大量虐殺
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大量虐殺(たいりょうぎゃくさつ、英: genocide)とは、人間を意図的に大量に虐殺すること。「虐殺」は国際法で規定されているが、一般報道ではきわめて曖昧に使われている。
一般的に、1つの人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する計画的大量虐殺等の行為は、ジェノサイドと言い、その一部はジェノサイド条約において集団殺害罪(国際法違反)として規定されている。
大量虐殺とされる例
古来、戦争・征服においては大量虐殺は付き物である。ここでは歴史上注目されているものを列挙する。なお、ジェノサイドの項目と一部重複するが、同項目の分類方法とは別に、いわゆる「大量虐殺」と呼ばれている事件である。中でも歴史的な大量虐殺と見られるものを列挙する。 斜体は犠牲者100万人以上、太字は犠牲者1000万人以上のもの。史料の解釈や実在性・数字の正確性の疑われるものも含まれる。
- ユダヤ人による占領地カナンでの先住民虐殺
- 秦による長平の戦いにおける事後処理
- 秦の始皇帝による坑儒
- 項羽による新安での降伏した秦兵の虐殺
- 共和政ローマにおける諸戦役
- 第一次ミトリダテス戦争小アジア戦役でのローマ市民虐殺
- カルタゴ殲滅(第三次ポエニ戦争)
- ユダヤ戦争
- 唐の安史の乱におけるソグド人虐殺[1][2]
- 中国における京観
- 十字軍におけるキリスト、イスラムおよびユダヤ各教徒の被害
- 南フランスにおけるアルビジョア十字軍
- ヨーロッパ、アメリカ合衆国における魔女狩り
- モンゴル帝国によるユーラシア大陸の征服
- レコンキスタ達成後、イスラム教徒、ユダヤ教徒に対する虐殺(スペイン異端審問)
- ティムールによるエスファハーン市民の虐殺(en:Siege of Isfahan (1387))
- イヴァン4世(雷帝)によるノヴコロド虐殺
- 戦国時代から江戸時代初期の日本における大量虐殺
- イギリスのクロムウェルによるアイルランド侵攻
- ドイツにおける三十年戦争
- 張献忠による四川住民虐殺
- 清による中国の征服
- ヨーロッパ人によるアメリカ大陸先住民・オーストラリア州先住民の殲滅・征服
- スペインのインカ帝国における虐殺
- インディアン戦争(サンドクリークの虐殺、ウンデット・ニーの虐殺など)、南米インディアンの虐殺
- イギリスのタスマニア人虐殺(オーストラリア)
- アメリカ合衆国の南北戦争における焦土作戦(海への進軍など)
- アメリカ合衆国南部諸州(旧アメリカ連合国構成州)におけるクー・クラックス・クランによる黒人虐殺。
- ヨーロッパ・ロシアにおけるポグロム(古代-ホロコースト前)
- ナポレオン戦争
- 太平天国の乱
- 第二次長州征討における幕府歩兵連隊および松山藩による周防大島住民虐殺
- 戊辰戦争
- パラグアイにおけるブラジル軍による虐殺(三国同盟戦争)
- トルコのアルメニア人虐殺
- カヌードス戦争での、ブラジル軍によるカヌードスの住民25,000人から30,000人の絶滅作戦[3]
- 米比戦争でのアメリカ人によるフィリピン人の虐殺
- 義和団の乱でのロシアによる江東六十四屯居留民の虐殺
- ヘレロ・ナマクア虐殺
- 第一次世界大戦
- ロシア革命(ロシア内戦)
- ソビエト連邦によるホロドモール
- ソビエト連邦におけるスターリン治世下での大粛清
- イギリス領インド帝国におけるアムリットサル事件
- 済南事件
- 平頂山事件
- 通州事件
- 日中戦争
- スペイン内戦
- フランコ将軍による人民戦線派粛清
- 第二次世界大戦
- ソビエト連邦によるバルト諸国占領、フィンランドとの冬戦争、ポーランド分割
- ナチスによるホロコースト。ユダヤ民族のほか「危険分子」、スラブ民族、共産主義者、身体障害者、同性愛者等の殲滅、強制労働
- ナチスの移動虐殺部隊アインザッツグルッペンによる虐殺
- ドイツ系民兵部隊ヴェアヴォルフ(Werwolf、人狼部隊)、ヤークトフェアベンデ(Jagdverbände、狩猟部隊)、ブントシュー(Bundschuh、紐靴部隊)による虐殺
- 独ソ戦
- ソビエト連邦戦争捕虜に対するナチスの犯罪行為(捕虜・協力者・政治犯の大量虐殺、ホロコーストの一部)
- ソビエト連邦による戦争犯罪(捕虜・協力者・政治犯の大量虐殺)
- レニングラード包囲戦
- クロアチアファシズム組織ウスタシャによるセルビア人大量虐殺
- アメリカ軍、イギリス軍によるドイツへの空襲(ドレスデン爆撃・ハンブルク空襲など)
- ソビエト連邦による強制収容など(ヨーロッパにおける上記のほか、シベリア抑留など)
- 連合軍(米英仏ソ)による枢軸軍捕虜の強制収容など(アイゼンハワーによるDEF、ライン河畔収容所など)
- ドイツ人追放(民族ドイツ人の定住地、進出地からの強制移住、民族浄化)
- ズデーテン大虐殺[4]
- 太平洋戦争
- 中国によるウイグル・チベット(チベット動乱など)・東トルキスタン・南モンゴル・広西チワン族自治区での迫害・虐殺・民族浄化
- 国共内戦
- インド・パキスタン分離独立
- 二・二八事件
- 反右派闘争
- イスラエルによるパレスチナ人虐殺 (Killings and massacres during the 1948 Palestine War)
- 日本降伏後の南朝鮮における白色テロ
- 朝鮮戦争
- アルジェリア戦争
- ベトナム戦争
- ビアフラ戦争
- カンボジア内戦
- 暗黒の5月事件
- バングラデシュ独立戦争
- ポル・ポト派による虐殺
- 文化大革命
- アンゴラ内戦
- モザンビーク内戦
- イラン・イラク戦争
- ソ連侵攻によるアフガニスタン紛争 (1978年-1989年)
- 六四天安門事件
- イラクによるクルド人虐殺(ハラブジャ事件など)
- ルワンダ紛争における虐殺
- ナゴルノ・カラバフ戦争
- ユーゴスラビアにおけるユーゴスラビア紛争
- ダルフール紛争における虐殺
- 第二次コンゴ戦争とそれに続く内乱
- シリア内戦
脚注
- ↑ ...その際の混乱にあたり燕京におった胡人が大虐殺に遭った..., 前嶋信次『東西文化交流の諸相』, 東西文化交流の諸相刊行会, 1971年, 110頁
- ↑ ...盧竜にソグド系武人の史料がほとんど残っていないのは,安史の乱末期に安史軍を構成していたソグド人が大量に虐殺されたことと関係しているという指摘がある...(栄新江「安史之乱後粟特胡人的動向」『曁南史学』 2 2003,115頁) 森部豊「ソグド系突厥の東遷と河朔三鎮の動静 -特に魏博を中心として-」『関西大学 東西学術研究所紀要』第41輯, 平成20年(2008年)4月, 145頁
- ↑ シッコ・アレンカール、マルクス・ヴェニシオ・リベイロ、ルシア・カルピ/東明彦、鈴木茂、アンジェロ・イシ:訳『ブラジルの歴史 ブラジル高校歴史教科書』明石書店、2003/01 pp.414-419
- ↑ ソ連のロシア人と、チェコスロヴァキアの民族主義者によるズデーテン地方にいたドイツ民間人の大虐殺(アルフレッド・デ・ザヤス (en:Alfred-Maurice de Zayas著 "A Terrible Revenge")。また、ナチス・ドイツの強制収容所が、ドイツ民間人を収容するために一時的に転用もされた。
- ↑ 宮崎正弘 『出身地でわかる中国人』 PHP研究所、2006年、185。ISBN 4569646204。
- ↑ “Ghosts Of Cheju A Korean Island's Bloody Rebellion Sheds New Light On The Origin Of The War” (英語). ニューズウィーク. (2000年6月19日) . 2011閲覧.