東大阪市花園ラグビー場

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東大阪市花園ラグビー場
東大阪市花園ラグビー場の位置
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施設情報
所在地 大阪府東大阪市松原南一丁目1-1
位置 北緯34度40分8.1秒
東経135度37分34.5秒
開場 1929年
拡張 1991年
所有者 東大阪市(第1・2・3グラウンド)
運用者 東大阪スタジアム
グラウンド 天然芝
大型映像装置 なし(得点専用の電光掲示板は有)
旧称
花園ラグビー場(開場~戦前)
花園練成場(戦時中)
花園ラグビー場(戦後~1982年)
近鉄花園ラグビー場(1982年~2015年3月)
使用チーム、大会
近鉄ライナーズジャパンラグビートップリーグ
日本ラグビーフットボール選手権大会
全国大学ラグビーフットボール選手権大会
関西大学ラグビーフットボールリーグ
全国高等学校ラグビーフットボール大会
全国ジュニア・ラグビーフットボール大会
収容能力

30,000人

敷地面積
68,649m2
建築面積
11,883m2
アクセス
近鉄奈良線東花園駅徒歩10分
近鉄けいはんな線吉田駅徒歩15分

東大阪市花園ラグビー場(ひがしおおさかしはなぞのラグビーじょう)は、大阪府東大阪市花園中央公園に隣接する日本初のラグビー専用スタジアムであり、1929年に開場した。2015年からは東大阪市が所有し、同市に本社を置いて同市内のスポーツクラブを経営する「東大阪スタジアム株式会社」が業務委託を受けて運営している。社会人ラグビーリーグであるジャパンラグビートップリーグに所属する近鉄のラグビーチーム(近鉄ライナーズ)のホームグラウンドである。

国内有数のラグビー専用球技場であり、全国高等学校ラグビーフットボール大会の会場としても有名で、同大会は「花園」との通称で呼ばれている。

2015年3月31日までは第1・2グラウンドが近畿日本鉄道、第3グラウンドが東大阪市のそれぞれ所有だったが、2015年4月1日より後述の通り、全グラウンドとも東大阪市所有となっている。

また、2019年にラグビーワールドカップの会場となっている。

施設概要

ラグビー専用の第1・2グラウンドと、陸上競技場を併設した第3グラウンドの3面で構成されている。

第1グラウンドでの試合はトップリーグなどほとんどが有料の試合であるが、第2・3は地域のグラウンドとして小・中学生や高校の府大会準決勝以下の試合、大学の下部リーグなど無料での試合に多く利用されている。全国高等学校ラグビーフットボール大会では3スタジアムすべてをフェンスで囲み、一度入場すればどのグラウンドに見に行っても良いかたちになっている。また第1・2グラウンドは、貸グラウンドとして利用することも出来る。(芝生の養生期間などメンテナンス時を除く)

第1グラウンド

ファイル:Kintetsu Hanazono rugby stadium.jpg
第1グラウンド(スコアボード付近)

メインスタジアム。一般的に「東大阪市花園ラグビー場」と言えばこのスタジアムを指す。現在のスタジアムは1991年に完成したもので、3万人収容。メインスタンドは全面屋根架設。正面に生駒山を臨む。ゴール裏はメインから向かって右側には席がある(コーナー部分は立ち見)が、左側(電光掲示板)の付近にはスタンドはなく、単なるコンクリート剥き出しとなっている。これは、かつてシーズンオフにゴルフ練習場として使用していた名残である。

スコアボードは1991年に改修される以前は得点表示のみ磁気反転、選手名の表記は(両サイド)は手書きだったが、改修後はこの躯体をそのまま生かす形で全面磁気反転に改修され、得点表示の下に、「トライ」「ゴール」「ドロップゴール」「ペナルティーゴール」の各種類別の得点が表示される欄が設けられた。またメインレフリーの表示も、それまでのチーム名表記と前半のスコア部分の中間だったのを、総得点と種類別得点の表示の中間に移している(現在は赤見電機製のLEDボードになっている)。

2000年のシーズンには、試験的にメインスタンド屋根の支柱とバックスタンドの広告看板に照明設備を取り入れ薄暮開催を実施したこともあったが、それ以後は行われていない。

スタジアム1階にはラグビーグッズを販売する売店や、ラグビーの歴史を展示する資料室がある。メインスタンド2階にはレストランもあり、一般客も利用できる。

またメインスタジアム内部にはロッカールーム(大)が4室、同(小)が16室もある。これは年末年始に行われる全国高校ラグビー大会のため、第1~3グラウンドすべてを同時に使用するためである。

第2グラウンド

メインスタジアムの北側(スコアボード後方)にあるサブグラウンドで、以前は近鉄所有であった。近鉄ライナーズの練習グラウンドでもあるため、練習用にナイター照明設備が用意されている。収容人員約1300人の簡易型観客席が設置されているが高さが4段と低いのでフィールド全体は見づらい。しかしフィールドに近いため選手のボディコンタクトが間近にみられ迫力がある。

戦前(戦中)にはこの第2グランドに400メートル陸上トラックおよび2000人収容の木製観客席が作られた。しかし戦後は取り壊され、ゴルフ場経営の際にこの場所はハーフコースとなり、メインスタジアム東隣のグラウンドが第2グラウンドとされた(旧第2グラウンド)。そして正月の高校ラグビー大会開催時のみ第3グラウンドとしてフィールドが作られた。ゴルフ場経営を停止してからは常設の第3グラウンドとなった。

その後、花園中央公園多目的球技広場が完成し、旧第2グラウンド(メインスタジアム東隣)がなくなり、戦前同様に「第2グラウンド」に返り咲いた。

なお、旧第2グラウンドのスペース(メインスタジアム東隣)は、現在、北側半分がウォームアップ用の練習場であるが、ゴールポストも設置され、若干インゴールが短いながら、一応フルコートのフィールドになっている。南側半分は永らく「松原南調節池」(水害対策用地下貯水池)の工事中で立入禁止であったが、2009年度より整地され駐車場となった。

第3グラウンド

メインスタジアムの南東に位置する従前より東大阪市所有のサブグラウンド。隣接する花園中央公園内の施設との位置づけで、正式名は花園中央公園多目的球技広場(愛称:トライ・スタジアム)。日本陸上競技連盟の第3種公認陸上競技場。以前は第1、2グラウンドと同じくラグビー専用であったが、1990年代後半から移転し、多目的競技場としてリニューアルした。旧第2グラウンドと並存していた時期があったこともあり、「東大阪グラウンド」の呼び名もある。恩智川遊水地である花園多目的遊水地・Cゾーンの側面を持つため[1]、フィールドは土盛りの堤で囲われている。その傾斜を利用してメインスタンド・バックスタンド部分の一部にだけ観客席が設けられ2880人収容となっている。北側スタンド部分中央は水の流入口となっているためコンクリートの斜面となっている。全国高等学校ラグビーフットボール大会の対戦校によっては観客席だけでは収容できず、トラックや土盛りの傾斜面も観客に開放される。

歴史

ファイル:Hanazono Chuou Park02.jpg
公園入り口付近にある「ラグビーの森」と名付けられた空間
  • 1926年 - 大阪府中河内郡英田村(当時)の大阪電気軌道(大軌)社用地に花園競馬場が開場するも、数回の開催を行ったのみで閉鎖。
  • 1929年11月22日 - 競馬場跡地に大軌花園ラグビー運動場が開場。同地にラグビー場が建設されたのはラグビー愛好家でもあった秩父宮雍仁親王の意向によるものだと言われている。親王は勢津子妃とともに開場式にも臨席している。
  • 1939年 - 第2グランドに400メートル陸上トラックおよび2000人収容の木製観客席が作られた。
  • 1939年 - 9月29日に10周年記念試合開催(同志社大対関西ラグビー倶、京都帝国大対大阪帝国大)。
  • 1943年 - 1月7日に行なわれた同志社大対慶應義塾大定期戦が戦前最後の花園での大学対抗ラグビーとなる。
  • 戦時中 - 花園練成場と名を変え、パイロットの初等訓練施設に転用された。またメインスタンド上屋は軍需物資として供出するため撤去された。また戦争末期には食料増産のため農場となった。
  • 1945年 - 10月4日より進駐軍(米軍第98師団)に接収され、アメリカンフットボールに使用される。またスタンド内部は倉庫にされた。翌1946年4月に近鉄ラグビー部の部員達が復員し活動を再開するがホームグラウンドである花園ラグビー場は使用できなかった。ただし1947年には米軍の許可を得て全国高専ラグビー大会が実施された。(スタンド内部には入れず。)
  • 1949年 - 進駐軍の接収が解除される。
  • 1953年 - この年の5月より「花園ゴルフ場」開設。第2・第3グラウンドをゴルフ場にして、第1グラウンドは打ちっぱなしにした。当時のゴルフブームに乗り、大阪市内から十数分で行けるのでヒットした。
  • 1963年 - この年より全国高等学校ラグビーフットボール大会に使用されるようになり、以後定着。
  • 1969年 - 3月21日に40周年記念試合開催(近鉄対早稲田大)。
  • 1979年 - 開場50周年を記念して土盛りだったバックスタンドをコンクリート製に改造、スタンド内外の諸設備が改修された。総工費は約3億円(当時)。また9月11日に50周年記念試合開催(近鉄対ケンブリッジ大)。
  • 1981年 - ロックバンド「甲斐バンド」が初めてライヴ会場として花園ラグビー場を使用。
  • 1982年 - 名称が「花園ラグビー場」から「近鉄花園ラグビー場」となる。
  • 1989年 - 10月22日に60周年記念試合開催(近鉄対三洋電機)。
  • 1991年 - メインスタジアムが改修され、収容人数が1万2000人から3万人に拡張される。
  • 1999年 - 5月23日に70周年記念試合開催(近鉄対三洋電機)。
  • 2009年 - 3月4日に80周年記念試合開催(トップリーグオールスター戦=チャリティーマッチ)。6月にはラグビージュニア世界選手権の会場の1つとして使用された。
  • 2014年 - 施設所有者の近畿日本鉄道が近鉄花園ラグビー場を東大阪市に譲渡する方向であることが報道されている(次項参照
  • 2015年 - 4月1日に東大阪市に第1グランド・第2グランドの所有権を譲り名称を東大阪市花園ラグビー場に変更となった。
  • 2017年 - 11月2日に「ラグビーワールドカップ 2019 日本大会」の試合日程が決まり、東大阪市花園ラグビー場での開幕戦は9月22日「イタリアvsアフリカ地区1戦」に決定した。

市営化を巡って

東大阪市は、2019年に日本で開催されるラグビーワールドカップ2019の開催スタジアムに東大阪市花園ラグビー場を加えることを求めて署名活動を行うなどの働きかけを行っていた[2]

それに合わせる形で、近鉄が保有していた同ラグビー場(第1・2グランド)を東大阪市に売却するという計画が水面下で進められていた[3]。スタジアムは老朽化が進んでおり、芝生の管理やスタンドの改修費用、さらには国際試合を誘致するに必要な大型映像システムや照明塔[4] などの設置費用が数億円程度かかり、近鉄の経営を圧迫する恐れがあることから[5]、近鉄側から東大阪市に対し敷地の無償貸出しを検討、一方東大阪市側は近鉄から敷地を買い取る方向で調整が進められた。

その後2014年7月、花園ラグビー場の施設を近鉄から東大阪市に無償譲渡することで両者合意した。またラグビー場の敷地については、土地価格の査定鑑定を行ったうえで2015年度をめどに東大阪市が買い取る方向で準備している[6]

これにより2015年4月1日より名称は「東大阪市花園ラグビー場」となり名実ともに市営球技場となった。当初は近鉄側が東大阪市から命名権を購入する案も予定されていたが、東大阪市が「東大阪の名前を残すことにこだわりたい」と強く要望したためこのような形となった[7]

また市営化が実現したとしても、東大阪市単体では十分な改修費用を賄いきれない恐れがあるため、国土交通省大阪府に対して、改修に向けた財政支援を求める意見書を提出した[8]

2014年10月、東大阪市が当スタジアムを開催候補地として日本大会組織委員会に立候補を表明[9]。同30日、大阪府知事松井一郎は、東大阪市長野田義和との会談で、正式に開催地として決定した場合、施設改修費などの一部を除く開催費用を大阪府が半額負担する考えを表明した[10]

2014年11月、正式に日本国内の開催地14都市の一つとして立候補され、2015年3月、正式に開催地に認定された。これに先駆け、東大阪市が上述の土地購入を総額45億円で2015年度から5年間の分割払いすることで合意したと発表した。2015年度当初予算案には、その初年度の支払い分として約10億1400万円を計上、そのうちの3分の1に当たる3億3780万円相当は日本国政府からの助成を受ける[11]。また前所有者であり、実業団ラグビーチーム「近鉄ライナーズ」を引き続き保有する近鉄も、東大阪市のラグビー振興や支援などを目的に5億円を寄付する予定である[12]

今後の改修計画予定

この大規模改修の予算として、東大阪市は2016年3月、照明塔や北側ゴール裏の座席の新設など、国際大会誘致のために必要な改修費用約41億円を計上したが、W杯ラグビーを主催する団体である「ワールドラグビー」から照明の照度を高くすることや、ドーピングルームの設置など、追加工事が必要だと指摘された。このため、更に30億円程度の増額、合計71億円程度の予算が必要とされ、東大阪市議会では財政が圧迫するという理由で反対意見もあったが、日本国政府からの助成による交付金を申請し、2016年10月までに国土交通省から社会資本整備総合交付金(約17億4000万円)と、日本スポーツ振興センター主催のスポーツ振興くじ(toto、BIG)の助成11億8000万円の交付が認められ、これに東大阪市の当初の工事費用の計上分と合わせて約71億円を確保することができた。

工事業者の選定を2016年12月までに行い、2017年年初ごろから増築・改修を開始する予定である[13][14]。なおこの改修の関係で2017-18年度シーズンのトップリーグ(社会人プロリーグ)、関西大学ラグビーフットボールリーグなどの主要大会は開催されなかったが、全国高校ラグビーフットボール選手権大会の期間中は工事を中断し通常通り開催された[15]

改修完了は、2018年秋頃を予定している。

その他

  • 東花園駅から東大阪市花園ラグビー場までの道のりは、ラグビー用品専門店が並ぶなど、ラグビータウンの様相を呈している。中でも正面入り口付近にある和菓子屋「絹屋」の「花ラグ饅頭」はお土産として有名である。2010年8月には東大阪市の公募により、駅からラグビー場までの道筋に、「スクラムロード花園」と名付けられた。
  • 1999年には「国際グランプリ陸上・大阪大会」で長居スタジアムが使用できなかったため、5月8日サッカーJリーグセレッソ大阪-名古屋グランパスエイト戦が東大阪市花園ラグビー場の第1グラウンドで開催された[16]。現時点でサッカーJリーグの試合が行われたのはこの試合のみである。
  • なお、ラグビー以外の試合としては古くは1935年(昭和10年)4月27日から3日間、大毎主催の全国中等学校招待蹴球大会(全国中等学校蹴球大会とは別のサッカー大会)が行われた記録がある[17] ほか、関西学生サッカーリーグ春季大会、関西大学高専連盟戦春季大会などが戦前に行われた実績がある。また紀元二千六百年奉祝東亜競技大会・関西大会ではラグビーとホッケーの会場として使用された。[18] 戦後直後の進駐軍(米軍)による接収時代はアメリカンフットボール場とされ[19]、接収解除後の1952年(昭和27年)にサッカーの全香港対全大阪の試合が行われている。[20] 現在でも東大阪市長杯や東大阪東ロータリークラブ会長盃などの少年サッカー大会が毎年行われている。
  • 2016年には平成二十八年三月場所で、武蔵川部屋の稽古場として使用された他、中田ヤスタカ主宰の音楽イベント『TAKENOKO!!!』が開催された。

交通

脚注

  1. 大阪府/花園多目的遊水地 大阪府
  2. W杯を東大阪で…森会長に署名4万5000人分 スポーツニッポン 2011年5月23日閲覧
  3. 近鉄、花園ラグビー場売却へ W杯招致目指す東大阪市に 朝日新聞 2014年2月10日閲覧
  4. 現在この2つは未設置。ただし照明については先述の通り2000年に仮設で試験設置している
  5. 実際、 東大阪市花園ラグビー場を運営する近鉄は赤字経営からの脱却を図るためレジャー事業の見直しを進めていて、2003年に東大阪市から年間5,000万円の助成金(補助)を受けたものの、赤字経営の解消には至っていない
  6. 花園、来春にも東大阪市に譲渡 ラグビーW杯へ改修(朝日新聞2014年7月3日 同7月9日閲覧)
  7. 花園ラグビー場:東大阪市に譲渡…近鉄と合意(毎日新聞2014年7月3日 同7月9日閲覧)
  8. 花園ラグビー場整備支援を 東大阪市、国と府に要望(サンケイスポーツ2014年6月27日 同7月9日閲覧)
  9. 大阪)花園ラグビー場、2019年W杯候補地に名乗り(朝日新聞2014年10月29日 11月1日閲覧)
  10. ラグビーW杯費 府、半額負担(読売新聞2014年10月30日 11月1日閲覧)
  11. 聖地・花園ラグビー場の土地、お値段は「45億円」 東大阪市と近鉄、売買合意(産経新聞2015年2月26日 3月3日閲覧)
  12. 東大阪市、花園ラグビー場を45億円で購入(スポーツ報知2015年2月26日 3月3日閲覧)
  13. 花園ラグビー場・改修に30億円交付金…年明けにも工事(毎日新聞)
  14. 完成予想図
  15. 花園ラグビー場、改修前最後のトップリーグ公式戦に小中高生無料招待(東大阪経済新聞)
  16. 1stステージ第12節。ゴール裏スタンドが片側にしかない(上記参照)というスタジアム構造のため、通常のサッカーの試合と違って「アウェー(名古屋側)ゴール裏」が存在しなかった。
  17. 運動年鑑昭和11年版の260ページ
  18. 運動年鑑昭和16年版の27ページ
  19. 近鉄ラグビー部50年史の19ページ
  20. 大阪体育協会五十年史の209ページ

関連項目

外部リンク

テンプレート:2019ラグビーワールドカップスタジアム

テンプレート:日本のラグビーユニオン