立高原スキー場などのスキー場もある。さらに上越線に乗車すれば、岩原スキー場・湯沢中里スキー場・石打丸山スキー場・上越国際スキー場・ルーデンス湯沢スキー場なども利用できる。
また、町内有数のリゾート苗場スキー場へは、当駅より国道17号経由の路線バスが運行されているほか、ガーラ湯沢駅と宿泊施設とを結ぶ無料シャトルバスも運行されている。
- 東京都湯沢町
- 首都圏からの交通アクセスが良いことから、リゾートマンションの部屋を保有する東京都などの首都圏在住者が週末を中心に多く滞在するために、「東京都湯沢町」ともいわれる[13][14]。冬以外は温泉を初めとして、釣り、ゴルフ利用者が見られ、近年は冬季にはスノーボード愛好家が目立つようになった(湯沢町#概要も参照)。
東口
東口側には湯沢町役場をはじめとする湯沢町営の施設や、国土交通省の施設が多く所在している。
西口
西口側には多くの宿泊施設が軒を連ねている。
路線バス
湯沢町内の路線バスは越後交通グループの地域子会社のうち、魚沼地方を中心に路線網を展開する南越後観光バスが各路線の運行を行っている。
越後湯沢駅のバスターミナルは東口側にのみ設けられている。
- 湯沢駅前
- 石打・新国道経由 六日町車庫
- 石打・舞子経由 六日町車庫
- 【直行】上越国際スキー場
- 【急行】十二峠・清津峡・津南経由 森宮野原駅
- 中里・土樽経由 蓬橋
- プールオーロラ経由 旭原・大源太キャニオン
- 三俣・貝掛温泉経由 苗場スキー場・苗場プリンスホテル
隣の駅
※新幹線・特急列車の隣の停車駅は各列車記事を参照。
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 上越新幹線
- 上越新幹線支線(冬季期間中のみ運転)
- (上毛高原駅 -) 越後湯沢駅 - ガーラ湯沢駅
- ■上越線
- 北越急行
- ■ほくほく線(当駅 - 六日町駅間はJR上越線)
- ■超快速「スノーラビット」
- ■快速・ ■普通
- 越後湯沢駅 - (*上越国際スキー場前駅) - (一部塩沢駅) - 六日町駅
- * 夏季・冬季などに、一部列車が上越国際スキー場前駅に停車する場合がある。
脚注
- ↑ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ↑ 国鉄監修『交通公社の時刻表』1983年4月号
- ↑ 3.0 3.1 “駅の情報(越後湯沢駅):JR東日本” (日本語). www.jreast.co.jp. . 2018閲覧.
- ↑ 4.0 4.1 4.2 “JR東日本:駅構内図(越後湯沢駅)” (日本語). www.jreast.co.jp. . 2018閲覧.
- ↑ 5.0 5.1 5.2 “ショッピングセンター「駅ビルCoCoLo」公式サイト” (日本語) . 2018閲覧.
- ↑ “ショッピングセンター「駅ビルCoCoLo」公式サイト” (日本語) . 2018閲覧.
- ↑ “ショッピングセンター「駅ビルCoCoLo」公式サイト” (日本語) . 2018閲覧.
- ↑ “ショッピングセンター「駅ビルCoCoLo」公式サイト” (日本語) . 2018閲覧.
- ↑ “酒風呂 湯の沢|新潟・越後湯沢駅・日本酒・土産・観光・ぽんしゅ館越後湯沢店”. www.ponshukan.com. . 2018閲覧.
- ↑ “ショッピングセンター「駅ビルCoCoLo」公式サイト” (日本語) . 2018閲覧.
- ↑ “越後湯沢の駅弁 川岳軒”. 川岳軒. . 2017閲覧.
- ↑ 『JR時刻表』2017年3月号、交通新聞社、2017年、 572頁。
- ↑ 湯沢町史のご案内 - 湯沢町
- ↑ 地方紙の新潟日報では、当時リゾート地開発が急速に進捗していた湯沢町をテーマにした「東京都湯沢町」を1988年12月から1989年6月にかけて、バブル経済崩壊後の湯沢町をテーマにした「東京都湯沢町は今」を1994年に、それぞれ朝刊の連載企画として掲載している。