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マリー・ローランサン Marie Laurencin | |
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生誕 |
1883年10月31日 フランス共和国 パリ |
死没 |
1956年6月8日(72歳没) フランス パリ |
著名な実績 | 絵画、彫刻 |
運動・動向 | エコール・ド・パリ |
マリー・ローランサン(Marie Laurencin, 1883年10月31日 - 1956年6月8日)は、20世紀前半に活動したフランスの女性画家・彫刻家である。
生涯
マリー・ローランサンは1883年にパリで私生児として生まれた(ただし、資料によっては1885年生まれとなっている)。父はのちに代議士となったアルフレッド・トゥーレだが、マリーは彼が父親だということを長い間知らなかった。母はポーリーヌ・メラニー・ローランサン。ラマルティーヌ高校に学び、画家を志し、アカデミー・アンベールで絵を勉強する。ここでジョルジュ・ブラックと知り合い、キュビズムの影響を受けた。1907年にサロン・ド・アンデパンダンに初出展。このころ、ブラックを介して、モンマルトルにあったバトー・ラヴォワール(洗濯船)という安アトリエで、パブロ・ピカソや詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールと知り合った。
アポリネールと出会った時、彼は27歳、ローランサンは22歳。二人は恋に落ちた。だが1911年にアポリネールがモナ・リザ盗難事件の容疑者として警察に拘留された頃には(彼は無罪であったが)、ローランサンのアポリネールへの恋愛感情も冷めてしまった。その後もアポリネールはローランサンを忘れられず、その想いを歌った詩が彼の代表作『ミラボー橋』であるという。
1912年に開いた最初の個展は評判となり、その後、次第にキュビスムから脱する。ローランサンが30歳になる頃にはエコール・ド・パリの新進画家として知られるようになった。1914年に31歳でドイツ人男爵(オットー・フォン・ベッチェン)と結婚。これによりドイツ国籍となったため、同年に第一次世界大戦が始まると、はじめマドリッド、次にバルセロナへの亡命生活を余儀なくされた。戦後、1920年に離婚して単身パリに戻る。
パリに戻ったローランサンは、パステルカラーの簡潔で華やかな、夢見るような少女像という独特の画風を作り上げ、フランス史上狂乱の時代(Les Années Folles)と称された1920年代にあって、時代を体現した売れっ子画家となった。パリの上流婦人の間ではローランサンに肖像画を注文することが流行となったという。また、舞台装置や舞台衣装のデザインでも成功した。関わったものとしては、フランシス・プーランクのバレエ『牝鹿』や、オペラ=コミック座の『娘たちは何を夢みる』、コメディ・フランセーズ、シャンゼリゼ劇場で上演されたローランド・プティのバレエなどが知られている。
第二次世界大戦の際はフランスを占領したドイツ軍によって自宅を接収されるといった苦労もありながらも、創作活動を続けた。1954年、シュザンヌ・モローを正式に養女とする。1956年にパリにて心臓発作により死去した。72歳没。 離婚後はバイセクシャルでもあった。
マリー・ローランサン美術館
長野県茅野市の蓼科湖畔にあったマリー・ローランサン美術館は、世界でも唯一のローランサン専門の美術館であった。館長の高野将弘が収集した個人コレクションをもとに、ローランサンの生誕100周年にあたる1983年に開館。収蔵点数は500点余りを数えたが、観光客減少のため2011年9月30日をもって閉館した[1]。フランス、パリのマルモッタン=モネ美術館、台北の中正紀念堂、台中の台湾美術館、日本各地での巡回展示を経て、2017年7月15日東京都千代田区紀尾井町4−1にあるニューオータニ・ガーデンコート6階で美術館が再開された。
代表作
- 『招待』(1908年)(ボルチモア美術館)
- 『二人の少女』(1915年)(テート・ギャラリー)
- 『シャネル嬢の肖像』(1923年)(オランジュリー美術館)
- 『接吻』(1927頃)(マリー・ローランサン美術館)
- 『花摘む少女』(1948年)(個人所蔵)
関連項目
- ココ・シャネル
- ジャン・コクトー
- アンリ=ピエール・ロシェ
- 徹子の部屋…テレビ朝日系列で放送中の黒柳徹子司会のトーク番組。番組のセットに1976年の第1回放送から1990年までは、マリーの作品の絵画をセットの一部に設置していたが、現在は著作権の関係で、当時の映像が放送される際に絵画にぼかしがかけられている。
脚注
- ↑ “マリー・ローランサン美術館、9月いっぱいで閉館”. インターネットミュージアム(丹青社). (2011年9月1日) . 2017閲覧.]