ロス・バーンズ

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ロス・バーンズ(Charles Roscoe "Ross" Barnes, 1850年5月8日 - 1915年2月5日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州マウントモリス出身のプロ野球選手二塁手)。右投げ右打ち。

ナショナルリーグの初代首位打者で、アメリカ合衆国プロ野球草創期を代表する内野手の一人。

経歴

バーンズは1868年から1870年まで、アルバート・スポルディングと共にロックフォード・フォレストシティーズでプレーしていたが、1871年にナショナル・アソシエーションのリーグが創設された際、ハリー・ライトの誘いでボストン・レッドストッキングスに入団する。1871年には31試合に出場し、157打数63安打、打率.401を記録、得点66はリーグ最多であった。

1872年には45試合で99安打、打率.430を記録しリーグ首位打者となり、また守備でもリーグ最多となる162の補殺と30の併殺を記録する。翌1873年には60試合で137安打、125得点を挙げ、打率.431で2年連続の首位打者となり、打率も3年連続で4割を超えた。守備では1872年から1875年まで補殺数(二塁手)のリーグ最多を記録、また併殺数も5年間で3度リーグ最多を記録するなど、攻撃、守備面で高い能力を発揮した。

1876年ナショナルリーグが設立された際シカゴ・ホワイトストッキングスに移籍。この年.429の打率でリーグ最初の首位打者となったほか、126得点、138安打、二塁打21、三塁打14と4つの部門でリーグ1位を記録している。また、正式と認められるメジャーリーグ初本塁打を、シンシナティ・レッズ戦で放った[1]。しかしバーンズが驚異的な活躍ができたのはこの年までだった。

翌1877年にバーンズは熱病に犯され、この年の出場は22試合にとどまる。守備や走塁の機敏さは失われ、この年は.272の打率しか残せなかった。1878年にはナショナルリーグを離れてインターナショナルリーグでプレーしたりしていたが、バーンズは復調することはついになかった。1881年にボストンに戻り、同年31歳で選手を引退。バーンズの通算打率は.359にもなるが、「1試合あたり1.4得点」という通算記録は、歴代最高記録として未だ誰にも破られていない。引退後は1890年に、プレイヤーズ・リーグで56試合審判を勤めた記録が残っている。1915年に心臓病のためイリノイ州シカゴで死去。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1871 BOS 31 170 157 66 63 10 9 0 91 34 11 6 -- -- 13 -- -- 1 1 .401 .447 .580 1.027
1872 45 239 230 81 99 28 2 1 134 44 12 2 -- -- 9 -- -- 4 3 .430 .452 .583 1.034
1873 60 340 320 125 138 31 11 2 197 60 43 6 -- -- 20 -- -- 2 1 .431 .465 .616 1.080
1874 51 267 259 72 88 12 4 0 108 39 8 7 -- -- 8 -- -- 2 1 .340 .360 .417 .777
1875 78 400 393 115 143 20 4 1 174 58 29 6 -- -- 7 -- -- 3 0 .364 .375 .443 .818
1876 CHC 66 342 322 126 138 21 14 1 190 59 -- -- -- -- 20' -- -- 8 -- .429 .462 .590 1.052
1877 22 99 92 16 25 1 0 0 26 5 -- -- -- -- 7 -- -- 4 -- .272 .323 .283 .606
1879 CIN 77 339 323 55 86 9 2 1 102 30 -- -- -- -- 16 -- -- 25 -- .266 .301 .316 .617
1881 BSN 69 311 295 42 80 14 1 0 96 17 -- -- -- -- 16 -- -- 16 -- .271 .309 .325 .634
MLB:9年 499 2507 2391 698 860 146 47 6 1118 346 *103 *27 -- -- 116 -- -- 65 *6 .360 .389 .468 .857
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す

獲得タイトル・記録

  • 首位打者:3回(1872,1873,1876年)
  • 盗塁王:1回(1873年)
  • 最多安打:4回(1872,1873,1875,1876年)
  • 最多得点:4回(1871,1873,1875,1876年)
  • ナショナルリーグ史上最初の本塁打を記録(1876年5月2日)
  • 3年連続打率4割
  • 打率4割:4回(1871年 (.401), 1872年 (.430), 1873年 (.431), 1876年 (.429))

投手成績

  • 通算成績:1試合、投球回1.1、0勝0敗、被安打7、被本塁打0、奪三振0、自責点3、防御率20.25

脚注

  1. ベースボールマガジン社『週刊ベースボール』2008年10月6日号 「記録の手帳」71ページ

関連項目

外部リンク

テンプレート:ナショナル・アソシエーション首位打者 テンプレート:ナショナルリーグ首位打者 テンプレート:ナショナル・アソシエーション盗塁王 テンプレート:1872 ボストン・レッドストッキングス テンプレート:1873 ボストン・レッドストッキングス テンプレート:1874 ボストン・レッドストッキングス テンプレート:1875 ボストン・レッドストッキングス テンプレート:1876 シカゴ・ホワイトストッキングス