七面山

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七面山(しちめんさん)は山梨県南巨摩郡にある1,989mの三角点は1,982.4m[注釈 1]日本二百名山の一つに選定されている。

東側は身延山富士川を隔てて天子山地と対峙し、西側には笊ヶ岳青薙山など、赤石山脈南部、白峰南嶺の山々が連なる。

山頂東北部の約73haが歴史的に久遠寺の寺領であり[1]、現在も周囲を早川町に囲まれた身延町飛地である[1]

信仰の山

文永11年(1274年)に日蓮が開いた身延山久遠寺、また法華経を守護するとされる七面大明神(七面天女)を祀る信仰の山で、日蓮書状(「日蓮上人遺文」)にも記されており、日蓮の高弟である日朗が開いたといわれる。

各所に崩落が見られるため「ナナイタガレ」「オオガレ」とも呼ばれ、日蓮書状にも崩落の様子が記されている。

山頂近くの標高1700m付近には敬慎院があり、多くの人が宿坊に宿泊する。敬慎院から山頂付近にかけては富士山の好展望地として知られる。

敬慎院には名物とも言える非常に長い敷布団があり、宿泊者はその布団に並んで寝る。なおその敷布団を収納する際はロール状に丸めていく。

奥の院には影嚮石(ようごうせき)という七面天女由来の磐座があり、その周りを回りながら願い事をするとよいという。

頂上には一の池、二の池、三の池等、池がある。一の池正面の祠には水晶玉が祀られている。

富士山のほぼ真西にあるため、春分秋分の日には、富士山山頂からのご来光が望める。

七面山大崩れ

山頂の南東にある崩壊地のことである。1854年の安政東海地震によるものと長年考えられてきたが[1]、早川町内の旧家に残る1651年の古文書に「大かれ」の表記が見つかり[1]、1651年以前にすでに崩壊地があったことが判明した[1]。この研究を行った永井・中村は、特定の地震による一度の大崩壊ではなく、幾度かの地震と毎年の侵食によるものと結論付けている[1]

隣接する山

脚注

注釈

  1. 登山道からやや離れたところにある。

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 "七面山大崩れ" 崩壊の履歴とその拡大に関する研究 (2000年) - 永井修・中村浩之、2017年7月閲覧
  2. 甲斐保勝協会編『甲斐勝景写真帳』「七面山敬慎院」昭和7年(1932年)発行、国立国会図書館蔵書、平成29年9月21日閲覧。

関連項目

外部リンク